第5話 むかしむかしのお客様

 あんりが昔読んでいた絵本はどうやら本当の物語だったらしい。

 それをすんなりと納得できたのは、シャドーという摩訶不思議な生物と遭遇したからだった。


 この学園は何が起こってもおかしくない。

 だから、うさぎのぬいぐるみが喋りだしても──至極当然なのかもしれない。


「……いや、そうなのかな⁉でもぬいぐるみが喋るなんて、私初めて見たよ⁉」

「お、おお、落ち着きなさい愛宮えのみやさん。このくらいでうう狼狽えていては守護騎士ガーディアンとしての威厳が」

「……tえ⁉僕の話してることが伝わるのか⁉」

『きゃーっ!』


 ぬいぐるみが返事をしたことで、あんりと久遠くおんは抱き合って悲鳴をあげる。

 久遠くおんの驚き方は完全に幽霊に出会った時のそれで、うさぎのぬいぐるみはその声に驚いて窓辺から転げ落ちてしまった。

 いや、あんり達が驚くのは当然として、喋り出した本人も驚くとはどういう了見なのだろう。


 とにかく、カイを除く全員が慌てふためき、パニックに陥っていた。


「コホン!お前達とりあえず落ち着くんだ。全く、これが守護騎士ガーディアンだなんて信じられないよ」

「そんなこと言って、一番びっくりしてたよねー……」

「う、うるさいな!僕は人と喋ったことがないんだ!仕方ないだろ!」


 カイにこっそり耳打ちをしたつもりが、うさぎのぬいぐるみは耳をピクリと動かして目ざとく注意する。

 そして、ふんと小さな胸を張った。


「僕の名前はヒース。呼ぶ機会はないと思うが一応礼儀として名乗っておこう」

「あなたは……昔からずっと一緒にいた、私のぬいぐるみ、ですよね……?」

「それは間違いない。僕は雪桜ゆめの子孫に代々受け継がれていたぬいぐるみだ。ただ……正直どうしてこんなことになったのか、僕にも分からない」


 怯えた表情で様子を伺っていた久遠くおんが、疑問符を浮かべるあんりのために説明を始めた。


雪桜ゆめ様というのは以前お話した私のご先祖様、つまり初代学園長で『こころ時計とけい』を使用していた先代の守護騎士ガーディアン玉響たまゆら雪桜ゆめ様のことです」


 そして久遠くおんはヒースの前に立ち、不服そうな彼を真正面から見据えた。


「あなたの言う通り、私はこのぬいぐるみをお母様から頂き、お母様はおばあ様から頂いたと聞いています。そうやって雪桜ゆめ様から代々受け継いできました。……でも、それが、まさか動いて喋るだなんて……」

「僕は動けないし喋れなかったが、雪桜ゆめのいた時代から全てを見てきた。もちろん、今ここで起きていることも大体は知っている」


 うさぎのぬいぐるみ、もといヒースは窓辺からぴょんと飛び降り、あんり達三人を見上げる形で腕を組んだ。


「レギオンとの戦いから大分時間が経ったせいで、雪桜ゆめが施した封印に綻びが生じている。僕はここで緩んだ封印から何か嫌なものが外に出るのを感じた。この学園から出てくるものなんて、レギオンの力の一部としか考えられない」

「じゃあシャドーってやっぱり、そのレギオンのせいで現れてるってことなの?」

「ああ、お前たちが倒しているという怪物か……それについてはよく分からない。レギオンと似てるようで、全く新しいような……。ただことは確かだ」

「……何であんたにそんなことが分かるんだ?」

「僕はこれでも雪桜ゆめがレギオンと戦った時代にいた身だからな。どれがレギオンの力かぐらいはすぐに分かる。雪桜ゆめの封印は長い時間が経っていたから崩れるのも仕方ない。でも今の雑な繋ぎ方は一体……?」


 ヒースはうさぎのように足をタンタンと床に打ち付け、落ち着かない様子だ。

 そしてあんり達の持つ『こころ時計とけい』を見つけると、ヒースはその名の通り目を丸くした。


「『こころ時計とけい』がどうしてここに⁉それに壊れてるじゃないか‼もしかして、お前たちが『こころ時計とけい』を壊して封印を解いたのか⁉一体、雪桜ゆめがどんな思いで封印したと思ってるんだ‼」

「ち、違うよ!この時計は勝手に落ちてきちゃったの!もうボロボロで……」


 ヒースは冷静さを欠きあんり達に詰め寄ってくる。

 『こころ時計とけい』が劣化により外れ、その後に時計塔に地震が起こったこと、そしてシャドーという怪物が現れ始めたことをヒースに説明した。


 ここにいる全員の話をまとめるならば『こころ時計とけい』が劣化したことによりレギオンの封印に綻びが生じ、そしてレギオンの力が漏れ出たせいでシャドーという怪物が発生している、ということなのだろうか。

 だがヒースはそれについて首を縦には振らなかった。


「お前たちがシャドーと呼んでいる怪物を僕は見たことがないし、外に出て行ってしまったレギオンの力を全て正確に感知できるわけじゃない。だからレギオンとそのシャドーっていう怪物を関係づけるのは気が早い。ただ……封印が一度解かれてしまったことは確かだ」


 ヒースはため息交じりにそう零し「それに」と小さな指であんり達を指差す。


「綻びた封印が変な風にくっついているのは、その二つに割れた『こころ時計とけい』のせいだ!『こころ時計とけいが封印の要だっていうのに、半分にして使っているなんてあり得ないだろ!雪桜ゆめはちゃんと一つで使ってたんだぞ!」

「そんなこと言ったって割れたモンはしょうがないだろ。割れた卵で茹で卵作れって言われても無理なもんは無理」

「そもそも、優秀な守護騎士ガーディアンなら二人で『こころ時計とけいを使う必要なんてない。どうせまともに戦えもしないんだろ。雪桜ゆめがここにいたら一人でなんとかするだろうに……」


 騒ぐヒースに、カイの眉がぴくりと引きっている。


「まあまあ!うさぎさん、私達も頑張って戦うからそんなこと言わないで欲しいなぁ」

「うさぎさんはやめろ、僕には雪桜ゆめにもらった名前があるんだ!」

「えーっとじゃあ、ヒース?」

「そうだ、相手の名前は間違えずに呼ぶんだぞ」


 ふんぞり返るヒースにカイの機嫌がどんどん損なわれていくのを感じる。

 あんりはそれをなんとかなだめようと二人の仲裁役に徹した。


 初代学園長こと玉響たまゆら雪桜ゆめ

 彼女がヒースの元々の主で、誇張無く肌身離さず一緒にいたのだという。姉弟きょうだい、家族、友達。そのどれでもあった一人と一体はいつもお互いの傍にいたのだとか。


 あんりは先代の守護騎士ガーディアンは一体どんな人だったのだろうかと思いを馳せる。

 心優しく、正義感に溢れたその人はきっと誰からも感謝されたのだろう。


「ねえヒース、雪桜ゆめさんってどんな人だったの?」

「……雪桜ゆめは、」


 ヒースはそれだけ呟くと首をふるふると振る。

 とげとげしい言葉を飛ばしてきた彼の顔に一抹の影が落ちたような気がした。


「……そんなことは今関係ない!とにかく、何の覚悟もないまま覚醒したお前たちなんか雪桜ゆめに遠く及ばない!お前たちに『かぎ地図ちず』を持つ資格なんてないからな‼」

「あっ、ちょっと、それは……!」


 ヒースは大きくジャンプしてあんりが持っていた『かぎ地図ちず』を奪い、軽やかに着地する。

 そして何回かジャンプをして扉の前にいくと、上手くドアノブを回して出て行ってしまった。

 あまりに突然の出来事に三人は一瞬だけ固まり、そしてあんりと久遠くおんは勢いよく顔を見合わせる。


「彼が人に見られたら、大変なことになります……!」

「早く追いかけないと、カイくんも行くよ!」

「良いよ別に、協力的じゃないんだし放っとけば?」

「あなたに比べればなんてことありません!それに『かぎ地図ちず』をあなた達に渡さないといけないのに……!」


 久遠くおんとあんりはカイの背中をぐいぐいと押して学園長室から押し出す。廊下に出てみるとヒースはもう既に忽然と姿を消していた。


 タイムリミットは寮の門限まで。

 あんり達とヒースの追いかけっこが始まったのだった。



 ◇



「すみませーん!誰かうさぎのぬいぐるみを見ませんでしたか!?このくらいの大きさで、時計を持ってて、動いてしゃべモガ」

「ただの普通のぬいぐるみです。至って、至極普通のぬいぐるみです!どこかで見かけませんでしたか⁉」


 学園長室から出たあんり達は目につく生徒達に声をかけて回った。だが誰に声をかけても、ヒースを見たという話はとんと聞かない。

 地図を持って走っているうさぎなど、目立つなんていうレベルではない。それなのに騒ぎになっていないということは本当に見つかっていないのだろう。


瞬月しづきくーん!今ちょっと探し物をしてるんだけど、時間ある?うさぎのぬいぐるみなんだけど……」

「うさぎの……?いや、見たことないかな。愛宮えのみやさんのぬいぐるみ?」

「ううん、私じゃなくて久遠くおんさ」

「誰の所有物かは関係ありません。とにかく、あなたはそれを見かけなかったのですね?」


 久遠くおんは早口になってあんりの声を遮る。


 いつか、なぜヒースを学園長室に置いているのかと聞いたことがある。

 久遠くおんは『かぎ地図ちず』同様、学園の創立に関係するから手元に置いていた言っていたっけ。


 だが、ぬいぐるみはぬいぐるみだ。

 生徒には規則を守るようにと言っている学園長代理が、学園長室にぬいぐるみを隠し持っているという事実はどうしても隠したいのだろう。


「はい、僕は何も。それにしても、生徒会長さんもそんなに慌てているなんて……そんなに大切なものなんですか?」

「……ええ、とても大事な……何にも代えがたいものです」


 そう答えたことでヒースが自分のものだと自白したようなものだけれど、久遠くおんは恥ずかしがる素振りもなく堂々と答える。


「そうですか、早く見つかると良いですね。どんなに大切にしていても、ふとした時になくなってしまうこともありますから……」

「もしそうなっても、私は諦めません」


 瞬月しづきに背を向けながら、久遠くおんは前を向いて歩き出す。


「たとえ消えてしまったとしても諦めるという選択肢はありません。私が諦めたら全てが終わるなら、尚更」


 シャドーが出現して、カイが守護騎士ガーディアンを拒絶した時も、久遠くおんは絶対に諦めなかった。

 どうしてあの怪物が生まれるのかも分からず守護騎士ガーディアンに選ばれたのは全く関係のないあんり達。

 カイを選ぶことこそ断念しかけたけれど、それでも久遠くおんは諦めなかった。


久遠くおんさんってかっこいいですよね。生徒のために、学園のために……それに世界のために立ち向かうなんて」

「と、突然褒めないで下さい。それに、それを言うならあなただって同じでしょう?私の頼みに二つ返事で了承してくれたではありませんか」

「あはは、そうなんですかね。私はみんなのためになればと思って人助けをしてますから、今回だって同じことなんです。だって放っておいたら大変なことになっちゃいますしね」


 あんりは頭を掻いてへらりと笑う。

 ご先祖様の意思を受け継いで未来を考えている久遠くおんと違い、『こころ時計とけいが選んだというだけで、あんりはこの件に関しては全くの部外者だ。

 でも助けを求められたのなら投げ出すわけにはいかない。

 困っている人がいるのなら、あんりには止まる理由など存在しない。


「……それにしても、あのぬいぐるみが動き出すなんて。不思議なことが起きたものですね」


 あんりと久遠くおんは学園を練り歩いてヒースを探す。

 手当たり次第空き教室を開けてみるがどこにも見当たらない。


「それも久遠くおんさんが大事に持っていたお蔭ですね。ほら言うじゃないですか、百年経ったら物にも命が宿るって」

「付喪神ですか、確かにそうかもしれませんね。私以外にもお母様やおばあ様が大切に持っていてくれたお蔭です。雪桜ゆめ様が戦っていた時代を知っているなんて……まるで生きる教科書みたい」


 数百年前の記憶を持つぬぐるみが動くなんて不思議な話だ。

 いや、ヒースにしてみれば昔でもなんでもなくて、数百年前から今までが正真正銘生きている時代なのだろう。

 ぬいぐるみが生きていないということはさておき、ヒースにとっては昔だって今と何ら変わりないのだ。


「じゃあヒースはレギオンのことも知っているんですよね。確かレギオンは過去に戻ろうとした……ってことですけど、それって、一体どうしてなんでしょう?」

「さあ……それはぬいぐるみ……ヒースに聞くか、本人に尋ねるしかないでしょうね」


 レギオンの目的は過去に戻ること。

 それは何回も聞いて知っているけれど、世界の時間を巻き戻してまで昔に戻りたかった理由とは何なのだろう。

 いくら考えてみても、時間を巻き戻すというスケールの大きさに飲み込まれてしまって、レギオンの気持ちを推測することは叶わない。


久遠くおんさんは昔に戻りたいですか?」

「いいえ、全く。それは世界を守った雪桜ゆめ様に対する冒涜になります」


 ぽつりと呟いた疑問に久遠くおんは足を止めて断言する。


「私達は先代から受け取ったものを次代に繋げていく使命があるのです。それを放棄することは許されません。でもそれは、何かを捨てて進んでいく、ということではないと私は思います」


 窓から吹く風が久遠くおんの細い髪をなびかせ、彼女の表情を隠す。

 けれど、髪の隙間から見える鋭い視線から逃れることは出来なかった。


「時代の流れに置いていくものがあるのは仕方がありません。だけど、だからといって……すぐに諦めることが出来ないのが人間だと思います。先ほどの彼に簡単に諦められないと言ったようにね。私達は矛盾を抱えた存在ですが、それでいいと思います。ロボットのように完璧になってしまったら、それは悲しいことだと思いませんか?」


 再び歩を進める久遠くおんに付いていく。


「何かを置いていくのは悲しいことですが、それを受け入れて歩いていく。それこそが人生なのだと思います。レギオンがどんな理由で昔に戻ろうとしたのかは分りませんが……私はそれを否定します。前に進む勇気を失うことは、とても怖いことですから」

「私も……昔には戻りたくないです」


 時間は否応なしに進んでいく。それはあんりだけではなく全人類に等しく降りかかることだった。

 時間の波からは誰も逃れることは出来ず、取りこぼしてしまったものは二度と手に入らない。


「──だって、昔には何も無いですから」


 でもあんりは、その波に乗って遠くに流れて行ってしまいたかった。

 色んなものを過去に置き去りにし、振り返らずに、視界に入れず。あんりはそうやって歩み続けてきた。

 この学園に来たのは、もう過去を振り返らないためなのだから。


「あれ……そういえばカイくんは……?」

「え?先ほどまで後ろに着いてきていたはずですけれど……」


 人気のない所まで探しに来たところで、ふとカイがいないことに気付く。

 慌てて探していたものだから、カイがいなくなっていることに全く気が付かなかった。


 辺りを見回すとどこからか黄色い声が聞こえる。


 まさかヒースが見つかったのだろうか。

 最悪の事態が頭を過り、あんりと久遠くおんは声のする方向へ急いで向かうことにした。



 ◇



 学園長室から飛び出したうさぎのぬいぐるみ──ヒースは、学園の窓から見える景色に茫然としていた。

 雪桜ゆめが設立した当時の学園と比べて校舎は何倍にも広くなっていて、だだっ広い敷地だった周囲には美しい木々が植えられていた。


「本当に、長い月日が経っているんだな……」


 そして何より……ヒースの記憶にあるものはどれも、時間の経過によりひどく劣化していた。


 いつの時代も古来から残っている物には希少価値がある。

 しかし、どれだけ大切に扱っていたとしても月日の流れに逆らうことは出来ない。人も物も、いつかその命を使い果してしまう。

 守護騎士ガーディアンであった雪桜ゆめもその例外ではなかった。


「げっ」

「失礼な反応だな……お前も僕を捕まえにきたのか?」

「いや適当に歩いてただけ。もっと見つからない所に隠れろよ、捕まえなきゃならないだろ」

「お前……雪桜ゆめの子孫の仲間なんじゃないのか?」

「そういうことにされてる。俺はどうでもいいけど」


 廊下の向かい側から歩いてきた白金はっきんの少女は見るからに面倒臭そうに眉をしかめる。

 雪桜ゆめの子孫の仲間とは思えない態度にヒースも口を尖らせた。


「お前の態度には色々と言いたいことがあるが……今は勘弁してやる」

「そりゃどうも。大人しく着いてきてくれると俺の手間も省けるんだけど」


 減らず口を叩く少女に本当は飛び蹴りでも食らわせてやりたいところだったが、そんな気力は残っていなかった。

 ヒースはため息交じりにぽつりと呟く。


「……雪桜ゆめは、僕の最初の主だったんだよ」


 幼い頃に雪桜ゆめの両親が与えたのが自分で、忙しい両親に変わって姉と弟のように過ごした。

 ぬいぐるみときょうだいなんてと思うかもしれないけれど、そう誇張しても何らおかしくないほど四六時中を過ごしてきた。


 だけど雪桜ゆめの年齢が上がるにつれて彼女との時間は段々と減っていった。

 それもそうだ、ぬいぐるみの自分と違って雪桜ゆめにはこれからの人生がある。時々思い出して可愛がってもらえるだけの存在になれたら、それで良かった。


『ヒース、私ね。世界を守る守護騎士ガーディアンになったんですって』


 そんな時、レギオンが現れて雪桜ゆめ守護騎士ガーディアンという戦士になった。

 そのことを相談できる相手はそうおらず、雪桜ゆめは独り言のように自分に向かって心の内を打ち明けていた。


『時間を戻そうとしていることを悪と言うんじゃなくて、未来に進んでいきたいって思って欲しい。私、レギオンにだってそう言うわ』


 しかしレギオンと雪桜ゆめはとうとう和解することはなかった。

 雪桜ゆめは見事レギオンを封印しこの学園を設立、自分もそれを見届けた。

 そして学園長としての責務を終えた数年後に雪桜ゆめはその生涯を終えた。壮絶な過去を思い返せば雪桜ゆめの最期はとても静かで安らかなものだった。

 ヒースは雪桜ゆめが亡くなってから、彼女の子供に引き取られたのだった。


「それから僕は雪桜ゆめの子供へ受け継がれていった。雪桜ゆめと別れてからの記憶は途切れ途切れで、眠っている状態に近かったかな。起きてみたら、まさか急に人間と喋れるようになってるなんてな」


 雪桜ゆめの子孫は皆が自分のことを大事にしてくれた。それは有難く思うし、さすがは雪桜ゆめの子孫と言うべきだろう。

 人間のように動いて話ができるようになった理由は正直分からないけれど、雪桜ゆめの力を受け継いだ人間の影響だと考えるしか辻褄が合わない。


 ──でも、と口をきゅっと結ぶ。


「……もうこの世界に雪桜ゆめはいない。雪桜ゆめが作った学園も変わってしまった」


 心で留めていた思いを口にできるのなら、知らない人間ではなく、雪桜ゆめと言葉を交わしたかった。

 言いたいことも、話したいことも、伝えたいことも山のようにあるのに。

 こんな寂れた時代で目を覚ましても何の意味もないのに。


「はは、今ならレギオンが過去に戻りたかった気持ちも分かる。それかいっそのこと、目覚める前に壊れていて欲しかったよ」


 逃げる気も失せてしまったヒースは冷たい廊下に座り込む。

 だが白金はっきんの少女は慰めるどころかヒースの両耳を掴んでぐいっと持ち上げた。


「なっ、なんて乱暴な持ち方をするんだ‼僕は今じゃ手に入らないくらい貴重な骨董品なんだぞ⁉」

「知るかよ、そんなの俺に価値がないなら関係ない。そのなんとかって奴が過去に戻りたかったのも正直どうでもいい。それに──」


 白金はっきんの少女はヒースに顔を近づけて突き放すように、しかし冷静に言い放つ。


「──時間はどうやっても戻らない」


 はた、とヒースは我に返る。

 白金はっきんの少女の言葉が引き金になり、遥か遠くの記憶が自分に語りかけてくる。

 彼女の言葉は──かつての自分の考えと同じだったのだ。


 レギオンは冗談ではなく、本当に世界の時間を過去に戻す力を持っていた。

 だが雪桜ゆめは時間を戻そうとするレギオンを頭ごなしに否定するのではなく、未来への希望を示していた。

 和解できず封印という形で終わってしまったことに、雪桜ゆめは誰よりも悲しみを抱いていたものだ。


 過去に戻ることは出来ない。

 から過去というのだ。


 レギオンにその力があって野望が実現したとしても、そこは既に戻りたかった時代ではないだろう。

 だけであって、過去が現実になってしまえばその願いは意味を失ってしまう。

 今生きているこの時があるからこそ、過去に戻りたいと望むのだ。過去の栄光だけが自分を形作っていると思うことの、なんと傲慢で愚かなことか。


 雪桜ゆめは世界を守り切って希望を未来へ託した。

 それを見守ってきた自分が過去に戻りたかったなんて──絶対に口に出してはいけなかった。


 それに、自分がここにいられるのは雪桜ゆめから受け継いだ自分を大事にしてくれていた人達がいたからだ。

 それは雪桜ゆめが信じた未来がなければ出来なかったこと。

 自分がここに存在していることこそが雪桜ゆめがいた証になる。


「あんたを捕まえないとうるさいやつが二人もいるんでね、大人しく来てもらおうか」

「分かったから耳を持つのはやめ──」

「キャーッ!早乙女さおとめ様が……うさぎのぬいぐるみを手にしていらっしゃいますわ!なんて愛らしいのかしら……!」


 手で耳の付け根を押さえて足をバタバタとさせているヒースを尻目に、白金はっきんの少女はずんずんと歩き始める。

 しかしそんな一人と一匹を追いかけるように甲高い声が飛んできた。


「ああ……早乙女さおとめ様、今日もお麗しいですわ……!そして、そんな早乙女さおとめ様と愛らしいうさぎのぬいぐるみ!これこそ芸術品と呼ぶにふさわしいですわ!タイトルは『白金しろがねの余暇』など如何でしょう?」


 不躾にもずいっと近づいてきたのは、お嬢様と称する他ない風貌の女子生徒だった。金髪の豊かな縦ロールを揺らし、その目を輝かせている。

 白金はっきんの少女のことを褒めちぎっているが、当の本人は話を聞いてすらおらず、歩くスピードを緩めない。


「わたくしのことを耳にもかけないこの感じ……さすがは早乙女さおとめ様ですわ……!そうですわよね、わたくしの存在が目に留まることなど、そもそもあり得ないのです。わたくしはひっそり早乙女さおとめ様のことを見守りしておりますわ……」

「ひっそりって言うならついて来るなよ」

「きゃっ……早乙女さおとめ様がわたくしにお声をかけてくださるなんて……!まさか夢かしら。いたた、頬をねじってみましたがこの痛み……まさか現、実……」

「人間ってこんな変な奴しかいないのか……?いやこの話の通じなさ、雪桜ゆめが言ってたウチュウジンって奴か……」

「あら?どこかから早乙女さおとめ様ではない声が聞こえましたが……」

「さぁ、空耳じゃね」

「そうですわよね!うふふ、わたくし、早乙女さおとめ様のファンクラブ第一号としてこれからも影で見守らせていただきますわね。それではごめんあそばせ!」


 台風のような少女は颯爽と去っていく。

 白金はっきんの少女はため息をついて頭を掻いた。そのせいでヒースを掴んでいた手を離してしまい、ぼとりと廊下に落ちる。


「なんだったんだ今のは……」

「さあ。知らない奴だった」

「お前、知らない奴にあんなに付きまとわれているのか。なんというか、お気の毒だな」


 あまりにインパクトの強い少女にヒースは自分の境遇を一瞬忘れてしまう。

 しかしパタパタと聞こえる足音に振り返った時、苦い感情が否応なく蘇ってしまったのだった。



 ◇



「やっと追いつきました。ヒース、『かぎ地図ちず』を渡してくださいませんか?それはこの学園の封印を守るために大切な──」

「そんなことはお前に言われなくても分かってる」


 あんり達が声を辿って着いた所にはやはり、カイとヒースがいた。

 黄色い声が聞こえた割には人だかりも出来ていないし、どうやら騒ぎにはなっていないようだ。

 カイがヒースを捕まえたようだが、そのせいかヒースの声色にはまだ幾分と棘がある。


「この地図は学園を封印している四つの『こころかぎ』の在処ありかを示しているとても貴重な地図だ。おいそれと他人に渡すわけにはいかない」

「他人って……私はともかくこのお二人は『こころ時計とけいに認められた守護騎士ガーディアンです。それを渡さないということは、雪桜ゆめ様の封印が瓦解するのを見過ごすということです。それでも良いというのですか?」


 久遠くおんは必死に訴える。

 「自分はあんなに反対したのにな」というカイを軽く肘で小突きながら、あんりはハラハラと一人と一匹を見つめていた。

 確かにあんり達は初代学園長と比べれば未熟かもしれない。

 それでも今、あんり達が動かなければ本当に未来がなくなってしまうかもしれない。そのためには『かぎ地図ちず』が必要なのだ。


「そうだな、その通りだ。全くもって納得はいかないが、『こころ時計とけい』がお前達を選んだこと……それだけは信じるしかないようだ。雪桜ゆめを選んだように、その時計は選んだんだろう」


 てっきり罵倒が飛んでくると思っていたが、ヒースの言葉は予想していたよりも落ち着いたものだった。

 彼が差し出した『かぎ地図ちず』を受け取るも、久遠くおんは信じられないといった様子で警戒している。


「『こころ時計とけいが起動せざるを得ない事態が起きていて、それにお前らが選ばれた。ならこの『かぎ地図ちず』はお前らが持つべきだ」

「私もその通りだと思いますが……急にどうしたのですか?先ほどと意見が全く逆に聞こえますが」

「別に、大したことじゃない」


 ヒースはそっぽを向く。


「ここで渋り続けたら、雪桜ゆめに顔向けが出来ないと思っただけだ」


 ヒースはそう言うとくるりと後ろを向いてしまった。

 あんりは久遠くおんと顔を見合わせ『かぎ地図ちず』に目を落とす。その地図には変わらず四つのバツ印がついていた。

 あんりは目的を達成したことにたまらず久遠くおんに飛びつきそうになるが──その寸前に空がふっと暗くなった。

 何度も遭遇していると、この現象はシャドーが現れる前兆なのだと分かる。


「もしかして、シャドーがまた現れたの⁉」

「そうみたいですね。お二人、行けますね?」

「はい、任せてくださいっ!」


 あんり達は急いで学園の外に出る。

 少し走ったテニスコートには黒く大きな塊──シャドーが佇んでいた。そして今しがたシャドーに襲われたであろう人がその近くに倒れていた。


「あれがシャドーか……。学園の周りにレギオンの力がうっすらと散らばっている感覚がするが、あの怪物からはそれをうまく感じ取れない。余計な物で蓋をされているような……」

「では、シャドーとレギオンは関係がないのですか?」

「いや、その可能性は限りなく高い。うまく感知は出来ないが……シャドーとかいうヤツにレギオンの力が紛れているような感じがする。それに発生時期からしても無関係とは思えない。だが、とにかくアレを止めることが先決だ!」

「分かったよ!久遠くおんさんはあの人を避難させてあげて下さい、私達はシャドーをなんとかします!」


 冷静な分析をするヒースに、あんりとカイは『こころ時計とけいを構えた。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


 シャドーはあんり達が近寄ると、ぐるんと顔を回してこちらを捉える。

 すると、うねうねとした黒い手がみるみるうちにラケットの形へと変形した。


 シャドーは自身の体をちぎって球状のものを生成すると、それを勢いよく打ち出す。

 それはテニスをしているようにも見えたが、球の速度は拳銃とそう変わりないように思えた。全く、器用なシャドーもいるものだと感心すらしてしまう。


「いたっ!もう、こうなったら~!」


 シャドーに近づこうとするが、打ち出される球が速すぎて全てを回避するのは困難である。腕や顔、足を掠り、じくりとした痛みが広がっていく。

 あんりは辺りに転がっているテニスラケットを掴んで振りかぶってみたが、そのラケットはシャドーの攻撃で無残にも砕け散ってしまった。


「そ、そりゃ駄目ですよね~‼」


 ラケットごときで対抗しようとしたことに怒ったのか、シャドーがあんりに狙いを定めて近づいて来る。その姿はさながら影が迫りくるようで、あんりはたまらず距離を取ろうとした。

 だがシャドーがあんりに触れる前に、ラケットに変形させていた右腕がスパッと切り落とされた。


「蹴りで腕を切るなんて、カイくんやるぅ!」

「雑談は後にしろ。来るぞ!」


 シャドーは息を大きく吸い込むように腹部に当たる部分を膨らませ、特大の黒い塊を吐き出した。

 人どころか学園の一部も潰れてしまいそうな大きさの球があんり達に迫りくる。

 あんりはそれが地面に落ちる前に両足を強く踏み込んで飛び上がった。


「どうしてあなた達が襲ってくるのか、まだ分からないけど‼」


 そして、肘を思いきり引いて黒い球をめがけて振りぬいた。


「私は絶対、皆を守るんだからっ‼」


 振りぬいた拳は球に直撃し大きな音を立てて破裂する。

 着地したあんりはカイに手を差し伸べた。


「カイくん、行こう!」


 二人の胸に装着されていた『こころ時計とけい』から長針と短針が外れ、長針は長い弦に、短針は光を纏った弓にそれぞれ姿を変える。

 それを二人でつがえ、黒い怪物に向かって矢を放った。


光陰こういん穿うがて!arc d`amour!』


 矢が命中したシャドーは仮面を残して消滅する。

 発生した黒い霧は、時計の仮面を残して空へと霧散していった。



 ◇



 なんとか寮の門限までに『かぎ地図ちず』を取り戻すことに成功したあんり達は、後日、久遠くおんとヒースに呼び出されてとある場所へ向かっていた。


「この地図に記されている印は、そのまま鍵の位置になっている。『こころ時計とけい』の封印を補強するために各所に設置されたみたいだな」

「それで、封印が緩くなってる原因を見つけるために確認するってことだよね。もしボロボロになってたらどうしよう……」

「そんなことは……ない、とは言えないが……とにかく!見てからじゃないと判断はできない」


 誰かに見られた時の説明が大変なので、ヒースは久遠くおんの腕の中に納まってもらうことにした。

 本人はそれを不服そうに思っているみたいだが、見た目はうさぎのぬいぐるみなのでなんとも愛らしいことになっている。

 久遠くおん久遠くおんで真剣な表情で抱えているものだから、それも相まって中々シュールなことになっていた。


 ヒースよりも、久遠くおんがこの姿で見られた時にどう返すのか……失礼ながら気になってしまうあんりであった。


「ここですね。言い伝えに寄れば『こころかぎ』は時計の中にあるそうです」


 辿り着いた先には資料室があった。

 長い歴史を持つ学園に相応しく、学園やそれにまつわる資料が大量に保存されているのだ。

 古い紙の匂いがする部屋を歩き、あんり達は壁にかけられている振り子時計の前で立ち止まる。


「時計の中って言うと……開くのはここくらいしか……よっと!」

「おい、あんまり乱暴に扱うなよ」


 ヒースの注意を受けながら振り子部分のガラスの扉を開ける。

 しかしそこには揺れている振り子があるだけで、埃以外は何もない。

 だが、中を隅々まで見てみると……振り子の背面にある板に溝が付いているのを発見した。

 あんりはそれに爪をひっかけ、かこんと外す。


 すると、そこには鍵の形をした凹みがあった。


「これって……」

「確かに鍵はここにあった。でも一体どうして……?」


 全員が目の前の現状に口を噤んでしまう。

 そこにあったであろう鍵が──何故か跡形もなくなっていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る