斬合道中《一》

 きく昀昀いんいんが旅路を共にし始め、すでに三日が経過していた。


 現在、二人は大陸を北上していた。


 目的は無い。ただ前へ進むだけ。


 きくはそもそも武者修行ができればどこでも良いし、昀昀いんいんも当ての無い旅をしていたからだ。


 であれば、まずは単純に大陸を縦断しようという方針でひとまず落ち着いた。


 途中で目的が変わって道も変わるかもしれないが、それならそれで良いと二人とも思った。


 大陸の住人である昀昀いんいんの同行は、思っていた以上にきくの助けとなった。


 和國わのくにと大陸とでは、そもそも動植物も地形も、そして日照時間も違っていたからだ。


 この大陸の西の果てには雄大で険峻な山脈が連なっている。

 それは西からの異民族の流入を抑制してはいるが、背が高い分太陽を遮るのも早い。

 なので西へ進むほど夜になるのが早くなる。

 異なった日照時間は混乱を招きやすく、なおかつ旅の一日の計画が狂う。

 大陸は和國わのくによりはるかに危険だ。夜であればなおのこと。

 夜になるまでに比較的安全な場所を確保するのが、一人旅の鉄則だ。


 そういった事情を、大陸を旅して久しい昀昀いんいんは詳しく把握していた。本当に助かっている。


 昼過ぎの現在も、昀昀いんいんはその知識を活かして、食べられる果実を探しに山の中を散策していた。


 その間、きくは何をしているのかというと——


「……はっ!」


 川辺にて、剣術の稽古を一人でしていた。


 過程の見えぬ速さで抜き放たれた刀身が、時に流麗に、時に凄烈に、虚空へ鋭い文目あやめを描く。


 『川島派かわしまは至刀流しとうりゅう』、全六ヶ条の型である。


 一ヶ条『瀑布ばくふ』、

 二ヶ条『旋風蚕つむじがいこ』、

 三ヶ条『閃爍せんしゃく』、

 四ヶ条『逶迱いい椿つばき』、

 五ヶ条『朧舞おぼろまい』、

 六ヶ条『鎧透よろいすかし』、


 これら六つの型で、『川島派至刀流』は構成されている。


 そう。「川島派」。その名が付属する。


 つまりこの流派の元となった「源流」が存在し、きくの先祖がそれを学んで「川島派」という名を付属させたということ。


 その「源流」の名は——そう、『至刀流』。


 開祖は戦国時代末期にその名を轟かせた大剣豪「貴島きじま至刀斎しとうさい武美たけよし」。

 その圧倒的な剣技は、百戦錬磨の猛者揃いであった戦国時代でも誰一人並ぶ者がおらず、伝説となった。


 至刀斎は弟子を取ることに積極的ではなかったが、それでもたった一人、弟子がいた。


 それが川島かわしま兼治郎かねじろう——きくの先祖である。


 兼治郎は至刀斎に断られても何度も弟子入りを志願した。

 飢え死にする寸前まで、住まいの前で座り込むほどだったという。

 至刀斎も流石に家の前で飢え死にされたらたまらないと折れ、兼治郎を弟子にしたそうだ。


 それから兼治郎は、懸命に修行に打ち込んだ。

 その打ち込みようといったら師から「お前は馬鹿か」と呆れられるほどでああった。

 晩年期には、至刀斎の次くらいの剣客として名を知られるようになった。


 そう。「次くらい」。

 兼治郎は師を超えるつもりで修行に打ち込んだが、それでも至刀斎という巨人を超えることはついぞ叶わなかった。


 兼治郎に子はいなかった。

 なので養子を取り、その養子が「川島派」を世に広めた。

 ……つまり兼治郎ときくとの間には血の繋がりが存在しない。


 泰平の世となった後、「川島派」は侍にも庶民にも広く学ばれた。

 今では和國わのくにで一二を争う規模の大流派である。


 しかし、でかくなれば良いというものではない。菊はそう思っていた。


 宗家である川島家の道場には、兼治郎の「辞世の句」が掛け軸として飾られている。


『師を追いて とみほまれも捨て追いて されど師の背 なおもはるけき』


 句に現れた兼治郎の無念は、「川島派」の型の名前にも現れている。


 『至刀流』本来の型の名は、次の通りだ。


 一ヶ条『しん』、

 二ヶ条『殺蚕あやめがいこ』、

 三ヶ条『霹靂神はたたがみ』、

 四ヶ条『叢雲むらくも』、

 五ヶ条『月虹げっこう』、

 六ヶ条『八咫矛やたほこ』、


 「川島派」の型の名は、これらに比べてずいぶんと


 これは、自分の剣技が至刀斎に届かなかった事を自虐する意味合いがこもっているのだ。


 自分の剣は、師には届かなかった。 

 だから師と同じ型の名を使うわけにはいかない。

 そんな思い。 


 しかしそんな兼治郎の思いも知らず、今の門下生どもは「川島派こそが和國わのくに随一なり」とうそぶく。


 兼治郎は永遠に至刀斎を超えられないのだ、と、自覚無く言っている。


 だからきくは決めた。


 自分だけは、先祖の無念を知り、その意思を受け継ぎ、開祖を超えるくらい強くなろうと。


 そのためには、どうしてもあの鎖国状態の国から出なければならなかったのだ。


 ——そして今。


 きくの心は、追憶の海から浮かび上がる。


 ちょうど六ヶ条『鎧透よろいすかし』を終えた体勢となっていたきくは、すっかり身体中汗だくだった。


 型が体の芯まで染み込むと、意識とは関係無しに、体が勝手に動くようになる。

 今夜の晩飯、父親の小言、今日むかついた事……そういう何気ない物事を考えているうちに、気がつけば数時間も型を練っていた、ということはもはやきくにとって当たり前だった。


 紺色の上衣と黒袴も、汗に濡れていた。


 これと同じものはもう一着持ってきている。

 なのできくは刀を納めて近くの川石に立て掛けると、じゃぼん、と仰向けに川の中へ飛び込んだ。

 流れが比較的ゆるやかで、深い場所。


 数秒の浸水ののち、すぐに浮かび上がり、真上の情景が見渡せるようになる。


 その川は左右を深い森に囲まれており、開けた川の真上には空が見える。

 今日も陽光がさんさんと降り注ぎ、時折ちぎれ雲に隠れて暗くなる。


 火照った体が冷やされる心地良さと、そんな自然の情景に、きくの気持ちが否応無く落ち着いていく。

 ……今が春を少し過ぎた時期で助かった。冬だったらこんなことはできなかっただろうから。


 だが、きくも剣客である。


 横合いから「かさり」という不自然な物音を耳にした瞬間、それに瞬時に反応。


 泳法を駆使して迅速に川辺へ戻り、鞘を手に取り抜刀する準備をした。


 音のした方向を睨む。

 

 けれどそこにいた「白」を見た瞬間、張り詰めていたきくの気持ちが落ち着いた。


「……なんだ、あんたか、昀昀いんいん


 そこには、布切れいっぱいに野生の果実を持った昀昀いんいんの姿があった。


「帰ったわ」


「おう。おかえり」


「うん。それよりきく……あなたには魚を獲っておくように頼んでおいたわよね? いったい何をしているのかしら?」


 そう訊いてきた昀昀いんいんは口元こそ笑っているものの、その赤い目はじとっとしていた。


 遊んでいただけ、と疑われているのだろう。


 だが、心配はご無用。


「見ろよ」


 きくはしたり顔で、川辺の一箇所を指差した。


 川のすぐ近くを掘って水を流し込んでから石で閉じた、即席の生け


 やや大きめに作られたその生け簀の中には、六匹の魚がいた。










 昀昀いんいんはその後、油分をたっぷり含んだ木と葉をいっぱい拾ってきてくれた。


 夕暮れになってから、火打ち石で火花を起こしてその葉に落とし、燃え出したら今度は木をくべた。

 思ったよりもよく燃え、あっという間に焚き火の完成だ。


 きくは慣れた手つきで魚の下ごしらえをしてから即席の串に刺し、焚き火で焼いた。

 皮の薄い魚なので火加減を間違えるとあっという間に焦げてしまうが、きくは上手く焼いてみせた。


 昀昀いんいんに「わたしより上手なのね」と褒められた。

 れっきとした名家の娘であるきくだが、その性質はそこらの悪童よりよほど野生児だった。

 なのでこういう自然との関わりにはとても慣れている。魚を獲るのも調理するのも上手かった。


 焼き上がった魚の串焼きを、昀昀いんいんの獲ってきた果実と一緒に食べ終える。


 陽はとっくに落ちており、川辺と森には墨を溜めたような夜闇が訪れていた。

 焚き火の炎がほんのりと照らす。


 夕餉ゆうげを終えた後にきくが始めたことは、刀の手入れだった。


 こしらえを丁寧に分解して刀身だけにする。

 なかごを持って拭紙ぬぐいがみで刀身を下拭き。

 さらに砥石の粉を適当にまぶしていく。 

 それから紙で上拭きして粉を拭う。


 最後に専用の油をなめし革で刀身に塗り、油の膜を施す。


 それから拵を装着させて元に戻し、鞘へ納刀。


 終わりである。


「……やっぱり、とても良い刀ね。それ」


 手入れ作業の一部始終を隣で見つめていた昀昀いんいんが、納刀から間も無くそう言ってきた。


 きくは自分のことを褒められたように笑い、誇らしげに愛刀を見つめた。


「まぁな。何せ、あたしの先祖が、その師匠である大剣豪「貴島きじま至刀斎しとうさい武美たけよし」から譲り受けた一振りだからな。なかごには何の銘も施されちゃいないが、とんでもねー業物だってことは見りゃ分かるぜ。……斬れ味の凄さもちょっと前に知ったからな」


「人を斬ったことがあるの?」


「……まぁな。この大陸に来て間もない頃、野宿してる所を襲われたり、騙されて女郎屋に売られそうになったりした時に、な。初めて人を斬ったよ。無論、気分爽快なわけがなかったが……それでも、殺って後悔は無い。斬らなきゃあたしが食われてたんだ。ここは「そういう場所」だろ?」


 昀昀いんいんは頷く。


「そうでないと来た意味が無い。——だからこそ、


 きくの発言に、昀昀いんいんは目をしばたたかせて驚く。


「えっ? その大剣豪が、大陸に来ていたの?」


「ああ。もう百年以上前の話だ。至刀斎は武者修行のために、大陸の『武林ぶりん』へ修行に出たんだよ。その末に『至刀流』を編み出した。至刀斎からそう聞いたと、兼治郎……あたしの先祖の書き残した書にあったよ。兼治郎も同じように大陸へ行こうと思ったらしいだけど、すでに鎖国っちまってて、海外に出られなくなってた。それが大変無念だって、文中で嘆いてたよ」


和人わじんの刀術使い……少なくとも、そんな人がいたなんて、わたしは聞いたことがないわ」


「まぁ、百年以上前の話だし、もうみんな忘れてんじゃねーかな」


「そうなのかしら……」


 釈然としない顔をしたまま、昀昀いんいんは考え込む。


「まぁ、そういうわけだよ。あたしが『武林』にこだわるのはさ。あたしらの『川島派至刀流』の礎を作った大剣豪、そいつと同じように大陸で修行して、同じようにあたしも大剣豪になってやる。兼治郎が叶えられなかった夢を、あたしが叶えてやるのさ。そしてあたしが、腑抜けた祖国に作り出してやるのさ——剣術の、新時代ってやつをよ!」


 両腕を大きく広げ、きくはそう力説した。


 ちょっと大言壮語が過ぎたか? と言ってから少し後悔する。


 そんなきくを見つめる昀昀いんいんは、微笑ましそうな、どこか羨ましそうな笑みを浮かべていた。


「……いいね。頑張って。応援してる」


「ん? おお……」


 少なくとも馬鹿にされているわけではないようなので、きくはとりあえず頷いた。


 そこでふと思う。……自分ばかりが語り過ぎている、と。


 昀昀いんいんにも、何か自分の身の上話を吐き出させてやろう。きくは思った。


「そういやさ、あんたの『玄洞派げんどうは』っていうのは、どんな武術なんだ?」


 きくの質問に、昀昀いんいんは奥ゆかしく微笑んだ。


「『玄洞派』は武功の名前ではなく、『玄洞派武功』を教えている門派の名前よ。——『玄洞派』は、武林の四大勢力である『四大派』の一つ。その武功である『玄洞派武功』は、数ある武功の中で


「女に、適した?」


「ええ。一応男性でも習得できるんだけど、女性の方が習得速度が早く、効果が強く出やすく、戦いやすい。女性特有の柔軟な筋骨を活かし、非力さを技巧で補って余りある外功。女性特有の経絡を最大限に活かし、効率よく内面を鍛え、なおかつ高い美容効果ももたらす内功……まさしく女性のための武功と言っていいわ。だから『玄洞派』は女性しか弟子に取っておらず、門人も全員女性よ」


「女だらけってわけか……野郎だらけだったうちの宗家道場よか、居心地が良さそうだ」


「ふふふ。それはどうかしら。『玄洞派』の中でも、痴情のもつれとかが起こったりするし」


「ふーん…………」


 聞き流そうとして、聞き流しきれない表現を耳で拾ってしまい、きくは思わず過剰反応した。


「はぁ!? 痴情のもつれだと!? 意味わかんねー! だって女しかいねーんだろ!?」


「ええ。つまり、「そういうこと」よ」


「……女同士で、だって?」


 こくん、と頷く昀昀いんいん。なぜかとっても良い笑顔。


「みんな真面目に鍛錬してるんだけど、自由時間に物陰とか覗いてみると、門人同士が「すごい事」してる所が簡単に見つかるくらいよ」


 自分の顔が熱くなってくるのを実感するきく


「……まさか、あんたも「そっち」なのか?」


 きくがそうおずおず問うと、昀昀いんいんは前屈みになり、しんなりときくへにじり寄った。 

 その白い右手がおもむろにきくの顔へ伸びる。

 爪が綺麗に整った細い人差し指が、顔の輪郭を左耳から下へゆっくりなぞっていき、顎先に達し、それを優しく持ち上げた。

 少し上を向かされたきくの小顔に、恐ろしく整った昀昀いんいんの美貌が、真上を覆うように間近へ迫る。 

 蘭の吐息が、鼻腔をくすぐった。


「————どっちだと思う?」


 まるで舌舐めずりでもせんばかりに、間近の美貌が妖しく微笑んだ。


「ひ…………ひゃわわわわわわわわわわ!?」


 これ以上ないくらい顔を真っ赤にしたきくは、めちゃくちゃな挙動で素早く後ずさりした。


 ばっくんばっくんと高鳴りまくる胸を押さえて、二丈(およそ六メートル)先にいる昀昀いんいんを涙目で凝視する。


「ぷっ………………あっははははは! やだぁきくぅ、動き変ー! 可愛すぎよぉ! あはははは!」


 きくの反応を見て、昀昀いんいんは爆笑していた。

 しとやかさに欠けた、普通の少女みたいに。


 からかわれたのだと確信したきくは、涙目のまま昀昀いんいんを睨んで叫んだ。


「う、ううううっせーな! 馬鹿にすんなぁ————!」









 そんな感じで、二人の夜は楽しく更けていった。



 


 暗中で潜む者達の、虎視眈々と狙う瞳の先で。

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