第10話 愛しきあの日々よ

 陶器で出来た人形のことを『ビスク・ドール』というらしい。


 ヒースが守護騎士ガーディアンの力を浴びて意思を得たように、あの二体の人形はレギオンの力で自由を手に入れたと言っていた。


 つまり、レギオンはおとぎ話ではなく本当に存在しているということだ。

 今まで信じていないわけではなかったけれど、いまいち実感が沸いていなかったのが本音だった。


 レギオンは復活に向けて着々と力を溜めている。

 それは嬉しくない事実だが、あんり達の目的が明確になったとも言えるだろう。


 今まではただシャドーを倒しているだけだったけれど、レギオンの復活を阻止するという目的が加わった。

 やっていることは変わりないとしても、なんのために戦っているのかを自覚しなければ、ただ力を振りかざしてるだけに過ぎない。


「いい調子ですわ愛宮えのみやさん、そのままインコースを攻めて下さいまし!」

「嘘、この人本当にアリビオ寮なの……⁉速すぎる!」


 かくして、レギオンの復活を阻止するという目標が出来たあんりは現在、学園のグラウンドを駆け抜け──次の走者にバトンを手渡した。

 近くで見ていた比奈ひなが駆け寄ってくる。


愛宮えのみやさん、素晴らしいですわ!愛宮えのみやさんが出場すれば赤組の優勝は決まったも同然ですわね!」

「えへへ、そうかなぁ。体を動かすことは昔から得意だったんだ」

愛宮えのみやさんの走っている姿、まるでオリンピックを見ているように手に汗握りましたわ……迫り来る生徒をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、最後には堂々の一位!ゴールテープは愛宮えのみやさんのために用意されたと言っても過言ではありませんわね……」

「残念だけどアンカーは三年生の先輩なんだ~。私もゴールテープ切ってみたかったけどねぇ」


 ちぎっては投げというフレーズが気になったが、これも地球には存在しない言葉というやつなのだろう。

 比奈ひなは難しい言い回しをよくするのだけれど、どれも教科書には載っていない言葉なのだ。


 今は体育祭の練習の真っただ中。


 体育祭の組み分けは寮どころか学年も問わない縦割りで決まり、普段関わらない人と競技を共にしている。

 あんりにしてみればむしろ友人が増えるから喜ばしいくらいなのだが、他の寮生と関わりたくない人がいるのも事実だ。

 そんな人達も、苦楽を共にすることで絆を深めて欲しいものだが。


「ていうか比奈ひなちゃんは白組じゃなかったっけ?」

「それはそうなのですけれど……愛宮えのみやさんの勇姿を一目見たいと思って練習を抜け出してしまいました。いわゆる、本番もいいけどリハーサルも見てみたいという心境ですわ。ですが推しに迷惑をかけてまで見学をするのは無粋というもの……!わたくし、練習に戻りますわ!」

「うん?気をつけてね!」


 比奈ひなはハッとして後ずさり、バタバタと走り去って行ってしまった。

 彼女の言っていることはいつも半分くらい分からないのだけれど、練習するあんりに気を使ってくれたことだけは汲み取れた。


 比奈ひなが去ったあと、あんりは次の練習が始まる前に水分補給をしようと水飲み場に向かう。

 そこにはちょうど休憩している瞬月しづきがいた。


「やっほー瞬月しづきくん!今日は暑いねぇ」

「やあ、愛宮えのみやさんの方はリレーの練習は終わったの?」

「ううん、またこれからするよ!瞬月しづきくんは何に出るんだっけ?」

「僕は借り物競争だよ。この学園ってこういうお遊びみたいな競技は入れないと思ってたけど……案外ユニークな競技もあるんだね、意外だったな」


 聖エクセルシオール学園は四つの特色に別れて寮が振り分けられており、その中でもスポーツに特化したフェルヴォーレという寮がある。

 その特徴から体育祭は彼らの独壇場になりかねないため、それを見越して学園側は体育祭を縦割り班、そして混合寮、そして運任せになる種目も取り入れたのだろう。


 上級生、そして他寮と同じ組なんて練習しずらいことこの上ないだろうが、パワーバランスを考えると正しい選択ともいえる。


「借り物競争もいいな~っ!私も来年は出ようかなぁ。でも球技もいいし、またリレーもやりたいんだよねぇ」

愛宮えのみやさんは運動神経がいいから引っ張りだこじゃない。僕なんて自分の好きなことしかしてこなかったからさ、こういう種目しかあてがわれなかったよ。まぁリレーに出されても困ってたから良いんだけれどね」


 瞬月しづきは軽く足を回し、体の調子を確かめる。


「それにしても、こんなに体を動かすのなんていつぶりかな。ここ最近はずっと籠ってばかりだったから清々しい気持ちだよ。僕も借り物競争なんて言わずに短距離走くらい出たら良かったかな?」

「じゃあ来年は一緒に出よっか?でも、来年も一緒の組になるとは限らないもんね……」

「ははは、冗談だよ。言ってみただけ。僕、愛宮えのみやさんより体力も筋力もないと思うし、来年のことなんて今考えても意味がないしね」


 瞬月しづきの所属するシンティランテ寮は芸術に特化した寮だ。

 彼に限らず、この寮に所属している生徒は手や足を怪我することを最も恐れている。だから体育祭にも乗り気ではない生徒の方が多い。

 だが瞬月しづきは意外にも前向きに練習に取り組んでいるようだ。


「おーい愛宮えのみや早乙女さおとめを見なかったか?どうやら練習に参加してないみたいなんだが……」

「カイくんですか?カイくんとは別の組だから、どこにいるかまでは分からないなぁ」


 グラウンドに戻ったあんりと瞬月しづきは後ろからヒースに声をかけられる。

 生徒が怪我をしないように見回っていたところ、カイがいないと相談をされたのだとか。

 カイは白組だから別々に行動していたけれど、団体行動が苦手な彼女だ。きっと校内のどこかで休んでいるに違いない。


「じゃあ僕がグラウンドを探してきます。先生はここにいてください」

「それは助かるが、確かお前は赤組だったような……ってもう行ったのか。早いな……」


 瞬月しづきが気を利かせてその場を離れ、カイを探しに行く。

 ヒースは心底疲れた様子でため息をついていた。


「ヒースも大変だね、行事になると先生は忙しいでしょ?」

「ああ、授業以外にもやることが山積みだ。それにしてもカイのやつ、思った以上に協調性がないやつだな。巡回しているこっちのも身にもなってほしいものだが」

「まぁカイくんだからねぇ」

「あんり、同室なんだからちゃんと手綱を握っておけよ」

「えぇ、いくらなんでもカイくんをずっと見てるなんて無理だよ~」

「確かにそうだが……とりあえず本部に行ってくる。あそこに行けば誰かしらいるだろうからな、話を聞いてみるか」


 そう言ってヒースは本部のテントに向かって行った。


 いくら同室といってもカイを四六時中見張っていることは出来ないし、カイもそんなことは望まないだろう。

 それにあのカイのことだ、繋ぎ留めておくことは至難の業だろう。

 ヒースはカイを探したことがないからあんなことが言えるのだ。


「あっ……!危ない、避けて下さい‼」


 あんりがリレーの練習に戻ろうとした時、悲鳴に近い叫び声がグラウンドに響きった。 

 それと同時に何かがぶつかり、激しく倒れる音がした。


「大丈夫ですか⁉誰も下敷きになってないですよね⁉」


 練習していた生徒は一斉に本部のテントがあった場所に注目する。

 しかし、そこにあったはずのテントは骨組みから崩れ、ぺしゃんこになった布が地面にあるだけだった。

 生徒が練習で蹴ったボールがテントにあたり、運悪く骨組みごと壊してしまったらしい。


愛宮えのみやさん、危ないですよ!今先生を呼んできますから……!」

「大丈夫!誰かいないか見てみるだけだから!」


 ざわつく生徒達を押しのけ、あんりは崩れたテントの中に潜り込む。


 今テントの中にはヒースがいるはずだ。

 事故に遭う前に逃げてくれればいいのだけれど──


「けほっ。なんなんだ一体……!危うく大怪我をするところだったぞ!」

「良かった……ヒース、無事だったんだね。さっきテントに入っていくの見てたから、もしかしたらと思って……」

「全然良くないだろう!この姿に戻って無かったどうなっていたことか!しかもここ、今の衝撃で糸がほつれてしまった!このままだと綿が出て壊れてしまう!」

「ヒース落ち着いて!あんまり大きな声出すと──」

愛宮えのみやさん、誰かいたんですか⁉」


 崩れたテントの下にはぬいぐるみに戻ったヒースが上手く骨組みを躱し、砂だらけで転がっていた。

 だがヒースの他には誰もいなかったようだ。不幸中の幸いと言うべきか。


 しかし、この狭いテントの下で人間の姿になることは不可能だ。

 このままぬいぐるみのヒースを持って出ることも出来るけれど、ヒースは糸がほつれたことでパニックになっていて、周りに人がいることを完全に失念している。


 この状況を打開する方法は最早、一つしかない。


「テントの下には誰もいなかったよ!良かった~誰も怪我してなくて!」

「でも、さっき誰かと話してませんでした?愛宮えのみやさん以外の声が聞こえた気が……」

「えっ、そうかな⁉誰とも話してないけどな~!それじゃ、私ちょっと戻らなきゃならないから先に行くね!テントのこと任せてごめんなさい!」

「ちょ、ちょっと愛宮えのみやさん⁉」


 あんりはテントの下から這い出し、砂だらけになってしまった競技用の袋を掴んで学園長室へと走った。

 空っぽになっていた袋にヒースを詰めたことで、なんとかバレずに人の間を縫って走る。


(後で返しに行きます!ごめんなさ~い!)


 そう心の中で謝罪をしながら、あんりはグラウンドを駆け抜けていったのだった。



 ◇



『次は千代目ちよめ郵便局前、千代目ちよめ郵便局前です。お降りの方は停車ボタンを押してください。次、止まります』


 落ち着いた檜皮ひわだ色のバスが学園から離れた千代目町を走る。

 慣れた様子で久遠くおんは停車ボタンを押した。


「次のバス停で降りますよ」

「わぁ~!私、学園に来てから町に降りるの初めてなんです!なんだかワクワクしちゃいますねぇ」

「おい、遊びに来たんじゃないんだぞ!あくまで僕の修理をしに行くんだからな」

「わ、分かってるってば~……」


 久遠くおんの傍らでバスケットに入れられているヒースに咎められ、あんりははしゃぎたい気持ちをぐっと堪える。

 そんなあんりの隣から大きなため息が聞こえた。


「なんで俺まで行かなきゃいけないんだよ……無理矢理引っ張ってきやがって」

「それはだって……守護騎士ガーディアンに関係することだし?それにカイ君だって町に降りてみたかったでしょ?」

「別に、町なんてどこも同じだろ」


 カイは足を組んでそっぽを向く。

 窓に視線を向けていたが、窓の外の景色にもさして興味はなさそうだった。


 体育祭の練習の際、事故でヒースの糸がほつれてしまった。


 それを久遠くおんに説明したところ、次の休日に町に降りて直してもらおうという話になったのだった。

 当初はあんりと久遠くおん、そして当事者のヒースだけで行く予定だったけれど、特に用事がないというので、カイも引きずってきてしまったのだった。


「でもでも、学園じゃ食べられない美味しいものとかもいっぱいあるから、カイ君と一緒に食べたいと思って~……ねっ?」

「ふーん、愛宮えのみやがおごってくれるならいいよ」

「えっ⁉手持ち足りるかなぁ……?」

「二人とも、お喋りはそこまでにして下さい。ここで降りますよ」


 久遠くおんを先頭に三人と一匹はバスを降りる。

 そこから少し歩き、入り組んだ路地を抜けてたどり着いた先には小さな雑貨屋が佇んでいた。

 看板には「アンティーク雑貨専門店 Tu es mon trésor」と記されている。


「こちらはアンティーク雑貨を取り扱っているお店で、修理や裁縫をしてくれます。ここで幼い頃からヒースを直してもらっているのです。彼はこれでも年代物ですから」

「トゥ……えっと?」

「Tu es mon trésor(テュ エ モン トレゾール)です。『あなたは私の宝物』という意味が込められているそうです。さあ、入りますよ」


 久遠くおんがそう言って扉を開けると、取り付けられていたドアベルがカランコロンとあんり達を歓迎する。

 扉の先には時代を感じさせる家具や雑貨が所狭しと並んでいた。年季が入っているとはいえ手入れが行き届いているそれらは、歴史からそのまま切り取られたようにも見えた。


「あぁ、ここには何度も世話になっている。僕はもう丈夫じゃないからな、定期的にメンテナンスをしているんだ」

「へぇ~それってつまり、ぬいぐるみのエステとか、美容院とかそういうもの?」

「どちらかというと健康診断に近いのでしょうか。……ヒース、そろそろぬいぐるみらしく振舞って下さい」


 小声で注意されたヒースはバスケットの中で静かになる。

 ドアベルを聞いて店の奥から現れた老人に久遠くおんは頭を下げた。


「ご無沙汰しております。今日はお電話していた通り、ぬいぐるみのほつれを直して頂きに参りました」

「ああ、久しぶりだね。じゃあちょっと見せてもらおうかな。これは……うん、大丈夫だと思うけどね。少し時間をもらえるかな?」


 老人は瓶底の如き厚さのメガネを直し、ヒースの体を持ち上げてじろじろと満遍なく観察する。

 ぬいぐるみのふりをしているのだろうが、ヒースが緊張しているのがこちらにもひしひしと伝わってきた。


「こちらの方は店長です。私が幼い頃からこのぬいぐるみを直してくださっているんですよ。店長、こちらの二人は私の友人です」

「まさか久遠くおんのお嬢さんがお友達を連れてくるとはねぇ。お嬢さん方、滅多に来る店でもないでしょ。ゆっくりしていくといきなさいね」


 店長はたっぷりと蓄えた顎髭を触りながらにっこりと微笑む。


「いろんなものが置いてあるんですねぇ。でも、すごく状態がいいものばっかり」

「そうでしょう。ひとつひとつ丁寧に扱っているというのもあるが……昔から大事にされてきたからこそ、今でも誰かの目に留まることが出来るんだろうねぇ」


 大きな裁縫箱を取り出した店長は目を凝らして、ひと針ひと針丁寧に心を込めてヒースを縫い合わせる。

 皺だらけの手はしかし、一切ぶれることなくヒースの体を縫い合わせて行った。


「このぬいぐるみも、ずうっと昔からここで診ているよ。私の父親の父親の代より前から、ずっとね」

「そんなに昔から壊れずにいたなんて……よっぽどヒースのことが大事だったんだね」

「ヒース?」

「ああえっと、このぬいぐるみの名前、みたいな……」

「そうかい。私もこのぬいぐるみのことは子供のように思っているからね、君達みたいなお友達が出来て嬉しく思うよ。……さて、出来たよ」


 パチン、と糸を切り久遠くおんにヒースが手渡される。

 ほつれていた箇所は綺麗に縫い合わされ、減っていた綿も詰め直されていた。


「多少汚れているから洗濯してあげた方がいいかもしれないね。もちろんゆっくり押し洗いをしてあげるんだよ」

「……アレか、嫌いなんだよな……」

「しっ。学園に帰ったら洗いますね。それじゃあ、失礼致します」


 ついぼやいてしまったヒースを後ろ手に隠し、久遠くおんは店長に礼を述べて雑貨屋を後にする。

 洗濯を嫌がるなんて動物のようだと思ったが、丸一日湿っていると考えると……確かにそれは嫌だなあ、とヒースに同情してしまった。


「バスまで多少時間がありますね……」

「じゃあ、あそこのドーナツ屋さんなんてどうですか?新作が発売してるんですって!」

「もうすぐ夕食の時間ですよ。こんな時間に間食なんていけません」

「一個だけ!一個だけですから!お願いしますよ~!食べましょうよ~!」

愛宮えのみやが奢ってくれるらしいから、行っておかないと損だぞ」

「そ、そんなに押さないで下さい……!分かりました、一個だけですよ!」


 渋る久遠くおんの背中をぐいぐいと押し、あんり達はドーナツ屋の前で何を食べようかと吟味する。

 本当なら一種類の味を一つずつ食べたいところではあったが、久遠くおんの目が光っているので泣く泣く諦めた。

 いくら食べても夕食に影響は無いのに……。


「ん~っ!この新作の、クリーム入りイチゴ練乳ドーナツ美味しい!カイくんも食べる?」

「甘そうだからいらない。普通ので十分だろ」

「確かにカイくんのポンデリングも美味しそうだよね……もう一個買っちゃおうかなぁ……」

愛宮えのみやさん」

「なんてうそうそっ!冗談ですよやだなぁ!」


 三人はバス停のベンチに座り、それぞれが買ったドーナツを頬張っていた。

 久遠くおんは買い食いなんてはしたないと言っていたけれど、注意する前にカイが早速食べ始めてしまったので、恐る恐る食べ始めた。

 食べ溢さないようにと慣れない買い食いに苦戦している姿は微笑ましいが、口に出すと怒られてしまうのでそっと心の中にしまうのであった。


 ドーナツを頬張っていると、バスケットの中から何やら視線を感じる。


「ヒースどうしたの?もしかしてドーナツ食べたい?」

「僕に食欲はない。余計な気遣いは不要だ」


 大人しくバスケットに入っていたヒースはつっけんどんにそう返すと、あんりに背を向けてしまう。

 日が経つにつれて角が取れてきたと思っていたヒースだったけれど、今の声色は初めて会った時のようなそっけなさを感じた。


「ヒースもご飯が食べられたら良かったのにね。そうしたら、みんなでピクニックしたりできたのに」

「そんな話はどうでもいい。今更食べられるようになったところで──」


 そこまで声に出たところで、ヒースはハッと我に返る。


「すまない、強い言い方になった。こういうことを言いたかったわけじゃなくて……いや、僕も思考の整理がついていないんだ」

「あの陶磁器人形ビスク・ドールが言っていたことを気にしているのですよね。ですが、雪桜ゆめなんて戯言……雪桜ゆめ様に対する侮辱です」


 ドーナツを包んでいた紙袋をぐしゃりと潰し、久遠くおんは言いようのない悔しさを手に込める。


「彼女達のような陶磁器人形ビスク・ドールにとって過去に戻るという言葉は、それだけで魅力的なものだったのでしょう」


 時間を戻すという事は、産まれたことすらなくなってしまうということ。

 自分がいたということも、成し遂げたことも、何もかも。


「でも、時間は進んでいくものです」


 後悔した過去だって、悔やんでも悔やみきれない出来事だってあっただろう。


 誰もが過去をやり直したいと思っているに違いない。

 でも、それは出来ないことだと分かっている。


 だから人は折り合いを付けて生きていくしかないのだ。


「……そうだ。僕達は過去のいしずえを糧に生きて行かなきゃいけない。そうでなければ、過去の先人達が報われないだろう」


 ヒースは震える声を絞り出す。


「分かっている。分かってはいるんだ。……でも、どうしても過去に戻れたらと思わずにはいられない。これが雪桜ゆめに対する裏切りだと分かっていても」

「たらればを考えてしまうのはどうしようもありません。私も、自分が守護騎士ガーディアンだったらと頭を悩ませたこともありました」


 誰しも、描く未来は幸せなものであれば良いと望むだろう。

 どれだけ都合が良いと揶揄からかわれようとも、悔いが無い方が良いに決まっている。


「それでも、前に進む選択をしたのならば……立ち止まっている自分よりは胸を張れる気がするのです」


 生ぬるい風が通り抜けてゆく。

 気落ちしていたヒースは、久遠くおんの言葉にぽかんと彼女を見上げた。


 学園に向かうバスがあんり達の目の前に止まる。


「……そう、そうだな。その通りだ。全く、僕としたことが何を難しく考えていたんだか。もう答えは出ていたはずなのにな」


 ヒースの声色が普段通りに戻る。


 意思を持つ限り願うことをやめられないのだとすれば、より良い方へ足を向ければいい。

 言うのは簡単なことだけれど、決断するには相応の覚悟が必要だ。


 だが、ヒースはその心に一つの決意を固めた。


「前へ進むことは過去を捨てることでは無い。少なくとも私達はそうやって抗い続けるべきでしょう。あれらに話が通じるかは分かりませんが……」


 久遠くおんは停車したバスステップに足をかける。


 しかし──その瞬間にふっと空が暗くなった。


 まだ日没には気が早い。

 だとすれば、何が起きたのかは一目瞭然だった。


「シャドー……⁉まさか、ここは学園ではないのに……!」

「四の五の言ってる暇はない!確認しに行くぞ、早く降りるんだ!」


 バスケットの中から急かすヒースの言葉に、三人は騒ぎが起きているであろう場所へと走った。


 そこにいたのは、山の如き大きさを誇るシャドーであった。



 ◇



 今までシャドーが現れていた場所は学園の周囲に限られていた。

 レギオンは学園の中心にある時計塔に封印されているのだから、それが当たり前なのだと。

 だから──町中にシャドーが現れるなんて想像もしていなかった。


「レギオンの力は人の負の感情に反応してその人に入り込み、シャドーとして出現する……だから学園の生徒である必要はないってわけか。やってくれるな」

「だとしたら、今までも学園以外でシャドーが出現していたということですか⁉そんなの、把握しようが……!」

「そんなことは今考えてもしょうがないだろう。今は目の前のシャドーを倒すのが先だ!」


 ヒースはバスケットから顔をのぞかせ、久遠くおんは眼前の状況に信じられないと目を見開いていた。


「行こう、カイくん!町の人を助けなきゃ!」


 カイとあんりは目を合わせ『こころ時計とけい』を構えて叫ぶ。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


「私達は町の皆さんを避難させます!愛宮えのみやさん達はシャドーを人気のない場所に誘導してください!」


 怪物が突然現れ、町中の人は一目散にシャドーから逃げて行った。

 あんり達の周りには既に殆ど人がいなかったが、久遠くおん達は逃げ遅れている人がいないか探しに行ってくれたようだ。


「チッ、町中で暴れてくれやがって……面倒臭い」

「とにかく、町から離れた所に連れて行かなきゃ!」


 シャドーはあんり目掛けて大きな腕を振るう。

 薄々感じてはいたが、シャドーはあんり達を優先的に攻撃してきているような気がする。学園で発生したシャドーも一般生徒がいるにも関わらずあんり達ばかりを狙っているのだ。

 どうしてかは分からないけれど、これを使わない手はない。


「鬼さんこちらだよー!」


 あんりは電灯や建物に飛び移りながら手を叩いてシャドーの気を引く。思った通りシャドーはあんりの方を向き、重い体を引きずって動き出した。

 この調子で行けばすぐに町から引き離せそうだ。


 しかし地面に着地すると、シャドーは黒い腕を電柱に巻き付かせ……なんとそれを引き抜いたのだった。


「ええっ⁉それはないよ~~!」


 シャドーはあんりの叫びなど聞かず、電柱を槍投げのように投げ飛ばす。

 しかし、それは着物を着たカイの刃によって真っ二つにへし折られる。


 カイとあんりの『こころ時計とけい』には『セイバーキー』が差し込まれ、あんりとカイの衣装は着物を基調としたものに変わっていた。

 瞬時に『セイバーキー』で変身していなければ大怪我は免れなかっただろう。


「あ、あぶない……!電柱投げるなんて聞いてないよ!」

「何でもアリの奴に文句いっても意味ないだろ」


 なんとか電柱の攻撃をかわし、町を離れて開けた場所にシャドーを誘い込んだ二人。

 だがそれはシャドーにとっても好都合だったようで、その大きな体を存分に使って拳を振るう。


 『セイバーキー』で上昇した素早さの前にはシャドーの拳を避けるなど造作もない。

 だがその余裕を読まれたのか、シャドーはその体をなんと分裂させたのだった。


 分裂したせいで小さくなったものの、その機動力を生かしてシャドーはあんりとカイを確実に狙ってくる。

 シャドーを殲滅させるためには二人で大技を放つ必要がある。だが、分断されてしまえば二体に当てることは難しい。


 迫りくる腕を小刀で切り裂き、なんとか活路を見出そうとするが、一進一退の攻防戦に段々と体力が削られていくのを感じる。


(このままじゃマズいかも……!何かもっと有効な手は……!)


 しかしあんりはそこではたと気付く。

 カイと放つ大技は二人で敵を切りつけるものだ。


 だがそれは、もしかすると──


「カイくん!そこからシャドーに向かって撃ってみて!一か八かやってみよう!」

「はぁ⁉こんなに離れてたら出来るわけ──」

「大丈夫だよ、私達なら出来るもん!」

「何だその根拠……。まぁ、やるしかないか……!」


 もう一体のシャドーと相対しているカイは訝し気な顔をするも、あんりと共に刃を構える。


因果いんがて!Ça te détache!』


 二人が放った斬撃はそれぞれ一体に直撃し、その体を後ろに押し出す。そしてシャドーを介して二つの斬撃は重なり合い、二体を挟んで十字の文様となった。

 斬撃でシャドーの体は霧散し、最後に時計の仮面だけを残して消滅していった。


「よ、良かったぁ……上手くいって……」


 あんりはその場にへたりと座り込み、『こころ時計とけい』から『セイバーキー』を外して変身を解く。

 騒動が収まったのを察知したのか久遠くおんとヒースも駆け寄ってきた。


「お二人共無事で良かった……町も無事に戻っているみたいですし、私達も騒ぎに巻き込まれる前に帰りましょう。それに門限もそろそろ近いので、次のバスを逃すと大変です」

「た、大変だよ!門限を破ったら夜ご飯が食べられないかもしれないんだよ⁉みんな早く帰ろう!」


 あんりは腕時計を見て仰天する。

 本当に門限ギリギリだったので、あんりはカイと久遠くおんの背中を押してバス停へと急ぐ。


 けれど、ふと引っ掛かって足を止めた。


「そういえば、この間シャドーと戦った時……時計塔の時間が変じゃなかった?」

「は?んなわけないだろ。あんたの見間違いじゃないの」

「時計塔なら、シャドーが最初に現れた時は少し様子が変でしたけれど……最近はそんなことはありませんね」

「そっかぁ……やっぱり私の見間違いかな。じゃあ早く学園に戻りましょ!」


 到着したバスに乗り込み、三人と一匹は千代目町を出発する。


 あんりが抱えていた一抹の違和感は、崩れ去るシャドーの仮面と共に流れ去って行った。

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