終わりを告げる
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
銃声より数秒遅れて、
穿たれた右腿を押さえる手の下から血が滲み、床を汚す。
その様を見下ろしながら、拳銃を手にした男は歯をむき出した。
唇を歪めたその顔は、苦い憤りを噛み潰している。豪を囲んで見下ろす強面の男たちも、同様。
豪はヒィヒィと息をし、大粒の涙を零す。今の自分は、配下である不良少年たちには絶対に見せられない顔をしている。あるいはこの状況だ、どんな不良も震えあがって、失禁してるかもしれない。
焼き
もう一度撃つかどうか、拳銃の持ち手は悩んでいたが、怒りに満ちた鬼の形相をしているため、周囲には悟られない。不良少年に過ぎない豪には、夢のまた夢だ。
拳銃を手にしたスキンヘッドの中年男……指定暴力団・
「おい春帯ィ……」
「す、すいません、すいません隈取組長! で、でも……本当に、本当にわからねえんです! 俺たち、仲間っ、殺されて……ヒィィッ……!」
上擦った声で訴え、豪は体を丸めた。土下座に近い、無様な姿。
隈取は銃とは逆の手につかんだ、豪のスマホを見た。
画面には、凄惨な現場が映っていた。“墓”には、ぐちゃぐちゃに潰され、千切られた肉塊の数々。
原型こそ留めていないが、肉塊を包むのは、制服や背広。それらについたエンブレムやバッジが、身元を全て物語っていた。
およそ、人の手によるものではない。まして、痛みと恐怖に負け、虫のように体丸めた豪が犯人のはずもない。隈取も、それはわかっている。
だが、組員が何人も殺された以上は、関係者に落とし前が要る。事実を明らかにし、犯人にも責任を取らせる。でなければ、隈取組は畏怖と威厳を失い、ナメられる。そうなれば、隈取組は瓦解するだろう。
それは断じて許されない。隈取は、親分の名に懸けて、子分に未来の繁栄を約束する義務がある。
なればこそ、暴虐を。そして、組員に真相を。敵対者には報復を。
手始めに、一昨日の仕事を請け負い、引き継いだ豪を締め上げる。
隈取は豪の縮れ毛を鷲掴みにして、無理やり引きずり上げた。
豪も大柄だが、隈取はそれ以上に大柄だ。プロレスラーのような肩幅と胸板が、特注のスーツを引き裂かんばかりにいきり立っている。
「ツラ上げろ、春帯ィ! 一昨日の仕事はお前ン所に任せたんだ。
「ひ、ひっ……か、勘弁してください! お、俺は……あのジジイの家で金目の物を集めて、後の始末は雑飼さんに任せたんです! あの人が、夕の奴をテストするって言ったから……!」
「じゃあ、そいつの死体がこの肉の山にねえのは、どういうわけだ!」
「知りません知りません! あいつ、学校にも来てないんです! 家にもいなくて……!」
「あのガキの
隈取は豪の頭を床に叩きつけ、側頭部を踏みつける。
豪は涙と汗を滝のように流し、下着を濡らす水気を感じながら怯えることしか出来なかった。
内心は、夕への恨み節でいっぱいだ。
―――あいつが雑飼に認められようが認められるまいが、俺のキャリアの踏み台に出来るはずだった!
―――それがどうして、こんな目になってやがる!?
―――あの野郎、どこに消えやがったんだ。なんで俺がこんな目に!
殺されるかもしれない。実際に発砲された事実と、隈取の剣幕がそう思わせる。
あるいは、今にも頭を踏み潰されるのだろうか。
がたがたと震えながら、祈るように目をつぶることしか出来ない豪に、タイミングよく救いの手が差し伸べられた。
「隈取組長、どうかその辺で。その少年を拷問しても、何にもならないでしょう」
「
ヤクザの事務所に、まるで自分のオフィスに入るかのような足取りでやってきたのは、顔を包帯でぐるぐる巻きにした異様な風体の人物だった。
フード付きのコートを深く被り、目元を色付き眼鏡で隠した不審人物は、居並ぶヤクザたちを迂回して隈取の近くにやってきた。
「あの現場を見て、よもや人間の所業などとは思っておられないでしょう。人の殺し方は、そちらの方がよくご存じのはずです」
「ハッ。じゃあ何か? あの山に埋めてきたゴミ共の亡霊が出て、俺たちを祟り殺したとでも言うつもりか? 気に入らねえな、千免さんよ。あの山をゴミ処理場にしろと言ったのは、どこのどいつだったっけなあ?」
「私です」
「私です、と来たか。……ざけたこと言ってんじゃねェぞゴラァッ!」
ドン、と銃声が事務所に轟き、包帯男の足元に小さな穴を空けた。
流石に千免もこれには動じたようだ。咳払いをして平静を繕う彼に、隈取は威圧的に歩み寄り、肩に手を置く。
「“貴社”は、俺たちに山を貸した。うちの私有地にし、賃料の代わりに死体を埋めろと。うちの組員が死んだのは、その結果かァ! 何を企んでやがんだ、ええッ!?」
「っ……。隈取会長、どうか冷静に。我々としても、これは想定外といいますか」
「何が想定外だゴラァ! 俺の子分が死んだか? どっちにしろ、お前らの過失には変わりねえだろうが! どう落とし前つけるつもりだ、ええッ!?」
隈取の手が、千免の胸倉に移った。
衣服もろとも、首をねじ切らんばかりの勢い。千免は危うく窒息しかけながらも、口車を回す。
「お待ちください、異常事態の原因はわかっています! 先ほど、そこの少年が言った、ただひとり見つからなかった不良少年がおりましたでしょう。その子供が原因なんです!」
「夜刀のガキがか……?」
隈取のこめかみに青筋が浮かぶ。
棚途市警は彼らの手先だ。彼らの手により、
死体の中に、夜刀夕はいなかった。
副本部長の雑飼が、鉄砲玉として採用するかテストすると隈取に言っていたことと、先ほどの豪の証言を合わせると、いないのは妙だ。念のため“墓”を掘り返したが、出たのは債務者の死体がひとつだけ。
第一容疑者を挙げるなら、間違いなく夕だ。
しかし、隈取は知っている。彼に、そんな度胸も、力もない。中学生の時から、彼を見ていたのだ。
隈取は、千免を投げ落として尻餅をつかせると、拳銃を包帯の額に押し付ける。
「どういう意味だ? 俺の子分たちの死にざまは、
「え、ええ。ですが、事は少々複雑なのです」
「全部話せ、今ここで。俺の子分たちの……死んだ連中の兄弟分の前で。全員を納得させろ」
「……わかりました。元より、そのために来たのですから」
胡乱な包帯男は正座をして、服と息を整える。
集まった組員たちは皆、
怒りの矛先が自分から逸れたと知った豪もまた、冷めやらぬ緊張と恐怖の中で、千免を見る。
死の恐怖はもちろんある。だが、それが夕のせいだと言われては、無視できない。
隈取組副本部長雑飼をはじめ、不良少年までもが、人の手ではありえない死にざまを晒している。
叩き潰され、食いちぎられ、握りつぶされたアルミ缶のようになった死体たち。
それをやったものの正体を、誰もが気にした。
「遅ればせながら……隈取組長、此度の件、真に心の痛む事態でありました。よって、“本社”を代表してお悔やみを申し上げます」
「能書きは良い、早くしろ。子分たちの気は長くねえ。無論、俺もな」
「もちろんです。しかし、ここから先の話は、少々信じられないものであるかもしれません。ですので、先に私の誠意をお見せしたく思います」
「誠意? またぞろ、新しいサービスか?」
「それもありますが、まずは手始めに……」
千免は震えながら呼吸した。
包帯を唯一包帯で塞がれていない口から息を吐き出し、背筋を伸ばす。隈取は眉をひそめた。胡散臭い包帯男が、命懸けの覚悟をしたことを察したからだ。
千免は人差し指を一本立て、自身の眉間を指差した。
「私の
「…………ア?」
その場にいた全員が呆気にとられる。
しかし、笑う者はいなかった。千免の纏う異様な雰囲気……張り詰めた覚悟の気配が、周囲の空間を圧迫していた。
―――――――――――――――
夕が落ち着くまで、結構な時間がかかったが、それは単にパニックが一時的に騒ぎ疲れたに過ぎない。
悪夢のような目に遭い、気が付けば白髪の美少女になっていて、腕には蛇が巻きついている。
起きたのは知らない女の部屋。その持ち主も、指に炎を灯す妙な力を持っていた。
そんな奇天烈な状況を、すんなり飲み込めるはずもない。
心臓がまだ、衝撃に脈打っている。夕はベッドの毛布を身にまとい、自分の体を極力見ないようにしながら、答えを求めて赤髪の少女を凝視した。
何か訊こうとして、そもそも名前さえまだ聞いていないことに気づいて、半開きになった唇を泳がせた。
毛布の隙間から、白い蛇が顔を出す。
「あー、そろそろ話を進めてもいいか?」
「……話って、なんだよ」
不機嫌そうな蛇に、夕はさらに不機嫌そうな声音で返す。
白蛇は、するすると体を伸ばして、警戒しっぱなしの赤髪の少女と夕を見下ろした。
「とりあえず、現状からだ。俺もさっき目覚めたばっかりでな、完全に理解出来てるわけじゃねえ。南条、オマエは?」
「下の名前で呼んでって言ってるでしょ。明日香よ。あなたもそう呼んで、いいわね?」
曖昧に頷く以外に、何もできない。
毛布を羽織り、怯えた眼差しで見上げる夕を、白蛇は不満げに睨んだ。
「とりあえず、おさらいだ。南……いや、明日香。昨夜、バカデカい妖魔に遭ったのは覚えてるな?」
「ええ。で、その子の前身、と言っていいのかわからないけど、とにかく男の子を助けた。……そうだ、これ。返すわ。もう使えないと思うけど」
ゴミでも捨てるかのように、夕の傍に何かが投げられる。
見れば、それは夕の学生証だ。
当然、映っているのは写真写りの悪い黒髪の少年の顔。
本来の、夕の顔。
夕はぎこちない動きで生徒手帳を拾い上げ、自分の顔と姿見を交互に見つめる。少女と蛇はそれを放置した。
「私は途中でダウンしたけど、何があったの? 巨大な蛇の式神が妖魔を倒したのは見たけれど」
「そうだ。“魂喰夜蛇”、それがこの蛇の名前だ。このガキの
「……待て、待ってくれ」
思考が限界に達して、夕は弱々しく静止した。
ただでさえ白い肌はすっかり青ざめ、病人のようですらある。
「いきなりあれこれ言うなよ……。何が、どうなったって? あの山で見たあいつはなんだ?」
「マジでそこから話さなくちゃいけないのか? 本当に何も知らねえって?」
「知らねえよ……。あんなのを見るのは生まれて初めてだ。生き物なのか?」
「チッ、わかったよ」
白蛇は苛立たし気に体をくねらせて、明日香に目配せをする。明日香はスンと鼻を鳴らして肩をすくめた。説明を手助けする気はないらしい。
うんざりした声音のレクチャーが始まった。
「あの山に出てきた化け物は、“妖魔”って言う。幽霊、妖怪、妖精、悪魔……古くより様々な名で呼ばれてきた、この世ならざるもの。それらをひっくるめた呼び方だ。生き物と言えば生き物。死者と言えば死者。ま、この辺は面倒臭いから、後でな」
「なんで俺、こうなってる?」
「そっちも話すと面倒臭いんだが、一言で言うなら俺の
夕は白夜をじろっと睨んだ。
白夜の説明自体はそれなりに丁寧だが、合間合間に溜息が挟まり、不満を隠しもしない。その態度が鼻に突いた。
明日香が口を挟んでくる。
「で、あなたの夜葬旭って、何? 他人を女の子にして、その式神に寄生出来るの?」
「寄生とか言うな! オレだって、好きでこうしてるわけじゃねえんだよ!」
「はいはい。じゃあ、何?」
「……夜葬旭“
「つまり、何か? 俺は幽霊に憑りつかれてこうなったってのか?」
「はは、ファンタジック。もうちょっと複雑な事情があるけど、オマエの頭じゃ理解出来ねえだろうよ」
蛇が自棄になったように笑う。乾いた言葉の裏側に、様々な感情が見え隠れした。
そして悔しいことに、白蛇が言うように、夕にはサッパリだ。自分が少女になったという現実さえ飲み込み切れていないのに、知らない概念を捲し立てられては、ただただ呻くのが精一杯。
そちらに慣れ親しんでいるらしい明日香は、何か思い至るところがあるのか、考え込みながらも頷いた。
「いいわ、今は大まかな説明で充分。あなたは白夜で、今はその子と一蓮托生。合ってる?」
「不本意ながらな」
「なら出て行けよ。俺の体、元に戻せ」
「出来たらとっくにやってるんだよ」
もう何度目かもわからないような、深い深い溜息。溜息を吐きたいのは夕の方だ。
だが、明日香にとってはむしろ、喜ばしい事態であるらしかった。
冷徹な瞳がチリチリと油断ならない火花を散らす。
「昨夜の話の続きだけど。白夜、あなたを私の仲間に紹介してもいい。協力もしてあげる」
「本当か?」
「あなたの知っている情報を全部提供すること、あなたが全面協力することも条件だけど」
夕は本能的に危険を感じた。毛布をぎゅっと閉じて、震えた声で問う。
「お、おい。こいつが協力するって、まさか……!」
「あなたにも協力してもらうことになるわね。どのみち、それ以外の選択肢なんて無いけれど」
「ふ、ふざけんなよ!」
怒声が薄暗い部屋の中に響く。
可愛らしい喚き声では、明日香はたじろぎもしない。腕を緩く組んで夕を見る目は、憎きヤクザたちを彷彿とさせた。
夕の神経がささくれ立つ。苛立ちながら、臆しそうになる。ビビるな、相手は同い年程度の女だ。そう言い聞かせて、言い放つ。
「勝手に決めるな! なんで俺が……!」
「そう? あなたにとっても、悪い話じゃないはずよ。そんな体じゃ、帰る場所なんてないでしょ?」
明日香の指が姿見を指さした。真っ白な美少女。それが今の夕。事実を突きつけられて、思わず毛布の隙間から自分の体を見下ろしてしまう。
穢れの無い美しいたまご肌には、筋肉もなにもあったものではない。手足も見慣れたものよりずっと細い。
姿見に映っているのは、“夜刀夕”ではなかった。
「生徒手帳の顔写真に写ったあなたはもういないのよ。同級生に泣きついてみる? それとも、あなたの通う高校の先生に? 誰もあなたが“夜刀夕”だなんて思わない。まして、幽霊に憑りつかれて女になりました、なんて、世間一般からすれば世迷い言もいいところでしょ。あなたはもう、夜刀夕であって、夜刀夕じゃないの。同じ名前を名乗っても、別人と認識されるでしょうね」
「……っ」
「それに、私もあなたに訊きたいことがある。あの山で何をしていたのか、あの妖魔は何なのか。知っていることは洗いざらい吐いてもらう。協力してくれるなら、誰も悪いようにはしないわよ」
喉に石を突っ込まれたみたいに、何も言えなくなってしまう。
別人。夜刀夕はもういない。
ぐるぐると理解不能なことが渦巻いて、深く考えることも出来ずに、本能が拒絶反応を起こす。
自問自答もままならない頭に、やるせない感情が泡立った。
―――またか? またなのかよ?
―――俺はまた、誰かの割を食って、いいように扱われるのかよ?
俯いて、ただ震える夕を見下ろし、蛇は不愉快そうに目を細める。
明日香は瞼を半分落とすと、部屋の入口に落としたままのビニール袋を拾って、夕に投げ渡した。
受け止めた大きいビニール袋の中には、綺麗にたたまれた制服が収まっている。
「とりあえず、服でも着たら? 迎えもそろそろ来る頃だし」
「迎えって……」
「言ったでしょ、仲間がいるのよ。紹介してあげるわ」
明日香はそう言いながら、取り出したスマホを操作し始める。
もうこちらには興味がないと言わんばかりの態度だ。夕はやるせなくなりながら、ビニールから制服を取り出した。
シャツ、スラックス、ブレザー。どれもこれもぶかぶかで、まともに着れたものではない。
ベルトを限界まで締めても、触れれば折れそうなウェストを押さえつけることは出来なかった。
白い蛇が、苛立ち混じりにせせら笑う。
「だっせえな、オマエ」
「誰のせいだと思ってやがる」
「元はと言えば、オマエなんかを助けようとした、アイツのせいだな」
白夜は夕の方を見もせず、ぶつくさと言う。
明日香の用は既に終わっているのだろうか。スマホをいつの間にかしまって、夕の着替えを待っている。
炎とは裏腹の、冷たい鉄面皮だった。
「つれない態度取ってるくせに、お優しいことだよな? なあ、南条」
「どのみち、あんなのを放ってはおけないでしょ」
「それで危うく自分も死にかけてりゃあ、世話ないぜ。自分の命より大事なものはねえってのに」
「死ぬ気は無かったわ。あなたがもっと積極的に戦ってくれたら……」
「勝てると思うか? 妖魔を見るのは初めてだったか? 今まで殺してきた奴らと何か違うって思わなかったのか?」
明日香と白夜の間で剣呑な視線がぶつかり合う。
夕には、そちらを気にしている余裕など、欠片もなかった。
とてもサイズの合わないスラックスに足を取られ、その場に倒れこんでしまう。
すぐそばにあった鏡には、四つん這いになって拳を握り、悔しそうな顔をする……敗北者という言葉がふさわしい、哀れな少女の姿があった。
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