第4話 守護騎士(ガーディアン)適正試験

 羽が生えたように体が軽い。

 今ならどこにだって飛んでいけそうな気がする。


 そう思いながら、あんりは学園長室に続く廊下を軽やかにスキップしていた。


「静かに歩けば?鬱陶しいから」

「だってカイくんが一緒に守護騎士ガーディアンになってくれるんだもん、嬉し過ぎるよ~!あ、これってもしかしてコンビ名とか決めた方が良い感じ⁉何にする⁉」

「あんたって人の話聞いてないよな……」


 隣を歩くカイの文句なんてどこ吹く風。

 あんりはスキップどころかくるくるとターンまで決めて廊下を進んでいた。


 「先生に見つかって注意されればいいのに」なんて言われてしまったけど、今のあんりは完全無敵モードというやつなのだ。

 運も味方についているみたいで、学園長室に辿り着くまで誰ともすれ違わなかったのがその証だった。


「──というわけで、カイくんが正式に守護騎士ガーディアンとして仲間になりました!これからは二人でこの学園を守っていきたいと思います!」

「仲間とかサムいこと言うな。利害の一致だよ」

「え~そんな寂しいこと言わないでよ~。これから一丸となって頑張っていかなきゃならないんだから、ねっ?」

「その絡み方も鬱陶しい」


 親愛の証として近づくもカイに押しのけられてしまう。

 それでも負けじと顔を押し付けるあんりだったが、二人の力は拮抗していて距離が縮まることはなかった。


「……正式に、ですか」

「はい!なので『こころ時計とけい』もカイくんに預けました。いつシャドーが現れるか分からないので」

「それは……いいえ、そうですね。それが正しい。未だシャドーが発生する原因が判明していない以上、お二人に預けておくことが最善でしょう」


 よく分からない攻防を続けるあんりとカイの前で、久遠くおんは難しい顔で学園長席に座っていた。

 久遠くおんの声は淡々としているようで何か葛藤しているようにも聞こえる。久遠くおんの背後、窓際に置いてあるうさぎのぬいぐるみだけがこの場を和ませてくれていた。


愛宮えのみやあんりさん、早乙女さおとめカイさん。あなた達は『こころ時計とけい』に選ばれた守護騎士ガーディアンです。これからシャドーという未知の脅威から人々を守って下さい。学園を代表してお願いします」


 改めて仰々しく頭を下げる久遠くおん

 和やかな雰囲気で終わるかと思いきや、カイはすぐに首を縦に振ろうとはしなかった。


「即答してるところ悪いけど、俺は危なくなったら辞めるからな」

「えぇっ、どうして⁉仲間になってくれるんでしょ?」

「誰もそんなこと言ってない。あのシャドーっていう怪物が迷惑をだから協力してるだけだよ。手に負えなくなったら俺は降りるからな」


 頬を膨らませてみるがカイの意見は変わらないらしい。

 カイは自分が危険なことに巻き込まれるから、仕方なく守護騎士ガーディアンとなって身にかかる火の粉を振り払っているだけに過ぎない。

 確かに、一緒に戦って欲しいとお願いしてそれを了承しているのだから……何も問題はないのだけれど。


「あなたはやはり自分のためだけに戦っているのですね」


 だが、その答えは久遠くおんの琴線に触れるものだったらしい。


「何か文句でもあんの?」

「文句と言う言葉で纏めないでください。あなたは大勢の人が危険に見舞われているというのに、未だに自分のことしか考えていない。これは文句ではなく、あなたの人となりを指摘しています」

「学園長代理様は生徒の人格も矯正するんだな。そりゃ大層なことで、頭が上がらないよ」


 カイは鼻を鳴らして腕を組む。


「自分が危険になったから助かる手を取った。それの何がおかしい?人間、まずは自分のことだろ。それともあんたは自分のよりも他人を優先するのか?絶対に?」

「私はいつも学園のために動いています。だからこうしてあなた達に頼んでいるのでしょう」

「その俺達もだろ」


 ぴしゃりと言い放ったカイの言葉に久遠くおんは何も言えずに口をつぐむ。


「結局あんたは危険なことに関わらせる駒を見つけて、それ以外を助けようとしてるだけだ。そんなに皆を守りたいなら自分がやればいいのに、俺達に押し付けてるだけだろ」

「……『こころ時計とけい』はあなた達を選びました。私では時計が反応しないのです。私だって、あなた達に押し付けたくてお願いをしているわけではありません」


 震える声で答える久遠くおんは一つ深呼吸をする。

 それは怒りか、それとも──


 息を整え、彼女は落ち着いた様子で切り替える。


「あなたの主張は概ね把握しました。協力していただけるのならそれで構いません。……それともう一つ、あなた達に伝えなければならないことがあります」


 そう言うと久遠くおんはどこからか紙を取り出した。

 その紙はアニメでよく見る宝の地図のようで、髪自体は古ぼけてボロボロになっていた。

 ただ、その紙に書かれている地図がどこを指しているのか、あんりにはすぐに分かってしまった。


「これって……この学園の地図ですか?」

「ええ。一目見ただけで良く分かりましたね」

「えへへ……色々ありまして」


 カイを説得する際、彼女を探すために学園中を駆けずり回ったことを思い出す。

 そのお蔭で、初日は迷子になってしまった学園をほとんど把握することが出来たのだった。不幸中の幸い、と言うべきか。

 今思えばあんなこともあったなと笑えるけれど、あの時は本当に大変だった。


「これは私の家系に代々伝わる『かぎ地図ちず』です。レギオンはあなた達が持つ『こころ時計とけい』で封印されていたと言いましたが、この地図に記されているはずだった『こころかぎ』もレギオンの封印に関わっているのです」


 久遠くおんは『かぎ地図ちず』を指差して話し出す。


「レギオンを『こころ時計とけい』で封じ、時計塔を中心に置いてそれを囲むように四つの鍵を配置した。それでレギオンを完全に封印したのです。ですが『こころ時計とけい』は経年の劣化によって壊れてしまいました」


 あんりは時計塔の中で見たあの光景を思い出す。

 『こころ時計とけい』が落下した直後、時計塔が激しく揺れ、シャドーが出現した時のことを。

 隣で涼しい顔をしているカイも、あの時に思いをせているのだろう。


「シャドーの出現がそれとほぼ同時であったことと『こころ時計とけい』が反応したことから、レギオンの封印になんらかの不具合が起きていると私は考えています。ですので、あなた達にはシャドーの撃退ともう一つ『こころかぎ』を探して欲しいのです」

「鍵……ですか?でも、封印してあるならわざわざ探さなくてもいいんじゃないんですか?」

「いえ、封印に不具合が生じているかもしれない以上『こころかぎ』が今どうなっているか確認する必要があります。『こころ時計とけい』が破損していたのなら、同じような状態である可能性が高い。まずは封印がどういう状況になっているのか調べないといけませんから」


 すると、長らく黙っていたカイが『かぎ地図ちず』を指さした。


「で、肝心の場所はどこなんだよ」

「……そう、重要なのはそこなのです。この『かぎ地図ちず』には肝心の場所が示されていない。元々はその在処ありかをしめしているはずなのですが……」

「安心して下さい、生徒会長。私とカイくんが力を合わせれば百人力!必ず鍵を見つけ出して見せますよ!」

「おい、俺はやるなんて言ってない──」

「──いいえ、まだあなた達に『かぎ地図ちず』を渡すわけにはいきません!」


 机をバンと叩いて久遠くおんは立ち上がる。

 小言を言おうとしたであろうカイも思わず言葉を飲み込んだ。


「特に早乙女さおとめカイさん!あなたです!返事をしなさい!」

「はぁ……」

「あなたの言うことは正しい。ですがそれだけでは守護騎士ガーディアンとして認められません!守護騎士ガーディアンとは慈愛の心を持った心優しい人が相応しい。ですから、私が認めない限りこの地図は渡しません!」

「え、えと……それってどうやって……?」


 いつでも冷静な久遠くおんが突然我を忘れたかのように声を荒げている。それにあんりは戸惑い、カイは呆気に取られていた。

 ボルテージが上がっていく久遠くおんに対し、あんりとカイの戸惑いは大きくなっていく。

 久遠くおんはツカツカを詰め寄り、カイの胸元をビッと指さした。


「私の試験を合格したら、あなたを守護騎士ガーディアンとして認めましょう!」


 声高らかにそう宣言する久遠くおん

 カイが守護騎士ガーディアンとして正式に加入したと思ったのも束の間、またしても難関が立ちはだかったのであった。




 ◇



「──では、本日はここまでとしましょう。皆さん、入学して日が経っていますが、気を引き締めて日々を過ごすように。以上」


 時計塔から重く響く音が鳴り、先生が授業終了の号令をかける。


 窓から見える時計塔は普段通りの時間を示していた。何事もない時計塔を見ていると入寮式の日のことが嘘のように思える。

 時計塔は壊れたと思っていたのだけれど、時計としての機能は何も問題ないようだった。そう、シャドーが現れたこと以外は。


「お疲れ様、愛宮えのみやさん」

瞬月しづきくんもお疲れ様!やっとお昼休みだねぇ」


 近くに座っていた瞬月しづきが、授業が終わったタイミングで声をかけてきた。


「えへへ、お友達が一緒だと授業も安心だね!違う寮の人と受けるって変な感じだけど、いっぱいお友達作れると思ったら楽しいな~!」

「確かに新鮮な感じだよね。普段僕らは寮生としか顔を合わせないからね」


 あんり達寮生はアリビオ寮1年A組など、所属するクラスがある。

 だが、他の寮生との交流を目的として、基礎的な授業は合同で受けることになっているのだ。寮同士で隔たりが生まれることを防止するためだとか。


 あんりが所属しているアリビオ寮は一般試験を通過しただけの、いわゆる一般枠の生徒だ。

 しかし、ここ聖エクセルシオール学園は専門性に突出した学業を売りにしている。その専門性で寮を分けているくらいだから、この学園の本気が伺えるというものだ。


 芸術のシンティランテ寮、スポーツのフェルヴォーレ寮、学問のヴァイスハイト寮。

 一年生のうちは必修科目を他の寮生と受けるけれど、学年が上がるごとにその科目はより専門性を増していく。

 今はこうして他の寮生と関わることも多いが、学年が上がってしまえば二度と会わなくなる生徒だっているだろう。


「まあ、あんまり違う寮の人と仲良くするのも良くないって言われてるんだけどね」

「そうなの?どうして?」

「みんな知らないものには警戒するって話だよ。寮生の間に差なんていらないと僕は思うんだけど」

「ふーん?よく分かんないけど、みんなで仲良くすればいいと思うけどなぁ」

「はは、それは素敵だね。みんなで仲良くなれたら、そりゃいいと思うけれど……僕の寮は特にピリピリした雰囲気なんだよね。遊んでる暇なんかないって感じでさ」


 瞬月しづきが所属するのは芸術に特化したシンティランテ寮だ。

 芸術の分野でで羽ばたきたい人がどれだけの努力をしているのか、あんりにはよく分からない。

 あんりが生きてきた時間を、彼らは自分の腕を磨くためだけに使ってきたのだろう。その努力は一朝一夕で見に付くものではない。


 この学園は多くの著名人を輩出している名門校だ。

 だがそれは逆に言えば、名をあげるためにはこの学園での生活を全てを捧げなければならないということだ。

 それほどの覚悟を持ってこの学園に足を踏み入れている生徒は、一分一秒も無駄には出来ないだろう。


「いいなぁ……」


 ぽつりと呟いた声は教室のざわめきに吸い込まれて消えていく。

 唯一、傍にいた瞬月しづきだけが首を捻った。


「ん、何か言った?」

「ううん、お腹空いたな~って!そろそろ食堂に行かないと、日替わり定食がなくなっちゃう。大盛にしてもらうんだぁ」

「お、大盛……⁉愛宮えのみやさんって小柄な割にすごく食べるよね……」


 がたんと立ち上がったあんりと同時に教室のドアが開く。

 それ自体は何も気になることではなかったのだけれど、入ってきた人物を見て教室にどよめきが広がった。


「せ、生徒会長⁉どうしてここに……⁉」

「さあ……誰かに用があるのかな。僕なんかは話したこともないけれど……」


 生徒会長は、先生を除けばこの学園の頂点に君臨する存在だ。それに久遠くおんは現在学園長代理も務めているので、実施的にこの学園を掌握しているといっても過言ではない。

 なんにせよ、本来ならば入学したばかりの一年生がお近づきになれるような人ではない。

 そのせいもあってか、瞬月しづきは物珍しそうに生徒会長を見つめていた。


「皆様初めまして……ではありませんが、自己紹介をさせて頂きます。私は聖エクセルシオール学園生徒会会長、玉響たまゆら久遠くおんと申します。この度はご入学おめでとうございます」

玉響たまゆら……」


 瞬月しづきがふと呟く。

 あんりは浮かんだであろう瞬月しづきの疑問を解決してあげようとこっそり耳打ちをした。


「学園長の娘さんなんだって。だから学園長と名字が一緒なの」

「確か入寮式で言ってたよね。だから学園長代理をしてるんだ」

「なーんだ言ってたのかぁ。そういえば私遅刻しちゃったからなぁ……」

「あれ、じゃあむしろ何で知ってるの……?」

「あーえっとそれはねぇ……って、それよりほら話聞こうよ!」


 まさか守護騎士ガーディアンとして選ばれたから既に知り合っていて、個人的に教えてもらえた、なんて言えるはずもなく……あんりは慌てて誤魔化した。


「授業が始まって日が経ちました。ですが、この時期は気が緩んでしまう生徒が出てしまうことが多いのです。なので……抜き打ちで制服、持ち物点検を行わせて頂きます」


 えぇー!と生徒達は不満を漏らす。

 だが久遠くおんの表情は能面のようにぴくりとも動かなかった。


「普段から気を付けていれば慌てることはありません。とにかく、アリビオ寮生以外は速やかに自分の教室に戻りなさい。この昼休み中はアリビオ寮生の一部だけ行います。他の寮は……告知なしで行いますので、気を引き締めておくように」


 あんりと瞬月しづきは顔を見合わせる。

 彼は申し訳なさそうに眉を下げて教科書を持った。


「えっと……頑張ってね……?」

「うん!なんだかよく分かんないけど頑張るよ!」

愛宮えのみやさん、鞄を持って速やかに並びなさい。あなたは今の時間で検査します」

「は、はぁい!」


 久遠くおんに名指しされ、あんりは鞄を持っていそいそと列に並ぶ。

 集まったアリビオ生は不満げな顔をしていたが、生徒会長直々の検査ともなれば文句の一つも言えやしない。

 皆一様にしぶしぶ列に並んでいた。


「それでは次、愛宮えのみやあんりさん。……制服の着こなしは申し分ありませんね。次に持ち物検査です。鞄をこちらに」

「何も変なものは持ってきてないと思うんですけど……って、生徒会長?どうかしましたか?」

「この……ぬいぐるみは何ですか?授業には不要かと思いますが」


 あんりの鞄を開いた久遠くおんは口の端をひきつらせる。

 あんりもつられて鞄の中を覗いてみると、そこにはぎゅうぎゅう詰めになったぬいぐるみ達がいた。


「そういえば今朝、やけに鞄に教科書が入りにくいと思ったんですよね。なーんだ、ぬいぐるみが入ってたからか~。寝ぼけて準備したから間違えちゃったのかなぁ」

「授業の準備は前日のうちにしておくのが基本です。それに朝早く起きていれば防げたはずですよ。このぬいぐるみは放課後まで没収させていただきます」

「えぇーっ!生徒会長だって、お気に入りのぬいぐるみとか絵本持ち込んでるじゃないで」

愛宮えのみやさんっっ」


 生徒会長がものすごい勢いで手を伸ばし口を塞いできた。

 それはもう、あんりの首が取れんばかりの勢いであった。


 微かに頬を染めた久遠くおんに睨まれ、あんりは素直に口にチャックをした。

 絵本は守護騎士ガーディアンの説明に必要なものだろうし、ぬいぐるみは……まあ、学園長室だしいいのかもしれない。

 これ以上突っ込むと藪蛇が出てきそうなので、あんりはぬいぐるみを生贄に列から外れることにした。


「それでは次ですが……早乙女さおとめさん、あなたの鞄には……なぜ教科書うやノートが何も入っていないのですか?」

「必要ないものは持ってこないんだろ。その通りにしてるだけだけど」

「教科書やノートは必要なものでしょう⁉」


 検査が終わった人から昼食を取ってもいいとのことだったが、カイがとんでもないお叱りを受けているのを聞き、ついつい立ち止まってしまった。


「あ、あなた……まさか今までこれだけで授業を受けていたのですか⁉あり得ない、正気の沙汰ではありません!」


 久遠くおんが口に両手を当て信じられないと絶句する。

 それもそのはず、カイの鞄から取り出されたのは携帯栄養食とスマートフォン、それに最低限の筆記用具だけ。むしろ鞄など要らないくらいの身軽さだ。

 ぬいぐるみを入れていたあんりが言うことではないけれど、カイもなかなか珍妙なことをしている。


「教科書を持ってこいなんて校則に書いてない。何も悪いことなんてしてないけど?」

「た、確かに書いてはいませんけれど……普通、常識で考えて教科書は持ってくるものでしょう!こんな状態で授業を受けるなんて……」


 授業に教科書を持参しない生徒もそういないだろう。だからわざわざ校則にそんなことは書かないのだと思う。

 校則の隙を突いてまで教科書を持ってこないなんて、よほど鞄を軽くしたいのか、それとも授業を真面目に受ける気がないのか。恐らくは後者だと思うが。


「別に、教科書なんかなくても問題ない。授業が理解出来れば持ってくる必要なんてないだろ」

早乙女さおとめさんは一年生の中でも随一の学力と伺いました。だからこそ、そんな芸当が出来るのでしょうね……」


 久遠くおんはカイの言い分にぐっと唇を噛み、ため息とともにそれを噛み砕いた。

 カイの話は一見屁理屈のように聞こえるが、意外と筋は通っている。

 久遠くおんは反論する材料がなかったようで素直に引き下がった。


「いいでしょう。これからも精進するように心がけてください。それでは次──」


 解放されたカイは鞄を肩にかけて列から離れていく。

 声をかけようと思ったが、すぐに生徒の群れに紛れて消えてしまった。


「……そういえば、生徒会長の試験って何なんだろう?」


 一通り検査を終えた久遠くおんが教室を出ていく。

 その後ろ姿を見て、先日学園長室で言われた言葉を思い出した。いつなったら説明してくれるのだろうか。


 ──しかし久、遠の言う試験が何なのか、あんりはすぐに思い知ることになるのであった。



 ◇



 昼休みを終えてあんりは再び授業を受けていた。


 しかし昼休みからカイの席はもぬけの殻。

 といっても、カイの席に本人が座っていることは稀で、つまり彼女はほとんど授業を受けていないのだった。

 授業を理解出来れば教科書なんて必要ないと言っていたが、カイは授業そのものすら受けていない。

 矛盾を感じてしまうけれど、カイの成績はそれでも久遠くおんが押し黙るくらいには良いらしい。だからこそ久遠くおんも何も言えなくなってしまったのだけれど。


 とにかく、カイは教科書や授業がなくとも勉強には困らないらしかった。

 だがいくら成績が良くても学園生活はそれだけでは済まされない。授業態度が悪ければ内申点は下がってしまうだろうし、先生からの評価も得られない。

 けれど、カイはそんなことなど何も気にしていないだろう。本人が言わずとも、なんとなく分かってしまうのだった。


 けれど、参観日のごとく後ろに立っている久遠くおんがそれを許すはずもない。


(生徒会長、何してるんだろ……?自分の授業は大丈夫なのかなぁ……)


 突然生徒会長が自分の授業を見ているのだから、生徒はおろか先生さえもどこか緊張してるようだった。

 授業を見ながら何かを書き留めている久遠くおん。そして授業が終わる前に、彼女はそそくさと出て行ってしまった。


 一体何をしに来たのだろう。

 だが、放課後、久遠くおんに呼び出されたあんりはその答えを聞くことができた。


早乙女さおとめさん、あなたの守護騎士ガーディアン適正試験の結果ですが……残念ながら不合格です。再試験を行わせていただきます」


 放課後、学園長室。

 あんりとカイはいつもの如く久遠くおんの前で姿勢正しく立たされていた。いや、カイは体重を片足に預けているので全然礼儀正しくはないのだけれど。


「はあ、どうでもいいけど……」

「服装に荷物、それ授業態度、先生への言葉遣い……何を取っても合格点に届いていません。不合格かもしれないとは思っていましたけど、まさかここまでとは……」


 久遠くおんは頭を抱える。

 守護騎士ガーディアンになるための試験とは普段の行いのことで、なんと久遠くおん自身が採点をしていたらしい。


 突然始まった持ち物検査も、その後の授業で参観日のように後ろで監視していたのも、またあいさつ強化として廊下で仁王立ちをしていたのも──全ては試験だったということだ。

 やけに久遠くおんと鉢合わせると思っていたが、まさか一日中見られていたとは。

 そして試験中のカイはというと、持ち物検査はもちろん、授業をサボっていたり先生へ敬語を使っていなかったり……とにかく久遠くおんのお気に召さない結果だった。


愛宮えのみやさんは持ち物検査に引っかかってしまいましたが、その他は目立った素行は見られませんでした。あなたは合格といって差し支えありません。早乙女さおとめさんは──」

「ていうかさ、あんたの許可なんて要らないだろ」


 久遠くおんの話を遮り、カイが気だるげな声を出す。


「地図だっけ。渡すならさっさとすれば」

「……あなたの、そういう態度が問題だと言っているのです。守護騎士ガーディアンは民を守る心優しき騎士。それが、どうしてこんな……あなたのような人に……」

「面倒臭いな。ハッキリ言えよ、俺が気に食わないんだろ?相応しくないんじゃなくて、俺を気に入らないって」


 久遠くおんは言い返そうとしたが、カイの強い語気に遮られてしまう。


「俺のことを自分勝手だとか言ってるけど、あんただって大概だろ。俺が気に食わないのはあんたの勝手。守護騎士ガーディアンとして相応しいも相応しくないとかは別問題なのに、あんたの都合ばっかり押し付けてる」


 カイの言葉には誰かを傷つけまいと包む優しさはない。

 だがそれ故に、優しさで真実が見えなくなることもない。


 カイは守護騎士ガーディアンになることを拒絶していたけれど、いつも本音を言ってくれていた。

 真偽だけを問うのであれば、カイの言葉は誰よりも信じることが出来る。本心を建前で隠すようなことはしないと。


「俺は、俺が生きるために協力する。心底面倒臭いし仲間になったつもりもないけど……『時計』は持っていてやるよ。でも、あんたみたいに主語がデカいやつの言うことは信じられないね」


 久遠くおんは静かに席を立って窓際で立ち止まった。

 そこには大きな出窓と、日向に照らされている可愛らしいうさぎのぬいぐるみが置いてある。

 そのぬいぐるみが持っている時計をそっと撫でると、久遠くおんはゆっくりと口を開いた。



 ◇



 私の遠い遠いご先祖様は世界を救ったヒーローでした。


 なんて言うと誰も笑って話を聞いてくれません。

 もちろんご先祖様を見たことはないけれど、それでもいなくなってしまったお母様が聞かせてくれたご先祖様のお話は、私の胸に深く刻まれているのです。


 遥か昔、世界の時間を司る時計がありました。

 その時計は私達が未来に進むために必要な力を蓄えていて、それがなくては未来に向かって歩くことが出来ませんでした。

 人々はそれを神のように信仰していたのです。


 しかし、その時計に悪さをする人が現れました。

 それが『レギオン』です。


 「未来になどなにもない、過去に戻すべきだ」と、全ての時間を過去に戻そうとしたそうです。

 時間を戻す、なんて滅茶苦茶な力に誰も成す術はありませんでした。


 ──そう、私のご先祖様以外には。


 ご先祖様は強い意思と優しい心の持ち主でした。それが認められ、守護騎士ガーディアンとして覚醒したのです。

 どうして守護騎士ガーディアンなどというものが生まれたのか、それは誰にも分かりませんでした。


 神が与えた奇跡、世界が望んだ守護者、星の抑止力。

 そう崇められた先代の守護騎士ガーディアン玉響たまゆら雪桜ゆめ様はレギオンを時計塔に封印することに成功したのです。

 絵本では時計塔だけを封印し、レギオンとは和解したとされていますが、あれは子供向けのフィクションのお話。

 実際は、分かり合えない敵とは決別するほかありませんでした。


 レギオンを封印したあと、ご先祖様はその時計塔を中心に四つの『こころかぎ』と『こころ時計とけい』使って学園を創り上げました。それがこの聖エクセルシオール学園です。

 世界の時間を統べる時計はレギオンを封印するために力を使うようになり、人々は自分の力で前を向き、未来へ進むようになったのです。


「私は、ご先祖様……初代学園長、玉響たまゆら雪桜ゆめの子孫です。守護騎士ガーディアンとして世界を救った英雄の末裔。その私が学園長代理を務める代でレギオンに関係する怪物が現れた」


 私は窓際に置いていた手をぎゅっと握りしめます。

 掌に爪の跡が付きそうになるほど、強く、きつく。


「でも、私は守護騎士ガーディアンに選ばれなかった」


 その事実を口にするのは、自分で自分の首を絞めたかのように苦しく、ひどく不格好で情けないものでした。

 でも事実であるからこそ、逃れることが出来ませんでした。


「私は由緒正しき継承者のはずなのに、あの場所にいたのに。でも『こころ時計とけい』はあなた達を選びました。私は、私には、学園を守るべき使命があるのに……!」


 選ばれると思っていたおごりと選ばれなかった悔しさ、使命を全うしないことへの苛立ち。

 そのどれもがぐちゃぐちゃに混ざり合って自分の気持ちが自分でも見えなくなっていることに、本当は気付いていました。

 ただそれを認めるのは、自分の嫌な部分を直視することと同義でした。


 お母様から守護騎士ガーディアンの話を聞いた時、私はどういう気持ちで耳を傾けていたのでしょう。

 歳月を経て、私はあの頃の気持ちを忘れてしまったのでしょうか。


「……でも、こんなことを考えている時点で私は大事なことを忘れていた。愛宮えのみやさん、あなたに言ったことを覚えていますか?」


 学園の生徒達が巻き込まれているのに『いつか』に賭けている時間はない。

 私は早乙女さおとめさんを仲間にしようとしている愛宮えのみやさんに、そう釘を差したのです。

 それは本心だったのに、私は今あの時の彼女と同じことをしていたのです。

 早くシャドーを鎮めないといけない。でも早乙女さおとめさんを認められないからと、私の都合で彼女達を振り回していたのですから。


「私は、ご先祖様のように守護騎士ガーディアン)になりたかった」


 それが私に課せられた使命だと信じていました。

 本当に守護騎士ガーディアンになる機会が来るとは思っていなかったけれど、万が一そんなことがあれば、絶対に私が選ばれるのだと。


「でも『こころ時計とけい』は全然関係のないあなた達を選んだ。私が認める必要なんてなかったのです。あなた達は既に認められていたのですから」


 私が裁定する必要なんて、本当は最初から無かった。

 この場において無関係なのは──むしろ私。


 でも、そんな醜い本心を受けれ入れも尚、私の心に残ったのは。


「私は、選ばれなくても、守護騎士ガーディアンになれなくても……ご先祖様が守ってくれた世界を守りたい。これが私の、嘘偽りない意思です」


 お母様に守護騎士ガーディアンの話を聞いた時、私はご先祖様のことを心の底から尊敬しました。

 そして、幼心にひとつ、決意をしたのです。

 もしもまた世界が危機に瀕した時は、ご先祖様が守ってくれた世界を、今度は私が守りたいと。


 守護騎士ガーディアンは確かに世界を守るでしょう。


 でも、戦う術を持たなくても。

 ただ世界を守り、未来に繋げたいと心から願ったのでした。



 ◇



「あっそ。ま、さっきのよりはマシなんじゃね」


 カイはそう言って踵を返した。


 憑き物が落ちたような久遠くおんがその背中を見送ると、窓から差し込んでいた光がふっと暗くなる。それと同時に背筋に虫が這ったかのような寒気が襲った。

 何度か経験した嫌な感覚に、あんりとカイは強張った表情で顔を見合わせた。


 学園長室の窓から外を覗くと、学園から少し離れた雑木林の中にシャドーを見つけた。

 影が山のようにせりあがり、時計を貼り付けているれそはゆっくりとどこかに向かっているところであった。


 あんりとカイは急いで学園を出て雑木林の中へと向かう。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


 どこかに向かおうとしていたシャドーは、あんりとカイが到着するやいなや、時計が付いた面をぐるりとこちらに向ける。

 それはまるでホラーのようであんりは少し腰が引けてしまった。だが首を振ってなんとか恐怖を振り払う。


 シャドーはその大きさからは考えられない速度であんり達に襲い掛かってきた。


 四つん這いで迫りくるシャドーをあんりとカイは左右に飛んで避ける。

 そして避けた先の木に横向きに着地し、そのまま木を蹴ってシャドーに突進した。左右からの強烈な蹴りにひとたまりもないだろう。

 だが、シャドーは体の形を変えてあんりの攻撃を上手く避ける。


 つまり、二人の攻撃はそれぞれに直撃するわけで。


「えっ嘘ってきゃあああっ!」

「クソッ、何してんだよ!」

「避けるなんて思わなかったんだもんっ。それを言うならカイくんだって避けられなかったでしょ!」

「いいからさっさと構えろ!」

「あーっ、話逸らした!」


 どうやらシャドーによって個体差があるらしく、このシャドーはかなり俊敏らしい。今までのシャドーが鈍かったから油断していた。


 二人がもみくちゃになって言い合いをしているうちに、シャドーが黒い両腕で周りの木を掴んでいた。

 根っこから引っ張り出した大木をこちらに向かって投げつける。大木はいとも簡単に宙を舞い、二人の頭上に落下してきた。


「木がいっぱいで戦いにくいけど……よし、こうなったら!」


 飛ばされた木を避け、あんりは狭い林道を走り回ってシャドーの攻撃を躱す。

 痺れを切らしたあんりはひとつの木の下でしゃがみ……そしてシャドーと同じようにむんずと掴むと、指に力を込めて木を引っこ抜いた。


「これで……どうだあああっ!」


 シャドーはまさかあんりが木を投げるとは思っていなかったのか、飛ばした木に押し潰されてしまう。

 だがまだ消滅には至っていない。

 木から這いだしたシャドーは呻き声を出してこちらを威圧していた。


「よし、カイくん!行くよー!」


 二人の胸に装着されていた『こころ時計とけい』から長針と短針が外れ、長針は長い弦に、短針は光を纏った弓にそれぞれ姿を変える。

 それを二人でつがえ、黒い怪物に向かって矢を放った。


光陰こういん穿うがて!arc d`amour!』



 ──しかし、その技が届く前に……

 シャドーは跡形もなく消えてしまった。



「……あれ?今、当たった……のかな?」

「そうだろ。消えたんだから」

「う~ん、そうだよねぇ……」


 あんりとカイは手応えのない感覚に襲われるが、シャドーは消滅している。

 これまでもあの技を受けて消滅していたのだから、きっと今回もちゃんと当たったのだろうとあんりは自分を納得させた。


 二人はその場を後にする。

 シャドーが消え去った場所に黒いもやだけが漂っていた。



 ◇



「先ほどは失礼しました。あなたにとやかく言う前に、自分の未熟さをかえりみるべきでした。今までの無礼を承知でお願いします、これからもシャドーと共に戦って下さい」


 再び学園長室に戻った二人を前に、久遠くおんが深々と頭を下げる。

 あんりはそんな久遠くおんを慌てて制した。


「そんな、今までとやることは変わりませんから。顔を上げてください!」

「ま、適当にやるよ」

「も~カイくんったら……!」

「……私も、それくらいの気持ちでいた方がいいのかもしれませんね」


 カイの軽口に久遠くおんがくすりと笑う。

 鉄仮面のような彼女が笑ったのは初めてで、あんりもつられて笑みがこぼれてしまった。


「これから一緒にシャドーと戦っていくのですし……『かぎ地図ちず』はあなた達にお渡しします」

「ありがとうございます、生徒会長!」

「これで私の役目は終わりました、が……それで……ええと……」


 久遠くおんにしては珍しく歯切れが悪く、視線を泳がせてそわそわとしている。

 どうしたんだろう、とあんりは疑問符を頭の上に掲げた。


「……生徒会長、という呼び名も堅苦しいでしょう。ですからその……これからは名前で呼んでくださっても構いません。もちろんあなた達がよければ、ですけれど」


 久遠くおんは顔を赤らめ、精一杯の勇気を絞り出す。

 あんりは握りしめられた久遠くおんの手をぎゅっと包み込んだ。


「はいっ、久遠くおんさん!」

「……」

「な、なんですか、あなたが自分のしたいことをちゃんと言えと言ったのでしょう!何か文句でもあるのですか⁉」

「いや?別にないけど」


 鼻を鳴らすカイに噛みつく久遠くおん。あんりはそれをまあまあとたしなめる。

 久遠くおんはわざとらしくコホンと咳払いをし『かぎ地図ちず』をずいっとあんりの目の前に差し出した。


「こちらが『かぎ地図ちず』です。どうぞお受け取り下さい」

「はい、ありが──」


 とうございます、と言いかけたところであんりは口を噤む。

 なぜなら、あんりが『かぎ地図ちず』を受け取った瞬間、それから凄まじい光が放たれたからだった。

 その光は学園長室を包み込み、部屋を真っ白に塗り潰した。


「な……なんですか、この光は……!」

「分かんないけど、これ……見てください生徒会ちょ、いや久遠くおんさん!」


 光が収まってちかちかと眩む視界の中、あんりは久遠くおんから手渡された『かぎ地図ちず』を二人に見せる。

 学園の地図が描かれたそれには、今ままでになかった『四か所のバツ印』が書き込まれていた。

 何が起こったのかは分からないけれど『かぎ地図ちず』に記されたのがの印ということは、考えうることはひとつだけ。


「もしかして、これが『こころかぎ』の在処ありか……ということでしょうか。良かった、これで鍵の様子を見ることが──」

「その必要はない」


 安堵する久遠くおんを遮り、突然小さな子供のような愛らしい声が飛んでくる。

 誰か生徒が侵入してきたのかと思ったが、扉が開けられた形跡はない。

 それにこの声は窓を背にしている久遠くおんから聞こえてきた。


「あの封印は雪桜ゆめが施した完璧な封印だ、お前達が触る必要はない!」


 怒りが混じったその声は──

 窓辺に飾られていたうさぎのぬいぐるみから発せられているものだった。

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