事故物件:葬者の仕事

 闇がささくれ立ち、さざめく。


 広いリビングを埋め尽くす黒がざわざわと蠢く様は、星の数ほどの虫の群れにも似ていた。


 誰もいない部屋にいる、何か。それの興味は、部屋の中心に置かれた白い箱に向く。


 一抱えほどもある機械の箱だ。ほんの一部、暗闇の中で緑のランプが明滅している以外に、動きはない。


 ついさっき、置き去りにされた、謎の物体。闇はぎょろりと目玉を生やし、その物体を凝視した。


 実に、二年前のことである。


―――――――――――――――


「あー、大丈夫か? 結構派手に焼かれてたけど」


「大した事ねえよ」


 バツが悪そうに頭を掻く境兵に、夕はつっけんどんな態度で言った。


 時刻は午後六時半を過ぎたころ。陽菜乃の家で、やることもなくぼんやりしていた夕は、戻ってきた家主に連れられてとある高級マンションにやってきていた。


 エレベーターは広く、足元は大理石。天井は小ぶりなシャンデリア。如何にも金持ちの家という具合である。


 夕は奥の壁に背中を預けて、陽菜乃の背中を問いかける。


「こんな高そうなとこが、幽霊屋敷とはな」


「高い低いは関係ないさ。そうなった部屋は、安くなるがね」


「けど、幽霊と一緒に住みたい奴なんていないし、それが人を取って食うってなったら、猶更だよな」


 境兵は右手に鉄槌を現出させながら呟く。


 白夜の口数は少ない。天井に首を伸ばした彼女は、舌を震わせて警戒していた。


 歯擦音に似た蛇の鳴き声が、耳につく。


「何か感じるか、白夜君?」


「……いるな。詳しいことはわからねーけど、結構濃い・・のが近くにある」


「濃い?」


 夕が訊き返すと、白夜は見上げるのをやめて、境兵のハンマーの方に首を寄せた。


霊壌れいじょうだよ、わかんねーか?」


「ああ?」


「ちぇっ。センセー、説明頼んだ。アンタ、色々詳しそうだし」


「いいだろう」


 陽菜乃はスマホを取り出した。


 画面にはメーターが映っていて、赤い針が徐々に数値の上昇を示している。


 霊壌とやらを測っているのだろうか。そう思ってスマホの画面を盗み見る夕に、解説が始まった。


「生き物が死ぬと、土に還るのはわかるな? 魂も同じだ。生き物が死んだあと、その魂にも還る場所がある。それを“霊魂の土壌”、略して“霊壌れいじょう”と呼ぶ」


「つまり、あの世とか、地獄とかってことか?」


「否定はしないが、天国も地獄も、浄土もヴァルハラも、高確率で存在しないと考えられるな。輪廻転生はあるかもしれない。というのも、霊壌というのは空気と同じで、この地球上に満ち満ちているものなんだ」


 夕は首を傾げた。魂の還る場所が空気と同じとは、どういう意味だろう。


 境兵が苦笑しながら助け船を出してくれる。


「難しく考えなくていいぜ。要は、魂は空気と一緒ぐらいに思っておけば大体合ってる」


「成績評価は“不可”だ」


「えっ」


「真に受けるな。だが、人に教えられるレベルではない。


 続きだが、霊壌は死者の魂が還る場所で、どこにでもある。魂の海と言い換えてもいい。


 我々は海の中の魚のように、魂というものに常に囲まれて生きているんだ。呼び方については色々あると思うが、とりあえず霊壌と呼ぶ」


「それが、事故物件とどう関係あるんだ?」


「早い話、霊壌が濃いと妖魔が集まりやすかったり、強い妖魔が出やすくなる」


 ぞっと背筋に怖気が走り、後ずさりしそうになる。


 強い妖魔と聞いて思い出すのは、あの“墓山”の怪物だ。


 記憶は既にやや曖昧となっている。それでも、木々を破壊しながら追跡してくる、あの貪欲に飢えた息遣いのことだけは、ハッキリと思い出せた。


 夕は寒さを堪えるように己の両腕を抱くと、冷や汗を滲ませて言った。


「……つまり、あんな化け物がいるってことか?」


「オマエ、ビビるかイキるかどっちかにしろよな。あんなバケモン、そうそう出て来ないっての」


「明日香からも聞いたけど、よっぽどのが出てきたんだな」


 境兵が、鉄槌で肩を叩き、爽やかな笑顔で振り返った。


「まあ安心しろって。こういうバイトは何回かやったけど、ビビらずにぶん殴ってやれば、大体なんとかなる」


「本当かよ……」


「本当だよ。何が出ても俺が殴り飛ばすから。明日、給料でラーメンでも食いに行こうぜ」


「……!」


 夕はハッとして、境兵の背中を見つめる。


 大きく、それなりに広い。エレベーターの風景が歪み、別の光景と重なり合った。


 強い既視感、そして不安。夕は衝き動かされるように手を伸ばしたが、止まったエレベーターがそれを遮る。


 十二階に着いた。扉が開く。


「先生、何号室でしたっけ」


「一二〇九号室。こっちだな」


 扉が開くなり、ふたりは出てしまう。


 取り残された夕の背中を、白夜の尾が突っついた。


「行けよ。置いていかれるぞ」


「あ、ああ」


 促されて、歩き出す。


 白夜は夕の首に巻きつくと、耳元で皮肉っぽく言った。


「霊壌は、色んなモンの影響を受けて濃くなったり薄くなったりするけどな、濃い時は葬者も強くなるんだぜ。オマエみたいなチキンのヘッポコでも、なんとかなるだろ」


「人を取って食うとか言ってなかったか?」


「ニンゲンにも強いヤツと弱いヤツがいるだろ。妖魔は大体、勝てる相手にしか攻撃しねえんだ。普通のヤツに妖魔に対抗する手段なんてねーから……」


「対抗手段があれば楽勝ってことか?」


「そういうこった」


 自信満々に頷く蛇の顔を、夕は疑わしげに見つめる。


 遠くから陽菜乃に呼ばれて足を速めると、ふたりは事故物件の扉の前で待っていた。


「では、今日の仕事のおさらいだ。


 依頼人は不動産会社。二年冬の冬から二度、新たに入居した者がいたが、どちらも一日と経たずに行方不明となった。


 家具や金品に荒らされた形跡は無く、現場に残された手がかりは一切なし。警察は早々に捜査を打ち切ったが、不動産会社の社員が確認のため部屋に赴くと……」


「幽霊が出たってか?」


「そんなところだ。大量の毛髪に左腕を食われたと、錯乱状態で逃げ帰ってきたそうだ」


 夕は緊張して、固唾を飲み込む。“墓山”でかじられ、握りつぶされて死んだヤクザや不良仲間の死骸が脳裏に蘇った。


 白夜が尻尾で左の脇腹を突いてくる。


 左腕を振って払いのけると、境兵と陽菜乃は真剣ながらも、どこか余裕のある表情で話していた。


「食われた奴がふたりと、腕一本か。逃げ帰ってこれたんなら、獲物が逃げ出せないような巣は作ってないんだろうな」


「調査に行ったのが昼間だったらしいから、単に発現していなかっただけかもしれない。今の時間なら出ているかもな」


「うーん、やっぱ明日香が居た方がよかったんじゃねえか?」


「彼女の苦手なシチュエーションだからな……。夜刀君、大丈夫か?」


「……まあ」


 低く、曖昧に返事をすると、夕は右拳を握った。魂喰夜蛇が現れる。


 陽菜乃は合鍵を差し込んでドアノブをつかんで言った。


「今回は仕事をしつつ、君の夜葬旭を鍛えつつ、境兵との協同戦線を張る訓練だ。だが、危なくなったら戻っておいで。命あっての物種だからな」


 ちらりと境兵に視線を投げる。


 彼は肩をすくめて、深くは言及しなかった。


 陽菜乃が重い扉を開く。


 中から漏れ出てくる、冷たく粘り気のある風に頬を撫でられながら、夕と境兵は事故物件の中へと足を踏み入れた。


 その同時刻、明日香は草葉を出来るだけ揺らさないように務めながら、夜の山に分け入っていた。


 ここは譚抄山たんしょうざん。白夜と夕に出会った場所だ。私有地であり、ヤクザが人を埋めるのに使っていると、まことしやかに囁かれている、曰く付きの山である。


 今、彼女の周囲には三つ、赤々と光る炎の球が浮かび、旋回している。暗闇を追い払いながら巡る鬼火の衛星は、明日香自身の警戒心の表れだ。


 かくして、その警戒は正しかった。


 ザッ、と茂みが強く揺さぶられる。明日香はすかさず、そちらに炎を放って茂みごと隠れていた妖魔を焼き払った。


 おぞましい悲鳴はたちまち消えてなくなり、後には骨も残らない。


 炭すら残さず、溶けるように消失した植物を見て、明日香は緊張に汗をにじませた。


 闇に潜むこの世ならざる者たちが、少し離れた。いなくなったわけではない。


 ―――嫌な気配だ。


 ―――人はいないけど、妖魔は多い。


 ―――それも、異界をひとつふたつ作れるレベルの個体が、最低五体。


 ―――正確な位置まではわからないけど、前に来た時よりも、増えている。


 ―――あり得ない。


 この世ならざる者とはいえ、妖魔の行動原理は生物のそれをなぞっている。


 自分よりも弱い獲物を食らい、強い相手には出来る限り近寄らない。基本的に臆病で、威嚇する以外の理由で、人前に現れることは、なかなか無い。


 無論、人間を殺して食うほどの力があるなら話は別だ。しかし、妖魔は強くなればなるほど、濃い霊壌の中でしか生存出来なくなっていく。陽菜乃曰く、霊壌は人口に反比例し、都会に近ければ近いほど、薄くなるらしい。


 棚途市は、それなりに栄えていて、東京都心ほどではないが、都会と言っても過言ではない。本来なら、山の中とはいえ、強い妖魔が生存しにくい環境のはずだった。


 しかし、今はどうか。明日香は、山に圧し掛かる夜の帳の隙間から、こちらの様子を伺う気配をいくつも感じ取っている。


 狙っているのか、警戒しているのか。どちらにしても、隙を見せたり怯えたりすれば、食われるのみだ。


 ―――山は出るって良く言うけど、それにしても異常すぎる。


 ―――この前出会った奴なんて特にそうだ。


 色々あって、妖魔を見るようになってから、三年。


 陽菜乃とも出会い、非科学的と信じていなかった存在が実在し、あろうことか論理的に理解できる範疇のものであることを知った。同時に、自身の力を使えば狩れる程度の相手であることも。


 人、物、家。憑りついた妖魔を祓っては日銭を稼ぎ、夜葬旭ちからを磨く。そんな日々。


 そうして死の恐怖を乗り越えたと思った矢先、あの巨大妖魔と出会った。


 あり得ないほど強くなった、怪物に。


 ―――白夜、葬者狩り、棚途市を覆う結界。


 ―――同時期に現れた、異常なほど強い妖魔。


 ―――何かある。


 ―――最悪、全部白夜の狂言だったという可能性も含めて、調べないと。


 まずは、夕を追いかけてきた妖魔の出所を辿る。


 記憶だけを頼りにして、周囲の警戒を怠らず、炎を浮かべてゆっくりと進む。


 幸い、大規模な破壊痕が目印となっていて、倒れた木々によって作られた道も、すぐに発見することが出来た。


 静かで、暗い、夜の森。その闇の中で、小さく光る点が見えた。


 続いて、話し声が聞こえてきた。


 誰かいる。夜の、しかもヤクザが縄張りとする山の奥。妖魔が来たと思しき道に。


 慎重に近寄って、炎をひとつ消し、ふたつを背後に隠して茂みに隠れる。


 前方を照らす必要は無かった。既に、煌々と照らされていたからだ。


 ―――学生?


 明日香は息を殺して目を凝らす。開けた場所にいたのは、学生服を着た男子生徒たちだった。


 彼らはスコップを動かし、穴を掘っている。耳をそばだてるまでもなく、会話が聞こえてきた。


「くっそー、まだ掘るのかよ。どんだけ深く埋めたんだっつーの」


「文句言わずに掘れ」


「マジでやるの? 俺、もう嫌だぜ……」


 スコップで土を後ろに投げていた一人が弱音を吐いた。


 その頬を、別のスコップが打ち抜く。


 ひときわ大柄な男子生徒の仕業だ。彼は殴り倒した男子生徒に近づくと、胸倉をつかみ上げた。


「だったらどうすんだ、ああ!?」


「ヒッ!?」


 ドスの利いた声で怒鳴られ、弱音を吐いた男子生徒が顔を引きつらせる。


 大柄な男子生徒は、及び腰になった仲間を投げ捨てると、地に投げ出された足の間にスコップを突き立てた。


 殴られた男子生徒は怯えながらも抗議する。


「で、でもよ豪くん、このままじゃ俺たちが殺されちまうよ! 逃げた方がいいって!」


「どこに逃げるってんだ? 逃げてどうすんだ!?」


「そんなの、逃げた後に考えりゃいいだろ!? ここで大勢上の人が死んでさ、夕くんだって……」


 聞き覚えのある名が聞こえた。


 しかし、それ以上の会話は、スコップが地面を叩く音にかき消される。


 豪くんと呼ばれた男子生徒はますます怒り、仲間を蹴りつける。


「あいつの話はするんじゃねえ! あの裏切り者が……腰抜けだ腑抜けだと思ってたが、ここまでだったとはな!」


「いや、死んだっしょ。他の奴らみんな死んで、あいつだけ生き残ってるとか、ある? 絶対上に消されるって」


 ふたりが作業から抜けて、他のメンバーも手を止める。


「でもさ、上もなんか変なこと言ってくるよなあ、わざわざ埋めた死体掘り返せとかさ。この間なんて、空き家に変な箱置いてこいって命令だったし」


「黙って手ぇ動かせ! 何休んでんだ!」


 豪に怒鳴りつけられて、男子生徒たちは慌てて作業に戻った。


 明日香は少し迷う。よく見ると、彼らの制服は、夕が着ていた物とよく似ている。同じ学校の生徒だろうか。


 妖魔の破壊痕を辿った先に、夕の名を出す少年たち。“埋めた死体を掘り返せ”、“上”という言葉。そしてこの状況。


 クリティカルな情報源とはならないだろうが、手掛かりにはなるだろう。髪の色を見る限り、葬者ではなさそうだ。軽く脅して、情報を可能な限り吐かせるか。それとも、このまま黙って聞き耳を立てるか。


 明日香は目を閉じ、思考を巡らせる。


 やがて彼女は、炎を沸き立たせた。


―――――――――――――――


「よっと!」


 入って早々、境兵は引きつった笑みを浮かべると、玄関口にあった花瓶をハンマーの式神で叩き割った。


 花瓶の置かれた台も一緒になって砕け散る。破片、腐臭のする茶色の水、腐敗した花が散らばる床の上を、黒くて小さな何かが数匹、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 溺れていたゴキブリだろうか。そうであるなら、まだいいのだが。


 その一幕を見ていた夕は、背筋を震わせた。


「虫、怖いのか?」


「気持ち悪いだけだ」


 言い返すが、花瓶から逃げ出した何を覆い隠した暗闇が気になって仕方ない。


 それ以上に夕を不安にさせたのは、急に油断のない臨戦態勢に入った境兵の姿だ。


 腰を低くし、両足を踏みしめ、慎重に廊下を確認する。


 電気も点かず、真っ暗だが、葬者は夜目が利く。廊下を進んだ先にあるリビングの扉、そこにはめ込まれた硝子に、人影が横切るのが見えた。


 ゆっくりと下がりながら、境兵は言った。


「夕、蛇を出しっぱなしにして、後ろに気を付けてくれ。離れるなよ、結構多そうだ」


 境兵はそう言って、摺り足でゆっくりと進み始めた。


 廊下の左右には扉がいくつかある。すぐそばの扉をノックすると、反対側から激しく殴りつけるような音がした。


 ビクッとして後ずさる夕の手を、境兵がつかんで引き留める。


「あんまり離れるなって。蛇もしまうな、常に出しておけ」


 頷き返し、右腕に魂喰夜蛇を出す。


 白い蛇には、主の緊張が既に伝わっているらしい。輪郭をびりびりと逆立てながら、辺りを見回し始める。白夜も無言で、天井や床を警戒し始めた。


 夕は臓腑に冷たい水を注ぎ込まれたような感覚に襲われながら、境兵と背中合わせになる。


 ざわざわと何かが聞こえてくる。耳鳴りだろうか。


「細かいのが多そうだな。繁殖でもしてるのか?」


「幽霊のくせにか?」


「なんか、ほら、あるだろ。……無いか?」


「ねえよ」


「ハンショクはねえな。ただ、確かに結構いる。変だな……妖魔って、徒党は組まねえはずだけど」


 白夜はそう言って、尖らせた尻尾を鋭く突き出した。


 ギィッ、と薄気味悪い断末魔がして、鼠のような姿の妖魔が空気に溶けて消えていく。


 白夜は尻尾を戻して鼻を鳴らした。


「さっきは虫、今度はネズミ。人間の妖魔もいるな?」


「それっぽい影は見たし、そこの扉に隠れてるのも多分そうだな」


「境兵、複数の妖魔が同じ部屋に溜まってたことってあるか?」


「あーっと、無理心中した家族の家だかを掃除した時か。その時は、ペットの猫と、息子と、母親と、父親。主に母親の妖魔の巣になってて、他の奴らは延々とかくれんぼしながら、不法侵入した物好きを食ってたぜ」


「ふーん」


「まあ、とりあえずだ」


 境兵は、さきほどノックした扉を、今度はハンマーで叩く。


 さっきよりも強い殴打の音が返ってきた。どこかへ行けと言わんばかりだ。


「数がいるんなら話は早い。練習にも、ちょうどいいだろ。その蛇で出来るのは、噛みつき、尻尾ぐらいか」


「決めつけるなよ。夜葬旭は、葬者次第でいくらでも幅が広がるんだ。コイツみたいなチキンだと、難しいかもだが」


「うるせえよ」


「ハハ。じゃあ、俺が突っ込むから、援護してくれ」


 軽く笑って言われ、夕は心に冷えた風が吹くのを感じた。


 どうしてなのかはわからないまま、感情を抑えて言う。


「離れるなって、言わなかったか?」


「寂しいのか? おいおい冗談だよ、蹴るなって。俺は一発殴ったらすぐに引く。お前は蛇を噛みつかせろ。練習台はたくさんいるみたいだしな。やるか」


 境兵は一方的に話し終えると、ハンマーを振りかぶって、ノックした扉を叩き割った。


 木片が飛び散り、中から悲鳴が響く。


 枯れ木と虫の死骸と人を融合させたような姿の怪物が、怯えた表情で絶叫していた。


 境兵は有無を言わさず部屋に飛び込み、その頭を打ち砕く。


 すると、書斎らしきその部屋のあちこちから、虫と小動物を合わせたような化け物が何匹も湧いて出てきた。


「夕!」


「行け、蛇!」


 体を伸ばした魂喰夜蛇が、跳び下がる境兵の頭上を越え、危機を感じて飛び掛かってきた妖魔の一匹に噛みついた。空中に縫い留められた体を、白夜の尾が刺し貫く。


 境兵はすぐに迫ってくる二匹目、三匹目をハンマーで殴り砕き、足元に這いつくばった扁平な妖魔を蹴り飛ばす。


 ひっくり返されたちゃぶ台みたいに、節足を何本も生やした腹を晒したワラジムシ型の妖魔を、弾丸を放つような速度で伸びたハンマーの柄が撃ち抜き、奥の窓まで吹っ飛ばした。


 夕は後ろで蛇を手繰り、天井にへばりついた妖魔のうなじに噛みつかせながら、陽菜乃の車内で聞かされた話を思い返す。


 夜葬旭・“御槌みづち”。出し入れ自由、自在に変形するハンマーの式神。


「おらっ!」


 夕が右腕を振り下ろし、天井から引きはがした妖魔を、境兵が長さを戻したハンマーで殴り上げて頭を打ち砕く。


 唯一生き残っていたワラジムシに似た妖魔は、ジタバタと暴れながらも元の体勢に戻ったが、上から降ってきた白夜の尾に刺し貫かれ、噛みついてきた魂喰夜蛇に引き裂かれた。


 破裂し、陽炎のように掻き消えるこの世ならざる者たち。


 数体がかりでもあっさりとした手応えは、いつものことだ。威嚇に怯えず、思い切り殴り返してやれば、妖魔は消えるか這う這うの体で逃げ出していく。


 今回も大して手間はかからなかったが、残った違和感に境兵は首を傾げた。


「ま、とりあえず、クリアっと。いい援護だったぜ、夕。……あれ、夕?」


 振り返ると、夕の姿が無くなっていた。


 後ろにいたはずだったのに、影も形も見えない。白夜の罵声もない。


 首筋に氷を当てられたような感覚を覚えて、境兵は突入した部屋を飛び出した。


 廊下の先、人影を幻視した扉が閉じられる。


 何が起こったのか、瞬時に察した。


「やべっ、夕!」


 駆け出し、閉じた扉へと向かう。


 木製で、縦に長い硝子がふたつ嵌め込まれており、向こうが見えるようになっているはずのそれには、べたべたと無数の手形が付けられていた。まるで、扉を押さえつけるかのように。


 境兵は迷わずハンマーを振り、扉の破壊を試みる。


 音はならなかった。順平の手に返って来たのは、柔らかいクッションを殴りつけたかのような手応え。


 鉄槌の頭部が、スライムか飴細工のようにグニャリと歪んだ扉に受け止められていた。


 扉に埋まったハンマーを軽く動かすと、不気味な弾力があるとわかる。境兵は躊躇いなくハンマーを手放し、新しいものを創り出した。扉に飲み込まれた方は、直ちに消失し、不満そうに蠢く扉だけが残される。


 そちらを気にしつつも、境兵は摺り足で後ろに下がった。


 右のキッチンから、左の寝室に繋がる部屋から、悍ましく顔の歪んだ人型の妖魔が這いずって来る。


 それらは、リビングに繋がる扉を守るように、境兵の前に立ちふさがった。


 よく見ると、二体の妖魔の手足や胴体から、黒いチューブが―――髪の毛の束が伸び、どくんどくんと気味悪く脈動している。


 なんとなく、境兵は敵の正体を察した。


「あー、なるほど、そういう感じか。……ヤバくねえか?」


 吐瀉物のような、鼻の奥をツンと刺激する悪臭がする。


 後ろからも、ゴキブリの群れのような何かが、ざわざわと境兵に近寄ってきていた。


 昔受けた、陽菜乃のレクチャーが思い出された。


“妖魔は基本、徒党を組まない”


“力の強弱がはっきりしているなら捕食・被食の関係を作り、同等ならばあの手この手で食おうとする”


“死して、むき出しの生存本能のみの存在となったせいか、それ以外のものが抜け落ちるのかもしれないな”


“ただ、人は例外だ。生命維持と関係ない執着が、生存本能と擦り替わるケースがある”


“そういう妖魔は、他の妖魔に寄生したり、隷従を強いるんだ”


“結果、蟻や蜂のコロニーに似たものを作り出す場合がある”


“ただ、巣を同じくする妖魔が増えれば、霊壌も相応に濃いものが要るし、餌となるも一匹分じゃ足りなくなる”


“なので、比較的レアケースだ。雑学程度に覚えておいてくれ”


「……レアケースじゃねえか!」


 境兵の叫び声を合図としたか、妖魔たちが一斉に境兵へと襲い掛かった。

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