第20話 騎士の隣に立つ者は


「厳粛な投票の結果、新生徒会のメンバーが決定いたしました。承認する方は拍手をお願い致します」


 マイクを通した久遠くおんの声が体育館に良く響く。

 全校生徒が集まる中、あんりはステージの上に立ってピシッと姿勢を正していた。


 演説は緊張したけれど何とか上手く行き、生徒会選挙は無事に終わった。あんりは生徒の支持を受けて生徒会書記に当選したのだった。


「新生徒会の皆様、あなた達は生徒の代表となって学園を導く責任があります。その責務を忘れず、生徒のお手本となるように。これにて新生徒会、発足式を終了いたします」


 あんりは生徒と一緒に拍手をしながら久遠くおんのことを横目で追う。

 彼女は最後の挨拶を終えると体育館の脇に戻って行った。


 久遠くおんはいつもと変わらず、礼儀正しく姿勢を正してその場に立っている。

 たとえシャドーに襲われた後だとしても──それは変わらなかった。


『この人間がシャドーに成っただと?貴様ら守護騎士ガーディアンがいながら一体何をしていたんだ。その手足は飾りか?』

『そこまで言うことないだろう。駆けつけられなかった僕が言えることではないが……』

『フン。それで人間、シャドーなるものを輩出して……貴様に何か変化はあったのか?』


 あんりとカイがシャドーと交戦している時、レギオンの力が久遠くおんに入り込んでシャドーが生まれてしまった。

 結果的に言えばあんり達はそのシャドーを取り逃してしまったのだが、久遠くおんは無事に目を覚ました。


 思えば、時計の仮面を仕留め損ねていた時も被害者は何事もなく目を覚ましていた。

 やはり、シャドーの討伐と被害に遭った人は因果関係がないのかもしれない。

 以前は何か影響があるかもしれないと勘繰っていたのものだが。


『いえ、特には。体も精神も不調はありません』

『本当ですか?シャドーが出てくる前と後で、何にも違いとかありませんか?何も無い方がいいんですけど⋯⋯』

『そう言われましても……何も無いというのが正直なところです。何ですか、どうしてそんなにジロジロ見るのですか!不躾ですよ!』

『別に他意はない。主様にもそのシャドーとやらが入り込んだからな。人間にどのような影響が出るか確認したかっただけだ』

『ロゼに入り込んだのはシャドーそのものです。私とはまた状況が異なります』


 迫るあんり達から逃げるように、久遠くおんは学園長席の椅子に座る。


『私に異常はありません。シャドーを生み出した今までの生徒も体の不調を訴えることはありませんでしたし、問題はないでしょう』

『それならいいんだが……』


 久遠くおんが襲われた日から数日後、学園長室でこんな会話が繰り広げられていた。

 彼女ほどの人が自分の体を把握していないはずがない。だからきっと大丈夫なのだろう。


 けれど、シャドーを取り逃したことがどうしても気がかりだった。


(シャドーを倒せなくても生徒に影響はないみたいだけど……その分、レギオンの復活が早まっちゃう。やっぱりシャドーはちゃんと倒さないと!)


 そう気合いを入れ直したあんりは、新生徒会発足式を終えて教室へ戻る。今日はこの後ロングホームルームが残っているだけだ。


 そして、今日の議題は既に決まっていた。


「今日は学園祭の役割分担を決めたいと思います!」


 級長であるあんりが教壇に立って自ら拍手をすると、教室からパラパラと拍手が沸き起こった。


「皆さん知っての通り、一年生は四つの寮全体でひとつの劇を作り上げます。役者、小道具、大道具、演出、衣装、照明……全てが各寮と一緒なので、皆と仲良くなれること間違いなしですね!」


 そう言いながら、あんりは黒板につらつらと各チームの名前を書いていく。

 しかし、ウキウキしているあんりとは裏腹に教室内に不安そうなざわめきが広がった。


「他の寮と一緒だなんて……わたくし不安ですわ。仕事を押し付けられたりしないかしら」

「アリビオ寮は暇だと言っている生徒もいる。こちとら勉学に励むのに忙しいというのに、ひどい言い草だよ」

「役者班はシンティランテ寮の声が大きそうだしね……」


 など、各々思うところがあるらしい。

 あんりはそれらを真摯に受け止めながら、空気を変えるように手を鳴らした。


「みんなの言うこともとっても分かるよ。でもね、この劇は今の私たちにしか作れないものだと思う。だから絶対に良い物ができるに決まってるよ!」

「そんなこと言われても……じゃあ、愛宮えのみやさんがアリビオ寮の役者リーダーをやってくれるの?」

「もちろん!みんながいいなら、私でよければリーダーになるよ!」

「そ、それなら……うん、やってみてもいい、かな……」


 役者、と書かれた文字の下に自分の名前を書き、リーダーの印として丸で囲む。

 あんりの名前が黒板に書かれたことで、ぽつりぽつりと立候補者が出てきた。


 これで順調に決まる、と思いきや。


「役者に立候補したい人はいないですかー?あと一人なんだけど……」


 他の役割はほぼ埋まっているのだが、役者の人数がどうしてもあと一人足りない。

 各寮で役者を出す人数は決まっているから、他の係と兼用してでも人数を揃えないといけないのだ。


 どうしようかと頭を捻っていると、ぴっと指を揃え、真っ直ぐ伸びる手を見つけた。

 比奈ひながこちらをじっと見つめて挙手をしていたのだった。


「あ、比奈ひなちゃ──ええと、白鳥しらとりさん。立候補ですか?」

「いえ、わたくしではなく。推薦したい方がいらっしゃいますの。よろしいですか?」

「もちろん!推薦も大歓迎だよー!」

「では……最後の役者は、早乙女さおとめ様がよろしいと思いますわ」

「ええっ、カイくん⁉た、確かにカイくんはまだ何も係が決まってないけど……」


 あんりと同じように驚いたクラスメイトがどよめく。

 「早乙女さおとめが演技……?」「出来るとは思えないけど」というような声がちらほらと上がる。

 比奈ひなは大きく咳払いして野次を止めると、静かに立ち上がった。


「皆様の仰る通り、わたくしも早乙女さおとめ様が演技に向いている、とは思っておりませんわ。では何故、早乙女さおとめ様を推薦したのかといいますと……」


 ごくり、とみな息を飲む。

 ただ一人、当事者であるカイは机に突っ伏して寝息を立てていた。


「……ズバリ、顔が良いからですわ」

「顔」

「そうです!誰も役者をやりたくないのであれば、ここは少しでも映える方を選出すべきではないかしら?その点、早乙女さおとめ様は演技には難ありでしょうけれど、なにせお顔は大変よろしいのです。顔面国宝なのです」

「でも、演技が出来ないとだめなんじゃ……?」

「出来なくともやっていただくしかございません。我々はプロではありませんし、早乙女さおとめ様であれば多少の不出来は顔で補って余りあることでしょう」

「そ、そう、かなぁ……?」


 比奈ひなの語気の強さに押されあんりは一歩引いてしまう。だが教室内は賛同の声で溢れていた。


 カイに役者を押し付ける、というよりは「顔がいいから仕方がない」という宗教じみた主張の強さを感じつつ……黒板にはいつの間にかカイの名前が綴られていた。


 当の本人はそんなことなど露知らず、未だ夢の中で微睡まどろんでいるのであった。





「本当に体に不調はないのか?」


 昼下がり、昼食を終えた久遠くおんが学園長室で資料をまとめていた。


 休憩に来た自分はぬいぐるみに戻っていて、ソファには座ってレイピアの手入れをしているテオがいる。

 ぬいぐるみだけならまだしも、人形までいるのが知られれば彼女の趣味嗜好が疑われてしまうだろうな、とヒースは思う。決して口には出せないけれど。


「何度も申し上げましたが、ありません。ご心配には及びません」


 テオが目線を上げず尋ねると、久遠くおんも同じく資料から目を離さずにそう答える。

 いつも通りの凛とした声はテオと自分の耳によく届いた。


「心配したのではない。あくまで主様への影響を考えて情報を集めようと思っただけだ」

「まあ良かったじゃないか。僕達の仮説だと、シャドーの被害に遭った生徒は何らかの影響があると思っていたが……久遠くおんを見る限りそれはなさそうだ」


 例えばあんりとカイの傍に良くいる生徒、白鳥しらとり比奈ひなの場合。


 彼女はシャドーに襲われたあとから、以前はファンクラブまで作っていたカイへの興味を失ってしまったそうだ。

 ファンクラブが何かはヒースにはよく分からないのだけれど、要はカイへ向けていた情熱がすっかり消えてしまったらしい。


 ただこれくらいのことであれば、一概にシャドーが原因とも言い難い。

 人間の心は移ろいやすく、興味が他に移るなど日常茶飯事だからだ。


「そういえば……お前の持ち主はここの学園の生徒なんだろ?持ち主のところに戻らなくてもいいのか?」

「愚問だな。彼女は僕達のことを捨てたのだ。捨てたはずのゴミがいつの間にか戻ってきていたら、不快に思うだろう」


 テオは鼻でフンと息を吐く。


「捨てたものを腕の中に押し込むことは、必ずしもその者のためになるとは限らない。要らないと思って捨てたのだからな。まあ……善行には違いないのだろうが」


 自身をゴミと例えるのは言い得て妙ではあるのだが、いたたまれない気持ちにもなってしまう。

 しかしテオはさして気にしておらず、引き続きレイピアの手入れをしていた。


「僕達に今必要なのは持ち主ではない。持ち主がいるかどうかなど些細なことなのだからな。だから余計な気遣いはしなくても結構」

「お前の言い分は理解したが、言い方があるだろう……」

「貴様が尋ねてきたのだろう。文句を言われる筋合いはない」


 人形である自分達は、人間が死ぬのと同じように朽ちていく。それは持ち主の家か、ゴミ処理場かは運次第だ。

 きちんとした工程を経て供養される人形もあるのだろうが、大半の人形は捨てられてしまう。

 それを踏まえれば百年以上誰かの元で大切にされるということが、どれだけ稀有けうなことであるかが分かるだろう。


 雪桜ゆめから久遠くおんまで何代もの人の手を渡って来たヒースは、本当に気が遠くなるほど長い時間を過ごした。

 そこには確かに人の想いがある。

 故に──それを台無しにしようとしているレギオンは、一体どれだけの人の想いを踏みにじっているのだろい。


「奴の復活まで……もう時間はない」


 レイピアの手入れを終えたテオが窓に近づいて手を添える。反射して映った彼は美しく煌めいているが、確かな劣化がそこかしこに見て取れた。

 レギオンが復活して時間が過去に戻れば、自分達や人間も含めて全てが無に帰す。

 かといって奴をまた封印したところで自分達の未来は変わらない。


「貴様も、きっと決断をしなければならない時が来るだろう」


 意思を持ってしまった自分達は、いつかはその思考を手放さなくてはいけない。

 そして、そのいつかは確実に近づいていた。


「私は先に戻ります。ヒース、あなたも次の授業の準備があるのでしょう。きちんと時間を見て行動しなくてはいけませんよ、生徒へ示しがつきませんからね」

「ああ……それはもちろんだ」

「では、お先に失礼します」


 久遠くおんはまとめた書類を机で揃えて颯爽と学園長室を去って行く。

 残されたヒースは時間を確認し、人間の姿に戻っておいた。それを見ていたテオは怪訝な様子でジロジロと自分を見る。


「いつ見ても妖術のようだな……一体どういう原理で人間の姿になるのだ?」

「実を言うと、僕にもよく分かっていない。説明しろと言われると困るな。感覚としか言いようがないな」

「フン。まあ貴様のことなど、どうでもいいのだが」


 テオが窓辺に腰かけて足を組む。

 すらりと伸びた陶器の足が太陽の光を反射し、テオはまるで宗教画のような神々しさを放っていた。


「あの人間、どこか様子がおかしくはなかったか?」

「人間と言うと……久遠くおんのことか?いや、僕は特にそうは思わなかったが」

「……そうか。ならば気の所為せいなのだろう」


 テオは遠い目で窓の外を見る。

 彼の目は相変わらず何も映していない。


 だが、その目はいつも自身の主を探していた。





 学園祭の演劇、その役者班に選ばれた人達は細かい配役を決めるために空き教室へと集合するように言われていた。

 あんりもそれに従ってカイと共に空き教室に向かったのだけれど──


「役者をやるとか言ってないし、勝手に決められただけなんで。俺は降りる」

「でも、もう生徒会にもメンバーが決まったって言っちゃったし……今更メンバーを変えるなんて出来ないし……」

「それはあんたらの都合だろ。俺がやりたくないって言ってるんだから、この話は終わりだよ」

「さ、早乙女さおとめさん、そこを何とか……‼」


 四つの寮の役者班を束ねるのは、シンティランテ寮から選抜された女子生徒だった。彼女は全体の役者班のリーダーとして既に生徒から厚い信頼を得ている。

 それもそのはず、彼女はシンティランテ寮で演劇を専攻する生徒の中でも随一の才能を誇っているとのことだ。

 彼女ほどリーダーに相応しい人はいないだろうと満場一致で決まったのだった。


「アリビオ寮の役者班に、王子役に相応しい人がいるっていうのは聞いてたけど、ここまで似合う人が来るとは思ってなくて……!早乙女さおとめさんのイメージが王子役にドンピシャなの!」

「王子役って……そんなの男がやればいいだろ」

「王子役が女じゃ駄目なんていう法律はないんだよ?女の人でも男役はやるし、そういう有名な劇団だってあるでしょ?だから早乙女さおとめさんが王子役をしてくれたら絶対に良い劇になるよ、間違いないね!」


 リーダーは役者魂に火が付いたのか、目をぎらつかせてカイに迫っている。

 カイは頑なに拒否をしているけれど、あまりの気迫に少し気圧されていた。


「じゃあ、どんな条件なら王子役をしてくれる?私で出来る範囲の条件なら飲むから……!」

「いや、どんな条件付きでもやりたくないんだけど……」

「それでも何かない⁉例えば、お姫様役がこの人ならいいとか……今は仮配役で愛宮えのみやさんになってるんだけど、変えて欲しかったら私から愛宮えのみやさんに掛け合ってみるし!」


 そう、実はあんりはお姫様役、つまり雪桜ゆめの役に抜擢されている。

 まだ決定ではないのだけれど、みんな主役をやることに躊躇している様子だったので、あんりが立候補したのだ。


 この台本は主役のお姫様と王子だけでなく、殺陣をする敵役など見どころは全員にある。必ずしも主役をやりたがる人ばかりではないということだ。


「……姫と王子はどういう関係なんだよ」

「あ、少し興味出てきた?じゃあ、ここにいる人にも一度台本を要約して説明するね。みんな、集まってー!」


 集まった生徒達に向け、リーダーは台本をパラパラと捲りながら説明を始めた。


 あんり達が演じるのは「せかいの時計がまわるころ」という絵本を演劇用にアレンジしたものである。


 絵本では、世界の時間を巻き戻そうとした敵を、騎士のようなお姫様と王子が協力して阻止するという話だ。

 最終的には敵を操り巻き戻ろうとした時計を封印し、敵とは和解して締めくくられる。


 この絵本は言わずもがな、実際にあったレギオンと守護騎士ガーディアンの戦いをモチーフに描かれている。


 本来の歴史では、レギオンとは結局は和解できずに時計塔ごと封印されてしまったし、雪桜ゆめと共に戦った王子ももちろん存在しない。

 雪桜ゆめはただ孤独にレギオンと戦い、その末にやむを得ず封印するしかなかったのだ。


 だが、子供向けの絵本にそんな残酷なことを描くわけにもいかない。

 だからあくまで過去の出来事を参考に、フィクションとして創り上げたのが「せかいの時計がまわるころ」という絵本だった。


 だが一般的に、この絵本と聖エクセルシオール学園の関係は、守護騎士ガーディアンである雪桜ゆめの肖像画をヒロインに据えた、完全な創作とされている。


 だから現実と創作の違いに違和感を感じているのはあんりとカイくらいだろう。

 故に、カイも王子の存在に疑問を抱いたのかもしれない。


「……ということで、ざっくりとした説明は終わりかな。どう?早乙女さおとめさん、台本の内容は伝わったかな」

「結局、この姫と王子はどうなるわけ?」

「もちろん、二人は結ばれてハッピーエンドよ。学園の演劇だからキスシーンとか、そういうコンプライアンスに引っ掛かる演技はできないけれど……抱き合うくらいはしてもらうかもね」

「へえ……」


 自分に課せられた役に対する不満か、カイの眉がピクリと動く。

 そしてあんりのいる方へと向き直った。


「あんたは?」

「へっ?私がどうかした?」

「あんたが姫役なんだろ、やるのかよ?」

「もちろん、立候補したからにはやり切るよ。でも、カイくんが相手だったらもっと頑張れると思うな」

「ふーん」


 カイは興味無さげに目を逸らす。

 カイもいれば楽しいと思って盛り上がってしまったのだけれど、よくよく考えれば彼女が演劇に積極的に参加するはずもない。

 余計なことをするなと怒られてしまうかも……。


「それで、早乙女さおとめさんはどうする?」

愛宮えのみやが相手ならやってもいいよ」


 だが、カイはすんなりと王子の役を受け入れる。その変わり身の速さは頼んでいたリーダーさえ驚愕するほどだった。


 カイのことを多少なりとも知っているあんりは──その倍くらいは驚いてしまったのだった。





 放課後、夕暮れの茜色が寮の部屋を満たしている。

 日が落ちるのも随分と早くなった。秋は足早に過ぎ去り……冬ももう近い。


「『時間は絶対に戻させません。私は彼が諦めるまで何度でも説得する。諦めなければきっと分かってくれると思うから』」

「『ですが姫様、いくら力を手に入れたからといって、あなた一人では太刀打ちできません』」

「『それでもいいの。いいのよ。私は彼に勝ちたいわけじゃない。彼と分かり合いたいだけだから』」

「『では私もあなたに従いましょう。私は剣としてあなたの道を切り開き、盾として降りかかる災いからあなたを護りましょう』」

「『では、私は──』」


 台本をなぞっていた手がぴたりと止まる。

 台本の読み合わせをしていたあんりは、自分のセリフで口をつぐんだ。

 部屋に静寂が生まれる。


「次はあんただぞ」

「うん、そうなんだけど……ちょっと考えちゃって」


 あんりとカイはお互い自分のベッドに座り、向かい合うように台本の読み合わせをしていた。

 四つの寮で演劇を作り上げるにあたって練習時間の確保は最重要事項だ。ただあんり達は同室なのでその心配がない。

 裏を返せばいくらでも練習が出来てしまう、ということなのだけれど。


「絵本にも、この演劇にも。お姫様には王子がいる。でも本当は……雪桜ゆめさんは一人で戦ってた。ヒースに相談してたみたいだけど、それでも戦うのは一人だったんだよね」


 ヒロインを助けるためといえば聞こえはいいけれど、存在しなかった王子が生まれたのは創作物として整合性を与えるためだと思う。

 児童に向けたものだし、ヒロインを幸せにすることは当たり前のことだと思う。


 だが実際は、レギオンをなかなか封印できない雪桜ゆめに対する不満もあった。

 孤独に戦い続けた雪桜ゆめのことを考えると、絵本の結末は創作物だからという理由だけではないような気がした。


「これはただの絵本ってだけじゃなくて⋯⋯雪桜ゆめさんの望んだお話なのかも」


 あんりは花火大会の日に見た夢を思い出していた。


 レギオンと話し合いをすることを諦めず、必死になって説得していた雪桜ゆめ

 けれど、レギオンとは和解できずに封印するしか道が無かった。

 それをずっと後悔していたのではないだろうか。


「さあな。そんなの誰にも分からないだろ」

「そうだよね。でも、私達もいつかこうなる日が来るんだよ。テオが言ってたの、レギオンが復活する日は近づいてきてるって」

「だからレギオンと和解するってか?そんなこと出来るやつなら封印なんてされてないだろ。倒すしかない」

「そう、そうだよね……そうするしかないのかも」


 あの雪桜ゆめでさえレギオンを封印することしかできなかったのに、半人前である自分がレギオンを説得するなんて夢のまた夢かもしれない。

 それでもお姫様のセリフを読むたびに、会ったこともない雪桜ゆめの感情とリンクするような感覚が拭えなかった。


 レギオンという災厄とさえ和解しようとした雪桜ゆめの無念が、絵本となって世界に広がったのではないかと。


「そろそろやめるか。疲れたし」

「……そういえば、カイくんは王子役になって本当に良かったの?誘った私が言うのもなんだけど、演劇なんて絶対したくないと思ってたのに……」

「あんたが俺なら良いって言ったんだろ。嫌ならやめるけど」

「そんなことないよ、すっごく嬉しい!私がお姫様でカイくんが騎士だって聞いた時、一緒に出来たらいいなあって思ってたもの」


 台本を閉じ、あんりはカイの隣に座る。


「だって、このお話のお姫様と王子って、ただ守って守られるだけの関係じゃないでしょ?お姫様も騎士として世界を守るために戦うの。王子と一緒にね」


 雪桜ゆめ守護騎士ガーディアンだった時は、一人でレギオンと立ち向かっていた。

 けれど、あんり達は二人で一つの守護騎士ガーディアンとして戦っている。


「それってなんだか、私達みたいだと思わない?」


 どちらかがいればいいというわけでもなく、どちらも欠けてはならない。


 あんり達は一心同体の運命共同体。

 雪桜ゆめと比べれば半人前かもしれないけれど、二人でいれば、一人では出せない力が出せるかもしれない。


 だから、お姫様に身を捧げた王子へ返す台詞は──あんりがカイに伝えたいことでもあるのだった。



 夕暮れだった空が突如ふっと暗くなる。

 這い上がってくるような寒気に思わず窓の外を見ると、正面玄関の前にシャドーが蹲っていた。


「大変……!早く行かないと!」

「……ったく、毎度毎度飽きないな、あいつらも!」


 あんりとカイは台本を置いて急いで正面玄関に向かう。

 途中で避難する生徒とすれ違ったけれど、皆自分の身を守ることに精一杯で、あんり達の向かう先を気にする人はいなかった。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 古めかしく気品のあるドレスに身に纏った二人は、すぐさま『こころ時計とけい』に手をかざし、『セイバーキー』を取り出して差し込む。

 変身した時のような光が全身を包み、着物を模した衣装を身にまとった変わった二人は、それぞれの刀を構えた。


 シャドーは大きな腕と足を胴体から出し四つん這いになる。

 爪のように尖った指の先で地面を抉り、一歩進むごとにヒビが入っていった。

 その姿はまるでファンタジー映画に出てくるモンスターのようで、ぱっくりと割れた仮面の下は口のようにも見えた。


 シャドーは前屈みになって一瞬静止したかと思うと、地面を蹴り飛ばしながらあんりとカイに飛び掛かって来た。


 大きく振るわれた爪が頭上から降ってくる。

 それを避けることは出来たが、地面を抉った瓦礫が容赦なく降りかかってきた。


 両手で庇ってそれを防いだが、防御のために視界をシャットアウトしたのが致命的になってしまった。

 シャドーの手があんりの胴を掴み、そのまま地面へ叩きつける。


「うあ……っ‼」


 シャドーは叩きつけた時に地面に爪を食い込ませ、あんりの自由を奪う。肺から空気が全部抜けてしまうような圧迫感があんりを襲った。

 骨が軋むような力にあんりは悲鳴をあげることも出来なかった。


「あまり手を掛けさせるなよ」


 シャドーのもう片方の腕が、あんりの息の根を止めようと振り下ろされる。

 しかしその腕が届く前に、カイの大きな太刀が突きの要領で繰り出される。

 直撃した時計の仮面はその勢いを受け止め切れず──小さな亀裂が入った。


 カイの攻撃でシャドーが手の力を緩める。

 あんりはその隙に両手を地面につき両足でシャドーの掌を蹴り上げた。

 怯んだシャドーに短剣を向けて走り出す。シャドーは仮面を押さえて苦しんでいるように見えた。


「レギオン、あなたは……どうして過去に戻りたいの⁉」


 時計塔に封印されているレギオンに自分の声が届くのかは分からない。

 でも、シャドーはレギオンの力の一部が人を介して生まれたものだから、聞こえているはずなのだ。

 たとえ聞こえていないとしても、あんりはもう止まることが出来なかった。


雪桜ゆめさんだって、あなたと分かり合いたいって思ってたはず。それなのにどうして──」


 だがその途端に、体を突き破るような感情がシャドーからあふれ出す。

 まるで強風に煽られているかのような勢いに当てられ、あんりは立っているのもやっとだった。


(──に、─と──の───、何が───‼‼)


「何、これ──」


 苦しむようにもがいていたシャドーが動きを止め、自身の腕を大きな大剣に変化させる。

 それは容赦なくあんりに振り下ろされるが、カイの太刀によって防がれた。


「何だこの声、誰だ⁉」

「分からないけど、頭に直接響いてくるみたい……!」


 盾のようにして構えたカイの太刀がシャドーの一撃を止めていた。

 だがあんりとカイの頭の中に流れてくる謎の声がガンガンと喚き散らしてくる。

 それは拒むことが出来ず、がなり立てるような声があんり達を執拗に責め立てていた。


愛宮えのみや、構えろ‼このまま押し切る!」

「っう、うん!分かった!」


 頭が壊れそうなほどの声が響く。この異常事態にカイも狼狽しているようだった。

 あんりはシャドーの攻撃を防いでいるカイの太刀に垂直になるように、自身の小刀を添える。


因果いんがて!Ça te détache!』


 放たれた十字の斬撃はシャドーの時計の仮面を完全に破壊し、その破片は煙のようになって霧散していく。

 それに伴なってシャドーの本体も地面に染み込むように溶けていった。


 あんりはそれを見届けると、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。


「な、なんだったんだろう。今の……」

「……さあな」


 シャドーが消えると同時に、頭の中で喚いていた声も消失した。


 一体声の主が誰だったのか、そもそも本当に聞こえていたのか。

 それすらも、もう確かめる術はない。


 あんりはカイが差し伸べてくれた手に捕まって立ち上がる。


「剣として道を切り開き、盾として降りかかる災いから護るって……まるでさっきのカイくんみたい」


 手を引いたカイは怪訝な表情をするが、あんりはつないだ手をそっと握り直した。

 練習では言えなかったお姫様の台詞をあんりは笑顔で返す。


「『では、私はあなたの道しるべになりましょう。希望が道を照らし、夢が未来となるのですから』」

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