無力感:ドロップアイテム

「それで、結局倒せずに帰ってきた、と」


「痛み分けってことにならないか? ドロップアイテムも手に入ったことだし」


「倒せないんじゃ、意味ないでしょう。そういう仕事なんだから」


 翌日、模擬戦で使った廃ビルの最上階で、境兵と明日香は言い合いをしていた。


 反吐と一緒に吐き出された境兵は、意外にもケロッとしている。曰く、朝日を感じて生の実感を得たらしい。


 空は相変わらず結界によって真っ黒に染まっているが、そう見えるのは葬者だけ。太陽も、彼らの目には見えないだけでちゃんと棚都市中に降り注いでいる。


 そのせいで、地上は昼間で頭上は夜という、おかしな状態になっているのだが。


「あれは俺よりお前の方が向いてるって。だいぶ弱らせたはずだし、トドメは頼んだ」


「信じられない。嘔吐させた怪物の駆除だけを押し付けるつもり?」


「仕方ないだろー? 今にして思えば、あいつ自身が迷い家になってるんだと思う。急所っぽいのも見つからなかったし、御槌じゃどうにもならねえって。お前が燃やしてくれ」


「必死さが足りてないんじゃない?」


「必死になったから今生きてるんだよ!」


 境兵は溜息を吐くと、陽菜乃を見た。


 こちらに背を向け、パソコンの隣で機械の箱をいじくっている。


 表面をなでたり、軽くノックしたり、耳を当てる様は、どこか医者のようでもあった。


「先生、なんかわかりました?」


「ああ。ふたりとも、こちらにおいで」


 陽菜乃は隣に移動し、ふたりを招く。


 箱の表面は凹凸が無く、ケーブルやUSBメモリを差すような穴も見当たらない。


 唯一、小さく緑のランプが明滅しているものの、それが何を表しているのかは不明だ。


 明日香は胡散臭そうな表情で腕を組んだ。


「妖魔が吐き出したって言ってたけど、どうしてこんなものを? これ以外にはなかったの?」


「知らん。吐き出された後、これが近くに、ってか、俺の頭の上に落ちてきたから、とっさに持ってきただけで」


「呆れた」


「だから必死だったんだって!」


「はいはい静かに。わかったことならある。機能、用途、制作者の三つだ」


 口論を止めたふたりが目を丸くする。


 陽菜乃はスマホを取り出して、機械の傍に置いた。


 画面のメーターが、青から黄、赤へと振れていく。最終的に、振り切れるというほどではないが、かなり高い数値を示した。


「先生の霊壌れいじょうメーターが……」


「おいおい、今は真昼間なのに、なんで真夜中の激ヤバ心霊スポットみたいな数値が出てる?」


「それがこの機械の機能だからだな」


 陽菜乃は液晶を見ながら、さらりと告げた。


「詳しくは開けてみないとわからないが、この箱は凄まじい“魂”を放出している。


 知っての通り、魂は空気のように世界に満ちているものだが、同時に万物に宿るエネルギーでもある。


 特に生物の体に多く存在し、体が大型化すればするほど、脳の働きが活性化していればしているほど魂を多く含むようになり、死亡時に放出される。


 放出量は、生に執着するほど多くなり、生に強く執着したまま死亡すると、魂のうち生存本能と呼ばれる部分が切り離されて、妖魔となる」


「でもこれ、見るからに機械ですよね? え、生き物?」


「普通なら考え辛いな。だが……」


 スマホの画面がカメラに変わる。


 サーモグラフィーにも似た青い背景に、機械の箱を映すと、箱は熱波を放つ真っ赤なシルエットとなった。


「なんらかの方法で、凄まじい量の魂を放出し続けている。用途は恐らく、霊壌を“肥やす”こと。そして妖魔を強化することと見て間違いない」


「誰が、なんのために?」


「結界を張った者だ」


 明日香の問いに対する答えは、端的だった。


「恐らく、この機械から発する魂を目当てに、妖魔がやってきた。


 奴らは魂だけの存在で、生存のための捕食は必要としないが、強くなるために他の魂を食う必要がある。


 そこで妖魔はこの機械を飲み込んで、継続的に自身の強化に当てていたのだろう。そうして、入居者や、新たに惹かれてやってきた妖魔を食らい成長した」


「そういえば、雑魚の妖魔が妙に多かった。操られているのもいたし」


「妖魔が霊壌の濃い場所を嗅ぎ当てるメカニズムについては不明だが、ともかく、あの巣の主が持っていたこれに惹かれたんだろう。


 ここからは仮説だが、一二〇九号室は、ひとつの檻だったのだろう。妖魔を捕らえ、飼育する檻だ」


「なんだって、そんなことしたんだ?」


「わからない。あくまで仮説だ。あの妖魔が来たこと自体、イレギュラーという可能性も……いや、だとしたら、入居者を入れるはずはないな」


 陽菜乃は俯き、考え始める。


 部屋と一体化していた強力な妖魔。目玉を潰されても怯んで逃げ出したりはせず、逆に反撃する凶暴性。無限に続いていそうな食道。他の妖魔を操る力。


 あれほどの手合いには、今まで会ったことがない。


 そこで、境兵は聞きそびれていたことを思い出した。


「ところで先生、夕の奴は? 生きてますよね?」


「生きてはいるが……」


 回答が詰まった。


 辛抱強く続きを待っていると、陽菜乃は珍しく目を泳がせて、歯切れ悪く言う。


「その、随分と落ち込んでいてな。今は私の家で休ませている」


「初仕事にしちゃ、ハードでしたからね」


「そうだな……」


 陽菜乃は苦い表情で頷いた。


 あの仕事を持ってきたのは陽菜乃であり、夕と同行させたのも彼女だ。責任を感じるのも当然だった。


 いつもならば、軽く下調べしてから挑むのだが、今回ばかりは逼迫した状況から、時間がないと言い訳をして、疎かにしてしまった。いつも通り、境兵だけでも問題ないだろうと。


 そう思った途端に、これだ。神とやらがいるのなら、なんと意地の悪い。


 自宅に残してきた夕のことを思っていると、明日香が小さく挙手をした。


「先生、ひとついいですか?」


「どうした?」


「あの子のことで、ちょっと」


―――――――――――――――


 星無き夜より暗い空。


 なのに日差しだけは燦々としていて、車も人も多く行き来している。


 平日昼間だけに静かではあるが、駅前に行くと、やはりその分人通りは多かった。


 夕はパーカーのフードとキャップ帽の鍔が作る影から、あてどなく駅の周りを散策していた。


 俯き気味に、ポケットに手を突っ込んで、ぼうっと歩くその心は、昨夜に置いてきたままである。


「おい、おい。戻れって、おい!」


 フードの中に身を潜めた白夜が囁きかけるが、夕には届かなかった。


 気づかぬ間に妖魔に捕らわれ、引きずりまわされたこと。


 餌として食われそうになったこと。


 必死の想いで繰り出した魂喰夜蛇をあっさりと消されたこと。


 今でも心臓が震えるようだ。弱き被食者であることの恐怖が、しっかりと根を張ってしまっている。


 ―――いや、違うな。


 夕は胸元に手を当てた。


 昔から、何も変わらない。兄を失い、ヤクザの前で這いつくばって許しを乞うたあの時と。


 許されず、殺されるもしもの自分が、あの妖魔の俎上にいただけだった。


 高架下に踏み入った夕は立ち止まり、コンクリートを殴りつける。


 ぺちっ、と弱々しい音がするだけだった。


 痛む拳を強く握る。


「ぐ……くっ!」


 悔しい。


 弱く、臆病で、牙を抜かれた負け犬であることを、自分の身をもって証明してしまったことが。


 妖魔に呑み込まれた時、酷く動揺して、何も出来なかった。


 それどころか、境兵にしがみついて、ひたすらに震えていた。


 普段の夕なら、死んでもやらないようなことを、心の底から恐怖と絶望を味わったあの瞬間に、やってしまった。


 気の迷いで済ませることが出来たら、どれほどよかっただろう。


 あるいは一晩寝て忘れてしまえたなら、すんなり割り切れたかもしれない。


 けれど、夕は全て覚えていた。


 命からがら逃げ延びた後、境兵に頭を撫でられたことが忘れられない。


 力強く抱きしめられた時のことが、無事で良かったと微笑まれた時のことが、どうにも頭から離れないのだ。


 腰が抜けるほど安堵してしまった自分が。


「くっそぉっ!」


 コンクリートの壁に額を打ち付け、ずるずるとしゃがみこんでしまう。


 兄が死に、ヤクザの犬となってから、ひたすら喧嘩に明け暮れた。


 相手は誰でも良かった。誰かを殴り倒している間だけ、自分の無力さを忘れられたからだ。


 弱くて兄に守られてばかり。死んだ家族のかたき討ちをする度胸もない。そんな惨めさを、拳を振るって慰めた。


 そして今。持っていた全てを失い、目覚めた力さえ使い物にならず、挙句また守られて、安堵して。膝を抱えて、うずくまっている。


 叫び出したかった。この身を引き裂いて、死んでしまいたかった。


 屈辱だ。


 耳元で大きな溜息が聞こえ、左耳に痛みが走る。夕は思わず立ち上がった。


「痛ってぇ! 何すんだ!」


「何度も呼んでるのに、無視するからだろーが! いつまでもウジウジしやがって、ムカつくぜ!」


「んだと……!」


 夕はフードの中に潜んだ白夜をつかんで、目の前に引きずり出す。


 白夜は夕を真っ直ぐに見つめていた。


「とっととウチに戻れ。今外に出たら危ないって、センセーが何度も言ってただろ!」


「うるせえ、ひとりで戻ってろ! どこに居ようが俺の勝手だ!」


「離れられねーから言ってんだよ! オマエまで死んだらオレも死ぬ! わかったら戻れって。ろくに戦えねーで、死にたくねえとかビービー泣いてるような子猫ちゃんはよ!」


 反論に詰まった夕は、白夜を握る手に力を籠めた。


 ぐえっ、と口を開けて白夜が呻く。


 構わずに、蛇の喉を握りしめる。


「戦わねえのはお前だって同じだろうが……! 大体、俺はお前のせいで……っ!」


 途切れ途切れに怒りの言葉を吐き出していると、夕の小柄な体を人影が覆った。


「おい、ガキ」


「チッ、なんだよ、今取り込み中……」


 振り向きながら放たれた文句は、ピタリと止まった。


 目の前に立っている相手に見覚えがあったからだ。


 フットボーラーと見紛うような体格に、黒い縮れ毛。やや高校生離れした顔立ち。


 不良仲間とは名ばかりの、夕の高校での“上司”。


「豪……?」


「あ? 俺を知ってんのか」


 不機嫌そうに吐き捨てられ、夕は思わず知っているに決まってる、と言いかけた。


 止めさせたのは、豪の瞳に映る自分の姿。


 小柄で華奢な、見るからにか弱い“乙女”の自分。


 たじろいだ夕の腹に、重い拳が叩き込まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る