強行策:強行軍

 上着の下にあったものは、あまりに凄惨だった。


 真っ二つにされた機械の箱の左側に、配線や基盤。


 右側には、人の頭部が丸ごとひとつが収められていた。


 四角いケースは、頭部がギリギリ入るサイズ。露出した脳には電極やケーブルがいくつも取り付けられていて、頸部や口腔にも大量のチューブが突っ込まれている。


 ホルマリン漬けのように、ケースには液体が満たされていて、普通に考えてればとうに死んでいるだろうが、細かく動く頬の肉や、恐ろしい苦痛に染まった表情を見ていると、まだ生きているのではと邪推してしまう。


 感づいていたとはいえ、やはり実際に見るとかなりショックだ。明日香も動揺したらしく、口元を抑えて距離を取る。


 陽菜乃は顔を歪めて、ジャケットをかけ直した。


「……酷いな」


「だから見ない方がいいって言ったじゃないですか……」


 背中を向けた境兵がぼやく。


 実際に彼の言う通りではあったが、目を逸らすわけにもいかない。すぐに呑み込めるかは別として。


 うっ、と呻く明日香の肩に手を置いて、ソファに座らせた。


「それで、これが夜刀君の兄だって?」


「そう言ってましたね。見間違いかもしれないですけど」


「見間違いなら、どれだけマシなことか。確認させる気も起きないがな」


「でしょうね。俺も二度見は御免ですよ」


 少なからず憔悴した声音に、同意せざるを得なかった。


 一人で呼吸を整えた明日香が、咳払いをする。


「でも、これでメカニズムはわかりましたね。死んだ人間を使っていたから、“魂”を放出できていた」


「わかりたくなかったまであるぜ……。そういえば、あの妖魔はどうした?」


「焼いてきたわ。確かに、それなりに強かったわね」


「……譚抄山たんしょうざんで見たっていう奴と、どっちが強かった?」


「一概には言えないけど、山で会った方は、少なくとも私では倒せなかった」


 即答され、境兵はうへえ、と声を上げる。


 今まで見てきた妖魔なら、驚かしに動じず、一撃入れてやれば、死に体で逃げ出した。


 なんなら、逃げた先で形を保てなくなり、消滅することさえある。


 しかし一二〇九号室に憑いた妖魔は違った。凶暴で、無限に湧いてくる髪と、どこまでも続く食道を持ち、どんなに攻撃してきても底が見えなかった。


 そんな敵よりも強い敵など、想像もしたくない。


「マジでどうなってるんだ……? 前はこんなことなかったのに」


「もしかすると、見落としていただけかもしれないな。今回の事故物件は、二年ほど経って、ようやくそうだとわかったぐらいだ。問題は、なんのためにそんなことをしたか、だ」


「じゃあ、白夜を追いかけてる連中とは、無関係ってことですか?」


「そうとも言い切れないわ。葬者狩りの結界が張られたのはつい最近。事故物件は二年前から。考えられる可能性は、三つ」


 その一、事故物件と葬者狩りの結界は無関係。


 その二、両方とも、白夜の捕獲のために行われた。


 その三、同一犯の仕業だが、目的は別々。


 指を立てた明日香は、陽菜乃に水を向ける。


「鬼木原先生、どう思います?」


「なんとも言えないな。犯人を捕まえて聞いてみないことには、どれもあり得る」


「マジで言ってんですか、先生?」


 箱の残骸に嫌そうな顔を向けながら、境兵が言う。


 彼が言わんとしていることなど、今更確認する必要もない。


 明らかに非人道的な扱いの果てに作られた機械。


 それを妖魔に供し、規格外の怪物を生み出す所業。


 葬者狩りと関係があろうがなかろうが、犯人はまともではない。


 そんな相手に、一体誰が近づきたがるだろう。


 陽菜乃には、その気持ちがよくわかる。


 だが、そうも言っていられないのだ。


「私とて、こんなことをする人物とお近づきになどなりたくないさ。


 しかし、君も触れたのだからわかるだろう。あの結界がある限り、私たちは街の外に出られない。相手の目的がなんであれ、我々は袋の鼠なんだ。


 最悪のパターンは、葬者狩りと箱の制作者が同一人物、ないし勢力である場合。


 もし妖魔を飼育し、使役し、猟犬のように運用できるのだとすれば?」


「巻き添えを食らうのは確実、ですね。白夜を捕らえたいなら、葬者を恐れないほど強い妖魔を使うでしょうし。それに食われるだけなら、まだマシな末路と言えるかも」


「どう足掻いても、いつかは戦うしかねえ。そういうことですか」


「そういうことだ。一二〇九号室の妖魔は、話を聞く限り地縛霊の類で、猟犬には向いていないかもしれないが」


「野郎自体が、妖魔を操ってましたよ」


「その力をなんらかの方法で応用できれば、あるいは。妖魔の成長には謎が多いし、単に失敗作で放置されただけという可能性もあるが、それは希望的観測だろうな」


 境兵は頭を抱え、明日香は難しい顔で黙り込む。


 情報は少なく、状況は錯雑していて、悪い想像ならいくらでも出来てしまう。


 そんな状態で、逃げの一手は明らかに悪手だ。棚都市中を時間をかけて、しらみつぶしに探されれば、いつかは見つかってしまう。


 それ以前に、結界が街全体を覆う広さのままである、という確証すらないのだ。結界を縮小する方法があるのなら、それだけで見つかりかねない。


 どこかで打って出るしかないのだ。敵の正体もわからないのに、待ち続けることは出来ない。


 幸い、手がかりはある。細い糸に過ぎないが、例え藁でもかき集めねば。


 陽菜乃が“糸”を手繰るため、席を立つ。


 重苦しい空気に圧をかけられたふたりを残して、陽菜乃は寝室に向かうと、夕は変わらず丸くなっていた。


 顔を覆う白髪を指の背で退かす。


 陽菜乃の爪が肌に触れ、過剰なほど強く反応したが、叫び出すような事はなかった。


 隠れていた瞳が動いて、こちらを見上げてくる。恐怖に脅かされてはいるが、理性の光も確かにあった。


「大丈夫か?」


「…………」


 夕は何も言わず、陽菜乃から目を逸らした。


 白夜が現れて首を伸ばしてくる。揺らめく輪郭を撫でてやりながら、陽菜乃は穏やかに尋ねる。


「あの箱の中身を見たそうだな。あれが君の兄というのは……」


 ぼふっ。くぐもった布から埃を立てて、夕が跳ね起きる。


 白髪の少女は陽菜乃につかみかかり、怒り、恐怖、悲しみ……様々な表情を波立たせた。


 何かを伝えようと、唇が開く。陽菜乃は無言で応えを待っていたが、夕は耐えかね、陽菜乃の肩に額を押し付ける。


「間違い……ねえ。見間違えるはずがねえんだ。あれは……兄貴、だった」


「……確かなのか?」


 ぎこちなく頷く。


 小刻みに震える肩に手を置くと、それは少し骨ばっていて小さく、弱々しかった。


 陽菜乃は負い目を深呼吸で押し殺す。


 今こうしている間にも、脅威は迫っている。休ませてあげたいし、落ち着くまで待ってあげたいが、時間は許してくれないのだ。


「言いたくないことかもしれないが、どうしても必要なことだ、聞かせてくれ。君のお兄さんが亡くなったのは、どれくらい前だ?」


「三年前……っ、俺が、中一の、とき……っ!」


「誰にやられた?」


「ヤクザだよっ!」


 夕の語気がいきなり荒くなった。


 白魚のような指が爪を立て、衣服越しに陽菜乃の肌に食い込む。


 過去から今にかけて、積み上げられてきた全ての感情が、夕の中で複雑に混ざりあい、他ならぬ本人の心を滅茶苦茶にかき乱していた。


「隈取組……あいつらが兄貴を殺したんだ! あいつら、兄貴の死体を、俺の前で、ずたずたに……っ! 俺、怖くて、何もできなかった……! うっ、うぅ……っ!」


 夕は泣きじゃくりながら、きゅっと足を閉じる。


 陽菜乃は夕を抱きしめ、優しく頭を撫でてやりながら、思考を巡らせる。


 隈取組。古くから棚都市に拠点を置く暴力団。普通に暮らしていれば、噂程度にしか、名前を聞くことはないだろう。彼らの息がかかった闇金から借金でもしない限りは。


 陽菜乃も、それほど詳しくはない。だが、明確に繋がった。


 譚抄山たんしょうざん。表向きは、どこぞの保険会社の私有地。その実態は、隈取組が破産した債務者の死体を埋めているという噂がまことしやかに囁かれる山。


 白夜と明日香、そして夕が、規格外の強さを持つ妖魔に出会った場所。


 同様に、とんでもない強さだったらしい、一二〇九号室の妖魔。その腹から出てきた機械に、夕の兄。死亡したのは三年前。かの事故物件に妖魔が住み着いたと思われるのは、二年前。


 確定するにはまだ早いが、無関係では決してない。


 ―――暴力団か。


 ―――まあ、人選としては妥当といえば妥当だが、黒幕ではないだろう。


 ―――土着の暴力団が、街の外から逃げてきた白夜を付け狙う理由が、思いつかない。


 ―――いずれにせよ、危険を承知で挑まねばならない相手、か。


 陽菜乃は嘆息をぐっと堪えて、夕から離れた。


 小さくほっそりした手は、強く陽菜乃をつかんでいた割にすんなりと外れ、ベッドに落ちる。


 打ちひしがれた白髪の少女の両目から降った涙が、ベッドに点々と染みを作る。


 そんな彼女の肩を叩いて、陽菜乃は低く囁いた。


「夜刀君。兄の仇を、討ちたくはないか」


「……俺は」


 夕は懺悔するかのように、深く深く頭を下げる。


「俺は……」

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