第6話 大乱闘、早乙女カイファンクラブ!


 一日は日の出とともに始まる。


 早起きがが大好きなあんりは、今日も今日とて勢いよく寮のカーテンを開け放った。

 差し込んだ光は容赦なくあんりに降り注ぎ、光をお裾分けしてあげようとカイのベッドのカーテンを開く。

 彼女は未だ布団の中で夢見心地だったようで、眉をしかめて寝返りをうった。


「カイくん、おはよー!もう朝だよ!速くいかないと食堂混んじゃうよ!」

「うるさい……頼んでない……」

「早起きは三文の得って言うじゃない?きっと早起きしたカイくんには良いことが待ってるはずだよ!先着順で貰える特製のプリンとかね!」

「いらない……」


 吸い込まれる前にカイの布団を思いきり剥がす。

 あんりは恨めし気に睨まれてしまったけれど、寝坊して朝ごはんを食べられないことの方が大変だ。感謝こそされど、恨まれるいわれはないはずだ。


「今日の日替わり定食はから揚げだって言ってたし、今日一日頑張れるね!」

「それって運動部しか食わない大盛メニューだろ。部活もしてない癖に……」

「そ、そりゃあしてないけど……。でも運動部に入ってない人もご飯を大盛に出来るのは嬉しいよね~。それに運動部ご用達のスタミナメニューって、美味しいからおかわりしちゃうんだよね」


 渋々と着替え始めたカイを眺めながら、あんりは誰に聞かれたわけでもない言い訳を並べる。


「準備出来たんだろ?先に行ってれば」

「せっかく起きてくれたんだから一緒に行こうよ!」

「あっそ、もう別にいいけどさ……」


 呆れたようにため息をつくカイ。

 彼女がネクタイを緩く締め終わると、二人は食堂までの道のりを歩いて行った。


 カイには何を言っても軽くあしらわれてしまうのだが、初対面だった時に比べれば態度がかなり柔らかくなったように思う。

 話しかけすぎると無視されてしまうけれど、それでも以前に比べればずっと話してくれるようになった。


「何にやついてんだ」

「えへへ、なんでもないよ~」

「ふーん、気持ち悪いな」


 避けられていた頃に比べたらこんな嫌味ですら可愛く思えてしまう。


 これからも二人、それに久遠くおんやヒースがいればシャドーの撃退も難なくできる気がする。

 そんな予感を胸に抱き、あんりは足取りも軽く食堂に向かったのだった。



 ◇



 香ばしく揚げられたから揚げが皿の上にどさりと乗せられる。

 ふわりと傍に添えられたキャベツと、彩りにちょこんと乗せられたプチトマト。味噌汁や茶碗の上にそびえ立つ白米から出来たての湯気が上がっていた。


 あんりはから揚げ定食を、カイは焼き鮭定食を持って席につく。

 当たり前のように同じテーブルについたあんりだったが、カイはそれに突っ込むことはせず、静かに食事を始めた。


「カイくんっていっぱい食べるんだねぇ。お茶碗何杯分くらいついでもらったの?」

「あんたに言われたくない。一人で釜の飯全部食うつもりかよ」

「や、やだな~!せめて半分くらいって言ってよ!」

「食うことを否定しろ」


 カイの持っている茶碗には軽く二、三杯分ほどの白米が注がれていた。

 年頃の女子高生にしては食べる方だと思うが、自分の目の前にある茶碗にはそれよりも倍の白米が鎮座していた。

 いや、これはそう、消費カロリーに負けないように食べているだけで、決して食べ過ぎなわけではない。

 腹部の主張もそんなに激しくないし、むしろ普通の量といっても差し支えないと思う。


「だってここの食堂のご飯美味しくて……土日も食べたくなっちゃうよねぇ。カイくんは土日何食べてるの?」

「別に、何でもいいだろ」

「そうだ!じゃあ今度一緒にお昼ごはん作ろうよ!一人で食べるより二人で食べる方が美味しいと思うし」

「なにがじゃあなのか知らないけど、余計なお世話」


 そう言ってカイはもくもくと箸を進める。

 あんり達の暮らしている寮は平日に三食食事が提供される。逆に、それ以外は自分で食事を作らなければならない。

 そのために町に買い出しに出たりするのだけど、栄養の偏りを無視するならば、三食カップラーメンでもいいわけだ。


「ごきげんよう。こちら、ご一緒してもよろしくて?」


 から揚げを頬張っていたあんりに話しかけてきたのは、ウェーブがかかった栗色の髪の少女であった。

 あんりはその少女を見て一目でピンと来た。


白鳥比奈しらとりひなさんだよね、こうやって話すのは初めてかな?こっちの席どうぞ!」


 白鳥しらとり比奈ひな、アリビオ寮の一年生。つまりあんり達の同級生だ。

 あんりは何かあった時のためにアリビオ寮生のことを覚えているのだ。何か、とは特に


「わたくしは愛宮えのみやさんの席でお願いいたしますわ」

「私の席がいいの?じゃあ私は向かい側に移動するね、これなら──」

「いえ、そうではなく。あなたは席をあちらに移動してくださるかしら?」


 と、比奈ひなが指を差したのはここから遠く離れた席だった。

 あんりはそれを見て白米をごくりと飲み込む。食事は問題なく喉を通っていくが、比奈ひなに言われている言葉はうまく咀嚼することが出来なかった。


「聞こえていませんの?あなたはあちらに移動してくださいと申し上げているのですわ!さあ、早くして下さいまし!」

「わぁ待って待って!ご飯がこぼれちゃうよ!」

「そんなもの……ってあなた、どれだけご飯を盛っていますの!?力士にでもなるおつもり⁉」

「そ、そんなことないも~ん!」


 あんりが席を立ったところで、比奈ひなが咳払いをした。


「そういえば、私の名前知ってたんだね?」

「ええ、個人的にあなたのことを調べさせていただきましたの。あなたと早乙女さおとめ様のご関係を知るためにね」

「私とカイくんの?」

「ええ。単刀直入に申し上げますけれど……あなたも早乙女さおとめ様のファンですの?」

「え?ううん、違うよ」

「ち、違うのにそんなにも親しげなんですの⁉一体なぜ……あなたは、早乙女さおとめ様とどういうご関係ですの⁉」


 ぐいぐいと近づかれ、あんりの持つお盆から味噌汁がこぼれそうになってしまう。


「私とカイくんは……えっと……秘密の、関係?」

「な、な、な、なんですって……⁉」


 古の怪物が蘇りそうになっていて、守護騎士ガーディアンとして二人で戦っている、とは流石に言えなかった。

 かといって寮の同室というだけでは味気がない。悩んだ末に出した答えはしかし、比奈ひなに大ダメージを与えたのだった。


「特別な関係ですって……まさか早乙女さおとめ様がそんな……あり得ませんわ……」


 比奈ひなはひどく落ち込んでテーブルに突っ伏したと思いきや、勢いよく顔を上げて髪を振り乱してあんりに詰めよる。


愛宮えのみやさん、あなたのような人は早乙女さおとめ様のお傍に相応しくありませんわ!わたくしは、あなたが早乙女さおとめ様に近づくのを決して許しません!身の振り方に気を付けることですわ!」


 比奈ひなはそう宣言すると早足で食堂から出ていく。

 取り残されたあんりはぽかんと口を開けて立ちすくんでいた。


「カイくんのファンだって、知ってた──って、あれ?」


 こういう時には真っ先に文句を言いそうなものだけれど、と思って振り向いてみると──カイは忽然と姿を消していた。

 ぽつんと取り残されたあんりは、過ぎ去った嵐の余韻を感じながら食事を進めたのだった。



 ◇



 比奈ひなから謎の強襲を受けて以来、あんりは常に背後からの視線を感じるようになっていた。

 それはもちろん白鳥しらとり比奈ひな本人である。


 昼食時やカイと寮に戻ろうとした時、それに寮でカイと話そうとしている時など。どこからともなく彼女が現れるのである。

 その時の彼女といえば、「早乙女さおとめ様とお話をするなんて気安いですわ!」「身の程を弁えたほうがよろしくってよ!」など、とにかくあんりとカイを引き離そうとしていたのだ。


「お前が何か気に障ることでもしたんじゃないか?それか生理的に嫌いだとかな」

「えぇ~?でも私、白鳥しらとりさんとあんまり話したことないんだよ?まだ全然知らないのに嫌いになるかなぁ……」

「人間っていうのは他人を見た目で判断して態度を変えるもんだ。その女もそうだったってだけだろう」


 カイあるところに白鳥しらとり比奈ひなあり。

 そんな生活が続いていたあんりは現状の打開を求めて学園長室を訪れたのだった。

 比奈ひなのことを話すと、ヒースはなんでもないことのように鼻で笑う。


「そんなことないよ、白鳥しらとりさんとだって友達になれるはずだよ。この学園の人はみんな良い人なんだから」

「でも現に嫌われてるんだろ。一人に嫌われたくらいで騒がなくてもいいだろうに」


 ヒースは学園長の机に座りながら自分の時計を磨いている。

 あんりは彼の答えに頬を膨らませてみせた。


 喋って動くぬいぐるみであるヒースは、基本的に学園長室にいる。

 学園長室は他の先生が訪れることもあるから完全に安全地帯とはいえないのだが、学園を自由に動き回られても大変な騒ぎになる。

 彼の刺々しい物言いはそんな窮屈きゅうくつな生活のせいかもしれなかった。


 久遠くおんが抱いて出かけるという手もあるれけど、それでは彼女がぬいぐるみが大好きな生徒会長になってしまう。

 いや、大事に持っていたという点において間違ってはいないのだけど。

 彼女の性格上、それについてはあまり触れて回って欲しくなさそうだった。


「一度、彼女ときちんと話し合ってみたらどうですか?何か誤解があるのかもしれませんよ」

「そうですね……ちゃんと話してくれるといいんですけど……」

「ところで、その白鳥しらとりさんについて早乙女さおとめさんはなんと?」

「それが全然知らない人だって言ってました」


 突進してくる比奈ひなは一見支離滅裂なことを言っているように聞こえるが、その行動原理は一貫している。


 あんりとカイが関わり合いをやめること、それに他ならない。


 ただ、カイ自身も比奈ひなと初対面だとすると、これまでの彼女の行動が一気に不思議に思えてしまう。

 一体何の理由があってここまでカイに執着しているのだろうか。


「聞いている限り、今はあなた達に実害がないようですが……エスカレートすることも考えられます。トラブルになる前にきちんと理由を聞く必要がありますね」

「そうですよね……もしかしたら何かすれ違ってることがあるのかも。納得出来るまで話し合ってみます!」

「待って下さい愛宮えのみやさん、少し聞きたいことがあります」


 あんりが学園長室の豪華なソファから素早く立ち上がると、久遠くおんが呼び止める。


「実は今、これまでシャドーの被害に遭った方の調査をしているのですが、何か気になることを言っていた方はいませんでしたか?」

「えっと……特にそういうことはありませんでした」

「そうですか……。レギオンの力が体に入り込んでシャドーになることは、これまでの情報とヒースの話を聞くとまず間違いない、というのが私達の見解です。ですが人体に悪影響があるかどうかは、まだ調べきれていないのです」


 何らかの力が入り込み、人の影の中から出てくるシャドーという怪物。

 シャドーから微かにレギオンの力を感じるということは、レギオンの力がシャドーに影響を及ぼしている可能性は限りなく高い。


 そんな得体の知れない力が体に入り込んだのだ、何かが起きていると思うのが自然だろう。

 しかし、シャドーを生成してしまった人はその場に倒れてしまい──目を覚ませば五体満足で生活することが出来ていた。


「私も前回のシャドー騒ぎで被害にあった方の救護をしたのですが、あなた達がシャドーを倒したあと、急に目を覚まされたのです。まるで何事もなかったように」

「ということは、シャドーさえ倒せば被害にあった人も元通りになるってこと、なんでしょうか?」

「それで済めばいいけどな。レギオンの力が関わっているんだとしたら、そう簡単にいくとは思えない」


 明るい表情になったあんりとは対照的に、ヒースと久遠くおんはどこか浮かない顔をしている。


「僕は雪桜ゆめの戦いにずっとついていたわけじゃないから、レギオンのことを詳しく知っているわけじゃない。ただ奴は、。だから雪桜ゆめは必死になって奴を封印したんだ。そんな奴の力の一部で出来た怪物なんて……悪影響を及ぼさない方がおかしいと思うね」

「ただ、現在調査している段階では問題がない、としか言いようがありません。もちろん引き続き調べてはいくつもりですが」


 シャドーに関わる騒動について、もちろん学園内でもちょっとした噂が流れ始めていた。


 影の怪物がどこからともなく現れ、ひとしきり暴れた後に忽然と姿を消す。

 実際に見た人も襲われた人もいるのだから、この怪物騒ぎは都市伝説に収まる話ではない。

 生徒達も、久遠くおんが学園長代理の力を駆使して情報を操作しているから落ち着いて避難しているだけで、本来ならパニックになってもおかしくはないのだ。


「私も、シャドーの被害に遭った人を注意して見てみますね。……でもまずは、白鳥しらとりさんとお話をします!」


 あんりはそう宣言して学園長室から飛び出していく。

 後ろから飛んでくる久遠くおんの注意に急ブレーキをかけ、早歩きで廊下を進んでいった。


 ……さて、比奈ひなはどこにいるだろうか?



 ◇



「カイくん、みーつけた!」


 しかし比奈ひなを見つけるよりも先に、中庭のベンチで寝ているカイを発見した。

 眠りが浅かったのだろう、あんりが頭の方から覗き込むとカイはすぐに目を開けてくれた。


「何?」

「ううん、用事があったわけじゃないんだけど……まあ言っちゃえば、カイくんに会うことが用事だったというか」

「はぁ?」


 カイは不満そうに声をピリつかせる。

 しかし、近くの茂みから飛び出してきた姿に全て納得したようだった。


愛宮えのみやあんりさん、あなたはまた早乙女さおとめ様に付きまとっているのですわねー⁉」

「ほら、やっぱり来てくれた!」

「あぁ、そういうこと……」


 この広い学園内、そして数多あまたの生徒の中から比奈ひなを探すのは骨が折れる。

 だがカイの居場所ならこれまでの経験から目星を付けやすかった。

 カイは人気の少ない一人になれる場所を好む。そして、カイを見つければ自ずと比奈ひなも見つかる。という算段だった。


「全く、あなたという人は……わたくしが再三忠告しているにも関わらず、早乙女さおとめ様のお傍に──」

白鳥しらとりさん、私、あなたに会いたかったの!私とお話してくれない?」

「あなたが早乙女さおとめ様のお傍にいるんなんて百万年──って、今なんと仰いました?」


 あんりは怒っている比奈ひなの手を取る。

 彼女の顔は怒りから困惑──そして、拒否へと変化していった。


「わっ、わたくしはあなたとお話をすることなんてありませんわ!わたくしが望むのは、あなたが早乙女さおとめ様に近づかないこと。それをお約束して下さるのであれば、わたくしとあなたがこれ以上関わる必要はありませんので!」


 比奈ひなはそう突き放すと、うっとりした様子でカイの元へ駆け寄る。


「わたくしは……学園内でも一人でも涼しげにしていらっしゃる早乙女さおとめ様を見て、こうありたいと思ったのです。他人などいらない、自分一人で生きていけるのだと。わたくしは、そんな早乙女さおとめ様の姿に勇気づけられたのですわ。だからあなたは、早乙女さおとめの邪魔なのです!」


 そう言って比奈ひながカイの前に立って立ち塞がる。

 その顔にはカイに対する尊敬の念がありありと浮かんでいた。


「……そっか、白鳥しらとりさんはカイくんに救われたんだね。カイくんってば、知らないうちに人助けしてたんだなぁ」


 中庭に小鳥が来ている。

 二羽の小鳥は仲睦まじく水浴びをすると、一人だけ飛び立っていってしまった。


「カイくんが羨ましい。私も、カイくんみたいに誰かの助けになりたいな」


 人助けがしたい。

 助けを求める人の役に立って、みんなが笑顔になっているところが見たい。


 そして──それをしたのが自分だという事実が欲しい。

 自分の手で誰かが幸せになったという結果が欲しい。


 そうすればきっと、こんな自分にも生まれた意味があると分かるのに。


「……とにかく!わたくしは早乙女さおとめ様のようになることが夢ですの。あなたに邪魔されるなんて許せませんわ!」


 守護騎士ガーディアンとしてカイと一緒にシャドーを撃退することは、何にも代えがたいことだ。

 それは学園にとっても──そして、あんり自身にとっても。


 カイと離れ離れになることは様々な意味で難しいけれど、比奈ひなも譲る気はないのだろう。

 どちらの主張も譲れないのなら、あんりがすることは一つだけだ。


「ねぇ、私ともお友達になろうよ!」

「……はい?」


 怪訝な返答にあんりは大きく頷く。


「友達になることは誰にも止められないんだよ。だから私とカイくんも、もう他人になんて戻れない。だって私はカイくんと一緒にいたいんだもん!」


 人は生きていく中でたくさんの『他人』と関わりを持つだろう。

 その人に抱く感情は好意かもしれないし、嫌悪かもしれない。


 ただしそれは自分が決めることであって、誰かが関与出来るようなことではない。

 表面上は出来たとしても、人の心を無理矢理変えることは不可能だ。


 カイと友達になって守護騎士ガーディアンになったことも、久遠くおんと和解したことも、ヒースがあんり達のことを認め、過去は過去だと受け止めたことも。

 それぞれみんなが選択し、決断して、行動に移した結果なのだ。それを今更なかったことになんて出来るわけがない。


 比奈ひなの手を握りながら優しく語りかける。

 けれど、彼女はその手を振りほどいた。


「わたくしは……あなたとはお友達になれません」


 今までの語気の強さと裏腹に、友達になれないと言い放った声はどこか投げやりにも聞こえた。


「あなたもアリビオ寮生なら分かるでしょう。わたくし達が他の寮生から何と言われているか。って。それが事実である寮生もいらっしゃらないわけではありせんわ」


 アリビオ寮以外の寮はそれぞれ専門的に秀でた生徒を優先して入寮させている。

 ではアリビオ寮はどんな生徒が入るのかというと、それ以外で一般受験をした生徒ということになっている。


 だが実際は、比奈ひなが言うような噂が流れていることも事実なのだ。

 寮同士の親交を深めるという名目で通常授業は寮に関係なく合同で受けている。だが、あんり達アリビオ寮に対して厳しい扱いをする生徒がいないわけではない。


「わたくしの家はこの学園に多額の寄付をしている。それは間違いのない事実ですわ。それでも、人に言えないようなことをして、この学園に入学したわけではありません!」


 誰がどうやって入学したのかなんて他の生徒は知る由もない。

 だから、こうやって不名誉な噂が独り歩きしているのだろう。


「寄付をしているという事実だけで、わたくしは裏口入学をしたとささやかれています。そんなわたくしにお友達なんて出来るはずがないのですわ。でも、そんな中でわたくしは見つけたのです。一人でも孤高に過ごしている早乙女さおとめ様の姿を……!」


 比奈ひなは自分が孤立していることをカイという存在で目隠しするしかなかったのだろう。

 カイが一人で過ごしているのだから、自分も大丈夫だと。


「わたくしだって、こんな噂に負けないくらい人望があればと思ったことはありますわ。そうすれば、わたくしにだってお友達が出来たはずですもの」


 上手くいかないから人生なのだと誰かが言った。

 でも、上手くいかなった人は──どうすればいいのだろう。


 過去の栄光に縋る人もいるだろうし、悔しさをバネに成功する人もいるだろう。

 他人を蹴落とす人もいるかもしれないし、自分を大きく見せる人もいるかもしれない。


 過去には戻れないし『もしも』はただの夢。

 だが存在しない可能性に頼らざるを得ないほど、比奈ひなの心は傷ついているのだろう。


 どう声をかけたらいいのか手をこまねいていると、あんりはハッと気付いてしまう。


 ──比奈ひなの周りに、見覚えのある《もや》が漂い始めていた。


「……白鳥しらとりさん、それは……!」

「え……なんですの、これ──」


 比奈ひなの周りを黒いもや──影が取り囲む。

 それが何かを理解するのに少しの時間を要したが、あれがヒースの言っていた『レギオンの力の一部』なのだろう。


白鳥しらとりさんっ!こっちに来て、それは──」


 だが、それを理解した時には遅い。

 あんりの声は間に合わず、比奈ひなに影が入り込んでいく。


 比奈ひなの影が異様に伸び、そこからずるりと黒い塊が覗いた。


 それは紛れもなく──シャドーそのものだった。


愛宮えのみやさん、その方は……もしかしてシャドーに襲われた方ですか⁉」

「はい、今……白鳥しらとりさんの体にが入って行くのが見えました。もしかしてあれが──」

「ああ。僕も見たが、間違いなくレギオンの力があの人間に入っていった。やはりシャドーは、レギオンのせいで出来た化け物ってことだな……」


 目の前で倒れた比奈ひなはどれだけ叩いてもゆすっても、目を覚ます気配はない。

 騒ぎを聞きつけてやってきた久遠くおんが彼女の介抱をする。


「レギオンの力の一部はこの学園一帯にある。これからも誰が襲われてもおかしくはない。問題なのは学園以外にも広がっていないかだが……」

「そうなると、私達では対処のしようが……。広い範囲の感知は出来ないのですか?」

「僕を便利道具みたいに言うのはやめろ。レギオンの力だって微かに感じる程度で、あの去シャドーってやつになるとよく分からなくなる。一度人に潜り込んでるせいかもしれないが……」


 ヒースがシャドーを見上げて考え込む。

 シャドーはあんり達を見つけると、明確な敵意を持って迫ってきた。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には、先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


「チッ、シャドーか……。あの女、付きまとってきた癖に面倒までかけやがって……」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない。白鳥しらとりさんがカイくんのことをどれだけ慕っていたか聞いたでしょ?助けてあげようよ!」

「そんなのどうでもいいね。人のことを勝手な想像で──いや、俺はシャドーを倒すだけだ」

「勝手って……白鳥しらとりさんはカイくんのことを──」


 いつも機嫌が悪そうなカイだけれど、いつにもましてその言葉に怒りが含まれている。

 一体何が琴線に触れたのか、それが分からないままカイとの雰囲気は険悪になっていく。


「シャドーを倒したらそいつも戻ってくるんだろ。文句あんのかよ」

「それはそうだけど……誰かを助けたいっていう気持ちが大事じゃないの?カイくんだって白鳥しらとりさんのことを助けてたじゃない!」

「勝手にそう思ってただけだろ。俺は何もしてないし関係ない」

「二人とも、何をしているのですか!前を見て!」


 遠くから叫ぶ久遠くおんの声に、あんりとカイは勢いよく振り帰る。

 すると、目の間に迫っていたシャドーが拳を振りぬいていた。


 間一髪でその攻撃を避けるが、今の今まで立っていた地面は無残にも抉れてしまっていた。


 対峙するシャドーは腕を扇形に変形させている。

 どうやらシャドーは体を変形させることもできるらしい。とすると、かなり厄介だ。


 シャドーは地面から拳を引き抜き、扇を閉じてあんりめがけて突きを放った。あんりは攻撃が当たる寸前に扇に飛び乗り、シャドーの腕を駆け抜ける。

 頭部に到着したあんりは、顔の部分に当たる時計の仮面めがけて重い拳を叩きこんだ。

 残念ながら破壊することは出来なかったが、時計にダメージを負ったシャドーは頭を抱えて呻く。


 その隙を突き、あんりの後ろから飛び上がったカイが首のあたりに飛び蹴りをする。

 その衝撃でシャドーは地面に倒れこんでしまった。


「よし、今だよ──ってカイくん⁉」


 あんりの言葉を聞かずに、カイは起き上がったシャドーに追撃として何発も蹴りや拳を食らわせる。

 しかしシャドーは態勢を立て直すと同時に扇で突風を起こし、カイはそれに吹き飛ばされてしまった。


「危ないっ!」


 校舎に叩きつけられる前にカイの手をとる。

 荒れ狂う風の中、あんりは必死にカイを引き留めていた。


「何してんだ、もういいから離せよ!」

「いやだ~~‼カイくんのことだって助けるんだもん!」

「助けるとか助けないとか……どうでもいいんだよ!もういい、離せ!」

「だめ!絶対離さない‼」

「手じゃない、!」


 そう言われて、ようやくカイの目論みを理解した。


 あんりが地面から足を離すと体は風に煽られ、いとも簡単に宙を舞う。

 すると二人は校舎に叩きつけられ──る前に、両足で着地する。

 そして、壁を蹴って思いきりシャドーの元へ飛び込み、みぞおちの辺りに拳をめりこませた。


 怯んだシャドーの目の前に着地すると、二人の胸に装着されていた『こころ時計とけい』から長針と短針が外れた。長針は長い弦に、短針は光を纏った弓にそれぞれ姿を変える。

 それを二人でつがえ、黒い怪物に向かって矢を放った。


光陰こういん穿うがて!arc d`am──』


 ──だが。


 矢がシャドーに届く寸前、シャドーは仮面ごと煙のように霧散して消えてしまった。


「……え?シャドーが消えた……一体どういうことですか?」

「分からないですけど……確か、前にもこういうことがあった、ような……?」

「何だって⁉何でそれを言わなかったんだ!」

「だ、だって色々あって忘れてて~……!」


 いつだっただろうか、手応えを感じないままシャドーが消えたことがあった。

 そんなことを思い出していると、あんりはふと思う。

 シャドーが発生する理由は分かったけれど、消える条件は未だに解明できていない。

 戦ってきた経験上、ある程度ダメージを与えた時に消えていたような気がするのだが……。


「どうして急に消えたんだろうね。ヒースと久遠くおんさんが調べてくれるみたいだけど……とりあえず、私達は学園に──」

「あのさ、」


 季節外れの冷たい風が吹く。


 二人の間を通る風は、シャドーが起こした時の向かい風に比べて優しいものだった。

 だがカイとの間に隔たれた壁は、たとえ追い風があっても乗り越えられないくらい高くそびえ立っているようにも見えた。


「もう俺に付きまとうのやめてくれる。どいつもこいつも勝手な価値観を押し付けてきやがって……吐き気がする」


 勝手に無くなっていたと思っていた壁は見ない振りをしていただけで──ずっとそこにあったのだ。


 出会った頃と同じような──いや、それ以上に嫌悪感をむき出しにしたカイを見て、あんりは思わず尻込みしてしまう。

 彼女の纏う怒気は普段のそれを遥かに凌駕していた。


「あんたもそうだ。人のために人助けなんてしてないくせに、俺に説教してくるな」


 あんりの返事を待たずにカイは一人で帰っていく。


 引き留めることも声をかけることもできたのに、あんりにはそのどちらもすることはできなかった。


 カイに怒られたことがショックだったのではない。


 ただ一言、最後の言葉が──心にいつまでも引っかかって取ることができなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る