第13話 二人ぼっちの夏休み
ジワジワとセミが鳴いている。
うだるような夏の暑さは未だ留まるところを知らず、容赦なくあんりを襲っていた。
だが、それとは対照的に体育館は冷房でキンと冷えている。
室内と屋外の寒暖差に驚く日々だった。
「明日から夏休みとなりますが、休み中だからと言って羽目を外さないように。この学園の生徒だという自覚を持って行動するようにお願い致します。遠方に行く方もいるかと思いますが……トラブルを起こさないように、十分に気を付けて下さい」
壇上に上がって挨拶をする
彼女の言う通り、聖エクセルシオール学園は明日から夏休みに突入する。
久方ぶりの長期休みに心を躍らせる人や家族との対面が待ちきれないと喜びを隠せない人、逆に家族に会いたくないと表情を曇らせている人など、みんな様々な面持ちで終業式の挨拶を聞いていた。
ここは有名な学園ということもあって、家族の期待を背負って入ってきた人が多い。
それは相当なプレッシャーだろうけれど、同時によく目をかけてもらっているということ。
それ故に、家族に会うことが重荷に感じることもあるのだろう。
この学園の生徒なら長期休暇も学園に残って練習や勉強をしそうなものだが、意外にも帰省する人がほとんどらしい。
著名人の親がいる生徒も少なくないからか、帰省してコネクションを作ると息巻いてる人もいた。
そういったわけで、夏休みの学園はとても閑散とするのだそうだ。
生徒が居ないのだから勿論も食堂も閉鎖しているので、毎日自炊の必要があるらしい。
生徒はこれが面倒で帰省する人が大多数なのだとか。
確かに、せっかくの夏休みなのに三食毎日作るとなると、結構な労力を要するだろう。
「でも、逆に料理のレパートリーが増えていいかもしれないですよね。なんていうんですかね、花嫁修業、みたいな?」
「
「え?いやぁ、特にないですけどー……それにほら、誰もいない学園ってなんか楽しそうですし、お休みのうちに学園中を掃除するのも楽しいかなって!」
「長期休暇の間は業者の方に清掃を頼むので……いえ、確かに帰省されない方もいますよね。ここの学園の生徒は九割方帰省するので、それが当たり前だと思ってしまいました」
終業式が終わり、最後の登校日も幕を閉じる。
終業式のあと、あんりとカイ、そして
「
「俺は帰らない。帰省は生徒の自由だろ?」
「ええその通りです。理由も話す必要はありません。……それでは、
「生徒が少ないんじゃシャドーは発生しようもなさそうだが……二人共、十分注意して過ごしてくれ。ロゼとテオが現れないとも限らないしな」
スーツケースの上に置いてあるバスケットにヒースがすっぽりと入っている。
ヒースを修繕した時も思ったが、ぬいぐるみを運ぶためだけにバスケットを用意しているなんて、
本人に言ったら雷が落ちるだろうけれど。
ヒースの言う通り、シャドーの発生には人がいなければならない。標的となる生徒がいなければシャドーの出現率もかなり低くなると予想できた。
もちろん、それは学園の周囲という条件付きではあるが。
あんりは万が一があってはいけないと思って帰省をやめたのだが……まさかカイも学園に残るとは。
「では、私とヒースは実家へ帰ります。レギオンやシャドーについてなにか情報がないか、引き続き調査を続けることにします」
「よろしくお願いしま……ってヒースも帰るんですか?」
「僕は
当たり前のことだろう、ときょとんとするヒースに、
「何度も言っていますが……家にお父様がいることはほとんどありませんけれど、使用人がいるのですから、あまり
「そうは言われても、もう帰省すると手続きをしてしまったんだから仕方ないだろう。せっかくの休みくらいゆっくりさせてくれ」
「それはそうですが⋯⋯あなたがどうしてもというから連れて帰るのですよ。人前で喋らないという約束は絶対に守ってくださいね」
仕事に疲れているサラリーマンのようなことを言うヒースに、
ヒースの人間体が成人男性であることを鑑みると、この光景がなんとも怪しく見えてしまうのは自分だけだろうか。
「まぁまぁ、二人共道中気を付けて下さいね。ヒースもあんまり
「ああ……って、僕の方が数百年年上ってことを忘れていないか?」
不満げなヒースを連れ、
終業式が終わってから帰省する生徒が多く、学園には静かな空気が漂っていた。
いつもなら門限まで鳴っている楽器の音やホイッスルも今日だけは聞こえない。
通い慣れた校舎だというのに、全く違う一面が顔を出したようだった。
さて、これから一ヶ月半の夏休み──どうやって過ごそうか?
◇
あんりの夏休みの一日はまずラジオ体操から始まる。
小学生でもあるまいしラジオ体操カードなんてないのだけれど、あんりは規則正しい生活をするために毎日することにしたのだった。
気持ちよく体操をしたあとは共用のキッチンで朝ごはんを作る。今日はトーストと目玉焼きに、フルーツを入れたヨーグルトだ。
簡単なものだけれど、毎日自炊をするのだから、いつも手が込んだものを作っていては疲れてしまう。
それに食堂とは違って、作った分だけお金もかかる。
本当はまだまだお腹に余裕はあるのだけれど……いつものように食べていては破産してしまうだろう。
生徒がこの自炊を嫌って帰省するのがよく分かる。
「美味しかった~ご馳走様でした!」
手を合わせて食器を片付ける。
カチャカチャと食器が重なる音が、がらんとした寮に響いていた。
校庭でラジオ体操をしていた時も、寮で朝食を食べている時も。あんりの視界には人っ子一人映らない。
九割方の生徒が家に帰るとは聞いていたけれど、まさかここまで誰にも会わないとは……。
あんりやカイのように帰省していない人はいるらしいのだが、どこの誰か分からない上に、この広い学園では探すことも難しい。
それに町へ降りていたらそれこそ分からない。せっかく学園に残っているのなら仲良くしたかったものだけれど。
まるで学園に一人でいるような静かさに、あんりはまだ少し慣れていなかった。
「あれ、カイくん起きたんだ。どこに行ったんだろ?」
ラジオ体操に出かけた時はまだ早朝だったので、カイを起こさないようにそっと部屋を出た。
朝食を食べてから学園の周りを散歩して部屋に戻ってみると、カイのベットはもぬけの殻。
どうやら彼女も活動を始めたようだ。
夏休み中のカイはというと、気の済むまで寝ていたり、涼しい場所を探してはそこで昼寝をしていたりしている。
何度か一緒に食事を作ろうと誘ってみたのだけれど、面倒くさいと断られてしまったのだった。
あんりは自室の机に宿題を広げてシャーペンをくるりと回す。
立ち入り禁止は夏休みのほんの短期間だけれど、寮ですることのない生徒はこの期間さえ苦痛なのだろう。
確かに、それなら実家に帰省する方が有意義かもしれない。
あんりとしては夏休み中に学園をピカピカにしようとしていたのだけれど、早速その計画おじゃんになってしまった。
「う~ん、暑いから集中出来ないなぁ。私もカイくんを見習って涼しいところ探してみようかな」
じわじわとまとわりつく暑さに両手を投げ出して机に突っ伏した。
独り言をいくら呟いても帰ってくる返事はない。
カイが部屋にいたところで百パーセント返事をしてくれるわけではないのだけれど、やはり話し相手がいないというのは寂しいものだ。
いくら距離があっても今はスマートフォンという文明の利器もあるから連絡は取れる。
でも、それだけでは伝えきれないこともある。だからか、特に
暇を持て余したあんりは登録された電話番号を押してみようと思ったけれど、家族水入らずに水を差すほど、図太くはなれなかった。
『夏休みなのに本当に帰ってこないの?みんな待ってるわよ』
ふと自分のスマートフォンを手に取り、数日前に届いたメッセージを開く。
当たり障りない返事を返しておいたのだが、送り主である姉はそれでもあんりの帰省を心待ちにしているようで、名残惜しいメッセージが送られていた。
それに対する返信は、送っていない。
「帰らないよ」
あんりは宿題と筆記用具を抱え、椅子を揺らして立ち上がる。
部屋に残されたスマートフォンの画面には、姉の心配するメッセージだけが映っていた。
◇
時計塔は今日も正確に時を刻んでいる。
時計の針が本来の時間とズレて見えるのは、
そして、ズレている針が指している時間はレギオンが復活するまでのカウントダウンを意味する。
あんり達はそれを阻止するために、シャドーを時計の仮面まで徹底的に倒すことにしていた。
「カイくんおはよ~!って、もうお昼になっちゃうけど……」
「……こんな所に来てまで宿題すんの?真面目かよ」
「あ、これね……。涼しい所でやろうと思ったんだけど、こんな所まで持ってきちゃった」
何となく時計塔に足を運ぶと、そこにはボトムスのポケットに手を突っ込んでベンチに座っているカイがいた。
この時間は時計塔の大きな影が落ち、絶好の昼寝日和らしい。
「カイくんはお昼寝?ここ、涼しいもんねぇ」
「まあな。普段もこれくらい人がいなきゃいいんだけど」
「でも、いざ皆が帰っちゃうと寂しいよね。こんな風にだらだらしてたら
「はっ、俺はごめんだね」
カイはあくびをして立ち上がり、学園へ戻っていく。あんりが隣に立っても彼女は眉を咎めることはなかった。
彼女の態度は相変わらず素っ気ないけれど、以前のように邪険にされる事は無くなってきたように感じる。
カイとの間には未だに壁がある。それは易々と飛び越えられるような高さではない。
けれど、その壁に少しだけ穴が開いて、お互いを覗き込んだような……そんな奇妙な距離感を保っていた。
「ねぇカイくん、暇だったら私と一緒にどこかで宿題しない?今日すごく暑いし、一人だと集中出来ないんだよねぇ」
「面倒臭い、パス」
「えーっでもでも、ちゃんと宿題しないと
カイはピタリと足を止めて考え込む。
「……
「じゃあ決まりだね!カイくんの宿題取りに行こ!あっ、先に言っておくけど、宿題は自分でやらないとダメなんだからね!」
「はいはい……」
これ以上反論しても無駄だと悟ったのか、カイは促されるまま部屋へと戻って行く。
彼女にとっては誰と宿題をしても大差ないのだろうが、あんりは誰かと一緒にいられることが嬉しくて仕方がなかった。
「ていうか、
「でも、日が当たって暑いと思うけどなぁ。冷房も下げ過ぎると体に悪いし……図書室とかどう?」
「パス。ここじゃないなら宿題しないから」
「えぇ~っ」
こうなってしまったカイが折れないことを、あんりはもう知っていた。
仕方なく寮の部屋に腰を落ち着け、二人は宿題にとりかかる。
シャープペンシルの芯が紙に擦れる音と、その合間にページをめくる音だけが二人の間にしばらく流れていた。
こんなに静かに時間が過ぎるなんていつぶりだろう。
学園から生徒がほとんどいなくなったせいなのか、夏休みに入ってからシャドーはあんり達の前に一切姿を現していない。
それ自体は良いことなのだけれど、シャドーがいない生活に違和感を覚えるほど戦いに身を置いてしまっていたらしい。
(もしかしてこのままシャドーが現れなくなったりして……なんてね)
シャドーが現れなくてもロゼやテオが襲いに来るかもしれないと危惧していたが、そんな兆しすら訪れない。
ただ穏やかな時間が流れるだけで、ゴールの見えないレースで立ち止まっているような感覚にも近かった。
スマートフォンからセットしていたタイマーが鳴る。
「あんた、俺がなんで帰らないか聞かないんだな」
今日の宿題を終えたカイはすぐにテキストを閉じてベッドに寝転がった。
足を組んで天井を眺める彼女の表情からは、どういう意図でした質問なのか、汲み取ることは出来なかった。
カイが実家に帰らない理由を想像することなら出来る。
しかしそれはあんりの想像、妄想に過ぎず、実際にカイが何を考えているのかは分からない。
ただ、自分の好奇心だけを満たすために人のプライベートを土足で踏み荒らすのは
「帰らないのは私も同じだし、自分が言わないのにカイくんに聞くのは違うかなって思ったんだ」
カイが帰省しない理由が気にならないわけではない。
だがそれは、自分のことを棚に上げてでも聞きたいかと言われれば、首を横に振るだろう。
「それに、カイくんがいてくれるだけで楽しいから、私にはそれだけで十分かなぁ。だから聞かないよ」
「あっそ。じゃあ俺、飯まで寝るから」
寝息を立てたカイにならって、あんりも一休みしようとベッドに寝転がった。
カイとの間にはまだ壁がある。
けれど、小さく空いた穴からボールを落とすとごくたまに、カイは気まぐれでそれを拾って返してくれる。
あんり達はそうやってお互いの侵入を決して許さず、けれど最低限のコミュニケーションを取っていた。
(カイくんがどうして帰りたくないのかは分からないけれど、私は……私はね──)
徐々に睡魔が襲ってくる。
あんりはカイのことを詮索しなかった。
彼女がそれを嫌がるということを分かっていたのだけれど。
(──家族に会いたくないんだよ)
それは暗に、こちらにも踏み込むなと言っているようなものだった。
◇
ふと目を覚ますと、あんりは荒廃した町に立っていた。
建物は至る所が壊されていて、倒壊したそれらは現代にはそぐわないクラシカルな作りをしていた。
まるで舞台のセットが壊されたような風景に、あんりはここが夢なのだと気付く。
しかし、明晰夢だと分かってしばらくしても目が覚める気配がなかった。
『時間を戻すことが間違ってるのかは分からない。でも、私は歩んできた過去を踏みにじりたくない。だからあなたも一緒に未来に進んで行けるはずよ』
必死に説得するような声にあんりは振り返る。
そこには、桜色の華やかなフリルやレースがあしらわれたドレスに身を包んだ少女がいた。
土や血に塗れたドレスは綺麗といえるものでは決してなかったけれど、その凛とした立ち振る舞いはお姫様と言うより──騎士と呼ぶのが相応しかった。
『
なんの確証もないけれど、本当にただの夢かもしれないけれど。
これはあのお姫様のような騎士──
『貴様も自分が消えてしまうことがよほど恐ろしいのだろう。
確かに人の形を取ってはいるけれど、ただ人の形を模しているだけのような何かのような気もする。そんな異様なオーラを放つ存在だった。
あの存在は資料として現代には残っていない。
だが、
『レギオン、私はあなたの考えを否定するつもりはないけれど、私だって譲るわけにはいかないの。でも……本当に私達は、戦うしかないの?』
『くどい。話し合いなど無駄だ。過去に戻ることこそが至高であり、それ以外の事象は
これは
過去の追体験なんて経験したことがないが、
『私は時間を戻し、世界でただ一人の支配者になるつもりだった。お前の思想と私の野望は相容れないが、私にここまで抗える人間もそうはいないだろう』
レギオンが勿体ぶったように言葉を溜める。
そして、怪しく笑ったかと思うと
『お前も──に──────』
突然、レギオンの声にノイズが入る。
耳障りな音があんりの頭を支配し、耳を押さえてもその音を遮ることは出来なかった。
(
時間を戻すことで世界の支配者になる。
レギオンの最終目的がそれなのは散々言ってきかされたけれど、それがどういうことなのかは、具体的には分からない。
だがそれを邪魔をする
でも
あんりの視界はやがて真っ暗に塗り潰される。
耳障りなノイズは静まり、代わりに太鼓を叩くような音が遠くから段々と近づいて来る。
その音が何かを考えているうちに──あんりの意識はふいに現実へと引き上げられたのだった。
◇
「あれ……」
ドン、ドンと鳴る音が聞こえ、ゆっくり目を開ける。
どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。
窓の外は既に真っ暗だ。
遠くを見てみると、町の明かりとは思えないくらい煌びやかな光が見える。そういえば、とカレンダーを見てみると、今日は夏祭りだったことを思い出した。
遠くで祭り太鼓の音が聞こえる。
夢の中で鳴っていたのはこの音だったのかと納得するが──見ていた夢は既に
「カイくん、今日は町で夏祭りやってるみたいだよ!夜ご飯もまだ食べてないし、町に降りて行ってみない?」
「あぁ……?何だよ……」
ベッドで横になっていたカイを揺り起こすと、あんりの声に鬱陶しげに目を覚ます。
「お昼ごはんも食べずにお昼寝したから、すっごいお腹空いちゃってるんだよねぇ。それにお祭りといえば屋台のご飯は外せないでしょ。焼きそばに、から揚げに、それにクレープも食べたいし、かき氷は絶対に外せないし~……」
「屋台か……」
昼食を食べずに昼寝をしてしまったあんりの胃は当然ながら空腹を訴えていた。
カイはあんりの提案をすぐに蹴ると思っていたのだけれど、意外にも逡巡しているように見える。
夏といえば夏祭り、夏祭りといえば花火に屋台。
それはカイとて同じに違いがなかった。夏祭りで食べる屋台の美味しさは何にも変え難いものなのだ。
「今からご飯買いに行くより、屋台のご飯食べた方が絶対にいいと思わない?ねっ、浴衣着なくて良いから一緒に行こうよ~」
ベッドで考え込むカイに両手を合わせて頼み込む。
すると、しばらく考え込んでいたカイがすくっと起き上がった。それ驚いてあんりは尻もちをついてしまった。
「きゃーっ、びっくりした!」
「腹減ったな。祭り行くか」
「えっほんと⁉やったー!早く行こうよ!」
機嫌が変わらないうちに、あんりはカイの腕をぐいぐいと引っ張って寮を飛び出す。
門限までには帰るようにと寮母に釘を刺され、あんり達はバスに飛び乗った。
夏休み中の門限はいくらか緩くなるので、夏祭りが終わって帰ってくるまでは間にあうだろう。
町に近づくにつれて大きくなる祭りの喧騒に胸が高鳴った。
「うわ~……!すっごい数の露店だねぇ。何から食べようか迷っちゃう!」
「おっ!そこのカップルさん!美味しいたこ焼き食べていかないかい?」
バスを降りて少し歩くと道路の両端に屋台がずらりと並んでいた。
暗がりに照らされた屋台の中には、暑い中汗だくになりながら鉄板焼を振舞っている人もいる。
鼻孔をくすぐる香ばしい匂いが、よりあんりの空腹をかきたてていた。
「カップルじゃないですよ、ただのお友達です!」
「いやぁお嬢ちゃん、こーんなイケメンの彼氏連れて来るなんて羨ましいねぇ!おじさんなんてもう何年も奥さんと祭り行ってないよ~」
屋台のおじさんは器用にたこ焼きをすくい上げてパック容器にひょいひょいと詰めていく。
その手際の良さに見とれていると……何故かあんりの手にはいつの間にか、二パックのたこ焼きが乗っていた。
「よし!おじさんが記念にひとつオマケしてやろうかね。おじさんのたこ焼きは絶品だよ!末永く仲良くしな!」
「え~!いいんですか……って、だからカップルじゃないですってば~!」
「いいだろ、貰っておけよ」
思わず断りそうになってしまったが、カイはあんりの手からひょいっとたこ焼きを受け取る。
屋台のおじさんはそんなあんり達を満足気に見て、手を振って再びたこ焼きを焼き始めていた。
「いいの?勘違いされちゃってたのに」
「別に違うんだからどうでもいいだろ。たこ焼きもタダで貰えたしな」
列から逸れた二人は歩きながらたこ焼きを頬張る。
たこ焼きの中身は火傷しそうなほど熱かったけれど、出汁の効いた生地と具材の食感が口の中で踊っていた。
カイはスタイルも相まって遠目から見ると男性に間違われることも多い。
加えて声も低いから恋人に間違われてしまったのも仕方ないのだが……カイは無料でたこ焼きが貰えることしか頭になかったのだろう。彼女のことだからそうに違いない。
「何か、こうやって二人で夏休みを満喫してるのって……変な感じ。私達、
祭りの喧騒の中、ぽつりとそんなことを零す。
カイはそれに答えずあんりの前を歩いていた。
シャドーが現れなければこんな日常は当たり前に続いていただろう。
未来は絶対に訪れるもので、誰もが自然と辿り着けるものだと。しかしそれが、今や過去の厄災に呑み込まれそうになっている。
『間もなく、花火の打ち上げ時刻となります。皆様今しばらくお待ちくださいませ』
今ここにいる人達の未来も、レギオンの野望が叶えば時間の巻き戻りと共に消えてしまう。
何も知らずに日々を過ごしている人達を見て、改めてレギオンの野望を阻止しなくてはならないと強く思った。
すると──ふと凍るような寒気に、思わず歩いていた足が止まる。
「……!この感じ……」
「これって、シャドー……だよね⁉」
もう花火が始まる時間なのに空は未だに暗いままだった。
どうして花火が始まらないのかと町の人がざわつき始めた時、遠くから悲鳴が聞こえる。
それは次第にこちらへ伝播し、人の波がどっと押し寄せてきた。
皆、何かから逃げているようだった。
「何してんだ、掴まれ!」
「っ、カイくん!」
カイがあんりの手を掴み、人の波から引きずり出す。
祭りに参加していた人達は我先にと逃げだし、屋台を出している人達も自分の店を放り出して走り去っていった。
祭りの中心に迫り来るのは影が実態化したような怪物・シャドー。
顔と思われる部分に貼り付けられた時計の仮面が、不気味に時を刻んでいた。
『我ら
合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。
そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。
鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。
全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。
シャドーは体を縮めて体の中から黒い塊を吐き出した。あんりはシャドーを注意深く観察して飛んでくる塊を避ける。
だが避けた塊の後ろから、もう一つの塊が迫っていることに気付くことが出来なかった。
あんりはそれを思わず拳ではじき飛ばしてしまう。
するとその塊は花火のように弾け飛び、無数の影の棘があんりに突き刺さった。
「きゃあっ……!」
腕で顔を覆ったものの、その鋭い棘が容赦なくあんりを責め立てる。
シャドーはそれからも塊を吐き出し、地面に当たった衝撃で棘を射出する。どうやら強い衝撃を与えると影の棘を出すようだった。
「……あの攻撃、触れないってこと……⁉じゃあ近づけないよ……!」
「問題ない。あの鍵を出せ」
痛みでへたりこんでしまったあんりの傍でカイが『マジックキー』を取り出す。
「マジックキー」を時計の宝石部分にかざすと『セイバーキー』は光の粒になって時計にはめ込まれた宝石へ吸い込まれていく。
空になった鍵穴に差し込まれた鍵がひねられると、変身した時のような光が二人を包みこんだ。
着物を基調とした衣装は細かなフリルが印象的なゴシック調へと変わる。カイの手には魔導書のような本、あんりの手には背丈の半分ほどの杖が握られていた。
「俺が強化してやる。あんたは何も考えずに突っ込めばいい」
カイが開いた本が輝き出す。
素っ気ない声なのに、カイの言葉にあんりは奮い立った。
「癒し施せ、joie infinite!」
カイの魔法に呼応し、あんりの体の傷が徐々に塞がる。
体の奥底から体が
「我らを護り給え!la chance sourit!」
『マジックキー』で変身したこの姿は、助魔法に特化したカイと、攻撃魔法に特化したあんりで対照的になっている。
『セイバーキー』の時と比べて体が素早く動かないが、その代わり、技の威力は桁違いだ。
「その身に纏え!l`action d`éclat!」
治癒魔法と防御強化魔法、そして攻撃強化魔法を纏い、あんりは杖を握り地面を蹴って走り出した。
シャドーが投げ飛ばしてきた塊を杖で受け止め、野球の要領で弾き返す。
シャドーに当たった塊は先程のように破裂し、あんりにも同様の棘が降り注いできた。
だがカイに施してもらった防御強化魔法によってそれは防がれ、あんりはそのままシャドーの懐に突っ込んでいく。
「ひらめき輝け──lumière d`espoir!」
カイの呪文によって強化されたあんりの魔法が勢いよく杖から放たれる。
その光線は地面を抉り、空気を焼き付くさんばかりにシャドーへ向かっていく。
その技はシャドーを突き抜け、仮面の時計ごと吹き飛ばしていった。
◇
結局のところ、夏祭りは中止となってしまった。
シャドーが破壊した建物はシャドー自体が消滅すると同時に修復される。
それはシャドーという未来に背く力がレギオンに吸収、及び消失してしまうから、シャドーによって破壊されたものや、受けた傷は消滅するのではないかと
夏祭りの会場は修復されたけれど、怪物が現れたとなっては祭りどころの騒ぎではない。
あんりとカイは腹ごしらえもそこそこに寮に帰ってきたのだった。
「あなた達、町の夏祭りに行ってきたんでしょう?大変だったみたいねぇ。花火が見れなくて残念だったでしょう」
「あはは……でも怪我した人がいなくて良かったです」
「そうだ。貰い物なのだけれど、これをあなた達にあげるわ。門限まではもう少し時間があるし、やってみたらどう?ちゃんと火を消す準備をするならグラウンドを使っていいからね」
意気消沈して帰宅の手続きをしたあんりに、寮母は小さく手を叩いて嬉しそうな声を上げる。
なんと、寮母が手渡してきたのは手持ち花火だった。
門限やルールに厳しい寮母なのだが、夏祭りが中止になったあんり達を気遣ってくれたのだろう。
あんりはそれを大喜びで受けとり、カイとグラウンドに向かった。
もちろんカイは面倒臭そうにしていたけれど。
夏祭りの花火とは比べ物にならないくらい、小さくて地味な花火だったが──二人ぼっちの小さな花火大会は夏休みの中で、一番の思い出になったのだった。
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