対峙:対決

 午後十一時。廃ビルの敷地を、いくつもの靴が踏み荒らした。


 天気は小雨。雨粒は少し冷たくて、どこか嫌な粘っこさがあるように思われる。


 陽菜乃たちのアジトにやってきたのは、ガラの悪い男たち。


 ジャージを初めとして、思い思いの格好をした男たちは、手に刃物や角材、バットなどを持っている。


 安い暴力に酔った目つきだが、相応に緊張もある。当然だ、ただの喧嘩ではなく、ヤクザの仕事なのだから。


 彼らは、隈取組が抱える“雑用部隊”のひとつだった。


 金髪をドレッドヘアにした男が、首を鳴らしながら文句を垂れる。


「ちぇっ、気味悪ぃ。なんでこんなところに……」


「雨まで降ってきやがった。とっとと終わらせて帰ろうぜ」


「ここにいる全員攫って、ついでに中の物も全部上に引き渡しゃいいんだったか?」


「女なんだろ? ちょっと楽しんでいかねえ?」


「やめろ、上が売り物にするつもりだったらどうすんだ」


 とりとめもない雑談をしながら、男たちは廃ビルの中へと入っていく。


 少しずつ強くなる雨音が、屋内に入ったことで遠ざかった。


 元々は一棟丸ごとひとつの会社が使っていたようで、入口には受け付けの残骸がある。


 懐中電灯など持ってきていない彼らは、スマホの画面を明かりにして、受け付け奥の廊下を進んだ。


 受け付けの後方にある扉を開く。


 中を探るライトに照らされた誰かが、もごもごと声を上げた。


 学生服を着た男子生徒だ。殴られたらしく、顔が晴れていて、パイプ椅子にビニール紐とガムテープで括りつけられている。


 男たちは顔を見合わせた。隈取組からの情報には無かった。


「あん? 誰だ、こいつ?」


「女じゃねえよな。他には誰もいねえのか?」


 チンピラたちは周囲を見回しつつも、慎重とは程遠い足取りで、男子生徒に近寄る。


 ガムテープで口をふさがれた男子生徒は、不明瞭な声を発して首を振った。まるで拒絶しているかのように。


 先頭のチンピラは不思議に思って、口をふさぐガムテープを外そうとする。


 伸びた手が男子生徒の口元に触れそうになる。


 その時だった。


 天井の端の方で、次々と爆発が起こり、遺跡のダンジョントラップよろしく、チンピラたちを崩れた天井が叩き伏せた。


 悲鳴を上げる暇さえない。


 死亡するほどではないが、決して軽くない質量に押し潰されて気を失った彼らには、何が起こったかなどわかろうはずもなかった。


 コンクリートの粉塵と、爆発の煙に覆われたカメラ画像を見ながら、陽菜乃が問う。


「良かったのか?」


「何がだよ。作戦通りだろ」


「そうだが、明日香と豊来君が捕まえてきた彼、知り合いだったんだろう?」


「別に。俺のおこぼれに集ってただけだ。仲良くもなんともねえ」


「……そうか」


 陽菜乃は、真横にある夕の冷徹な無表情を見つめる。


 ―――随分と様変わりしたものだ。


 怯え震える、か弱い少女の面影は、もはや無かった。




 時は数時間ほど遡る。


 凄まじい“魂の揺れ”とでも呼ぶべきものを感じた陽菜乃は、思わず部屋を飛び出していた。


 すぐ近くから感じる、火山の噴火と地震が同時に来たような衝撃。それは葬者の覚醒する瞬間に似ていたが、今まで彼女が感じてきたものよりも、距離による減衰を含めても遥かに強いものだった。


 階段の踊り場に駆けつけると、その正体は一目瞭然。


 立ち尽くした陽菜乃、一部始終を見ていた境兵。階下にいた明日香の目の前で、揺れは収まる。


 突きあげた白い火柱と衝撃の中心にいた白髪の少女は、涙の痕が残る顔で陽菜乃を見やった。


 ごくりと喉が固唾を呑み込む音が、あれほど大きく聞こえたことは無い。


 夕の銀色の瞳は、沸々と煮えたぎる溶岩の如き怒りを湛えていた。


「夜刀君……?」


 自分の声が、他人の口から発せられたような気がした。


 夕は応答せず、しっかりした足取りで階段を登って、陽菜乃の目の前までやってくる。


 別人のような強い眼差し。とげとげしい殺気。


 本当に、さっきまで階段で膝を抱えていたあの子と同一人物だったのか、確証が持てないほどの変容だと思った。


 その考えを、他ならぬ陽菜乃自身が切り捨てた。


 一切の曇りを拭い去った銀の瞳には、苛烈な憤怒が良く似合う。


 無理矢理抑え込まれていたそれに、何かのきっかけで火が点いたのだ。


 ずっと抱えてきた夕の一部。切っても切り離せず、無いことの方がおかしい。そんな感情に。


 不意に、夕が口を開いた。


「俺が出る」


「なんだと?」


「隈取組の奴らとやるんだろ。あいつらは……俺がる」


「……ひとりでか?」


 有無を言わせない力強さを持つ視線を、陽菜乃は真っ向から見返した。


 夕は応えなかったが、何故か言いたいことは伝わった。


 陽菜乃がなんといっても、夕はやるのだろう、と。


「夜刀君、敵の恐ろしさを語ったのは君だ。ひとりでは難しいことなど、私が言うまでもないだろう」


「けど、サクセンがあるんだろ、センセー?」


 妙に上機嫌な白夜が巻きついてくる。


 十年来の友人が、なれなれしく腕を回してきたような具合。


 夕が一歩踏み出した。


「何すりゃいい? 何でもやる。雑用なら慣れっこだ」


 曇天、雷雨、嵐を経た夜の海にも似た、漆黒の凪がそこにあった。




 ついさっきのことを思い返していた陽菜乃は、ノートPCの画面に向き直る。


 カメラの視界は徐々に晴れてきたが、未だに不明瞭だ。インカムを点けて話しかける。


「豊来君、どうだ?」


「物音がしないし、多分全員伸びてるんじゃないですかね。……死んでないですよね?」


「確約は出来ない。正直、殺人は気が滅入るし、戦略上も生きていてほしいところではあるが」


「ひとり生きてりゃ充分だろ。手足の一本でも折れてりゃあ、楽だ」


 夕がボソッと、不穏なことを言う。


 二階の扉を開け、吹き抜けになった階下を見下ろした境兵は、苦い顔をした。


 やっちまったかもしれないという気持ちが半分、これが本来の夕なんだろうなという気持ちが半分。


 出会って間もないが、間近で見た、あの美しくも恐ろしい火柱が、そんな風に思わせるのだ。


 境兵は屈んで、下を覗き込む。


「しっかし、これで本当に来るのか? 下っ端を寄越すってのはその通りだったけど」


「あいつらは、雑用係を用意はするけど信用はしない。どっかのタイミングで出張ってきて、仕事してるか参観に来るんだよ。ヤバい仕事シノギなら、もう近くに来てる」


「そのようね」


 明日香の声がした。


 三階、敷地の入口が見える窓を抑えた彼女の赤い瞳が、チンピラたちの乗ってきたバンの近くに停まった三台の黒い車のうち、二台から黒いスーツの男たちが降りるところを捉える。


「六人……入ってくるわ」


「その中にひとり、変わった奴がいないか?」


「変わった奴?」


「例えば、シャツの色がひとりだけ違うとか、ひとりだけ色の違うスーツを着てるとか。そいつが幹部だ。他の若衆ザコは黒スーツだから、ってもあんまり意味がない」


 明日香は小さな望遠鏡を片目に当てた。


 拳銃を手に遮蔽を探し、そそくさと迫ってくるヤクザたち。誰もが黒いスーツに白いシャツ。襟元に金のバッジをつけた出で立ちだ。


 葬者は夜目が利く。黒いスーツを着ているからと言って、闇に何かを見落とすようなことはない。


「いない。全員黒スーツ」


「は?」


 夕が目を丸くした。


 陽菜乃の緊張も、同時に高まった。


 事前の打ち合せでも話題に出したが、隈取組は、あの箱をあまり露見させたくないはずだ。


 拷問死した人間の首を用いた機械。その用途こそ一般人にはわからずとも、非人道的な目的の下に作られたことは火を見るより明らかだろう。


 棚途市警は、隈取組を取り締まらない。しかし、棚途市の外ではそうもいかないし、そもそも目こぼしにも限度があるはず。


 故に、箱をダシにすれば幹部級、下手をすれば組長本人が自ら出てくる可能性がある。夕はそう読んだ。


 あの運命の日も、夕たちの仕事を見張るためだけに、若頭補佐が出てきたのだ。あり得ない話ではない。


 なのに、下っ端しかいない?


 混乱する夕の肩を、陽菜乃が叩く。彼女は指示を出した。


「明日香、二階に降りてくれ。豊来君と一緒に、下っ端のヤクザを片付けるんだ。捨て駒その二ということもある。彼らを倒して、それから……」


 言葉が途切れた。


 夕と陽菜乃、白夜は弾かれたように天井を見上げる。


 急に大きな気配が、そこに現れたのだ。


 コンクリートに赤銅色の切れ込みがいくつも走る。


「ヤベーぞ、夕っ!」


「!!」


 夕は陽菜乃にしがみつき、白夜は部屋の出口めがけて首を伸ばす。


 高速で縮む白夜に引っ張られたふたりは、間一髪で一階のチンピラの二の舞にならずに済んだ。


 轟音は階下の境兵と明日香にも届いていたんだろう。無事を問う声が聞こえてくる。


 だが、返事どころではなかった。


「ドでかいクラッカーを用意してたらしいなァ。外まで響いてきたぜ、ええ?」


 細かく切り分けられた天井の破片を、革靴が蹴って退かす。


 夕は息を呑んだ。


 歩いて出てきたのは、黒のジャケットにワインレッドのシャツを来た男。


 まだ若いが、のりの利いた高級そうなスーツを着こなすほどの、威圧感のある雰囲気を纏っている。


 その髪は毒々しい赤と黒のまだら模様。瞳は横に長く、不気味な視線を夕たちに注いでいた。


「だがな、生憎とパーティに来たわけじゃあねえんだよ。ガキと遊びに来たわけでもな。ただちょっと、悪戯電話イタでんかける相手を間違ったんじゃねえかって聞きに来ただけなんだよ」


 無骨な指輪を嵌めた両手から、赤銅色のオーラが立ち上り、肩までを覆う。


 手刀を胸の前で交叉し、隈取組の若頭補佐は凶悪な笑みと共に言い放った。


「さて、大学教師に、白髪しらがのガキか。隈取組ウチ荷物ブツをどこにやった?」


「お前かよ、阿黒……っ!」

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