最終話 唯一無二の守護騎士(クラシカル×ガーディアン)

 それは、一言でいえばキメラのようであった。


 人の手や足、目などの体の一部がないまぜになって融合し、不気味な球体となって宙に浮かんでいる。

 その大きさは今まで戦ってきたシャドーを遥かに凌駕しあんり達を圧倒していた。


 まるで世界の終わりに出現する化け物のようないでたちに、あんり達はそれを見上げたまま茫然としてしまった。


 あれがレギオンの本体。

 彼は──完全復活を遂げてしまった。


「結局、君達の努力は全部無駄だったね、そこで指でも加えながら、僕が雪桜ゆめに会いに行くのを見ているといいよ」

「ううん、絶対に諦めないよ!私達はみんなで未来に進むんだから!」

「なら抗ってみせなよ。君達みたいな半人前が僕を倒せるとでも思っているのならね!」


 レギオンの分身は窓から飛び降りると、そのまま浮遊してあんり達を嘲りながら見下ろす。あんりはカイと手を繋いで窓から飛び出した。


 レギオンの本体まで近づき、体を捻らせて双錘を振りかぶる。

 しかし、どこからか伸びてきた腕に、ハエを叩き潰すような軽やかさで叩き落されてしまった。

 カイが鉈で腕を切り落とそうとしたけれど、易々と体を掴まれて放り投げられてしまう。


 レギオンの本体からは縦横無尽に人のような手や足が伸びていて、それが何十本も連なっている。

 シャドーの仮面のように弱点が露になっているわけでもなく、どこを狙えばいいのかも分からない。

 的は大きいはずなのに、自分達の攻撃がひどくちっぽけに思えて仕方がなかった。


「きっと、どこかに弱点があるはずなんだけど……近づいてもすぐに攻撃されちゃう!」

「図体がデカいのは厄介だな……」


 そうしている内に、レギオンの本体は大きな口を開けて涎を垂らしながら舌舐めずりをする。長い舌を引きずるようにして徐々にあんり達と距離を詰め──口をばかりと開けた。

 口内に敷き詰められている歯はまさしく人間のそれで、レギオンが人の感情を拠り所にして生み出されたことがありありと伝わって来た。


 レギオンの本体があんり達を喰らおうと突進してくる。

 ばくん!と音が聞こえそうな勢いで口が閉じられるが、かろうじて避けたあんりは双錘の片方を空に向かって高く投げ飛ばした。


 それは自棄になった暴投ではなく、双錘の片割れはブーメランの要領でレギオンの本体に還ってきた。

 どこが脳天なのかは分からないが、双錘は本体の一部を突き破り、再びあんりの手に収まる。その衝撃で本体の動きが止まり、カイはその隙を狙って鉈で舌を分断した。

 雄叫びなのか呻き声なのか。超音波のように脳を揺さぶる音が耳を劈く。


「効いてるよ、私達の攻撃が通るみたい!」

「みたいだな、畳みかけるぞ!」


 あんりの双錘を二人でひとつずつ構え、前に突き出すと巨大な蓮の花が咲く。


『花よ、芽吹き給え!porte bonheur!』


 あんりとカイが叫ぶと、蓮の花びらが嵐のようになってレギオンの本体に向かっていく。それでレギオンの本体は浄化されるはずだった。


 ──だが、蓮の花に紛れて、レギオンの本体から無数の腕が飛び出してきた。

 それは千手観音のようで、キメラのような姿をしていなければ、後光が差していることも相まって神々しいとさえ思えたかもしれない。


 何本かの腕は捌くことは出来る。

 けれど何百本と向かってくる腕を全て避けることは不可能だった。


 磔のように拘束されたあんりとカイを見て、レギオンの分身は可笑おかしそうに笑う。


「これじゃ罪人は君達みたいだね。でも、それもそうか」


 力を入れてみても本体の腕はびくともしない。これが数多の人の感情から生まれたレギオンの力なのだろう。


「僕と雪桜ゆめの逢瀬を邪魔しているんだから──それくらいの罰は与えないとね」


 レギオンは世界の存亡の危機そのものだ。

 守護騎士ガーディアンである自分達が諦めたら、時間が過去に戻り、この世界もなかったことになってしまう。

 だから絶対に諦めることは出来ないのに。


 けれど、こんな巨大なモノにどうやって立ち向かえばいいのだろう。


 あんりとカイは何十本物の腕に絡み取られ、刑が執行されるのをただ待つばかりだった。





 時は遡り、レギオンが完全復活する少し前。

 テオはシャドーに飲み込まれたロゼと対峙していた。


「──、────……」


 ロゼは言葉も意思も奪われ、美しい姿は影に塗り潰された。


 一体どれだけ自分達を、我が主を侮辱するのだろう。

 ただの物以下として扱われていることに、果てしない怒りが湧き上がってくる。


「────、───。──」

「ええ、主様。僕はあなたのお傍にいます。ですが出来ることなら、そのようなお姿ではなく──美しい貴方に戻って欲しいと、そう思っているのです」


 テオはレイピアを構える。

 後方で繰り広げられる激しい戦いを背に、かつての主を見据えた。


「──どうか、貴方の従者のエゴをお許しください」


 ロゼが静かに手を伸ばすと、黒く染まったバラの鞭が何本も射出される。それを避け、レイピアで切り落とす。


 観賞用に作られただけの自分だけれど、レギオンの力によって激しい戦闘が可能になっている。そのレギオンの所為でこんな状況に陥っているのだから、元も子もないのだが。

 それでも、ロゼと言葉を交わすことが出来たという点に限って言えば、あの災厄には感謝してやってもいい。それこそ不幸中の幸いと言うべきか。

 ロゼを使い捨てにしたことは未だに腸が煮えくり返るけれど。


 薔薇の鞭を全て切り落とし無防備になったロゼの懐に入り込む。

 このままシャドーの部分にだけ攻撃を加えれば、あるいは──


「ぐあっ‼」


 ガギン!とけたたましい金属音が鳴り響く。

 それが自分から発せられた音だということに気付いた時には、既にロゼの反撃は終了していた。


「主様、僕は──」


 武器がなくなったロゼは、手刀でテオの腹部を破壊した。


 陶磁器人形ビスク・ドールということもあってか、人間よりも殺傷能力のあるそれは容易にテオの体を砕く。

 だが同じ陶磁器人形ビスク・ドールであるテオの体に傷をつけたということは、ロゼ自身にも同じことが言える。


 彼女の右腕は──手首から先が粉々になっていた。


「僕は、愚か者でした」


 強烈なダメージを受けたテオは、そのまま地面に倒れ伏す。ロゼはテオを見下ろし、破壊された腹部に触れた。

 そして──自身に巣食っているシャドーをそこから流し始めた。


 痛みはない。

 だが、奥底に燻っていた薄汚い感情が無理矢理引き上げられるような不快感が体を侵食していく。

 これがシャドーに蝕まれるという感覚か、と自身のことながらそれを遠巻きに感じていた。


「あなたと、人間のように語らえることに、喜び……愚かにも、僕らを虐げる者に手を、貸しました」


 テオは途切れ途切れに懺悔する。

 届いているかは分からない。だが流れ込んできた泥臭い感情に負けじと歯を食いしばり、必死に呼びかけた。


「それでも、いいと、思っていたのです。レギオンが僕達の、ことを考えていなくとも……ほんの少し、でもあなたのお傍にいられるのなら。……でも、その愚か者の末路が……これだなんて、笑えもしません。あなたを、殺戮人形にして、僕だけ、が、のうのうと、動いているなんて……!」


 テオはロゼを振り払い、レイピアを掴んで立ち上がる。

 ロゼに流しこまれたシャドーは自分の周りを漂っていたが、テオはそれを思いきり切り裂いた。


 切り裂いた先にはシャドーの弱点である時計の仮面があった。

 それはレイピアの切っ先でパリンと音を立てて割れる。


「──レギオンに逆らう僕達は用済みだと、ガラクタにされてしまうでしょう。ですが、それでいいのだと……今では思うのです。僕達はただの人形なのですから」


 中途半端に人間に近づいてしまったから欲が出てしまった。こんなことにならなければ、テオ達は森で共に朽ちるだけだったというのに。

 今では、それが何よりの幸せだと思うのに。


「──我、は」


 シャドーが消え失せた瞬間、糸が切れたようにロゼは倒れこんだ。

 砕けた腹部を抱えながらテオは何とかロゼを抱える。懐かしい声が無い鼓膜を震わせた。


「テオ、我は……もう、心底疲れていたのだ」


 ロゼは虚空を見つめながらゆっくりとつぶやく。


「人間の都合で様々な人の手に渡り……その度に思っていた。いつ捨てられるのだろう、いつ壊されるのだろう。いつ──忘れ去られるのだろう、と」


 ロゼはテオよりも長い間人間の傍にいた。

 テオよりも多くの人間と出会い、別れを経験しただろう。


「生まれてから今まで、本当に気の遠くなるような年月だった。自らの意思で終わりを迎えられない我は、骨董品などと不名誉なレッテルを貼られ、。……もう終わりたかった、終わらせたかった」


 精神が摩耗してしまったロゼは、覇気のない声で遠くを見つめていた。


「だから、我はこの機会を絶対に逃すわけにはいかなかった。守護騎士ガーディアンの敵として破壊されるのなら、これ以上ないことだった」


 ロゼがレギオンの命令を受け入れている理由を、テオは今の今まで理解出来ていなかった。人間のような心を手に入れ、人間のように動くことが出来るようになってさえも。

 ロゼはテオ以上にこの奇跡を待ち焦がれていたのだろう。

 人形として生き永らえることに絶望し、敵である守護騎士ガーディアンに破壊されたいと望んでしまうほど。


「すまないな、テオ、我は過去の持ち主に会うことも、人間のように生きることも、何も求めていなかった。ただもう──何もかも終わらせたかったのだ」


 テオ達のような人形は何のために生まれたのだろう。

 人間の欲念を満たすため、伝統を途切れさせないため……様々な理由があるだろう。

 だがそれは全て人間側の都合で、生み出されてしまった人形のその後を考える人間はそういない。だから多くの人形は怨嗟を抱えたまま朽ち果てていく。


 それがテオには耐えられなかった。人形としての尊厳がなくなるくらいなら、レギオンに組してでも自分を通したかった。

 けれど、それは些細なことなのだとようやく気付いた。人間共に気付かされた、というのが癪なのだけれど。


「僕はあなたと共に参ります。それが地獄でもどこへでも」


 心臓という臓器を持たないテオ達を生きていると呼称するのは、些か可笑しいことかもしれない。

 けれど、ただそこにいるだけということがどれだけ虚しく、孤独なのか。


 ロゼがいない世界で生き永らえたとしても、テオにとっては何の意味もない。


「お前は我と違い、まだ新しい。貰い手がいくらでもいるだろう」

「御冗談を。あなたの執事として迎え入れられないのであれば、誰に引き取られても価値などありません。僕はあなたのお傍にいることだけが望みなのですから」

「……そうか。地獄にもお前がいるのなら……我は幸せ者だな」


 陶磁器人形ビスク・ドールの表情は動かない。

 だが目を閉じて呟くロゼの声は、どこか穏やかだった。


「だが……我は壊れる前に、まだやるべきことがある」


 砕けた自分の欠片が地面に散らばっている。


「我をこの体にした報いをレギオンに受けさせなければ……死んでも死に切れぬ」


 その破片がカタカタと鳴り始め──ようやく地面が揺れているのだと気付いた。激しい揺れに、テオはロゼを一層強く抱き寄せる。


 そして──テオは学園の窓にあの少年の姿を見つけた。


「あれがレギオンか」


 自分に巣食っている力と同じものを感じたのか、ロゼはテオの視線を辿ってそう呟く。


 ロゼは軋む腕を上げ、緑色に戻った薔薇の鞭を掴む。

 もう動くことすらやっとだというのに、それを振るうと薔薇の棘が少年に向かって飛んでいった。

 窓を突き破った棘はレギオンに命中したのか、ここからでは確認することは出来なかった。


「あれは本体ではない、が──」


 時計塔の盤面が怪しく光る。

 その光のせいで時計塔の影が色濃く伸びていた。


 そして──その影からぬるりと何かが這い出てきた。


 それは人間の腕や足、それに目や口が無理矢理ついたような気味の悪い生命体だった。

 人間の体の部位が歪に融合したそれは球体のようになって大きくなり、空に浮かび上がって太陽のごとくテオ達を見下ろしていた。


 そのおぞましい何かがレギオンの本体だと、誰に言われずとも理解してしまう。


 「過去に戻りたい」と願った人間の感情が生み出した怪物は、およそ人間とは思えない形をしてこの世に返り咲いていた。


 本当に、人間共はこんな姿になってまで過去に戻りたいと願ったのだろうか。


 ぐちゃぐちゃに繋ぎ合わせられた人間の体が気味の悪い音を立てて動いている。

 それは人間たちの悲痛な叫び声のようにも聞こえた。





 無数の腕があんりの体に絡みついている。

 一本一本は大した力がないはずなのに、何十本、何百本と絡みついてくる腕はきつく縛る縄のように強靭で、あんりとカイを磔にするかのごとく縛り上げていた。動かそうとしてもびくりともしない。

 レギオンの分身はそんなあんり達を見て、ふと思いついたように近づいて来る。


「これは雪桜ゆめのものだよ、君達が持つ資格なんてない」


 レギオンのは身動きがとれないあんり達の胸元から『こころ時計とけい』を取り外してしまった。

 二人の変身は成す術もなく解除されてしまう。


雪桜ゆめのものを二つに分けて使うなんて、君達は一人前どころか半人前でもないんだね。守護騎士ガーディアンと名乗っていることすら烏滸おこがましいと思わないかい?」

「……私達は、雪桜ゆめさんに比べて全然駄目かもしれないけど……でも!未来を守りたいって気持ちは雪桜ゆめさんと一緒だよ!だから──」

「君と雪桜ゆめが一緒?はは、笑わせないでくれよ。僕の雪桜ゆめを汚すのも大概にしてくれるかな」

「……その雪桜ゆめってやつに封印されたんだろ。いくらお前が会いたがってても、向こうはどうだかな」

「会いたいに決まってるだろう。僕と雪桜ゆめはお互いに理解し合っている。あんなに拳を交えて鎬を削ったんだから、雪桜ゆめだって僕のことを十分分かっている。君達には理解出来ないだろうけれどね」


 レギオンの分身は狂気に満ちた目をぎょろりと見開く。

 そこには既に瞬月しづきの面影はなく、過去を切望するレギオンの醜い感情が見え隠れしていた。


「だからもう君達はいらないよ。無駄な足掻きご苦労様」


 レギオンの分身はあんりとカイの肩に指を置くと、そこから黒い影を流し込んできた。


 心臓がぞわりと悪寒を訴え、視界が塗り潰されるような感覚に襲われる。

 体の奥底が氷のように冷たくなり、それが無理矢理掬い上げられるような不快感が広がった。

 あんりとカイからシャドーを生み出す気なのだと、朦朧とする意識の中で思考が辿り着く。


守護騎士ガーディアンに覚醒するほどの人間からシャドーが生まれた時……一体どれくらいの力が僕に戻ってくるんだろうね」


 レギオンの分身は愉しそうにほくそ笑む。


「これだけの力があれば、世界の時間が巻き戻せる」


 黒い霧が心を満たす。

 整理したはずの暗い気持ちが無理矢理突っ込まれた手に引き出され、制御できない感情で心が満たされていく。

 そして火が消えたように、希望とか熱意とか、そういう前向きな気持ちを思い出せなくなってしまった。


「もうすぐ……君がいた時間へ戻れるよ。雪桜ゆめ


 そして、あんりは──自分がどうしてこんなところにいるのかさえ分からなくなってしまった。


 久遠くおんに頼まれて守護騎士ガーディアンとして変身して戦ってきたのは覚えている。

 レギオンの復活を阻止しないと未来がなくなってしまうから、世界が危機に瀕しているから。


 それは分かるのだけれど、どうして守護騎士ガーディアンとして矢面に立とうと思ったのか、どうしても分からない。


 どうして命を危険にさらそうと思ったのか。

 どうして未来を守り抜こうと思ったのか。

 どうしてそれを忘れてしまったのか。


 ──どうしても、分からない。


 分からないのに──分からないことに違和感すら覚えなかった。


愛宮えのみやさんと早乙女さおとめさんからシャドーが……!お二人は無事なのですか⁉」

「分からない、が……あれがレギオンに吸収されてしまったら……‼」


 学園から駆けつけてきた久遠くおんとヒースが、あんり達から排出された二体のシャドーを見て愕然とする。


「もうおしまいだよ。守護騎士ガーディアンのシャドーが二体あれば僕の力が完全に復活する。そうすればこの時代とはもうおさらばさ。僕に吸収されるまでもう少し時間がかかるけど──その前に、君達は消しておこうかな」


 穏やかな声から一転、レギオンの分身は久遠くおんとヒースに狙いを定める。


雪桜ゆめの子孫とその所有物……ああ、視界に映すのもおぞましい。雪桜ゆめと関りがあるのは僕だけで十分なのに」


 レギオンの分身は二体のシャドーを引きつれて久遠くおんとヒースに近づく。その様子は正気とは思えず、目の焦点すら合っていなかった。

 彼はここにいる久遠くおんとヒースではなく、再会を切望する雪桜ゆめの幻影しか見ていない。


「忌々しい存在は過去に戻る前に消しておかないと。僕と雪桜ゆめ以外には誰もいらないんだ、誰も。絶対にだ‼」


 二体のシャドーが久遠くおんとヒース目掛けて襲い掛かる。

 長い腕が振り下ろされるが、人間とぬいぐるみである二人にはどうすることも出来なかった。


 ヒースが久遠くおんを庇うように抱きしめ──

 シャドーは二人に攻撃を命中させる、はずだった。


「──貴様を庇うのは心底癪に障るが、主様のためだ。光栄に思えよ」

「テオ……あなた、体が……!」

「叫んでいる暇があるのならその貧相な頭を回転させろ!ここで押しとどめなければ、何もかもレギオンの思うつぼだぞ‼」


 シャドー二体の腕とテオのレイピアが拮抗している。

 だが、久遠くおんはテオの体から嫌な音が聞こえるのを見て見ぬふりは出来ずに悲痛な叫び声をあげる。

 テオの腕や足、そして負傷している腹部にヒビが入り、代償様々な破片が地面に零れ落ちていく。

 しかし、その痛ましい見た目とは裏腹に、テオは久遠くおんとヒースに喝を入れる。


「おや、せっかく僕が人間のようにしてあげたのに、それを捨ててしまうなんてね。ここで抵抗しても何の意味もないっていうのに」

「フン、それは貴様が決めることではない。一人の人間に固執しているから視野が狭くなるのだ」


 余裕綽々な表情だったレギオンの分身は、絶体絶命の状態にも関わらず挑発するテオに眉を吊り上げる。


「──断言してやろう。先代の守護騎士ガーディアンは──貴様に興味などないだろう」


 その言葉に、一瞬で空気が凍り付いた。

 テオは固まったレギオンの分身に畳みかける。


「自分の世界を追い詰めた災厄に、一体誰が再会したいと思うのだ?拳を交えただけで理解者と宣うなど……虫唾が走る。それならば僕と貴様も仲良しごっこをせねばるまいよ」

「口を閉じた方が身のためだよ。君に僕と雪桜ゆめの何が分かるというんだ。それに、君が何を言ったところでガラクタ一体に何が出来るわけでもない」

「──それはどうかな」


 静かに激高するレギオンの分身に薔薇の鞭が絡みつく。

 今の彼ならそんな攻撃、埃を払うように弾き返せただろう。だが頭に血が上ったレギオンの分身は致命的な隙を作ってしまった。


 薔薇の鞭はレギオンの分身に纏わりつき、腕や太ももにその先端を突き刺す。

 血ではなく煙が上がるように影が漏れ出していった。瞬月しづきの姿をしているけれど、レギオンは人間ではない怪物なのだ。

 そして、真正面から手を伸ばしたロゼは──レギオンの分身に頭を鷲掴みにされてしまった。


「正面から来るなんて馬鹿な人形。僕の力無しでは動けもしないガラクタが、僕に逆らうとどうなるか分かって無いわけでもないだろうに」

「……」

「ほら、なんとか言ってごらんよ。最期に一言くらい喋らせてあげてもいいからさ」

「──貴、様は」


 ミシミシとロゼの頭が割れていく音がした。

 顔面の片方が崩れ、割れた中身が万華鏡のように輝いている。そこにレギオンの分身が映りこんでいた。


「貴様は、本当に──視野が狭いのだな」

「……っ、こいつ……‼」


 ロゼは薔薇の鞭を操り、をあんりとカイに向けて投げ飛ばす。それは長針と短針の針をそれぞれ備えた、不完全な時計だった。


「我々を完全に掌握したと思っていたのだろうが、貴様は我らを見誤っていたようだな」


 『こころ時計とけい』をレギオンの分身から奪ったロゼは片目であんりとカイを見据える。

 いつも何を映しているのか分からなかった鈍色の瞳は、今までにない光を讃えていた。



守護騎士ガーディアン、貴様に全てを託す」



 飛んできた『こころ時計とけい』がスローモーションでこちらに向かってくる。

 『こころ時計とけい』を目に入れた瞬間──あんりの頭の中に怒涛のような感情が流れ込んできた。


『初代学園長の子孫として、そしてこの学園の生徒会長としてお願いです。この騒ぎが収まるまで皆さんを守ってくれませんか』


 初めて守護騎士ガーディアンに変身した時は、ただがむしゃらに手を取ったに過ぎなかった。

 未来とか時間とか、そんな壮大なことは考えられていなかった。ただ頼まれたから、頼りにされたから、だから守護騎士ガーディアンになったのだ。


『生徒会長だか学園長代理だか知らないけど偉そうに命令するな。そんなに戦いたいなら自分でやればいいだろ』


 カイは最初、全く手伝おうとしなかった。それでも二人とも守護騎士ガーディアンをやめようとはしなかった。


 立派じゃなくても、崇高な理由なんてなくても、

 ──ただ、諦めなかった。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


「偽物の守護騎士ガーディアンめ……どこまでも、僕と雪桜ゆめの邪魔をして!」


 守護騎士ガーディアンへと変身したあんりとカイを見ると、レギオンの分身は掴んでいたロゼを捨て置いて手をかざす。

 するとロゼとテオから黒いもやのような力が漏れ出した。


「やめて‼あなたの力を抜いてしまったら彼らは……!」

「元々は僕の力だったものだ。取り返して何が悪い。雪桜ゆめのような顔をして僕に指図をするなよ、ただの人間が!」


 力を吸い取り切ると、黒いもやがレギオンの本体に吸い込まれていく。

 するとレギオンの本体が一回り大きくなり──本体の一部になっている口が歯を鳴らしてそれを美味しそうに咀嚼していた。


「……我らも、ここまでか……」

「主様……‼」


 がしゃり、と二体の人形が重なって倒れる音がする。

 倒れる直前、ヒースが二体を抱えた。テオとロゼはもう動くことも叶わず、命の灯は消えかかっていた。


「テオ、ロゼ……‼」

「構うな、人間……。貴様は今、すべきことをやるんだ」


 駆け寄ってしまいそうになるあんりを、テオの言葉が制止した。

 彼らの表情はいつもの如く一切の変化はないけれど──どこか清々しい表情をしているような気がした。


「……ただ、そうだな。一つだけ──」


 テオ達からレギオンの力が奪われてしまった。

 きっともう話すこともままならないだろうに、テオは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「約束を……忘れないでくれ」

「……うん、絶対に忘れないよ」


 だからどうか、安らかに。


 あんりの答えに安堵したのか、二体の陶磁器人形ビスク・ドールは穏やかな顔でその活動を停止した。

 あんりとカイはそれを見届け──レギオンに向き直る。


「レギオン、あなたがやろうとしていることを認めることは出来ない。だって私、カイくんと、久遠くおんさんと、ヒースと、みんなと一緒にいたいの」


 テオとロゼから抜き取られた力がレギオンの本体に吸収され、より一層凶悪さを増していた。


「それがあなたと雪桜ゆめさんと引き裂くことになっても、どうしても……未来に行きたい」

雪桜ゆめの足元にも及ばない癖に、言うことは雪桜ゆめと同じなんだね。全く……不愉快だよ」


 レギオンの分身は自身にため込んだ力を本体に移す。

 すると、本体は空を埋め尽くす勢いで巨大化する。これがレギオンの本来の姿なのだろう。


「僕は雪桜ゆめに何度も言った。僕と君達は決して相容れない存在だってね。僕達は互いの矜持を賭けて戦った」


 雪桜ゆめとレギオンは自分達の望みを賭けて戦い抜き、その結果、レギオンは敗れて時計塔に封印された。


「だから──打ち負かした方が自分の願いを叶えられるんだよ。あのガラクタから返してもらった力で、僕の力は完全に戻った。だから……君達を蹴散らして、雪桜ゆめの時代に戻らせてもらうとしよう」


 本体の口がばかりと開き、見せつけるように長い舌で歯を舐めまわす。

 そして舌をだらんと垂らすと口内で邪悪な力が渦巻き始めた。それは段々と大きくなり、凝縮して周りの空気すら歪めていた。


 あれが直撃すれば、あんり達どころか学園すら塵も残らないだろう。絶対に止めなくてはならないという緊張感で掌が汗ばむ。


「じゃあ、俺達が勝ったら文句はないってわけだな」


 目の前に広がる闇にも臆せずカイは長針の針を構える。


「ねぇカイくん」


 あんな攻撃、どうやって止めたらいいのか分からない。

 でもどうしてか、隣にカイがいれば大丈夫だという気がしてくる。


 何の根拠もないのだけれど、二人でいれば何でもできるような。

 月並みな言葉と言われても、それが本心だった。


「私と一緒に戦ってくれる?」

「いいよ。愛宮えのみやが言うなら」


 守護騎士ガーディアンになったばかりの頃、何度誘っても嫌々承諾してくれたあの時と違って、カイは躊躇いなく応える。


 二人の胸に装着されていた『こころ時計とけい』から長針と短針が外れ、長針は長い弦に、短針は光を纏った弓にそれぞれ姿を変える。

 それを二人でつがえ、レギオンに向かって矢を放った。


光陰こういん穿うがて!arc d`amour!』


 弓矢からが放たれた光はどんどん大きくなり、レギオンの本体を包み込むように発射される。

 しかし、レギオンが口内でため込んだ暗黒のような力もまた、あんり達に向けられて射出される。


 光り輝く光陰はレギオンの攻撃と競り合い、そして──徐々に押されていた。


「クソ、もう少しだってのに……‼」

「お願い、届いて……!」


 このままでは押し切られてしまう。

 あんりは足を踏みしめて歯を食いしばるけれど、凄まじい威力に体が押されてしまう。


 それでも迫りくる強大な闇から目を背けなかった。絶対に、絶対にここで諦めるわけにはいかないから。

 未来を見捨てることはできないから!


『──レギオン、』


 不意に空から声が聞こえる。


 それは桜が散るように儚く、けれども確かに力強く。あんりとカイの背中を押してくれるような声だった。


 あんりはこの声を聞いたことがある。

 だが、あんりよりもレギオンの分身の方が明らかに動揺していて、本体の力が弱まったような気がした。


 いや、これはレギオンの力が弱まったのではなくて──あんり達の力に優しい力が上乗せされている。


『私は、あなたのことだってずっと、救いたいと思っていたのよ』

「……雪桜ゆめ⁉嘘だ、ありえない。どうして雪桜ゆめが──」


 弓矢を構えるあんりとカイの手に、そっと誰かの手が重なる。

 振り向くと、肖像画に描かれていた姿とそっくりの騎士──雪桜ゆめが、何故かそこにはいた。


 雪桜ゆめを通して後ろの景色が見える。半透明でそこに現れた雪桜ゆめは、明らかに生者ではなかった。

 けれど、確かにあんり達に力を貸してくれていた。


『何故ここに来れたのかは、私にも分からないけれど。皆が私のことを呼んでいたから、かもしれないわね』

雪桜ゆめ、僕は──僕は、」


 レギオンの分身が雪桜ゆめを見て、首をゆるゆると振る。信じられないと声が上ずっている。

 口を開いて何かを言いかけようとして、何度も閉じる。だが何度目かのそれでようやく微かな声が漏れた。



「──僕は、君のところに帰りたいんだ」



 それは世界を転覆させようとしている諸悪の根源ではなく、この世に生み出された存在が切に望む、たった一つの願いだった。


『……私もね。過去に戻りたいと思ったことがあるわ』


 雪桜ゆめは優しく語り掛ける。

 明らかに戦意を失った顔でレギオンの分身は雪桜ゆめの言葉を待っていた。


『そういう私達の気持ちのせいで、あなたが生まれてしまったのね。きっとここであなたを退けても、また新たなあなたが生まれてしまうのかもしれない』


 レギオンは「過去に戻りたい」という人間の感情が集まって生まれてしまったものだ。

 雪桜ゆめの言う通り、人間が存在する限りはレギオンを倒すことは、根本的に出来ないのかもしれない。


 それでも、と雪桜ゆめは言う。


『もし、そうなってしまったら──今度はあなたがみんなの背中を押してあげて』

「……はっ、何を言っているんだい。僕はレギオン、人間の負の感情が集まった存在だ。そんな僕に、一体何が出来るというんだ」

『大丈夫。きっとね、あなたを作っている一部には私の気持ちだってあるはずよ。だから、その時は私や──あなたの傍にいた人の声を聞いてみて。きっとたくさんの言葉があなたを作っているはずだから』


 あんりとカイ、そして雪桜ゆめの力がどんどん大きくなり、レギオンの本体が霞んでしまうほどの光を放つ。


 ──そして、弓から放たれた光陰は闇を打ち砕き、レギオンの本体に直撃した。


 光に貫かれたレギオンは動きを止め、体の部位がばらばらと落ちていく。それがレギオンの最期だった。


「まさか二回も野望を打ち砕かれてしまうとは、ね……」


 レギオンは茫然とそう呟いた。

 本体が崩れていくのを見守っていた分身も、体にノイズのようなものが走っている。だがレギオンの分身は、どこか晴れやかな表情で崩れていく自分を見上げていた。


雪桜ゆめ、君は……僕に会うために、ここに来てくれたのかい?」

『そうかもね。でもあなた……話し方が全然昔と違う気がするのだけれど。それもあなたがここで生きた証、なのかもね』

「はは、そうだとしたら──なんて皮肉なんだろうね」


 レギオンの分身は力なく笑い、雪桜ゆめを愛おしげに見つめて──その姿を消した。

 崩れていた本体の方もいつの間にか消失している。まるで最初から何も無かったかのように。


 あんりとカイ、そして雪桜ゆめはテオとロゼを介抱している久遠くおん達のところへ降り立つ。

 すでに消えかかっている雪桜ゆめは桜色のスカートを摘まみ、お姫様のように久遠くおんに頭を下げる。


『はじめまして、私の宝物達。ヒースをずっと大切にしてくれてありがとう。心から感謝するわ』

「いえ、いえ……私は何も出来ませんでした」


 久遠くおんは小さく手を振って謙遜する。


「このお二方がいなければ、レギオンを打倒することは出来なかったでしょう。雪桜ゆめ様がここに現れてくださったのも……この二人の力があってこそだと思います」

『それは合っているともいえるし、間違っているともいえるわ』


 花のように微笑む雪桜ゆめは、もう見えない手で久遠くおんの頬を撫でる。


『誰だって誰かの力になっているの。何も出来なかったことなんてないのよ。人は一人で生きられないように、人は誰かに影響しないでは生きられない。そうやって、人は未来を繋いでいくのだから。……それに、ヒース、』


 雪桜ゆめは人間の姿になっているヒースに向かって、にこりと笑った。


『ずっとあなたにお礼を言いたかったのよ。あの時私の傍にいてくれてありがとう』

「何てことは無い。僕に出来ることはそれしかなかった」


 雪桜ゆめはもう認識できないくらい薄くなっていて、しばらくすれば話も出来なくなってしまうだろう。


 ──泡沫の夢は、もうすぐ終わりを迎える。


「それに、君と一緒に行けるなら僕も未練はない」

「どういうことですか……?」

「僕も、そろそろ──時間切れ、ということだ」


 ぽん、とヒースがぬいぐるみに戻り、地面に落ちる前に久遠くおんが受け止める。

 ぬいぐるみにしては饒舌に動いていた口も、機敏に動いていた手足も、もう動かない。


「ヒース、どうしたの?どうして、ぬいぐるみみたいになってるの……?」

「僕は元々ぬいぐるみだったろう。それに、戻るだけだ」

「そんな……」


 倒れているテオとロゼも、もうモノ言わぬ人形へとなり果てている。それを見て胸が苦しくなった。ヒースも、ぬいぐるみに戻りかけているのだ。


 いつか来ると分かっていた未来。

 でも、奇跡が起きてみんなが一緒にいられるんじゃないかって、根拠もないことを信じていた。


 ひとつずつ命の灯が消えていく。


 元に戻るだけではない。確かに築き上げていたものが消えていくような、そんな喪失感が鼻の奥をツンとさせた。


守護騎士ガーディアンの力がだんだん消えていくのを感じる。レギオンを倒したんだ、当たり前といえばそうだが……」

「……ヒースもいなくなっちゃうの?私、まだ一緒にいたかったよ……」

「そんなしょぼくれた顔をするな。壊れなければ、僕は学園長室にいるはずだ。話は出来なくなるが……まぁ、お前達を見守っていてやる。カイのことは任せたからな、あんりが面倒を見てやれ」

「ふん、あんたに言われなくてもちゃんとするさ」

「それなら、いい……」


 ヒースを抱える久遠くおんの手に力が籠る。それに気付いたのか、ヒースは微かに動く腕で久遠くおんの手を握った。


「……何かあったら、あんりとカイを頼れ。お前は、いつも……無理をするからな」

「……分かっています。私も、もう子供じゃないから」


 泣きそうな顔になるも、久遠くおんは無理矢理に笑顔を作る。


 ぬいぐるみが必要なのは泣き虫な子供だけ、そう言い聞かせるように、久遠くおんは涙をこぼすのを必死に堪えていた。


「お前達は立派な守護騎士ガーディアンだった。もちろん久遠くおん……お前もな」


 そんな久遠くおんの姿に安心したのか──ヒースは完全に沈黙した。雪桜ゆめはそれを見て微笑みながら風に乗って消えていく。


 こうして、レギオンとの戦いは多くの別れをもって──幕を閉じたのだった。





 聖エクセルシオール学園に冬が来て数か月。生徒達は相変わらず慌ただしい生活を送っていた。

 レギオンを退けたのは師走に入る直前だったが、カレンダーは既に二月まで捲られている。


 その間、定期考査があったりクリスマス会があったり、冬休みがあったりと、本当にたくさんのことがあって目まぐるしく日々が過ぎて行った。

 流石師が走ると書いて師走。本当に忙しい。


 学園の生徒はレギオンによって殆どがシャドー化させられていたのだけれど、レギオンが消滅したと同時に洗脳から解放されたようだった。

 怪物騒ぎが収まり、徐々にだが日常へと戻っていく。レギオンの復活騒ぎも、雪桜ゆめとレギオンの戦いのように風化されていくのだろう。

 それもまた人々の歴史への向き合い方だ。


 話は変わって、レギオンの騒動の後、一番驚いたことがある。

 それは、なんと比奈ひなが再度カイのファンクラブを作ると声高らかに宣言していたことだった。


「なんだか、ずっと夢見心地だったような気がしますの。早乙女さおとめ様のファンクラブ活動をしていなかったなんて、私としたことが……!今からでも遅くはないですわ、会員を増やさなければ!」


 そう言ってまたカイにやたらと絡んできているらしい。

 カイは相変わらず素っ気ない態度を取っているけれど、以前のように怒ることはなかった。


「レギオン後からは人の負の感情を糧にしていましたが、人の前向きな気持ち……例えば夢とか未来への希望とか。そういうものさえ奪ってしまうのではないでしょうか?消滅してしまった手前、もう推測に過ぎないのですけれど」


 だから比奈ひながカイへ興味を失ってしまったり、久遠くおんがレギオンに対して感心がなかったのではないか、と言う。

 久遠くおんはヒースを窓辺に置き、丁寧に手入れをしながらそう語っていた。


 ヒースはというと、以前のように喋って動くことはなくなった。

 レギオンが消滅すると同時に守護騎士ガーディアンの力が消えてしまったせいなのだけれど、それに伴い『こころ時計とけい』も全く反応しなくなってしまった。


 もうレギオンが封印されてないので『こころ時計とけい』を時計塔にはめこんでおく必要はない。

 だから『こころ時計とけい』、そして『ロータスキー』と名付けた新しい鍵を含む、四つの『こころかぎ』は学園長室に保管することにした。


 久遠くおんはあんり達に持ってもらう方が良いと言っていたのだけど、脅威が去った今、正当な子孫である久遠くおんが持っていた方が良いだろう。


 ヒースとはもうお喋りすることは出来ない。

 だけど彼が言っていた通り、いつでも見守ってくれている気がする。


 学園長室で日向に照らされているぬいぐるみは古びているけれど、どんな人形よりも幸せそうだった。


 久遠くおんはそんなヒースのことを時折寂しそうに見ては、大事そうに手入れを続けている。


 いつかヒースとも本当の別れをすることになる。テオとロゼの顛末を見届けて、余計にそれが現実味を増した。

 けれど、それを受け入れた上で久遠くおんも前を向いて歩いてる。別れからはどうしたって逃れられない。生きていくと決めたのなら、なおさら。


 そしてテオとロゼだが──彼らは、最早修復不可能なほどレギオンに破壊されてしまっていた。

 ヒースとテオを直してもらったお店に頼んでみたのだが、流石の店主も二体の姿を見て首を横に振った。


 だからあんりはテオの遺言通り、二体を一緒に供養することにした。


 今わの際、そして死後も傍にいられるように。

 人形に生まれ変わりがあるのかは分からないけれど──もし、もう一度生まれ変われたら。その時にお互いをすぐに見つけられるように。


雪桜ゆめ様がお姿を現した理由は未だに分かりませんけれど……分かり合えないと思っていたレギオンと、それにヒースとも話が出来て良かったと思います。あれはまさに、奇跡と言ってもいいでしょう」


 レギオンの願いを叩き潰すのではなくそれを受け入れて道を示した。それは雪桜ゆめでなくては出来なかったことだ。


 雪桜ゆめは大昔の人で、故人。


 どう願っても死んだ人が蘇ることは無い。

 それでもレギオンの前に現れた理由を無理矢理つけるとしたら──まさしく奇跡、なのだろう。


 そして瞬月しづきは──ちゃんと元の姿で戻って来た。


 といっても、彼はレギオンの影で眠らせられていたので、永い眠りから目が覚めた、という方が正しいのだろう。


「病院に行ったけど、至って健康体だって帰されたんだ。何か事故にあったわけでもなければ、怪我をしたわけでもないのに記憶がないなんて不思議がられちゃったけど……僕も何が何だか分からないんだ。この間入学したと思ったらもう二年生になるし……」


 いつも通り穏やかな顔で不思議そうに首を傾げる瞬月しづき

 瞬月しづきは入寮式の日にあんりと初めて出会い、そのままシャドーに襲われてしまった。

 そして、レギオンが消滅するまでの約半年間の記憶がないまま目覚めてしまった。記憶がないのは、その間はレギオンが瞬月しづきのふりをしていたからだ。


 レギオンが瞬月しづきとしてテストを受けたりヴァイオリンを弾いたりしていたのだけれど、そのどれもが以前の瞬月しづきとは似ても似つかず、先生たちは頭を悩ませていたらしい。


 特に酷かったのはヴァイオリンで、そのあまりの演奏にスランプに陥ったと思った先生は、瞬月しづきをしばらくの間休ませていたらしい。

 レギオンは人間の真似をするのは上手かったが、プロに匹敵するほどのヴァイオリンを再現は出来なかったみたいだ。


 瞬月しづきに化けていたレギオンからスランプの話を聞いたことはなかったし、寮が違うあんりはそもそも瞬月しづきのヴァイオリンを聞いたこともなかった。


 瞬月しづきのクラスメイトが依然の彼とは違う、なんて言っていたことがあったけれど、きっと彼らはほんの少しの違和感に気付いていたのだろう。

 守護騎士ガーディアンという決定的なピースがなかったから、答えにはたどり着けなかったみたいだけれど。


 今思い返してみれば、瞬月しづきはやけに久遠くおんのことを気にしていたり、守護騎士ガーディアンのことで悩んでいるあんりに、暗に諦めるように促していたり、レギオンはその片鱗をそこかしこで見せていた。

 そのほつれに気付かないほど自分は追い詰められていたのか、と恥ずかしくなりあんりは猛省したのだが。


 今の瞬月しづきにしてみれば、あんりとはまだ知り合って数日しか経っていない同級生だ。

 まだよそよそしさが拭えない彼の言動に寂しさを覚えるけれど、あんりはまた瞬月しづきと友達になりたいと思って負けじと話しかけに行っている。


 そんなあんりの熱意に負けたのか、ある日瞬月しづきはヴァイオリンを聞かせてくれた。初めて聞いた演奏だったけれど、まるで彼の魂が込められているような音に、あんりは思わず立ち上がって拍手をしていた。


 レギオンは確かに人間の真似をするのは上手だったが、この演奏を完璧に模倣できるわけがない。

 文字通り人生を賭け、血と涙と汗が染みついた努力の結晶を、そう簡単に真似出来るはずがないのだ。

 それは瞬月しづきでなくとも、あんりにだって言えることだった。


 人はそれぞれ違う道を歩き、置かれている石の数も大きさも違えば、道の複雑さも靴の種類だって全く違う。至極当たり前のことなのだけど、それが見えない人は多い。

 土俵が違うのだから、自分を誰かと比べる必要なんてない。あんりは瞬月しづきの演奏を聞いてそう思ったのだった。


 そして、かくいうあんりはというと、冬休みに実家に帰省して家族に会いにいってみた。

 多少なりとも身構えて家の扉をくぐったのだけれど、あんりの心配など吹き飛ばすように家族は温かく迎え入れてくれた。


 勝手に感じていた壁を取り払えば、あんりの実家はあんりにとって、とても居心地の良い場所だったのだ。


 きっと、姉とも仲良くなれる。

 誰が保証してくれるわけでもないけれど、そう思えるようにはなれたのだった。


 そしてレギオンが去った後、カイの退学は取り消しになったと本人から聞いた。

 退学の原因は詳しく知らないのだけど、父親とのいざこざだと言っていたカイは直談判して退学を取り下げてもらったらしい。


 それがカイにとってどれだけ勇気のいる行動だったのか……それは本人しか分からないことだった。


 そんなカイに用事があったあんりは、寮の部屋に戻って来た彼女に声をかける。

 

 今日は誰もが知っているあの日、なのだ。


「カイくん、友チョコあげる!私達の仲だから絶対渡したかったんだぁ」


 二月も中旬になり、世間は甘い誘惑が蔓延っていた。


 バレンタインは、お世話になった人にチョコレートを渡して感謝を伝えるという、日本ではポピュラーなイベントだ。

 本来は愛に尽くした聖人を悼む日だったのだが、そんなことなど知らない人達は今年もチョコレートを用意し、意中の相手に渡していた。


 あんりもカイにチョコレートを用意したのだが、カイは既に大量のチョコレートを貰い、肩にかけている紙袋はパンパンになるほど詰められていた。


「それ本命?」

「本命友チョコだよ!」

「ふーーーん…………まぁ貰っておくよ……」

「あっ、もしかして迷惑だったかな……カイくんいっぱい貰ってるもんね」

「いや全然、すごい嬉しい」


 なんだか棒読みな気がするけれど、カイはあんりのチョコレートを受け取ってくれた。

 カイは紙袋を置くと、あんりのチョコレートの包装を早々に解き始めた。


「目の前で食べられるの、何だか恥ずかしいなぁ」

「俺のために作ったんだから別にいいだろ」

「それはそうなんだけど、ちょっと緊張しちゃうっていうか……」

「あんたがくれるなら何でもいいよ」


 それは妥協なのか、それとも──


 静かに伏せられたカイの瞳を見ても、その感情は上手く読み取ることが出来ない。

 けれど、半年と少し過ごしてきたあんり達の間には確かに何かが存在していて。



「ところで、何で俺にチョコくれたんだ?」



 それは友情なんていう硬い絆でもなければ、仲間なんていう曖昧な関係でもない。

 それでも彼女との関係は何にも代えがたいものだった。



「だって、カイくんは私の大切な人だもん!」



 時間は否応なしに進んでいく。

 寄る年波には逆らえず、いずれ大往生を迎えるだろう。


 終わりを迎えることに恐れがないわけではない。けれどいつかくる最期より、今一緒にいる人と大事に時間を過ごしていきたい。


 そのために、未来を守ったのだから。

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クラシカル×ガーディアン 甘凪まつり @omoti07

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