第23話 せかいの時計がまわるころ

 守護騎士ガーディアンとしての姿を得たカイはその名の通り、騎士のようだと思っていた。

 華やかさと気品さを兼ね備えた彼女はまさに騎士と呼ぶに相応しく、美しく翻るマントは翼のようで、空でも飛べそうだった。


「カイくん……?」


 だが、様子のおかしい瞬月しづきを前にして変身したカイの姿は──そのイメージとは遠くかけ離れていた。


 青緑色を基調としていた衣装は黒く塗り潰され、所々が破れている。

 『こころ時計とけい』にはヒビが入り、体の周りには黒いもやが漂っていた。

 その異常な姿に一瞬だが言葉が詰まってしまう。


「どうしたの、大丈夫……?」


 あんりは何も喋らないカイに手を伸ばす。

 しかし、こちらを一瞥したカイの目にびくりと手を止めてしまった。

 彼女の瞳は明らかに敵意を含んでいて、これ以上は近づくなとあんりを睨んでいた。


「へぇ、これは……予想外だけど期待以上ではあるかな。未来だ希望だって言ってた時よりずっと良いじゃないか」

瞬月しづきくん、一体どういうことなの……⁉カイくんのことも……それに、さっきシャドーを発生させたのは……瞬月しづきくん、だよね……?」


 頭の中に色んな情報が一気に入ってきたせいで、あんりは何が起こったのか分からず混乱していた。


 昼休み、カイの退学について直接聞こうと彼女を探していた。ようやく見つけた時には、いつもの中庭でカイと瞬月しづきが言い合っているのが見えたのだった。

 言い合っている、というよりは瞬月しづきがカイに迫っているように見えたのだけれど。


 瞬月しづきは人に喧嘩を吹っ掛けるような人ではないし、カイは言われた分だけ言い返す性格だ。

 だから瞬月しづきが迫っていて、カイが黙り込んでいるという状況があまりにも不自然で──歯に物を着せぬ言い方をするならば、あんりの目にはその光景が異常にすら映った。


 瞬月しづきがシャドーを発生させたことは間違いない事実だが、それが何を意味しているのか、すぐに答えが出せなかった。


「どういうこと、か……何も知らずに負けるのは可哀想だもんね。教えてあげるよ」


 瞬月しづきはいつもどおりの落ち着いた穏やかな声で、しかし不敵な笑みを讃えていた。


「僕──が元々時計塔に封印されていたことは知っているでしょ。それが、封印が破れかけた時、僕の力が少しだけ漏れ出した。力の残っていない僕は、それだけじゃ何も出来なかったけど──人間に僕の力を入れることで、力が増幅することが分かった」


 シャドーが発生する経緯についてはあんり達も推測していたし、それはどうやら当たっていた。


 だが、冷静に考えてもおかしい。瞬月しづきがそんなことを知っているはずがない。

 答えはわかっているはずなのに、それを受け入れることが出来なかった。


「だから僕は、この人間の本体を最初に狙って──。人間の姿を真似してここの学園の生徒と偽ったんだ。本体は僕の影でずっと眠っているよ」


 瞬月しづきは──いや、瞬月しづきは、自身を指でトントンと指す。


 彼のいうことが本当なら、入寮式の日に現れたシャドーは瞬月しづきが犠牲になった結果生まれたものだったのだろう。


 ──でも、ならば。


 今ここにいる瞬月しづきは、今まで一緒に過ごしてきた彼は、一体何者なのだろう?


「僕は力をかき集めて、瞬月この人間のふりをすることにした。時計台に入っているだけじゃ外がどうなっているか正確には分からないから、僕はこの人間に扮して君達の様子を伺っていた」


 瞬月しづきのような何かは、教鞭を振るうようにあんりに説明する。


「この人間になるために口調や思考パターンを真似したせいで、未だにその癖が抜けないけれど……君にとってはその方が親近感があっていいだろ?」


 認めたくない事実が容赦なく遅いかかってくる。


「あなたは──」


 嘘だと思いたい。

 けれど、彼の言葉を否定するだけの材料もなかった。


「──あなたは、レギオンだったの?」


 あんり達がずっと存在を確認できなかった災厄。

 雪桜ゆめが時計塔に封印した過去の遺物。


瞬月しづきくんじゃなくて、レギオンとして私達と一緒にいたの?」


 それが同級生の皮を被ってずっと傍にいた。

 あの優しい瞬月しづきは何もかも嘘で、あんり達を監視するために仲の良い振りをしていた。

 あんりはそんな瞬月しづきを信頼していた。


 どうして、と掠れた声が出る。


「私、瞬月しづきくんのことをずっと友達だと思ってた。でも、あなたは、瞬月しづきくんですらなかったの?」

「そうだよ。君達とこの人間が初めて会ったっていうのが僕にとっては好都合だった。君に簡単に近づくことができたからね」

瞬月しづきくん……ううん、レギオン。あなたがずっとレギオンだったって言うのなら、この学園も、この世界も、たくさん見てきたはずでしょ?雪桜ゆめさんは、未来に進む人達に希望を託してここに聖エクセルシオール学園を作ったの。それでも、まだ過去に戻りたいって思っているの?」


 瞬月しづきはレギオンが扮した紛いものだった。

 その真実にまだ声が震えてしまうほど動揺しているけれど、あんりは震える手をぎゅっと握りしめ、レギオンを正面から見据える。


「本当に……過去に戻りたいだけなの?」


 雪桜ゆめの日記でもレギオンの本来の目的に対する言及はされていた。でも、それが何かなのは分からない。

 彼の本心は磨りガラスのように曇っていた。


「世界の時間を過去に戻す、それが僕の積年の願いだよ。誰もいない世界で僕が王になり、全てを僕の下に置く。それだけが目的だったけど──今は少し違う」


 レギオンは焦らすように一呼吸置く。

 その表情はどこか恍惚としていた。


「僕は世界の時間を過去に戻して雪桜ゆめに会いにいく。そして、彼女と二人だけの世界を作るのさ」


 『レギオンは私を過去に連れていこうとしている』と、ヒースによれば雪桜ゆめの日記にはそう書いてあったらしい。


 レギオンは雪桜ゆめを恨んでいると思っていた。

 けれど、嬉しそうに話す姿を見ていると、それは全くの思い違いだったと分かる。


「彼女は素晴らしい守護騎士ガーディアンだったよ。初めは僕という災厄を止めるために生まれた、抑止力のようなものだったみたいだけど……雪桜ゆめ以上に僕を理解している人間はいなかった。だから君達のような紛い物が守護騎士ガーディアンを名乗っていることが憎くて仕方がない」


 レギオンが指を鳴らすと、地面から泥が湧き出すように影が現れ、そこからずるりと何かが這い出してくる。

 それはシャドーに飲み込まれてしまったロゼだった。


「──君達は雪桜ゆめけがしている」


 シャドーとロゼの二体に睨まれたあんりは圧倒的な悪意に気圧されてしまった。


 レギオンと戦わなければいけない日は近づいている、だから覚悟はしていたつもりなのに、いざその時になると腰が引けてしまう。


 本人ではないと分かっていても、その見た目が、声が、喋り方が、空気感が。

 今まで苦楽を共にしてきた瞬月しづきそのもので。


 あんりが本物の瞬月しづきと話したのは入寮式の日のほんの一時だけ。

 あとはレギオンが成り代わっていたのなら、瞬月しづきとの思い出だって無いに等しい。

 それでも、何もかもを無かったことにするには、時間が足りなさ過ぎる。


 だけど、守護騎士ガーディアンとして、今度こそ確実にレギオンを倒さなければならない。あんり達はその使命があった。


「カイくん!」


 その使命を胸に足を踏ん張り、あんりはカイに手を伸ばした。

 だが──その手が握り返されることはなかった。


「カイくん……どうして──?」


 カイはレギオンの傍に控え、今までに見たことがないほど冷たい目であんりを見下ろしていた。シャドーとロゼ、そしてレギオンと共に。


「彼女は自らの意思でこちら側に堕ちたんだ。強い光の力は同時に影を産む。彼女はそれに飲まれてしまったみたいだね。ま、僕がその手伝いをしたんだけれど」

「影に飲まれたって……カイくんは大丈夫なの⁉」

「体には異常はないよ、それ以外は知らないけど。それにいいのかい?彼女のことばかりを心配していて……」


 レギオンはあんりを指さし、それを横目で確認したカイはシャドーではなく──何故かあんりに向かって襲いかかってきた。



「──君の味方は一人もいないんだよ?」



 重い拳がガードした両腕に叩き込まれる。カイの攻撃に吹き飛ばされそうになるが、歯を食いしばって耐えた。

 そして、その後ろからロゼの黒い鞭が飛んでくる。


 両腕が塞がっているあんりにはどうすることも出来ず、思わず両目を瞑ろうとして──薙ぎ払われた一線によって鞭が切り落とされた。


「主様、ようやくお見えになりましたか」


 レイピアを振るって助けてくれたのはテオだった。

 追撃を恐れたカイとロゼはあんり達と距離を取るが、テオは以前のように激昂せず、しかしレイピアを構えたままあんりの前に立っていた。

 カイの不審な行動とロゼやシャドーを従える少年。この異様な光景をテオは警戒しているようだった。


「嫌な予感がして来てみれば……人間、これはどういうことだ?何故カイ《あの人間》はお前を襲う?」

「多分、だけど……レギオンには人を操る力があるって聞いたことがある。カイくんもロゼも、そのせいでレギオンの言いなりになっているのかも」

「……そういうことか。遂に現れてしまったのだな」


 言葉足らずな説明にも関わらず、テオは得心言ったように頷いた。

 テオはレギオンの力で動いている。だから目の前の瞬月しづきがレギオンの分身だとすぐに分かったのだろう。


「貴様の面を拝める日が来るとはな。僕達を愚弄した報いを受けてもらうぞ」

「報いだなんて、君達は喜んで僕の配下に加わってくれたじゃないか。人形が動いて喋れるなんて何にも優る栄誉だろう?それを叶えてあげただけだ」

「笑止。初めから僕達を駒として使うつもりだったのだろう。あんなだだ漏れの感情で操っておいて、僕達を騙せるとでも思っていたのか?おめでたい頭だな」

「……でも、それを知っていながら僕の言いなりになっていたということは、君もそれに納得していたんだろう?僕に楯突くデメリットが分からないわけでもないだろうに。一体どうして僕の前に立つのかな」


 レギオンの力で動いているテオは、その力を失うことを何よりも恐れていた。

 レギオンの機嫌ひとつでスクラップになってしまうことが分かっているのに、彼は一歩も引かずにレギオンと向かい合う。


「貴様には理解出来るはずもない」


 だが、テオはそんなレギオンを一蹴する。


「それに、貴様は主様を元に戻すことは出来ないはずだ。まだ復活に至っていない貴様がカイ《この人間》に細工をしたことも加味すれば、その答えは自ずと分かる」

「どういうことかな」


 テオはレギオンにレイピアを突きつける。

 テオの啖呵に動揺するかと思ったが、レギオンは涼しい顔で話を聞いていた。


「とどのつまり、貴様はまだあの時計塔から出られるほど力を蓄えていないのだ。だから身を守るために主様を操り守護騎士ガーディアンを仲違いさせたのだろう」

「そうだね。でも君をゴミへ戻さない理由にはならない。僕から離反した人形なんて要らないからね。それに僕が完全復活したら、やっぱり君達は不要になる。それなのに僕に逆らうのかい?」

「主様は先代の守護騎士ガーディアンの秘密を知っている」

「……は?」


 だが、テオの一言で声色が変わった。文字通り空気が凍ったような寒気に襲われる。

 それはレギオンの発している凄まじい殺気だった。


「主様がお目覚めになった時、僕が壊れていたら貴様の味方になるはずがない。だから先代の守護騎士ガーディアンの秘密が知りたければ──僕を生かしたまま主様を元に戻すのだ」

「なるほどね、それは確かに興味深い。なら僕からも条件を付けてあげようかな」


 ざわ、と鳥肌が立つような感覚があんりを襲う。

 それはシャドーが現れた時と非常に酷似していて──シャドーがレギオンによって生み出されたものであることが嫌でも分かってしまった。


 雪桜ゆめの話をした瞬間、瞬月しづきの皮を被っていたレギオンは一瞬だけ本性を剥き出しにしたような気がした。

 狂気にも似た怒りが露になるが、テオはそれを難なく受け流す。


「君が、君の主様に殺されなければ彼女を元に戻してあげよう。それで──その戯れ言を真実にするといいよ」


 レギオンの雪桜ゆめに対する執着は異常だ。

 自分の野望を打ち砕き封印した相手にも関わらず、それでも尚、ここまでとは。


「僕は探し物があるから、あとは任せたよ。せいぜい僕が復活するまで惨めに足掻くといい」

「待って、レギオン……‼」


 レギオンは呼び出したシャドーと共に空気に溶けるように消える。

 あんりの声は届かず──代わりにカイとロゼがあんりとテオの前に立ちはだかった。


「任せた、って……」

とやらを見つけ──そして復活するまでの足止めだろう。口から出まかせでも言ってみるものだな。お陰で時間稼ぎができた」

「でまかせって、もしかして雪桜ゆめさんの秘密のことって……嘘ってこと⁉そんなことして、もしレギオンが怒っちゃったらどうするの!」

「嘘ではない、少しばかり誇張しただけだ。主様は先代の守護騎士ガーディアンがいた時代にはもう存在していた。故に、先代の守護騎士ガーディアンのことを知っていてもおかしくはないだろう」


 テオはしれっとそんなことを言う。

 レギオンの逆鱗に触れればどうなるかなんて分かっているはずなのに、それでも彼は危ない橋を渡り、危険な賭けに出た。


 それも全て──ロゼを解放するため。


「……それよりも、この状況をどうにかしないことには、話にならないがな」


 立ち塞がる二つの影がこちらを見据えている。

 かつて同志だったはずの者、かつて友として隣に立っていた者。


「僕が主様を引きつける。だからその間に、そこの人間を正気に戻しておけ」

「うん、分かった!」


 あんり達は大切な人に拳と刃を向ける。

 その手を再び繋ぎ、前に進むために。





 カイは闇に堕ちたとレギオンは言っていた。

 何の暗喩なのか、シャドーのような影を纏った彼女は闇と混ざり合い、溶け合っているようで──光を失ってしまったようだ。


 カイはヒビが入った『こころ時計とけい』で無理矢理変身し、そこにレギオンの力が入り込んでしまった。

 レギオンに心身の自由を奪われたカイはあんりの隣ではなく、今はあんりの前に立ちはだかっている。


「カイくん、レギオンに……何か言われたの?」


 テオはレギオンに細工をされた時、レギオンの声が聞こえたと言っていた。

 彼に唆されたテオとロゼは行き場を失い、レギオンの言う通りにせざるを得なかったのだ。


「レギオンじゃない」


 てっきり無視されると思っていたが、カイは辛うじて聞き取れるような声でぼそりとつぶやく。

 いつものように気だるげではなく、濁ったような、淀んだような。闇に呑まれたという表現が一番しっくりきてしまうような──そんな瞳をしていた。


愛宮えのみや、俺達は何のために戦ってる?」

「未来を守るためだよ。私達はそのために守護騎士ガーディアンになったの」

「なら、守った未来に何もなかったらどうするんだ?」


 カイの言葉はレギオンに言わされているのではない。

 これはカイの心からの声だと、あんりには分かる。


「努力したって意味なんかないし、期待しても裏切られるだけだ。何も無い未来のために命を賭けるほど……俺はもう未来に期待できない」


 それは、あんりはカイと短くない時間を一緒に過ごしてきたから。


 カイについて分からないことはたくさんあるけれど、分かることだって少しくらいはある。

 例えば本心を話しているときと、そうでない時。たとえレギオンの力に呑まれてしまったとしても、それくらいは分かるのだ。


 だって──私たちは友達だから。


「そっか、だからカイくんはレギオンに手を貸すんだね」


 どうして、なんで、なんて情には訴えない。


 「期待できない」ということは「期待していた」という言葉の裏返しだ。

 カイはどんなに面倒臭いと言葉を並べても、守護騎士ガーディアンとしてあんりの隣に立ってくれていた。

 降りかかる粉を払っただけと言ってはいたけれど、今のように絶望していたら、それを払うことすらできなかったはずだ。


 カイは未来に希望を抱いていたが、それはいまや風前の灯火。

 だが、たとえどれだけ小さくても、消えそうでも、届かなくても。それが存在していたという事実があれば十分だった。


 あとは──思い出してくれさえすれば、それで良い。


「じゃあ、私はカイくんと全力で戦うよ!ここで引いたら誰の願いも叶わないもん!」

「なら……俺が勝ったら未来のことは諦めるんだな」

「ううん、諦めないよ」


 あんりは強気に笑ってみせる。


「だって私は絶対に負けないから」


 レギオンが復活しかけていて、カイとも敵対し、増援も望めない。絶望的な状況だけれど何をすべきかは明確だ。


 悪を倒すとか、世界を守るとか、未来を救うとか。


 確かにゴール地点はそこかもしれない。

 けれど、今は目の前にいる友達を助けることが何より大切だった。


「俺は、あんたのそういうところが嫌いだ」


 カイは一歩踏み出し、二歩目で加速し、三歩、四歩とあんりに近付いて『こころ時計とけい』から長針の針を抜き出した。

 それは瞬時に槍のような長さまで伸び、鋭い切っ先があんりを襲う。


守護騎士これだってそうだ、あんたの勝手で巻き込みやがって。俺は初めからこんなことしたくなかったんだ!」


 あんりは短針の針で受け止める。

 半身ほどの長さに伸びた針はカイの力と拮抗し、二人は額を突き合わせる。


「あんたのせいでしたくもないことに付き合わされて、うんざりしてたんだよ!余計な世話ばっかりしやがって!俺のことなんか何も考えてないくせに‼」


 すました顔をしていたカイからは想像もできない怒りが真っ直ぐぶつかってくる。

 彼女は力任せに長針の針を振るい、あんりの手から短針の針を弾き飛ばした。無防備になったあんりに鋭い針が迫る。


「世界を守って俺が救われんのかよ、答えろよ愛宮えのみや‼」


 あんりは『こころ時計とけい』に手をかざして『セイバーキー』を取り出すと──それは何故か短剣に姿を変えてカイの針を受け止めた。


「……っ⁉」

「最初はね、誰のことも考えてなかったよ」


 しかし、短剣はその一瞬だけあんりを守り、すぐに元の鍵へと姿を戻って宝石の中へと消えていく。


「ううん、それは嘘。私は私のことしか考えてなかった。私が誰かに感謝されたくて、尊敬されたくて、認められたくて──愛されたかったから、カイくんを巻き込んだの」


 「セイバーキー」の短剣は、本来ならカイと二人で姿を変えなければ現れない武器なのに、それはあんりの元に姿を現した。

 カイを助けたい、その決死の想いに応えてくれたのだろうか。


 守護騎士ガーディアンになるためにはあんりとカイ、二人が揃ってなくてはならない。『こころかぎ』を使って別の姿に変身する時も、バラバラに別の姿になることは出来ないのだ。


 それはカイも知っていた。だから短剣が現れたことにひどく狼狽しているようだった。


「カイくんがいなくちゃ私は守護騎士ガーディアンになれない。だから絶対にカイくんを仲間にしなくちゃって思ってた。これが本当の私、最低でしょ?」

「そんなの、じゃあ今のは何なんだよ。本当は一人でも出来るんだろ。守護騎士ガーディアンにだって、俺は必要ないんじゃないか……‼」

「一人でできることなんて、ひとつもないよ」


 振り下ろした長針の針はあんりを掠める。

 頬に鋭い痛みが走るけれど、あんりはカイから目を逸らさなかった。


「みんな誰かの力を借りて生きてるの。私は一人で生きたくてここに来たけれど……家族は私をちゃんと見守ってた。それに気付くのに時間がかかっちゃったけどね」


 姉に対してはまだ身構えてしまうだろうけれど、余計な感情を取り払って見てみれば、あんりはちゃんと家族に愛されいた。

 勝手な想像が何重にもフィルターをかけ、そう見えてしまっていたのだと今なら分かる。

 本当に、子供みたいに駄々を捏ねていたものだ。


「でもね、一人でいることは出来ちゃうし、出来る振りだって簡単なの。カイくんもそうだったでしょ」


 人は一人では生きられない。

 陳腐な言葉だが、この真実は絶対に揺らがない。


 人は誰かに助けられ、誰かに影響を及ぼし、それが連鎖して人と人は繋がっている。


「人といることは楽しいことだけじゃない。本音でぶつかれば喧嘩もするし、仲直りが出来ないかもしれない」


 それは良い影響かもしれないし、悪影響かもしれないけれど、人と関わることをやめることはできない。


「でもね、一人でいる時よりも、二人でいる時の方が……きっと何倍も楽しいし、何でもできる気がするの。だから私はカイくんと守護騎士ガーディアンをしたいと思ったんだ、それは本本当だよ」


 カイの表情が歪む。

 あんりの言葉は届いているけれど、それを受け入れられない葛藤が滲み出ていた。


「綺麗ごとばかり言いやがって、あんたの言葉はもううんざりだ。俺のことなんて何も分かってない癖に──」


 長針の針を地面に突きつけ、そこから地割れのようにヒビが入って行く。

 あんりの足元にまで到達したそれを避けようと高く飛ぶと──カイの拳が眼前に迫っていた。


「知ったような口をきくなよ‼」

「きゃあっ‼」


 無防備な状態で殴られたあんりはそのまま後方へ殴り飛ばされてしまう。

 校舎の窓を割り、ガラス片をまき散らしながら転がるようにして教室に飛び込んでしまった。


 もうとっくに昼休みは終わっている。だから今は授業中のはずだ。

 教鞭をとっている先生と、それを受けている生徒の間に割り込んでしまったあんりは急いで立ち上がる。


──だが、誰一人としてこちらを見ていないことに気付いた。


「え……?」


 常人離れした勢いで教室に飛び込んできたというのに、まるで何事もなかったかのように授業を受けている生徒を見て、あんりは言い知れない恐怖を感じた。

 生徒達の目は虚ろで、授業を受けているようには見えない。その瞳はレギオンに入り込まれたカイと同じだった。


「もしかしてみんなもレギオンに操られているの……⁉」

『ご明察。こんな状態でも頭は回るみたいだね。この学園の生徒のほとんどは僕の傘下に入っているよ』


 席に座っている一人の生徒があんりの方を向いている。

 全く知らない女子生徒だったけど、あんりはそれがレギオンであることに一瞬で気が付いた。

 レギオンの力で操っているのだから、どんな体でも使い放題というわけだ。


『人の前向きな気持ちが溢れているから、ここに学園を作って僕を封印したみたいだけれど……雪桜ゆめは一つ大きな勘違いをしていた。なぜなら、人間は醜い負の感情も同時に存在させることが出来るからね』

「どういう、こと……?」

雪桜ゆめに封印された時、僕の力は底を尽きていた。だけど僕は、封印されてから今までの間、地道に人間の負の感情で力をため込んでいたんだよ。いずれ復活する時のためにね。雪桜ゆめの勘違いのお蔭で封印を破るだけの力を蓄えるに至ったわけだけれど、それがまた繋ぎ直されるとは思っていなかった。僕にとって最大の誤算だった』


 レギオンに乗り移られた女子生徒は淡々と話す。


『君達がシャドーと呼んでいるものが僕に力を分けてくれていたけれど、封印の力が強まってくるに従って、時計塔にいる僕には力が戻らなくなっていた。その分の力は分身である瞬月の方に集まっていたんだ』


 『こころかぎ』を集めるたびに封印の力が強まっているとヒースが言っていた。

 こんな身近にレギオンの分身がいたことには誰も気付いていなかったけれど。


『もう少しだ。もう少し力を吸収出来れば──僕は完全に復活出来る』


 レギオンは女子生徒からふっと姿を消す。

 そして──教室にいる生徒が一斉にあんりの方を向いて立ち上がった。


 一寸の狂いもなく同時に動く生徒は軍隊じみているというより、言葉の通り操り人形のようだった。

 生徒達はあんりを取り囲み、腕を掴んで拘束する。そんな最中に窓からカイが現れ、彼女は迷いなくあんりの方へ向かってきた。


「ごめんなさいっ、みんな避けて‼」


 一般生徒を傷つけるわけにはいかない。だがこのままだとカイの攻撃に巻き込まれてしまう。

 今のカイに生徒達を気遣う余裕があるわけもなかった。


 あんりはどうにかして生徒達の拘束を振りほどく。

 そして生徒の手が離れた瞬間、カイの蹴りに体がくの字に折れ曲がった。息が出来なくなるほどの衝撃に体が浮き成すすべなく後方へ飛ばされてしまった。


 ──そして、何か柔らかいものに衝突した。


「げほっ……!おいあんり、大丈夫か⁉」

「ヒース……!」


 廊下まで飛ばされたあんりは、偶然その場にいたヒースに受け止められた。

 なんとか校舎を突き破らずに済んだけれど、体中がずきずきと痛む。


「シャドーが出て来ているんだろう。テオは我先にと走って行ってしまったが……校舎から出ようとしても、生徒達がやけに僕を足止めしてくるんだ。一体、何が起こって──」


 そう言いかけたヒースは、こちらを見下ろすカイを見て言葉を詰まらせる。事情を理解する前に何かを察したようだった。


「カイ、お前……」

「詳しい説明は出来ないけど、落ち着いて聞いて。瞬月しづきくんの振りをしていたレギオンが復活のために動いてるの。それにカイくんはレギオンの力で様子がおかしくなって……外ではテオとロゼが戦ってる」

「……ああ、なるほどな。だからあいつは僕にあれだけ突っかかってきたわけか……」


 あんりの説明は要領を得ないものだったが、ヒースは何かに納得したようだった。


「カイくんを止めたいけど、ここじゃみんなを巻き込んじゃう。なんとか外に出ないと……!ヒースもどこか安全なところに避難して!」


 カイを誘導しようとあんりは立ち上がる。すると、向かおうとした先には久遠くおんが立っていた。

 あんりは久遠くおんの顔が見えたことに安堵して駆け寄っていく。


久遠くおんさん、良かった……!みんながレギオンに操られているみたいなんです!久遠くおんさんは大丈夫なんですよね?」

「……」

久遠くおんさん?どうしたんですか?どこか具合でも──」


 俯いていた久遠くおんが顔を上げる。

 しかし、真っ白な肌に浮かんでいる黒い瞳はあんりなど見てはいなかった。ひどく濁った瞳は硝子玉のように作り物めいていた。


 それを見て、あ、と声が漏れる。


「あんり、‼」


 久遠くおんとあんりの間にどろりと影が落ちてくる。

 それは久遠くおんを侵食しようと体に纏わりついていた。



「見つけた」



 いつの間にか久遠くおんの後ろにいたのは、黒い影によって体を浮かせているレギオンの分身だった。


 レギオンは微動だにしない久遠くおんの手を細い指でなぞる。

 愛おしそうに触れるレギオンはうっとりとした声色で久遠くおんを撫で付けていた。


 レギオンの言っていたは、久遠くおん──いや、久遠ゆめだったのだ。


「僕の雪桜ゆめ、やっと見つけた。ずっと、ずっとずっとずっと──待っていたよ」

「その手を離して!その人は雪桜ゆめさんじゃない、あなたが探してた人じゃないの!」

「黙れ、その口を今すぐ閉じろ。さもなくば消し炭にしてやる」


 レギオンの言葉と同時に、後ろに控えていたカイが長針の針をあんりの喉元に這わせるように突きつける。

 少しでも動けば大出血は免れないだろう。


雪桜ゆめの血が一滴でも流れているのなら、君は雪桜ゆめの一部だ。──でも君の存在は、雪桜ゆめがいないことを証明してしまう」


 レギオンは久遠くおんの頬を挟み、黒い瞳をのぞき込む。

 荒い息は雪桜ゆめの血筋を見つけたことによる興奮か、雪桜ゆめがこの世に存在しないことを再認識した怒りか。


雪桜ゆめ、一体どこの誰と子を成したというんだ。僕を封印して、君だけが生き残って──僕は封印されている間、君のことしか考えていなかったというのに」


 愛憎入り交じった手つきで久遠くおんの頬に爪を立てる。

 だがレギオンの爪が食い込み、久遠くおんの柔らかい肌を突き破る寸前、廊下の窓が突然割れて何かが飛び込んできた。


「っ、これは……」


 それは薔薇の棘だった。


 黒く濁ったものではなく、青々としたそれはレギオンの腕を何箇所も貫通させる。穴の空いた腕からは煙のように影が漏れ出ていた。

 レギオンが久遠くおんから手を離したタイミングを逃さず、あんりは首に当てられている針など気にせずに久遠くおんに呼びかける。


久遠くおんさん、戻ってきて‼何も話し合わないでレギオンに従うなんて、久遠くおんさんが一番したくなかったことでしょ‼お願い、戻ってきて……!」

「……」

「そんなことで僕の力から抜け出せるわけがない。無駄な足掻きを──」


 突然、後ろからの衝撃にあんりは前につんのめってしまいそうになる。

 あんりに針を突きつけていたカイを引き剥がそうと、ヒースが突き飛ばしたのだった。


 そして、久遠くおんの近くまでよろけたカイは──久遠くおんに襟首を掴まれ、平手打ちをされた。



「──目を覚ましなさい。居眠りをするのは授業中で充分でしょう」



 濁っていた久遠くおんの瞳は澄み渡り、凛とした輝きが灯っていた。レギオンの洗脳から解放されたのだ。


「言い訳も謝罪も、後でいくらでも聞きます。もちろんそれは私も、ですけれど……でも今、やるべきことを見失ってはいけません」


 久遠くおんの様子にレギオンは頭を抱える。


「この僕の洗脳が解けるなんて、そんなまさか……やはり君は、雪桜ゆめの子孫というわけか。ああ本当に、腹立たしいくらいに似ているよ!」


 レギオンは掌に影を集めると、それを久遠くおんに叩きつけようと振りかぶった。しかし、久遠くおんはカイを庇うように手を広げてレギオンの前に立ちはだかる。

 レギオンは何故か急停止し、勢い余った力を床に叩きつける。廊下が砕け、石や埃が舞う中でも──久遠くおんがレギオンから目を逸らすことはなかった。


「あなたがレギオンですね」


 久遠くおんは毅然とした背中をあんり達に見せる。


雪桜ゆめ様はもういません。あなたを封印し、その人生を全うされたのです。私は雪桜ゆめ様が生きた証として、あなたに殺されるわけにはいかない。絶対に!」

「……雪桜ゆめのような顔で、雪桜ゆめのような声で、僕に、そんなことを言うな……僕、は、ぼく、わ、私は……‼」


 レギオンにとって久遠くおんの存在は雪桜ゆめの死を証明するものであり、彼にとって最も忌み嫌うものだ。

 雪桜ゆめに執着しているレギオンは久遠くおんを消したくて仕方がないだろう。

 だが、雪桜ゆめの面影が残る久遠くおんに手を出すことが出来ない。そんなジレンマを抱えて悶え苦しんでいるようだった。





 気に入らないものは攻撃すればいい。

 攻撃することで心を守ることが出来るのなら──これ以上楽なことはなかった。


 だが、守護騎士ガーディアンに巻き込まれてお節介な奴らに囲まれていると、もしかしたらと余計な考えが過ぎった。


 もしかしたら父親は自分のことを気にかけているかもしれない。

 もしかしたら自分のことを認めてくれるかもしれない、というなんの根拠もない浅はかな考えが。


「レギオンを倒しても、もしかしたら未来は全然いいものじゃないかもしれない。でもね、それでも、私は進んでみたいと思うの」


 目を覚ました久遠くおんに平手打ちをされ、カイは廊下に座り込んでいた。あんりはカイと同じ目線になるようにしゃがみこむ。


「私達は未来に期待せずにはいられない。だって、きっと幸せなことがあるって信じたいから」


 レギオンからはもう一人の守護騎士ガーディアンを足止めするように指示されていた。

 もうどうなってもいいと自暴自棄になっていたカイはそれに従っていたが、今はあんりを攻撃する気すら起きない。


「でもね、もし駄目だったとしても、期待を裏切られたとしても、私がいるよ。私がずっとカイくんのそばにいる」


 カイのことを抱きしめたあんりは優しく語りかけてくる。

 それに抵抗せず、カイは手にしていた長針の針を取り落とした。



「だからもう一回、私の隣で戦って」



 未来なんて守っても意味なんかないと思った。

 有象無象の未来を守ったところで、カイの父親が改心するわけでもなければ、自分が救われることはない。

 だったらこんな世界なんて、レギオンに譲ってしまった方がマシだとさえ思った。


 こいつの言葉だってその場凌ぎにすぎない。

 今まで自分だけを信じ、自分だけで自分を愛してきたカイにとって、誰かに未来を委ねることは博打にも近かった。



「本当に、あんたって勝手だよ」



 本当は誰かに、何かに期待して、報われたかった。


 誰にも愛されないと匙を投げても、それが拾われることを願っていた。

 もう一生報われないと諦めていたのに。今、目の前に、手の届くところにそれがある。


「……仕方ないから、もう一回だけやってやるよ」


 歪む視界に輝く鍵が見える。

 最後の『こころかぎ』の頭には蓮の花が花開いていた。


 それを掴むと、あんりとカイの体は初めて変身した時のような光に包まれる。

 黒く澱んでいた衣装は浄化され、フリルがあしらわれた中華服のような衣装へと変貌する。

 あんりは背丈ほどの双錘、カイはなたを手にして地面へと降り立った。


「新たな『こころかぎ』が生まれたのですね!これで封印は完全に──」

「いや、一足遅かったよ」


 喜ぶ久遠くおんの声を遮り、レギオンは窓に腰掛けてくすりと笑う。

 逆光に照らされたレギオンは勝ち誇ったように歪んだ笑いを貼り付けていた。


「確かに封印は完全に修復された。でも、それは──」


 時計塔の鐘が重く鳴り響く。見れば、時計塔の時刻は零時を指し示していた。



「──僕が完全に復活していたら意味が無いよね?」



 あんりは思い出す。あの時計塔が零時を指す時──レギオンは復活を遂げるのだと。

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