第2話 二人で一人の守護騎士(ガーディアン)

 窓から見える空は青く澄み渡り、鳥が高く飛んでいた。頬を撫でる風はまだ少し肌寒いが、暖かな陽光で春の訪れを感じることだろう。

 だがうららかな空気を噛み締める暇はない。

 なぜなら、あんりとカイは学園長室に足を踏み入れていたからだ。


「……正直、何から話せばいいのか分かりません。ですがあなた達には知る権利があると思い、ここにお呼びしました」


 聖エクセルシオール学園生徒会長、玉響久遠たまゆらくおんは学園長の席に座って言いづらそうに呟く。

 彼女が座るには一回り大きな椅子だったが、何故か彼女が座っていてもあまり違和感はなかった。


「あの怪物って何なんでしょうか?それにこの懐中時計も……割れたはずなのに、まるで別々の物になっちゃったみたい」

「はやる気持ちは分かります。ですが、まずは順序を追って説明させて下さい。その後にあなた達の質問に答えます。……これは私に課せられた使命ですから」


 久遠くおんは机の上で両手を組み、神妙な顔をして続ける。


「お二人は『せかいの時計がまわるころ』という絵本をご存じですか?」

「もちろん知ってます!小さい頃お姉ちゃんと一緒にお母さんに読んでもらって……って、そういえばその絵本のお姫さまって、初代学園長がモデルになったんでしたっけ?」

「その通りです。しかし、この学園との関係はそれだけではありません。初代学園長は──先代の守護騎士ガーディアンでもあるのです」


 そう言って、久遠くおんはどこからともなく件の絵本を取り出した。

 どうして学園長室に絵本があるのだろうと思ったけれど、よく見ると窓際に時計を持ったうさぎのぬいぐるみが置いてあったりするので、久遠くおんはそういう趣味の持ち主なのかもしれない。

 それはさておき、あんりは怪物の騒動に巻き込まれる前に見た絵画のこと、そして瞬月しづきが言っていたことを思い出した。


 今から遥か数百年前。

 世界を統べる時計が逆回転を始め、何もかもが過去に戻ってしまうという大事件が起きた。けれどお姫様のような騎士がそれを阻止して世界は平和になった。

 でもそれは全て空想上の出来事。絵本として語り継がれている絵空事に過ぎない。昔からそう読み聞かせられてきたのだ。


「この絵本で語られている話は、全て事実です」


 だから久遠くおんがそう言っても……あんりはすぐ信じることが出来なかった。



 ◇



「数百年前、世界を統べる時計がありました。世界はその時計の通りに時間を刻み、日々を過ごしていたのです。ですがその時計に突如として異変が生じた。それが絵本にも描かれている過去への逆戻りですね」


 久遠くおんの語り口調は淡々としており、歴史の授業を聞いているようでいまいち実感が沸かなかった。

 大昔の出来事が本当に起きたのかなんて、あんり達には確かめようがない。

 だが真面目に話す久遠くおんはあんり達を騙そうとしているようには見えなかった。


 学園の入口に飾ってある絵画。

 それは初代学園長をモデルにしてお姫様のように描かれたものであり、その姿が絵本に流用されたに過ぎない。


 だがそれは真実ではなく、あんり達のように守護騎士ガーディアンという存在に変身した初代学園長が描かれたのであった。

 つまりあの絵本は本当に起きた出来事らしい、のだけれど。

 突拍子のない話についていけないというのがあんりの本音であった。


「世界を統べる時計って、具体的には何をする時計だったんですか?世界の時間を決めてるってことですか?」

「いいえ、世界標準時間のことではありません。そういった目に見えるものではなく『時間の進み』そのものを司っているのです」


 久遠くおんは首を振って答えた。


「順を追って説明します。とにかく、時計を撒き戻した原因は『過去に戻りたい』という気持ちが集まってできた集合体のせいでした。その昔、人はそれを『レギオン』と名づけました。レギオンは世界の時間を巻き戻そうとしたけれど、それは初代学園長……つまり先代の守護騎士ガーディアンによって阻止されたのです。あなた達のように『こころ時計とけい』に選ばれて。そして、その時計は、今日までレギオンを封印するためにその力を使っていたのです」


 人が前へ進もうとする原動力はその昔、その時計が力を貸していたのだという。

 時計は否応なく時間を刻み続けるのだから、そういう力があってもおかしくはないのかもしれない。

 随分とファンタジーが過ぎる話だと思うけれど、自分達が経験したことを思い出すと頭ごなしに否定できないのも事実だった。


「……つまり、初代学園長も、私達みたいに変身して戦ったってことなんですね」

「その通りです。『こころ時計とけい』から選ばれた戦士、それが守護騎士ガーディアンです」


 久遠くおんはひとつ咳ばらいをして続ける。


「そして、力を消耗したレギオンは自身が巻き戻そうとした時計に封印され、その時計を中心に聖エクセルシオール学園を設立した、ということです」

「えぇ⁉じゃあ、絵本の悪者さんがあの時計塔に封印されるってことですか⁉」


 衝撃の事実に驚愕し、あんりは窓の外に鎮座している時計塔を見た。

 対して久遠くおんは眉の一つさえ動かさない。


「レギオンは多くの人の『過去に戻りたい』という負の感情で産まれてしまったもの。未来ある若者を育てる学園、そういう檻に封印してしまえば安全だろうと考えたのです。結果として今までレギオンが復活することはありませんでした」


 この学園にそんな過去があったなんて想像すらしていなかった。

 今存在するものは数多の歴史の上に成り立っている。

 当たり前のことだけど、それに気付かず日々を過ごしている人のなんと多いことか。


「なるほど……。でも、生徒会長はどうしてこんなに守護騎士ガーディアン?について詳しいんですか?」

「聖エクセルシオール学園の学園長は、代々学園長の子孫が受け継いでいくもの。ですので、初代学園長は私の先祖にあたる方なのです」


 と、そこまで言ったところで久遠くおんは少しだけ眉をひそめた。


「……というより、この話が事実かどうか、確認は取らないのですか?」

「びっくりはしましたけど……変身して怪物も倒しちゃったし……もう信じるしかないかなって」


 あんりはえへへ、と頬を掻く。

 決して易々やすやすと信じられることではないけれど、見て聞いたことが全てを物語っていた。

 あんりは確かに正義のヒーローのように変身して迫りくる脅威を退けた。

 これが事実なら久遠くおんの話だけ信じないのはフェアではない。


「っていうか、初代学園長がご先祖様なら、生徒会長も変身出来るってことですか⁉」

「……いえ、私にその資格はありません」


 久遠くおんは机に置いてある懐中時計の一つをあんりに、もう一つは自分の掌で包み込んだ。


「この懐中時計は『こころ時計とけい』と言って、元々は一つの時計だったはずです。これは初代学園長の最後の戦いの後、レギオンを封印するために時計塔に組み込まれたのです」


 『こころ時計とけい』に視線を落とす。

 あんりの時計にはめ込まれた宝石は持ち主を歓迎するように光が瞬いていたけれど、久遠くおんが持っているカイの時計はしんと静まりかえっていた。


「『時計』があなた達を選んだ以上、そこに私の入る余地はありません。その証拠に、私が触れても『こころ時計とけい』は反応すらしません」


 事務的な口調で話し続けていた久遠くおんだったが、ほんの少しだけ語気が強くなる。

 触れて欲しくないところに触れてしまったような……静かな雰囲気がぴりついた空気に変わる。


「これで昔の抗争については理解してもらえたかと思います。これからは、今後のことについてお話させて下さい」


 久遠くおんは話を変え、あんり達の目を真っすぐ見つめる。


「初代学園長が戦ったのはレギオンのみだと伝わっています。つまり先ほどのような怪物は誰も見たことがないのです。ですが、レギオンと戦ったことのある『こころ時計とけい』が反応したこと、時計の力で倒せたことから……あの怪物もレギオンと関係があると踏んでいます」


 時計塔に封印したというレギオン。しかし今になって現れたのはそれとはまた別の怪物だという。

 一体どういう関係があるのか現時点では誰も分からない。過去のことについて一番知っているはずの久遠くおんでさえ、唇を噛み締めて悔しそうな顔をしていた。


「あの怪物がまた現れた時、どんな被害が及ぶのか想像もつきません。初代学園長の子孫として、そしてこの学園の生徒会長としてお願いです。この騒ぎが収まるまで皆さんを守ってくれませんか」


 久遠くおんは席を立って深々と頭を下げる。

 彼女は初代学園長の子孫として世界の重大な秘密を抱えていた。こんな奇想天外の話、誰に話すこともできなかっだろう。


 生徒会長という責任はどれほどの重圧となって彼女にのしかかっていたののだろう。

 そう思うと居ても立ってもいられず、あんりは久遠くおんの手を取った。


「もちろん、私にできることならやらせて下さい!」


 久遠くおんは握られた手を見て驚いて顔を上げる。

 不安そうな久遠くおんの心を和らげようと、あんりはにっこりと笑ってみせた。


「私達にしかできないなら絶対にやります。それで皆が幸せになるなら、これ以上ないくらい嬉しいですから!カイくんも同じ気持ちでしょ?」

「俺はやらない」


 振り返る間もなく鋭い言葉が飛んできた。

 学園長室に入ってからというものカイは退屈そうに壁にもたれかかっている。ようやく発した声は明らかな拒絶であった。


「どうして?」

「どうしても何も、あんたが勝手に巻き込んだんだろ。昔のこととか俺に関係ないし。話が終わったんなら出ていくけど」

「だって私達が戦わないと、皆が怪我しちゃうかもしれないんだよ?そんなの放っておけないよ!カイくんだってそう思ったから戦ってくれたでしょ?」

「皆なんて興味ないね。黙ってたら俺が危険だと思ったから、仕方なく手を貸しただけ。勘違いするなよ」


 カイはドアノブに手をかけて肩越しにあんりを睨む。そして、そのまま力強く扉を閉めて出て行ってしまった。

 まるで取り付く島もない彼女に、あんりは置いてきぼりにされてしまった気分になった。


「……守護騎士ガーディアンに選ばれたというのに、あの態度は何ですか?本当に彼女が選ばれたのか疑わしくなってきました」

「ま、まぁまぁ……。カイくんはきっと、色んなことが突然起きてびっくりしてるだけですよ。私からもう一度頼んでみます!」


 カイの態度に頭痛を訴え、久遠くおんは頭を押さえている。


「そうですね。私が訴えるよりも、同じ守護騎士ガーディアンである貴方の方が説得できるでしょう。それにしても……私が言うのもおかしい話ですが、貴方は彼女のように拒絶しないのですか?」

「はい、もちろんです!」


 あんりは久遠くおんの問いに、迷いなく答えた。


「私が誰かを助けられるなんて、それだけで幸せですから!」


 心の底から真っすぐに答えたあんりに、久遠くおんは虚を突かれ顔になっていた。

 しかし、すぐに咳払いをして表情を正す。


「それでは『こころ時計とけい』はどちらも貴方に預けます。くれぐれも丁重に扱うように」

「そういえば、これ一回壊れちゃったみたいですけど……どうして二つに割れてもちゃんと動いたんでしょう?」


 『こころ時計とけい』は二つに割れる前、時計台の文字盤の裏に設置されていた。

 落ちてきた時はすでにボロボロになっていて、この時計が辿って来た歴史をかんがみれば、まず間違いなく劣化によるものと思われる。

 そして、そのあとすぐに怪物が現れた。それを久遠くおんに伝えると彼女は深く考え込んだ。


「その順序を考えると……『こころ時計とけい』の破損によって封印が弱まった、もしくは破られてしまったからあの怪物が現れた、という線が強いですね。封印が解かれたのなら、レギオンが復活していないのは少々不可解ですが……」


 ぶつぶつと独り言を呟いていた久遠くおんは、ぽかんとしているあんりを見てハッとする。


「申し訳ありません、少々考えに没頭してしまいました。それでは彼女の説得をお願いします。何か私に聞きたいことがあれば学園長室に来てください。ここにいることが多いので」

「え、でも……学園長先生に黙って入るのはいくら生徒会長でもまずいんじゃ……?」

「ご心配には及びません、学園長は私の父ですから。それに実質的な学園長権限は今、学園長代理として私が有しています。いずれこの学園を継ぐ身として修行中の身なのです」


 久遠くおんはなんてことのないようにさらっと言ってのける。

 彼女の言い回しは独特で難しく、言葉の真意を理解するのに少しの時間を要してしまった。

 

「せ、生徒会長が学園長~~っ⁉」


 腰を抜かしてしまいそうな情報に大きな声を出してしまう。

 

 あんりの声に驚いた小鳥が窓の向こうで飛び去って行った。



 ◇



 あんりは美しい装飾が施された懐中時計を手に、学園を歩いていた。


 これは『こころ時計とけい』といって、あの黒い怪物を倒す守護騎士ガーディアンとしての力を得るために必要なもの。

 元々この時計は初代学園長、そして先代の守護騎士ガーディアンの持ち物で、『こころ時計とけい』の力でレギオンを打ち負かした。

 あんり達は数百年の時を経て、その力を借りて守護騎士ガーディアンに変身している。


 事情を良く知る久遠くおんでさえ、二つに割れた時計が使える理由は分からないと言っていた。

 だが守護騎士ガーディアンに選ばれたあんり達があの怪物を倒さなければ、この学園の生徒達、ひいては世界に被害が及ぶことは確実だった。


「……だから一緒に戦って欲しいの!カイくんだって『こころ時計とけい』に選ばれた守護騎士ガーディアンなんだから」


 久遠くおんから詳細を聞いた次の日、あんりは早速カイにお願いをしようとした。

 だが、カイは朝早くからどこかに出かけているようで、既に布団はもぬけの殻だった。

 くまなく学園を探し回り、ようやく見つけたカイは中庭のベンチで横になっていた。

 夢の中には入っていなかったようで、カイはあんりの声に容易に目を開く。視界にあんりを捉えたカイは不機嫌そうに顔をしかめた。


「言っただろ、俺には関係ない。他当たれよ」

「でも、私達がいないと大変なことになっちゃうかもしれないんだよ。そんなの黙って見てられないでしょ?だからお願い、一緒に戦って欲しいの!」

「……あのさ」


 カイは起き上がってベンチに座り直し、一段と大きなため息をつく。

 漏れた声には呆れとあわれみが含まれていた。


「こんな面倒なことを引き受けて、俺達に何かメリットあるのか?一度ならまだしも、ずっとあんな怪物と戦うなんて正気の沙汰じゃない。俺はごめんだね」

「メリットって聞かれると……うーん、よく分からないんだけど……。メリットが私にとって良いことっていう意味なら、私はみんなが幸せになれることが一番かな。だから何だってするし、あんな怪物とだって戦えるよ」


 二人の間に冷たい風が吹き抜ける。

 じっと見つめるあんりから逃げるようにカイは舌打ちをして顔を逸らした。


「だからイエスマンやってんのかよ。そんなの結局、感謝されたいからやってるんだろ。魂胆が見え見えなんだよ」


 ベンチから降りたカイはあんりのことを振り返らず、その場を去っていく。


「お前の慈善事業に付き合ってる暇はない。もう俺に関わるな」


 カイの背中が段々と遠くなっていく。

 あんりはカイが使った『こころ時計とけい』を握りしめて、小さくなっていく背中をただ見つめていた。


 カイの言ったことは間違いではない。

 訓練もしていない一般人があんな怪物と戦うなんて、そもそも前提がおかし過ぎるのだ。

 不思議な力を授かったからというだけでは戦火に身を投じるに理由には足りない。それだけでは、人は死の恐怖に耐えられない。


 でも、戦えば誰かが救える。誰かのためになる。

 あんりの戦う理由はそれだけで十分だった。

 誰かに感謝されて、必要とされる。慈善事業でもいいじゃないか。それで最悪の事態が防げるのなら。


 ──自分にできることなんて、それくらししかないのだから。


愛宮えのみやさん、そんなところで何してるの?」

瞬月しづきくん!昨日ぶりだね~!」


 カイが座っていたベンチで項垂れているとヴァイオリンを持った瞬月しづきがこちらに手を振っていた。

 それに気づいたあんりはすかさず手を振り返す。


「ちょっと色々やることがあって、カイくん……早乙女さおとめさんを誘いたいんだけど、見事に振られちゃったんだよ~」

「へぇ……遊びにとか?」

「そういうわけじゃないんだけど……」


 瞬月しづきはよく分からないと言った風に首を傾げ「ここに座っていいかい?」と、あんりの隣を指さした。


「そういえば瞬月しづきくんは私と違う寮だったよね。それじゃカイくんのこと知らなくても仕方ないかぁ。瞬月しづきくんはどこの寮なの?」

「僕はシンティランテだよ。寮が違うと覚えられないよね」


 聖エクセルシオール学園は全寮制で、入園した生徒は四つの寮に分けられる。

 学業に秀でたヴァイスハイト寮、芸術に長けたシンティランテ寮、スポーツに特化したのがフェルヴォーレ寮。そして、その他の生徒がアリビオ寮に入る。

 ヴァイオリンを携えている瞬月しづきがシンティランテ寮に所属しているのは至極当然と言えるだろう。


 専門学科を扱う寮に入るということはそれなりの才能が必要だ。

 この学園は誰もが知っている名門校で、ここの出だという著名人も少なくない。瞬月しづきもその名に恥じぬ技術を持っているのだろう。

 そう褒め讃えると、なぜか瞬月しづきの表情が少し暗くなる。


「確かに僕はヴァイオリンの推薦でこの学園に入学したよ。でもたまに、昔の方が良かったって言われることもあるんだよね。ちょっと伸び悩みの時期なのかな」


 「だから一層努力はしているけどね」と瞬月しづきははにかむ。

 あんりはそんな瞬月しづきにずいと詰め寄った。


「頑張ってもだめな時はもっと頑張ってみる……。そうだよね、私も瞬月しづきくんと同じことを思ってたよ!やっぱりそれが一番だよね!」

「それが出来れば一番だけど……例えば、それでもだめだった時、愛宮えのみやさんならどうする?もしかしたら、立ち止まることが正解かもしれない。振り返ったら何か見つかるかもしれないよ?」

「ううん、それでも絶対に諦めないよ。前に進まなきゃいけないもの」


 キッパリと言い放つあんりに、瞬月しづきは目をぱちくりとさせる。


 前に進むということは、築いてきた歴史を踏みにじっているわけではない。

 過去はもちろん大切だけれど、それと等しく未来も大事なのだ。

 たまに足を止めて休むことも必要だと思うけれど、諦めて立ち止まっているばかりでは何も解決にもならない。


「なんかやる気が出てきたかも!瞬月しづきくんのおかげだよ、ありがとう!」

「……そう?特に何も言ってないけど……役に立てたのなら良かったよ」


 あんりは勢いをつけてベンチから降りる。

 カイに断られ続けて柄にもなく落ち込んでいたが、くよくよしている時間はない。とにかくやるべきことをやらなければ。


「そういえば、昨日起きた騒ぎだけど……愛宮えのみやさんは大丈夫だった?時計塔の近くで騒ぎがあったって聞いたんだけど、確か時計塔の周りを掃除するって言ってたからさ」

「あ、あれね……うん!全然大丈夫だった!本当大変だったよね!逃げたから全然わかんないけど!」

「じゃあその場にはいなかったんだね、怪我がなくて良かった」


 あんりは顔の前で両手をぶんぶんと振りなんとか誤魔化す。

 守護騎士ガーディアンについて久遠くおんから秘密にして欲しいとは言われてないけれど、こんな摩訶不思議なこと、どうやって説明していいのか分からない。

 久遠くおんすらことの全てを把握していないのだから、むやみやたらに噂を広げない方がいいだろう。

 なんとかその場を丸く収めたあんりは今度こそ中庭を後にする。


 入寮式を終えた一年生は入学式までの数日間、自由行動となっている。

 寮に慣れるためという名目だが、アリビオ寮以外の寮生は一年生ながら自己研磨に忙しい。瞬月しづきもヴァイオリンの練習に行く途中だったのだろう。


 その点アリビオ寮の生徒はどこで何をしているのか予想がつかない。つまりカイを探すのは至難の業ということだ。

 先ほどもやっとの思いて見つけたのだけれど、どうやらまた鬼ごっこの始まりらしい。


(カイくんだって、ちゃんと説明して頼んだらきっと協力してくれるはず……!よし、また探そう!)


 しかし、あんりが意気込んで学園を探し始めると、校舎にいる生徒達がざわつき始めた。


「やだ……なんなのあれ……⁉」

「何か変よ、あの人……‼」


 あんりは他の生徒達に混ざって窓から外を覗いた。下には広大な校庭が広がっている。


 その校庭には一面に黒いもやが広がっていた。

 それは徐々に濃く、狭くなり──影のようになって一人の生徒の体に入っていった。


 影が入った生徒は意識を失ってその場に倒れこむ。

 周りにいた生徒が慌てて駆け寄ろうとするが、倒れた生徒の異様に伸びた影から出たものを見て、皆一様に腰を抜かしていた。


 それは人のようにも見えるシルエットでどんどん大きくなる。

 人のように足が生え、人のように腕を携えて、それは倒れた生徒から完全に分離した。


 ──それは、昨日破壊の限りを尽くした、あの黒い怪物だった。



 ◇



 黒い怪物は声と称していいのか分からない、くぐもった叫び声をあげた。

 それとは対照的に甲高い悲鳴があちこちから聞こえる。


 だが、怪物の足はのろい。

 校庭にいた生徒は怪物が活動を始める前に避難することが出来ていた。

 怪物はゆっくりと辺りを見回してから、ずりずりと自身の体を引きずってどこかへと向かい始める。


「どこに行こうとしてるの……?」


 怪物が向かっている方向には時計塔が見える。

 時計塔は学園と寮を挟んだ中心にあり、急いで止めなくては被害が大きくなってしまう。絶対に行かせるわけにはいかない。

 あんりは避難する生徒の波に逆らい、怪物の目の前に立ちはだかった。


「我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!」


 守護騎士ガーディアンに変身しようと『こころ時計とけい』を眼前に構える。

 しかし『こころ時計とけい』は昨日のように光を放つことなく、沈黙を貫いていた。

 焦りがつのるあんりは何度も呼びかけてみるが、『こころ時計とけい』ただの懐中時計に戻ってしまったかのように、しんと静まり返っていた。


「何で、どうして反応してくれないの……⁉」


 困り果てるあんりの頭上に影が落ちる。

 見上げると怪物の黒く大きな腕が迫っていた。

 変身できないことに気を取られてしまったあんりは、怪物の腕で殴られ弾き飛ばされてしまう。

 咄嗟に庇った両腕も意味はなく、成す術もなく地面に叩きつけられてしまった、

 あちこちに激痛が走り、身動きが取れない。けれど怪物は立ち上がれない自分などおかまいなしにゆっくりと近づいて来る。


 あんりは体に鞭を打って立ち上がった。

 変身できなくてもやることは変わらない。助けて欲しいと手を差し伸べられたのだから、どんなことがあってもその手は離さない。


 そう。

 たとえ──自分の腕が千切れたとしても。

 絶対に諦めるわけにはいかない。


「──あんた、何してんだ!さっさと逃げろ!」


 怒声と共に腕を後ろから引っ張られる。

 振り向くとそこには、何故かカイがいた。


「……カイくん、もしかして助けに来てくれたの?」

「誰があんたなんか助けに行くか。たまたま近くにいただけだ」


 あんりを吹っ飛ばした怪物は徐々に距離を詰めてきている。

 どういう理由かは分からないけれど、あれは明確にこちらを狙っている。迫りくる危険に恐怖がせり上がってきた。

 だが、それを無理矢理にでも押し込める。


「それ、使えなくなったんならさっさと逃げろよ。素手で勝てるとでも思ってんのか?」

「大丈夫、『こころ時計とけい』はすぐに反応してくれるよ。だって私は絶対に諦めないから!」


 あんりは『こころ時計とけい』を両手で包み込む。

 しかしカイは、嫌悪感を微塵も隠さずにあんりの手からそれをはたき落とそうとした。


「あんたイカれてんのか?生身であんな怪物に勝てるわけないだろ。あんたのことなんてどうでもいいけど、知ってるやつが目の前で死ぬのは胸糞悪いんだよ!」


 何を考えているのか分からない、と言わんばかりにしかめられた眉間。

 しかし、カイが弾き飛ばそうと『こころ時計とけい』に触れた瞬間、これまで全く反応を示さなかったそれが眩い光を放ち始める。

 それは昨日、守護騎士ガーディアンに変身する前に見た光と全く同じだった。

 『こころ時計とけい』から放たれる光で怪物の進行が止まる。そして、あんりの手から転がった『こころ時計とけい』を拾い、あんりはカイの掌に収めた。


「カイくんお願い、力を貸して!今ならあの怪物を何とかできるの!このまま何も出来なかったら、カイくんだって怪我しちゃうかもしれない。私、そんなの嫌だもん!絶対に!」

「……」


 『こころ時計とけい』を握らせるように、カイの両手を包み込む。

 カイは逡巡しゅんじゅんしたのち、『こころ時計とけい』と怪物、そしてあんりを見て──舌打ちをして『こころ時計とけい』を乱暴に掴んだ。


「……くそ、今回だけだからな」


 戦うことと逃げることのリスクを天秤にかけ、カイは苦渋の決断をした。


『我ら守護騎士ガーディアンの名の元に、de la Liberté(解放せよ)!』


 合わせた時計が光り輝き、施されていた宝石からレトロな鍵が現れた。時計の上にある鍵穴にそれを差し込み、回す。

 そしてあんりとカイは目の前が真っ白になるほどの光に包まれ、体中に纏った光は服をかたどっては弾けて消えてゆき、古めかしく気品のあるドレスに身に纏う。

 鍵を差しこんだ懐中時計にはリボンがあしらわれ、二人の胸元に装着された。


 全ての光が霧散した場所には先ほどとは打って変わった二人の姿があった。


 怪物は低く雄叫びをあげる。怯むあんりに対し、カイは地面を蹴って走り出した。

 カイは振り下ろされる腕を器用にかわし、怪物の腹部めがけて鋭い蹴りを叩きこむ。

 宙へ放り出された怪物はなすすべなく落下する。

 だがそのままでは終わらない。あんりは怪物が落下する地点で待ち構え、足を踏ん張って拳を思いきり振りぬいた。

 怪物はくの字に曲がって再び宙を舞う。


「こんな力が出るなんて、やっぱり変な感じ……!」

「つべこべ言ってる暇があるなら、さっさと倒すぞ!」


 自分の拳を見て驚いているあんりをよそに、カイは埃を払うように手をパンパンと叩く。

 昨日のように弓矢でとどめを刺そうと、あんりはカイに手を伸ばした。


 しかし怪物の方が一手先を行った。

 うずくまっていた怪物は泥のような黒い塊を放出し、それは地面にべちゃりと付着する。それは消失することなくそこに留まっていた。

 絶え間なく飛んでくる塊を避けることは難しい。あんりは飛んできた塊に足を取られて回避が遅れてしまった。

 あれに飲み込まれたらどうなってしまうのか、考えても想像がつかない。


「鈍臭いんだよあんた、俺の邪魔する気か?」


 カイが屈んだ状態でマント上に広がった服を翻し、あんりに迫っていた塊を弾き返した。


「あ、ありがとうカイくん……!」


 しかしそれも長くは持たないだろう。

 どちらかの体力が尽きるまでこの攻防は続く。

 なにか打開策を見出さなければ……。


「そうだ!カイくん、今のもう一回やってくれる⁉」

「はぁ?何で俺があんたの言うこと聞かなきゃ──」

「私に良い考えがあるの、失敗してもカイくんには迷惑かからないから、お願い!」


 あんりはカイの腕を掴んで訴える。

 カイは納得していない様子だったが、渋々といった感じで了承した。そして二人の会話を聞いていたかのように、怪物がひと際大きな塊を飛ばしてくる。

 カイはあんりの言った通りにマントを翻してそれを弾き返す。

 ここまでは先ほどと変わらない。


 だが、マントがなくなって怪物が見た先には──

 砕けた瓦礫を持ち上げているあんりがいた。


「これでもくらいなさあああああいっ‼‼」


 学園の塀を投げるなんて本来なら懲罰ものだけれど、怪物が暴れたことで壊れてしまったものだ。怪物を倒すために使ったのだから不問にしてもらおう。


 怪物はあんりが投げた瓦礫で押しつぶされる。

 しかし残念ながら倒しきれておらず、怪物は瓦礫の下からうねうねと黒いものを出して脱出を試みていた。

 だが動きはかなり鈍くなっている。

 この隙を逃すわけにはいかない。


 二人の胸に装着されていた時計が眩い光を放って輝きだす。

 長針と短針が時計から外れ、長針は長い弦に、短針は光を纏った弓にそれぞれ姿を変える。

 それを二人でつがえ、黒い怪物に向かって矢を放った。


光陰こういんを穿て!arc d`amour!』


 矢が直撃した黒い怪物は命中した部分から崩れ、崩れた先から元の靄のようになって消えていった。

 あの凄まじい存在感が嘘のように、怪物は跡形もなく消滅する。

 残った頭部の時計がカランと音を立てて落ちて行った。


 あんりは怪物を無事に倒せたことにほっと胸を撫でおろす。

 辺りを見渡しても怪我人はいないようだった。


「……あんたさ。変身できないって分かってたのに、なんであれと戦おうとしたんだよ」


 腰に手を当ててカイはあんりに疑問を投げかける。

 面倒臭がられたり呆れられたりすることは多かったけど、今の彼女は純粋な疑問を投げかけているようだった。


「頼まれたからだよ」


 カイはあんりの答えにいぶかしみ、片眉をあげる。


「私ね、頼まれたことは絶対にやり遂げたいの。私なんかのことを頼ってくれたんだから、何に替えても叶えてあげたいって思うの」


 『こころ時計とけい』に挿している鍵を反対に回す。

 変身が解除されたあんりの体は擦り傷だらけであちこちに痣が出来ていた。

 変身することで一時的に痛覚も麻痺していたのか、今になって思い出したように体が悲鳴を上げる。


「でも、それは守護騎士ガーディアンの力がなくても同じだよ。この力がなくたって私は生徒会長のお願いを叶えるつもりだったんだ。それで喜んでくれるなら私だって嬉しいからね!」

「……意味わかんね。聞いた俺が馬鹿だったよ」


 そう言ってカイは『こころ時計とけい』をあんりの掌に置く。


「今日は緊急事態だったから手伝ったけど、今後は別の奴に頼めよな」

「え~⁉これから一緒に頑張っていこうねって流れじゃないの⁉待ってよ、カイく~~ん!」


 あんりの呼ぶ声に振り返らず、カイはスタスタとその場を離れていく。

 かくして、あんりの守護騎士ガーディアンとしての物語は始まったばかりなのだが──

 前途多難、茨の道が待ち受けているのであった。

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