第21話 鏡合わせの光と影
聖エクセルシオール学園の時計塔にはレギオンが封印されている。
時計塔のどこかに隠されているのではなく、もっと概念的に、いわば時計塔とひとつになっている。
だから誰にもその姿を見せることは無い。
しかし、奴は確かにここにいる。大昔に
「ごきげんよう柊木の《ひいらぎ》先生。お掃除ですの?」
「ああ
「まあ、休日なのに大変ですのね」
ヒースが時計塔の周りを箒で掃除していると、偶然通り掛かった
学校の先生というのはどうやら休日も働くらしく、ヒースは皆が休んでいる間も出勤していた。
と言っても、やることは雑用ばかりなのだけれど。
ここの掃き掃除もその一環だ。
放っておけば落ち葉だらけになってしまうので、新しく入った自分が掃除係として任命されてしまったのだった。
周りが雑木林なだけあって、掃いても掃いても落ち葉が減らない。掃き終わったと思えば木枯らしが吹いて葉が落ちる、この繰り返しだ。
流石にもうリタイヤしてしまおうかと思っていたところである。
「
「学園の生徒は、特別な理由がない限り休日でも制服で過ごします。校則にそうあるはずですけれど……」
「……そうだったな。何せ、まだ赴任して日が浅いもんでな、校則を全て把握しきれていないんだ」
「先生でもそのようなことがあるのですね」
本来ならあってはならないだろう。
生徒の見本となるべき先生が校則を把握してないなんて言語道断。話にならない。
ただ自分はぬいぐるみから人間になり、その場を凌ぐためだけに教師をしている。
人間の生活に慣れることにも苦労したのに、その上教師の真似事なんて……頭がパンクしていないだけマシだと思う。
「こんにちは、聖エクセルシオール学園の先生ですか?」
頭の中でつらつらと言い訳を連ねていると、不意に聞き覚えのある声がヒースを呼んだ。
聞いたことはあるのだけれど、上手く検索履歴に引っかからないような⋯⋯そんな声だった。
だが振り向いて声の主を視界に入れた時、その違和感の謎が一瞬で解けた。だが、解けた瞬間に新たな疑問がヒースを襲う。
「なっ……あ、あんり?いや、違う……?」
「あんりを知ってるんですか?」
振り向いた先にいたのは肩までの髪をハーフアップにしている少女だった。
紅が混じった茶髪は少女の雰囲気を柔らかく見せる。少女は同じ色をした瞳を伏せて軽くお辞儀をした。
「初めまして、
「なんだ、あんりのお姉さんか。どうりでそっくりなわけだ。いや似てるというか、ほとんど瓜二つというか……」
「はい、私達は双子なので」
そう言って微笑んだあいりの顔は確かにあんりと殆ど同じだった。
双子といえど、ここまで似ていると関心すら覚える。生命の神秘とはこういうことを言うのだろう。
「それで、あんり──
「知っています。でも面会の連絡が母親から伝わってるはずなので、会いに来たんです」
「面会の約束か……ここじゃ確認できないから、一緒に職員室に来てもらうことになる。それでもいいか?」
「はい、それで大丈夫です」
聖エクセルシオール学園は全寮制で、生徒は長期休みでもない限り実家に帰ることはない。
そういう環境なので、ごく稀に家族から面会を希望される時がある。
それに生徒が了承すれば指定された日時で面会ができる、というわけだ。
面会にも細かい規定はあるのだが、とりあえずあんりに面会の予定が入っているかを確認すればいい。
ヒースはあいりを職員室に案内しようと学園に足を向けた。
「……あれ?
ふと隣を見ると、先程まで一緒にいた
校舎に戻ったのだろうかと思ったのも束の間、学園からこちらに向かって走ってくる二つの影が見えた。
「さあ
「
「それは……あら
「ああ、これから職員室に向かうところだけど」
「セーフですわ!入れ違いになるところでしたわね……!
「あ……え?」
「丁度いい。お姉さんが面会にいらしてるぞ。今日が面会だったのか?」
「えと……うん。そうなんだよね、連れてきてくれてありがとう
これで職員室に行く手間が省けた、とヒースは箒を握り直して掃除に戻る。
だがあんりは学園へは戻らず、姉の手を引いて正面の門をくぐって外へ出て行った。
面会をする生徒は学園や寮を案内することが多いのだけれど、あんりは外を案内するのだろうか。
(……珍しい、あいつがあんな顔するなんてな)
二人が門をくぐる前に見えたあんりの横顔は、久しぶりに家族に会えた喜びではなく。焦燥に駆られたような追い詰められた表情だった。
けれど見えたのは一瞬だけ。
見間違いだったかもしれないし、本当だったとしても……家族に向けてそんな表情をする理由が、ヒースには全く分からなかった。
◇
今日はいい日になるだろう、とあんりは漠然と思っていた。
目覚ましよりも早く起きられたし、朝ごはんの目玉焼きは黄身が双子だったし、茶柱だって立っていた。
だから、今日はいい日になると思っていた。
『
『いえ、結構です。お断りしておいて下さい』
だから寮母さんからそう言われた時、晴れ間に雲がかかっていくような……そんな嫌な予感を感じてしまった。
心の天気は晴れのち曇り。
おかしいな。朝までは確かに快晴だったのに。
「お姉ちゃん、どうしてここまで来たの?」
それでも、いくら嫌な予感がしたとしても。
今日ここで、この学園で。姉に会うとは思ってもいなかった。
「どうして?姉が妹に会いたがってちゃおかしい?」
「そういうわけじゃないけど、お姉ちゃんの家からここまですごく遠いでしょ。会いたいなら実家に帰って会えばよかったのにと思って」
「丁度、この町の近くに用事があったの。だからあんりの顔を見ようと思って。お母さんに面会の連絡を入れてもらったの。連絡来てなかった?」
「そういえば来てた、かな……」
忘れていたふりをしてとぼけてみる。
本当は朝食を食べ終わったあと寮母さんに声をかけられたのだけれど。
それにしたって、連絡と到着が同時なのは辻褄が合わない。
恐らく、近場まで来ていたあいりがいきなり母に連絡をして面会を取り付けたのだろう。
だから寮母があんりに許可を取ったと同時に現れたのだ。突拍子のない行動は本当に自分と似ている。
──ああ、本当に。嫌味なくらい似ている。
「実家に帰って来たらいいって言うけど、夏休みに帰ってこなかったじゃない。私待ってたんだからね?連絡もしてくれなかったし」
「ごめんね、夏休みも色々忙しかったんだぁ。返事も返したと思ったらしてなかったんだよ」
「あんりってそういうところあるよね。みんな来るの楽しみにしてたのに……」
「ごめんってば~!許してよお姉ちゃん」
両手を合わせて拝むとあいりは仕方ないと肩を竦めた。
学園の周りを散策しながら、あんり達は話を続ける。
「ところで、あんりは今何をしてるの?」
世間話のように語り掛けるあいりの言葉があんりの胸にぐさりと刺さる。
その言葉の重みも知らない彼女は、呑気に自分の返事を待っていた。
「何……って、勉強してるよ。あと生徒会に入ったんだ。あいりも入ってるんでしょ?」
「ううん、高校では生徒会には入ってないよ。あんりには言ってなかったけど、私、将来検事になろうと思うんだ。だから今はそのために勉強をしているの」
生徒会にも入りたかったんだけど、とあいりは残念そうに眉を下げる。
「そっかぁ、あいりは将来の夢が決まっててすごいなぁ」
「もう高校生だからね、当たり前よ。あんりはやりたいことは見つかった?」
「うーん……まだかなぁ」
「ちゃんと考えなきゃ駄目よ。時間は待ってくれないんだから。良い仕事に就いて、良い人を見つけて結婚して……元気な赤ちゃんをお母さん達に抱かせてあげようね。それが一番の親孝行なんだから」
「そうだね、私も頑張るよ」
喉がからからに乾く。
確かに地面を踏んでいるはずなのに、足取りがふわふわとしてどこか覚束ない。望んでいないのに、あいりの言葉が何度も何度も頭の中で反響する。
勉強も運動も人望も家族からの愛も、何一つあいりに勝てたことは無い。
同じ母親から、同じ日に生まれた姉妹なのに、あいりに比べて秀でている所など何一つなかった。
あいりがテストで学年一位を取れば、あんりは机にかじりついて必死に勉強した。
あいりが部活の試合で優勝すれば、あんりは部活の助っ人に参加してチームを勝利に導いた。
あんりはいつもあいりに負けないように、これ以上背中が遠くならないように、がむしゃらに後を追いかけた。
けれど、見ない間に彼女との間には分厚い壁が立ち塞がっていた。
乗り越えるのは不可能だと一目見て分かるほど、それは天高く
(将来の夢かぁ。あいりはもう決めてたんだ)
(私は……私は、何になりたいんだろう。何をしたいんだろう)
これ以上は追いかけても無駄だと逃げている間に、あいりはどんどん先に進んでいた。
もう二度と追いつけないほどに差がついてしまった双子の妹に、姉は残酷な事実を叩きつける。自分には届かないと暗に告げているように。
(頑張る、がんばるって何を?どうして頑張るの?頑張って何か意味があるの?)
あいりは自分の道を進み始めた。
双子として毎日一緒にいた頃と違って、もうあいりはあんりの知っている姉ではない。
高校に通うために一人暮らしをして、夢を見つけ、キラキラした未来に進んでいる彼女は、あんりには眩し過ぎて──目が潰されそうだった。
結局のところ、自分はあいりの真似事をしていたに過ぎなかった。
あいりに負けないように、追いつけるように頑張って来たけれど、あいりの後追いをいていただけの自分は何一つ成し遂げられず、何も残っていない。
駄々を捏ねて姉の真似をしても、何の意味もなかったのだ。
それに比べてあいりは一人で立って歩いている。
誰に自分の評価を委ねることもな く、誰と比べることもなく。
聖エクセルシオール学園に来た時、やっとあんりは自由になったと思った。
ここで新しい自分になって、誰からも必要とされる人になりたかった。だから誰のどんな助けにもなりたかったし、頼まれたらなんでもしてあげたかった。
ありがとう、と感謝をされるたびに自分の存在価値が目に見えるようだった。
こんな自分でもここにいていいと、何も無い自分の心が安心感で満たされていくようだった。
けれど、いくら感謝されて求められても、穴の開いた心には何も留まらない。
これじゃ足りない。もっともっと人に感謝されないと、頼りにされないと。
だから
それすら叶えられないのなら、自分が空っぽの人間だと認めざるを得ないのだ。
「年末は家に帰ってくるでしょ?お母さんもお父さんもあんりに会えなくて寂しがってたよ」
そんなことはない。
双子の片割れがいないくらいで誰が悲しむだろう。
「年越しは家でゆっくりして、初詣はいつもの神社に行こう。あそこの甘酒が美味しいんだよね」
双子なのに、どうして自分はこんなにも価値がないんだろう。
どうしてだろう、どうして──
「また二人で一緒に寝ようよ。まだ私達の部屋は綺麗にしてあるから」
──こんなに惨めになるんだろう。
「うん、年末には帰ろうかな。皆に会いたいしね!」
「やったぁ、楽しみね」
年末に帰省する約束をしてあいりを玄関まで見送る。
彼女の背中が見えなくなったところで、あんりは長い、長い息をついた。
(お姉ちゃんには何も分からないよ)
踵を返して学園へ戻る。
次々と出た偽りの言葉を思い出しては、自分の心との乖離に可笑しくなる。
そして果たす気のない約束に喜んでいたあいりの笑顔を──心の奥深くにしまいこんだのだった。
◇
あんりの生徒会としての初めての大仕事は募金活動の支援だった。
恵まれない貧しい地域の人達に寄付をしようと、生徒会では毎年募金活動を呼びかけている。
その強化週間として校門の前で実際に募金活動を行うのだった。
「うう、寒い……っ」
秋も深まって肌寒い日が続いている。
カーディガンや上着を羽織っている生徒もよく見かけるようになってきた。
「私達の募金でたくさんの子供が治療を受けられます、募金よろしくお願いします!」
募金のためのポスターを掲げ、チラシを配りながらあんり達は通りすがる生徒達に募金を呼びかける。
募金に協力してくれる生徒は思ったよりも多く、生徒達は足を止めて募金箱にお金を入れてくれた。
「あっ生徒会長──いえ
「お早うございます。予鈴が鳴る前には撤収出来るようにきちんと時間を見ておくように。生徒会が授業に遅れては生徒の見本にはなりませんからね」
そんな中、登校する
元生徒会長といえど、
「ふう……
「でも、こちらを一瞥しただけで行ってしまわれましたわね。
「
生徒会の役員は口々にそんなことを言う。
最近の
学園長室に行っても忙しそうにしているので、邪魔をしないようにすぐに退室するようにしているのだった。
「
「
「募金かぁ……じゃあ僕も──」
「……全く、
彼は
何を専攻しているかは分からないが、一般入学をしてくるアリビオ寮の生徒を見下している言動が絶えない。
アリビオ寮であるあんり達と仲の良い
「いつも言っていると思うけれど、僕が誰と仲良くしていても君の成績には関係ないと思うよ。どうしてそこまで目の敵にするんだい?」
「そりゃあ決まっているだろう。特別な才能もない人が、ただ金があるというだけでこの由緒正しい学園に入学しているんだ。僕はアリビオ寮の存在自体が必要ないと思っているね」
そうして男子生徒はあんりを上から下までゆっくりと見ると、薄ら笑いを浮かべた。
「君も親の金でここに入っているのだろう?自分には何の才能もないのに、誰かの力を借りれば入れるなんて、僕達のことを馬鹿にしているとは思わないか?」
若干高校生であるあんりにこの学園の学費を払える蓄えはない。
あんりに限らず多くの生徒が親の手を借りて通っているだろう。この学園の学費は決して安くはない。だからあんりも親には感謝している。
アリビオ寮の生徒が高額な寄付をして裏口入学をしているという根も葉もない噂は今だ留まるところを知らない。
けれど、あんり達も受験という狭き門を潜り抜けてきたのだから、こうやって見下される筋合いはない。
「君達が自主退学してくれれば、この学園の汚点がなくなってせいせいするんだがな」
だが、染みついた噂というのは人の目を曇らせる。
アリビオ寮の生徒は他の寮生からこうやって、陰であることないことを言われてきた。
それでも自分を見失わずにいれるのは、誰もがこの学園に入りたい強い意思があったからだと思う。
「……流石にそれは言いすぎだよ。
「何故僕が、アリビオ寮の人間に謝らなければならないんだ?こんな寮が存在するせいで僕達の評価まで下がるのだから、むしろ謝罪をして欲しいくらいだね」
揺るぎない信念や夢があれば、誰から何を言われても自分を保っていられる。
「それに、募金なんて卑しいことを考えたのもどうせ君達の寮だろう?君達には募金で集まった額も払えないのだろうからな。僕達の優しさで金を集める気分はどうだい?」
──だが、それが無い人は何を支えに立てばいいのだろう?
「……特別な才能がないとここにいちゃいけないの?」
「その通りだ。そんな人はこの学園に入る資格すらないと思うね。そんな人は誰の役にも立てないし脚光を浴びることもない。そんな人がここにいる意味があると思うかい?」
「私には何もないからここに来たの。ここに来たかったんじゃなくて、あそこにいたくなかったから来ただけだよ」
「……何だ?君……どこを見ている?」
うわ言のように呟くあんりを見て、男子生徒は怪訝な顔をする。
あんりは男子生徒に一歩、また一歩と近づいていく。
彼はそんなあんりから離れるように後ずさった。
「私だって頑張ってるのに、一生懸命努力してるのに。でもどれだけ頑張っても超えられないんだから、もう諦めるしかないんだよ。才能がないと認めてもらえないなら私は誰に認めてもらえばいいの?」
「な、何を言っている?意味が──」
「みんな私とお姉ちゃんを比べるの、お姉ちゃんならもっと出来るのにってがっかりするの。わたし頑張ってる、頑張ったよ。でも駄目だったの、だから逃げたの。もう十分頑張ったんだから、これ以上私のことを責めないでよ!」
男子生徒は眉をひそめて戸惑っている。いや、頭がおかしくなったと呆れているのか。
どっちにしても今のあんりの精神状態が異常なのは誰が見ても明らかだった。
あいりに会ったことがきっかけになり、男子生徒の言葉で厳重にかけていた鍵はあっけなく壊され、引き出しにしまっていた嫌な気持ちが溢れ出してしまう。
もう自分では止めることは出来なかった。
『あんりは今何をしてるの?』
何も出来ずに逃げた自分を嘲笑うような姉の声が聞こえる。
あんりはそれを振り切るように男子生徒に近づき──カイの手に阻まれた。
「その辺にしておけよ
「そ、そうだぞ!女……しかもアリビオ寮の癖に、僕に喧嘩を売るなど、なんて失礼な奴なんだ!」
「うるさいな。誰もあんたに話しかけてないから早く行けよ」
「なっ……‼ふん、元々君達のような者と話す趣味もないんでね!失礼させてもらうよ!」
男子生徒はどすどすと音を立てながら学園に向かっていく。
あんりはそれを視界に入れもせず、ただぼんやりとその場に立っていた。
「ありがとう
「別に、たまたま通りかかっただけ。放っておいても良かったけど」
そんな二人の声も、水中を隔てているようにくぐもっていてあんりには届かなかった。
けれど、電気のスイッチを消したかのようにふっと暗くなる空が、否応なく視界にねじ込まれる。
怖気の走る不気味な空、シャドーの襲来だった。
「みんな、早く学園に逃げるんだ!いつものアレが現れたらしい!」
「嫌ですわ、アレは……わたくしのお友達を襲いましたのよ!どうしてあんな化け物がここに……!」
学園から走って危険を伝えに来た生徒に導かれ、登校していた生徒や生徒会の役員も我先にと学園へ走り出す。
「
「私……取り残されてる人がいないか見てくる。だから
「そんなこと、
「私が行かなくちゃいけないの‼」
肩に置かれた
彼は少し驚いたようで目を見開いたが、宙をさ迷った手を摩るだけで、それ以上無理に触ろうとはしなかった。
「……
「なんで、なんでそんなこと言うの?
絞り出した声で唇が震える。
あんりは首をふるふると振って、なんとか叫ばずに堪えていた。
「私は私なんかじゃなくて誰のためになることがしたいの。だってお願いされたんだから、私にしかできないって言われたんだから、私がやればみんな喜んでくれるんだから」
返事を聞きたくなかったあんりは、
乱暴に走ったせいで呼吸が乱れ、喉がひゅうと鳴る。
誰かに感謝されたい。
ありがとう、あなたがいてくれて良かったと、自分の存在を肯定して欲しい。
──そのためなら死地に行くことなんて、何も怖くない。
自分が求めていたものはまさしくこれなのだと、長年探していた光を見つけた気がした。
未来や世界を救うなんて大それたこと想像はつかなかったけれど、この願いを叶えれば、あんりは文字通り人々から感謝されるだろう。
そうなった時、あんりはやっと自分の存在を認められる気がした。
だから、
「カイくん、早く変身して‼」
『
カイは何も言うことなく時計を合わせた。
──しかし『
「……どうして、変身できないの?ちゃんと二人揃ってるのに……!」
カイが
だから
けれど今『
「お願い、お願い……私から
特別な才能がないと人からは愛されないらしい。
あいりは親から愛されていたけれど、あんりは双子の姉とことごとく比べられて育った。
あいりなら出来たのに。
あいりにしてもらった方がいい。
あいりなら、あいりなら──
呪いのように比較された自分は居場所を失った。
そして今、辛うじて立っていた足場さえも崩れそうになっている。
「とりあえず逃げるぞ、ここにいても無駄だ」
「嫌だ、絶対に逃げない‼もう一回やれば変身出来るから、お願いカイくん、お願い‼」
「いい加減にしろ!ここにいても変身出来ないんだから、シャドーにやられて終わりだろ!」
「でも……‼」
シャドーはあんり達を見つけていない。今のうちに変身して戦えば学園に被害が及ぶことはない。
だが『
そうしている間にシャドーに気付かれる。シャドーはどろどろに溶けたような腕を動かしてこちらに迫ってきた。
「──あ、」
潰される。そう思った時には既にシャドーの掌が頭上に広がっていた。
そんなあんり達にこの状況を打破する力があるわけもなく、カイに肩を抱かれながら、その時を待つことしかできなかった。
(せっかく頼りにしてくれたのに、やっぱり私ってなんにも出来ないんだ)
虚無感が鉛のように体にのしかかり、指の一本すら動かすことが出来ない。
ここで自分が敗れてしまえば、レギオンに対抗する勢力がいなくなってしまう。
でも、それだけの人の無念を背負っても──『
(『
シャドーの掌が眼前に迫りくる。もう逃げることは出来ない。
でも、もういい。
この死にざまも、己のためだけに
「──本当に、貴様は僕と同じだったな」
一閃。
視界が黒く塗り潰される寸前に、鈍い光が闇を切り裂いた。
それは持ち主同様に古びたレイピアが放ったもので、優雅に着地したテオが奮ったものだった。
「どうしようもない現実に駄々を捏ね、人間の赤子のように泣き喚く。……ああ、反吐が出るくらい僕と同じだ」
駆けつけてくれたテオは、腕を失って怯んでいるシャドーから目を離さずに忌々し気に呟く。
「貴様が
そう言い残し、テオはレイピアを構えてシャドーに向かって突進していく。
未来を守りたいのではなく、過去に戻りたくないだけ。
かつてあんりは、テオに図星を突かれたことがあった。
未来は守りたい。だけれどそれは、自分の醜いエゴの副産物に過ぎなかった。
人を助ければ自分の存在価値が確立される。
それに、過去に戻れば、あんりはまた耐えがたい事実を受け入れなくてはならない。だから絶対に、レギオンの復活を止めたかった。
今まで被っていた殻が剥がれ、そこに隠れていた真実に耐え兼ね──『
「……私、
口では正義感に溢れたセリフを吐いておいて、心の奥底では、自分に巣食っている醜い部分が暴かれる時が訪れるのを……ずっと恐れていた。
「でもそんな人が、本当の
自分のことしか考えてない人間に、世界なんて救えるはずもない。
反応しなくなった『
「俺はずっと俺のことしか考えてない。でも変身出来ている」
相変わらず澄ました顔でカイが言う。
その目はテオとシャドーの戦闘を追っていた。
「使命とか未来とか、そんなのどうでもいい。でも俺に害があるなら話は別だ。だから今まで
カイは最初から自分のために
それは今でも変わりなく、未来を守るためなんて陳腐な言葉をカイから聞いたことはない。それでも『
「あんたも人間らしいじゃん。そっちの方が好みだな」
だからこそ、あんりの汚い心のうちを聞いても、カイは表情を変えることは無かった。
「……こんなこと考えてたって分かったのに引かないの?友達辞めたくならないの?距離をとりたくならないの?」
「別に、むしろ妙に納得したくらいだ。聖人君子じゃなくてもヒーローにはなれるみたいだからな」
あんりもカイも、心から純粋な気持ちで
けれど時間を過去に戻すということを良しとせず、未来を守りたいと思ったことも──また事実だった。
いくら捻くれていようと、そう思っていなければ『
「私ね、すぐにはこの性格を直せないと思う。だけど
幼い頃から根を張った劣等感や虚無感、嫉妬や羨望。
それらを一瞬で払拭するのは難しい。
けれど、それならば。
それらを抱えたまま進んでいけばいい。
「私はカイくんとのこれからを守るために、もう
認めて欲しくて
純粋無垢なヒーローには程遠い。
でも、未来を守りたい気持ちは同じなのだ。
醜くて目を瞑りたい自分を直視する。
傷だらけになったその手には何もないと思っていたけれど、そこには確かに譲れないものがあった。
「悪くないね」
そしてあんりとカイは自然と『
『我ら
合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。
そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。
鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。
全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。
この姿は未来を守る騎士の姿。
どんな自分の姿さえも受け入れ、前に進む人間のあるべき姿。
これこそが──本当の
二人の胸に装着されていた『
それを二人で
『
矢が直撃したシャドーは仮面ごと打ち砕かれ、ボロボロと崩れ落ち、やがて霧散して風に乗って消えていく。
脅威は去った、あと気にかかることと言えば──
「そういえば、もう授業の時間じゃない⁉いっけな~い、遅刻遅刻!」
「シャドー騒ぎがあって遅刻も何もないだろ、このままサボろうぜ」
「それは駄目だよ、
「はいはい……」
「貴様ら、この僕に労いの一言もないとは良い度胸だな。貴様らが揉めている間を繋いでやったというのに……」
疲れ切ったテオの声には、嫌味がたっぷりと含まれていた。
あんり達が変身できない間シャドーを止めてくれたのはテオだったのだ。
「ありがとう、テオ!来てくれなかったら危なかったよ~……!」
「フン、ところであのぬいぐるみと人間は何をしているんだ?いつもは無意味に貴様らといたように思うが」
「
時間を確認していたのか、カイがスマートフォンを取り出して画面をじっと見ていた。
しかし、画面を凝視しているカイはあんりに返事を返さない。
それ自体はいつものことなのだけれど、眉間に寄せられた皺が彼女の機嫌の悪さを物語っていた。
「どうしたの、カイくん──」
袖を引っ張ってみると、急に現実に引き戻されたのか、カイの手がびくりと震えてスマートフォンを取り落とす。
それを慌てて受け止めると、カイが見ていた画面が目に入ってしまった。
そこに映し出されていたのは恐らく、カイの父親と思しき人物からのメッセージだった。
『退学手続きは済ませておいた。早急に準備をして戻ってくるように。』
言葉の意味は分かる。
けれど、それが一体何を意図するのか──あんりにはしばらく理解が出来なかった。
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