第22話 届かぬ想いに影が差す

「退学って一体どういうこと?カイくん、学校やめるの……?」

「……」


 シャドーを無事倒し、いつも通りの長閑のどかな朝がやってきたと思っていた。

 気持ちを新たに守護騎士ガーディアンとして頑張ろうと思った矢先、カイのスマートフォンが不穏なメッセージを受信する。

 ちらりと見えた退学という二文字が信じられず、あんりはカイを質問責めにしてしまった。


「ごめんね、画面が見えちゃって。でも私の見間違いだよね!まさか退学なんてするわけないもんね!」

「……」

「カイくん、ねぇどうしたの?さっきからずっと黙って……」


 あんたの見間違いだ、退学なんてするわけないと、そう言って欲しい。

 だが、カイは眉間に皺を寄せたまま複雑な表情をして黙っている。それが余計に不安を募らせた。


「……俺は寮で寝る。こんな騒ぎになって授業があるとも思えないしな」

「そ、それはそうだけど……」


 あんりからスマートフォンを取り上げ、カイはそれを雑にズボンのポケットに入れる。

 そして何も言わずに寮へと歩き出してしまった。


「タイガクが何か知らないが……⋯⋯あいつのことを放っておいていいのか?」

「退学って言うのは、この学校を辞めるってことだよ」

「それは由々しき事態だろう、守護騎士ガーディアンなどというものをしておきながら、ここを去るなど……」

「うん、それもそうだけど……」


 ただならぬ雰囲気を感じたのか、テオがレイピアを懐に仕舞いながら尋ねてくる。

 追いかけることも問い質すことも出来たけれど、カイがあのメッセージを見てすぐに否定しなかったことがあんりには引っかかった。


守護騎士ガーディアンのことを抜きにしても、私、まだカイくんとしたいことも話したいこともある。でもカイくんが退学したいと思ってるなら……カイくんの意思を尊重するべきだと思う。寂しいけど、ね……」

「だが、守護騎士ガーディアンは貴様らしかなれぬものなのだろう。タイガクはその使命を途中で放棄するということだ。それは許されない」

「そっか、そうだよね。守護騎士ガーディアンは私とカイくんしかなれないんだった」


 以前までのあんりだったら、カイが退学することで守護騎士ガーディアンになれないことを憂いていたことだろう。


 けれどそれよりも、何よりも。

 カイがいなくなってしまうかもしれない、ということにあんりは動揺していた。


 成績不良以外にも進路や家庭の事情で退学する生徒は珍しくない。

 この学園が自分の進むべき道と異なるなら、その道から外れることは間違いではないのだ。

 だからカイが退学を望んでいるのなら……あんりは笑顔で見送ってあげたいと思う。


 寂しくないのかと問われれば、もちろん寂しい。

 けれど、永遠の別れではないと思えば立ち直ることも出来た。


(でもあのメッセージを見てた時のカイくん、嬉しそうな顔はしてなかったなぁ……)


 自分の意思で退学を決めたにしては、やけに表情に陰りがあった。

 あんりはそれがどうしても引っ掛かっていて──素直にカイの退学を喜べないのであった。





 それから数日、カイは何やら考え事をしていた。


 話しかけてもどこか上の空で、あんりは一人で行動することが以前にもまして増えた。

 カイと顔を合わせるのは就寝時、ベッドに寝ている時くらいだった。


久遠くおんさんはカイくんの退学について何か知ってますか?カイくん、全然捕まらなくて……」

「個人情報に関わることですので事情はお教えできませんが、確かに早乙女さおとめさんの退学届けは受理しています。あと一週間ほどで退学となるでしょう」

「そっか、本当なんですね……」


 学園長室で仕事をしている久遠くおんに尋ねると、事務的な返事が返ってきた。

 あんりはその事実を聞いて心がずんと重くなる。当たり前に続くと思っていた日々が、もうすぐ崩れ去ろうとしている。


「そのタイガクとやらは本当にしなくてはならないのか?あの人間がいなければ、貴様らは守護騎士ガーディアンになれないのだろう?レギオンの復活が間近だというのに、一体何を考えているんだか……」

「いかなる事情があろうと、退学の意思は尊重しなくてはなりません。入学した以上卒業して欲しいという気持ちが無いわけではありませんが……聖エクセルシオール学園に在籍することだけが人生ではありませんから」

「それにしても、もう少し後にすることは出来ないのか?カイの事情は分からないが、レギオンが復活してはタイガクとやらをしても意味がなくなってしまうだろう」

「何故ですか?」


 苦言を唱えるテオとヒースに、久遠くおんはきょとんとする。


「親御様から退学の意思を伺いましたが、早乙女さおとめさんもそれに反対はしていません。であれば、ご家族と本人の意向を尊重して退学の手続きを踏むのが私の役目です」

「それは事務的なことだろう。レギオンがいつ復活するのかは分からないが、テオが言うにはそう遠くない。そんな時に守護騎士ガーディアンがいなくなってしまえば、この学園は恰好の餌食になってしまうぞ。それくらい分かるだろう?」

「ぬいぐるみに賛同するのは癪だが、その通りだ。今この時に守護騎士ガーディアンの使命を投げ出すなど言語道断。あの人間は何を考えているんだ?」

「父親の言うことならそれに従う、と。私はそれだけ聞いています」


 久遠くおんはそう言うと椅子を鳴らして立ち上がる。


「話したいことは以上ですか?では私は寮へ戻ります」

「待ってください、久遠くおんさんっ」

「まだ何か?」

「本当に、カイくんは退学しても良いって思ってるんでしょうか?私にはとてもそうは見えませんでした」

「私はエスパーではありませんので彼女の真意は分かりかねます。そんなに気になるのなら、本人に聞いてみては如何ですか?」


 もちろんそうするつもりだ。

 このままカイと何も話せずに別れてしまうなんて、とてもではないが納得できない。


 でもあんりには、カイの退学と同じくらい引っ掛かることがあった。


「……久遠くおんさん、どうしてそんなに冷たいんですか?」


 線が細く艶のある黒髪も、それと相反した真っ白く透けるような肌も、そこに浮かぶ黒い瞳も、何もかも久遠くおんそのもなのだけれど。

 何故か全くの別人と話しているような気がしてならなかった。


 元々真面目で気難しく、喋り方も事務的で堅苦しい人だったが、突き放すような言い方をする人ではない。

 むしろ心に秘めている情熱はあんり達をも凌駕するほどで、守護騎士ガーディアンに対しても並々ならぬ想いを抱いていたはずだ。


「カイくんが決めたことなら、私は笑顔で見送ります。でも今はいつレギオンが復活してもおかしくないってテオも言ってるし……もし復活してしまったら、未来ごと消えてしまうんですよ?久遠くおんさんなら止めてくれるはずなのに、どうしちゃったんですか?」

「私の知る由ではありません。それでは失礼します」


 あんりの呼び止める声は久遠くおんに届かず、彼女は颯爽と学園長室をあとにする。

 残されたあんりは同じく戸惑っているヒースと顔を合わせた。


「ヒース、久遠くおんさんはどうしちゃったの?私、何か怒らせるようなことしちゃったかな……」

「分からない。ただ最近はずっとあんな感じだ。一体どうしてしまったんだか……」

「僕から見てもあの人間は様子がおかしい。そうだな、確かあの人間がシャドーに襲われたころぐらいか──」


 テオの言葉に、ヒースはハッとする。


「まさか、やはりシャドーを生み出したことが関係している……とでもいうのか?」

「そうかもしれないだろうが、今問題なのはカイ《あの人間》の方だろう。忌々しいが、守護騎士ガーディアンがいなければシャドーへの対抗手段は無いに等しいのだからな」

「……うん、カイくんに聞いてみるよ」


 皆、久遠くおんのことが気にならないわけではないだろう。

 だがそれよりも、目の前に迫っているトラブルの方が優先すべき事柄だった。


久遠くおんさん、一体どうしちゃったんだろう。シャドーと何も関係が無いといいんだけど……)


 終焉までのタイムリミットは既に迫っている。


 不穏な影は確実に、日常を蝕み始めていた──





 この学園に来てから、父親の顔と声を思い出すことは確実に減っていた。


 腹違いの弟が生まれてからというもの、父親は弟を自分の会社の跡継ぎにすることに躍起になっていた。

 父親は高校生の娘を持つ親としては高齢なので、さっさと跡継ぎを育成して隠居したいとでも考えていたのだろう。


 父親の会社のことなんかどうでもいいが、跡継ぎはどうしても血縁がいいという、凝り固まった古臭い考えのせいで生まれた弟は気の毒に思う。特にフォローを入れる気もないけれど。


 父親としてはカイが男で、正当な後継者になれば万事解決だったのだろう。

 だが、代々築き上げてきた自分の会社を女に継がせるなど、奴のプライドが許さなかったに違いない。


 跡継ぎを考えていた父親は長女が生まれたことにひどく落胆したらしい。

 性別の産み分けなどできるわけが無いのに、なぜ男を産まなかったのかと母親を責め立てた。

 母親は男女どちらでも自分たちの子供には違いないと主張したが、あの男はそうは考えなかった。


 典型的な亭主関白の父親がカイの家では絶対で、母親と自分は女というだけで肩身の狭い思いをしてきた。

 母親はカイを産んでから体を病み、もう子供を産むことはやめた方がいいと医者から告げられた。それを聞いた父親は母親と離婚をすることに決めたのだった。


 父親とはそういう人間だった。

 使えなくなればたとえ妻でも切り捨てるし、待望の息子が生まれれば娘のことなど忘れたように振る舞う。


 そういう、人間だった。


『退学の準備は進んでいるのか?』

「必要な書類は書いた。あとは向こうが承認するだけだ」

『ふむ。早ければ早いに越したことは無いのだが……融通の利かない奴らだな』

「話はそれだけか?他に何もないならもう切るぞ」

『……全く、お前は変わっていないな。父親に向かってそんな口の利き方をするとは……。話しならまだある。良く聞きなさい』


 通話口越しに聞いた久方ぶりの父親の声は、入学前とさして変わりなかった。

 年老いてしゃがれた声に乗せられた圧力に否応なく嫌悪感が募る。


 退学の手続きを進めているというメッセージが、何の前触れもなく自分のスマートフォンに送られてきた。

 それを見た時の感情をどう表現したらいいのか──未だに分からない。


 父親のメッセージは簡潔なものだった。

 長男、つまりカイの弟が最近体調を崩して入院しているというのだ。


 弟は生まれてから体が丈夫な方ではなかったので、幼い頃は学校よりも病院に通っていることの方が多かった。

 それでもいつか病状が回復すると信じて、父親は数多くの医者に弟の体を見せてきたのだった。


 けれど、弟の病弱な体質は完治を望めるようなものではない、というのが医者の見解らしい。それが中学生になった弟に告知されたものだった。

 不治の病などではないけれど、病院通いをやめることはできないし、薬とは一生付き合っていく必要がある。

 それを聞いた父親は自分にもう一人の子供がいることを思い出した。


 つまり、弟の代わりに家に戻って父親の跡継ぎになること。

 それが退学の理由だった。


『お前はこれから私の会社を背負って立つために、私の下で教育を受けることになる。そのなんだかよく分からない学園にいる時間は、本当は一分一秒すら惜しいんだ。分かっているな?』

「それで?」

『……そういう態度を取るのも、家に帰ったら許されないことを覚えておけ。お前は私の跡継ぎで、それに恥じない人間になる必要があるのだからな。いいか、お前は私の言うことを聞いていれば良いんだ。私の会社を継ぐなんて誉れ高いこと、誰にでも出来ることではないのだからな』


 どの口が、とカイは口の中だけで悪態をついた。


 女だからと見限ったのは他の誰でもないこの男なのに。

 そんなことは忘れてしまったのか、大したことではないと思っているのか、奴に反省の色は見られなかった。


『お前が不出来だと私の沽券に関わる。だからお前には上手くやってもらわないとな。全く、せっかく男を産んだというのに使い物にならないとは……この数年が水の泡じゃないか』


 カイを見捨てたのと同じように、父親は弟のことも見限ったのだろう。

 自分の血を途絶えさせないためだけにカイを家に戻そうとしているのだ。


『お前だけが頼みの綱だぞ。私の会社の跡を継ぎ、十分に貢献するように』


 今さらどんな言葉を並べられても、カイの心には何も響かない。


 母親を捨て、役に立たないからと娘である自分を捨て、自分の勝手で産ませた弟すら捨てる。

 そんな男の言葉なんて全くもって聞くに値しない。揺さぶられるなんてことは絶対にない。


 ──あっては、ならない。


『見合い相手もこちらで見繕わせてもらった。お前は今度こそ健康な男児を産むように。私の血を途絶えさせることのないようにな』


 父親は返事のない自分など構わず捲し立てる。


 指先が冷えていくのに、頭には血が上ってのぼせるように熱い。上手く閉じていたはずなのに、薄汚い感情で心の蓋が壊れてしまいそうだった。

 喉までせり上がった言葉を何とか飲み下し、カイは長い息を吐く。


「あんた、俺にしたことを覚えてないのか?跡取りにならなくていい、お前は勝手に生きろって言ったよな。それを今更撤回するのかよ」

『そうだ。だが事情が変わったのだから仕方あるまい。あの男のようなヤワな体では私の会社は継げないからな、仕方なくお前に任せると言っているのだ。退学については受け入れただろう?お前こそ、今更反対するつもりか?』


 仕方なく、と父親は言った。

 だがそれは自分の台詞だった。


 やっと自由になって好きに生きていたというのに、あのメッセージが届いた時……拒絶反応を起こすと同時に諦めの気持ちがすぐに芽生えた。


 あの男の言いなりになんてなりたくない。

 けれど実際問題、奴の世話になっていることには変わりがない。自分はまだ高校生で、親の援助がなければ生きていくことすらままならないからだ。


 父親は今まで、跡継ぎにならない役立たずの娘に一切感心を向けることは無かった。

 それは義母も同じで、カイは義母と好意的な会話をしたことがない。

 それもそうだ、女である自分は用無しなのだから。


 だがカイは、生まれてこの方金銭面で困ったことは一度もなかった。

 父親はあんな男ではあるがかなりのやり手で、カイの生活は裕福といって差し支えなかった。

 それはこの学園に入学してからも同様で、あの男は仕送りだけは欠かしたことが無い。


 だがそれは、カイに対して家族としての愛があるからではない。

 あの男が仕送りを辞めないのは、遠い地で頑張っている娘を応援する、理解のある父親を演じるためであって、カイのことを心配しているからではない。


 だから、カイは仕方なく退学を受け入れることにした。

 ここで駄々を捏ねても何の意味もないことは、考えなくても分かることだった。


「確かに退学はすると言った。あんたの支援がなきゃここにはいられないからな」

『分かっているならそれでいい。せいぜい私の顔に泥を塗らないように、死ぬ気で勉学に励むように。それでは』

「……なあ、本当にそれしか言うことはないのかよ」


 通話を切ろうとしていた父親を引き留める。

 どうしてそんなことをしたのか自分でも分からないけれど、気付いた時にはもう口から言葉が飛び出していた。


『私は忙しい。要件があるなら簡潔に言いたまえ』

「……あんたの言う通り家に戻ってやる。その代わり一つ質問に答えろ」


 これを父親に告げることに何の意味があるのだろう。


 分からない。

 分からないが──カイはスマートフォンを握る手に力を込めた。


「あんたにとって俺って何なんだ?」

『私の会社を継ぐための人間だ。それ以外はない。質問は以上か?』


 無いなら失礼する、と言って通話が切られる。

 カイは通話が切られてからしばらく、耳からスマートフォンを外すことが出来なかった。


 ──ああ、一体、何を期待していたのだろう。


 あの男から優しい言葉の一つでも返ってくると思っていたのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい、奴がああいう人間だということは、これまでの人生で十二分に分かっていただろう。


 けれど、それでも、と。

 微かな望みがあったことは否めない。


 だが、その無駄な望みは完膚なきまでに叩きのめされてしまった。


「……相当嫌なことを言われたみたいだけれど、大丈夫かい?」


 何もせずぼうっと佇んでいると気安く声をかけられる。

 振り返るとそこには、薄い茶髪を靡かせた儚げな男子生徒がいた。


 カイはこの生徒のことを知っている。

 やけに愛宮えのみやと仲の良い瞬月しづきという男子生徒だった。


「やあ、早乙女さおとめさん。お取込み中だったから遠慮していたけど、電話は終わったのかな?あまり良くない電話みたいに見えたけれど……」

「だったら何だよ、あんたに関係あんのか?」


 親しげに話しかけてくる瞬月しづきに苛立ちを隠せない。

 この男は誰にでも優しい好青年だが、今はその優しさすら忌々しく感じる。カイは今ひどく機嫌が悪いのだった。


「はは、そんなこと言わないでよ。僕達友達でしょ?何か悩みがあるんだったら相談してよ。愛宮えのみやさんに言えないことだってあるだろうし」

「いつ俺とあんたが友達になったんだ。あんたらの友達ごっこに巻き込むのはやめてくれ」

「そう?じゃあ友達じゃなくてもいいから……僕に何か相談できることは無い?今の早乙女さおとめさん、すごく困ってそうな顔をしていたからさ」

「……うるさいな、俺に構うなよ。愛宮えのみやの所にでも行けばいいだろ」

「それじゃ駄目だよ、早乙女さおとめさんじゃないと。愛宮えのみやさんでも良いと思ってたけど、やっぱり、君の方が都合が良さそうだからさ」


 瞬月しづきは唇に人差し指をあて、微かに微笑んだ。


「当ててあげようか。さっきの電話、家族からだったんでしょう?」


 瞬月しづきの言葉に心臓を鷲掴みにされるような感覚が走る。

 動揺するカイに対して、奴は相変わらず掴みどころのない笑顔を浮かべていた。カイと目が合うと目尻の皺がより深くなる。


「ひどいよね、最初に捨てたのは君のお父さんなのに、勝手な都合で呼び戻されてさ。早乙女さんもお父さんのことを恨んでいるんじゃない?」

「あんた、何で……そのことを知ってるんだ。愛宮えのみやに聞いたのか?」


 聞いてから、愛宮えのみやには退学の詳細を話していないことを思い出す。


 結局、今回の件に関しては誰にも、何も話していない。話したところで退学することは決めていたし、そのせいでいざこざが起きるのも面倒だった。


 守護騎士ガーディアンのことが頭を過らなかったわけじゃない。

 御大層な使命感なんてものは無いが、レギオンが好き勝手するのはカイにとっても看過出来ることではなかった。


「肉親に振り回されるってどんな気持ち?ようやく認められて帰れると思ったら、ただの駒としてしか認識されてなかったんだもの、ショックだよね。退学を決めたのも、もしかしたらお父さんが改心してるかもって思ったからなんでしょ?でも結局、何も変わってなかったね、可哀想に」


 瞬月しづきは質問に答えずやけに高揚した様子で饒舌に話す。

 物静かな奴だと思っていたのだが、一体何が奴をそうさせているのか。


 だがそんな疑問よりも先に、奴の言葉が琴線に触れる。


「……あんたに、何が分かる、適当なこと抜かすなよ」

「あれ、本心のはずだけどな。まだ認められないんだね」


 おどけたように笑う瞬月しづきを一蹴するのは簡単だ。


 あんたには関係ない、勝手なことを言うなと怒鳴ればこいつは簡単に引き下がるだろう。

 だが口を突いて出る言葉は、自分でも驚くほど弱々しいものだった。


 ゆっくりと近づく瞬月しづきは、カイの影を踏みしめてこちらを見上げる。

 そこで笑っていたのは、確かに自分の同級生に違いないのだけれど──


。だから間違ってるはずがないんだよ」


 その中身には、何か薄暗いものが巣食っているような気がした。


「一生懸命努力したのに認められないなんて惨めな気持ちだよね。やっと諦めてたっていうのに、やっぱり戻ってこいだなんて……君のお父さんは底辺みたいな人間だよね」


 笑顔なのに目が笑っていない瞬月しづきの目を見て、顔が引き攣る。

 淀んだ瞳から彼の奥底に淀む闇が垣間見えるようだった。


 人間の形をして日本語を喋っているのに、根本的な理屈が通じないような──言い知れない不快感が広がった。


「ああごめんね、早乙女さおとめさんはそんな人に期待しちゃってたんだもんね。お父さんが悪く言われて気分が悪くなったかな?」

「誰が期待なんか。あんなやつに期待するだけ無駄だ」

「でも、期待してなかったらそこまで落胆しないはずだよね。早乙女さおとめさん、自分は期待されるのは嫌いなくせに、人には期待したんだ。そういう態度をとってるツケが回って来たんじゃない?」


 学園に来たばかりのころ、白鳥しらとりという生徒に付けまわされていたことを思い出す。

 カイのことをヒーローか何かだと思っていたあの女は、自分の理想を押し付けて勝手に期待していた。


 人に期待されることは嫌いだ。


 何かの役割をあてがわれることも、レールに沿って進むように強制されることも、みんながしているからと平等を強要されることも嫌いだった。

 自分の父親がそういう人間だったからだ。


「でもこれで分かったよね。どれだけ期待しても、未来に希望なんて何もないんだって。そんな未来を守って一体何になるの?」


 それでも、父親のやり方には従順だった。

 そうすることで人並みの愛を受けられると、愚かにも信じていたから。


 だが父親は自分を愛そうとはせず──そのうち、期待することも辞めてしまった。


「君がしてきたことは何もかも意味が無かったんだよ。無駄な足掻きご苦労様」

瞬月しづきくんっ‼」


 不意に飛んできた声に、瞬月しづきは首を少しだけ動かす。視線の先には息を切らして膝に手をついている愛宮えのみやがいた。


「……どうして、そんなひどいことを言うの?何があったか分からないけど、喧嘩しちゃ駄目だよ!」

「これくらいのことがひどいって言うのかい?随分とぬるま湯につかっているんだね」


 いつの間にか宙に黒い靄が浮かんでいた。

 それはシャドーになる前のレギオンの力の塊で──



愛宮えのみやさん、本当にひどいことっていうのはね」



──それは何故か、瞬月しづきの掌で渦巻いていた。





 その力を周りにいた生徒に入り込ませる。

 すると、生徒は意識を失って──不自然に伸びた影からはシャドーが現れた。


 もはや見慣れてしまった光景だが、いつもと決定的に違うのは瞬月しづきこの状況を生み出したことだった。


 それが何を意味するのか、最悪な答えが頭に過る。


 そんなことあるわけがない。

 でも、瞬月しづきがレギオンの力を操っているということは──


「ほら、変身してみなよ」


 だが、カイにとってそれは些細なことだった。


「君たちの変身する守護騎士ガーディアン雪桜ゆめに遠く及ばないことを──僕がこの手で証明してあげるからさ」

「どうして、瞬月しづきくん⋯⋯あなたは一体……」


 戸惑う愛宮えのみやの腕を掴んで無理矢理『こころ時計とけい』を握らせる。

 カイを見た愛宮えのみやはひどく驚いた顔をしていた。

 今自分がどういう顔をしているかは分からなかったが、愛宮えのみやの言葉を失わせるくらいにはひどいものなのだろう。


「へぇ、まだみっともなく足掻くんだ。君達なんて雪桜ゆめに比べたら半人前にも満たないって言うのに」


 感心したように頷く瞬月しづき


「まぁ、私……いや、僕かな。うん、この方が最早しっくりくる。これだけ長く人の真似事をしていたからこっちの方が慣れてしまったな」


 瞬月しづきは何が楽しいのか可笑しそうに笑っていた。


「さて、僕が復活するまでの暇つぶしくらいにはなってくれるといいんだけど。まぁ……期待はしてないけれどね」


 人に期待されることは嫌いだ。

 嫌い、だけれど。


「……俺は、期待、なんて……」


 


 幼い頃は人並みに期待をしていた。

 娘なのだから父親は自分を愛するはずだと。


 だが、それが当たり前ではないと気付いた。

 ──気付いた時には、何もかも手遅れだった。


 期待をしてしまったからには、見返りを求めてしまうのが人間だからだ。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 あんりの右手の時計とカイの左手の時計を合わせると、時計に施されていた宝石から鍵が現れる。

 時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。そうしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ──その時、カイの『こころ時計とけい』からぴしり、とヒビが鳴る音が聞こえた。


「さて……刃こぼれした心で騎士なんて名乗れるのかな?」


 ひび割れた『こころ時計とけい』に、瞬月しづきが操る力がずるりと入り込んでいく。

 すると、『こころ時計とけい』は黒く変色していき──ヒビから漏れ出した黒い光はカイを飲み込み、体を、心を蝕んでいった。


「未来に希望はない。時間は巻き戻るべきなんだ」


 そんな瞬月しづきの声が聞こえる。

 忌々しいと思っていた胡散臭い話し方も──なぜか今は心地よく染み入ってきた。


 愛宮えのみやは古めかしく気品のあるドレスに身に纏って着地する。

 だがカイの姿は、薄青を貴重とした衣装ではなく、黒く薄汚れたものへと変貌していた。


 まるで影に塗り潰されたカイは、シャドーに侵食されたロゼのように濁ったオーラを放っていた。


「カイくん、どうしたの……⁉」

「はは、君の相棒はもう未来に絶望してしまったみたいだね」


 愛宮えのみやの戸惑う声も、最早聞こえない。

 それを見て手を叩く瞬月しづきだけがカイのことを歓迎していた。


「君には期待しているよ」


 未来に希望はない。

 だったら──何もかも壊してしまおう。

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