斬合道中《終》
菊の刀と、
「はっはぁ! やっぱりやるなぁ! 大した刀術だぜ! そら、もっと力入れっかぁ!」
(くそっ! まだ速くなんのかよ……!!)
この男は強い。
刀剣術も巧みだが、それをさらに補っているのが、持っている武器の数だ。
武器が多い分、手数も攻撃手段も多い。
それぞれの武器のそれぞれの強みを最大限に生かし、変則的な斬撃を踊るように繰り出してくる。
間断を作らず殺到し続ける数多の刃を、
「見切り」に優れていなかったら、
さらに——
「おっとっ!」
手の届く間合いにとどまった瞬間、
かと思えば、遠ざかった
「ちっ……」
刀との摩擦で方向をずらし、受け流す
だがその「受け流し」と拍子をほぼ同じくして、
斬られる——煙のような菊の残像が。
本来ならばそのまま敵の死角へ入って一太刀浴びせるのだが、
左右の退路が無いゆえに「後退」する他無かった。
さらにそれは、同じ刀剣使いである
驚いたのは一瞬よりもさらに半分の間のみ。
——あたしがあの刀を避けたり防いだりした瞬間、そのわずかな隙を埋める形で斬りかかってくるはずだ。まだあいつにはもう一本直剣が残っている。
どうすべきかの「答え」は、体が勝手に導き出した。
幼少期から今に至るまで剣技を骨髄まで染み込ませた、
——
「ふぅぅっ……!!」
風のうなりにも似た気合を発し、
踊るような足さばきと体さばき、さらに巧妙な手の内の操作によって、全身に糸を巻きつけるように刀を振るったのだ。
その太刀筋は体全体を密に覆い、飛んできた刀を弾き、その次の拍子に迫った
攻撃を弾かれたことで後退した
「はっはぁ!!」
嵐のように殺到する
全身に刃の衣をまとう攻防一体の型。
その太刀筋は、入ってきたあらゆる物を防ぎ、柔らかな物であれば切り裂く。
まさに矛と盾の両立。
ひとしきり刃をぶつけ合っていると、横合いから人影が——
手下は二人の間を高速で通過し、勢いを保ったまま木の幹に激突。
ぺぐしゃぁ、という折れる音を体から奏でさせてから、木の幹にくっついたまま滑り落ちる。……死んでいた。
それをやったのは、無論、今なお多数のならず者と戦っている
縦横無尽に森の中を駆け巡り、風圧を纏う掌で周囲の敵を蹴散らし、
たった一人で、決して少なくない群れを圧倒し、なおかつ決めた領域への接近も防いでいる。
「やるなぁ、お前さんの恋人。大した腕前だぜ」
「おいこら。恋人ってなんだおい。あたしら女同士だぞ」
「え? 違うのかい? 『
「ぶっ殺すぞ!?」
怒りと羞恥で顔を赤らめた
「まあいいさ。あの白い子はしかとでも。俺の目的は、あくまでお前さんのその刀だ。……いいなぁ、それよぉ。俺が今まで奪い取った刃物の中で、間違いなく随一の業物になるわぁ」
「もう奪った気になってんじゃねーぞ阿呆。この刀の一太刀なら、その首にくれてやっても構わねーけどよ」
煽るように言いながら、
……よし。火縄銃を持っている奴はまだいない。だけど引き続き警戒が必要だな。
「
「安心していいぜ? 火槍は俺がこの世で一等嫌いな武器だ。この世で最も素晴らしい武器はただ一つ、「刃物」だ」
深緑の薄暗さの中、わずかな木漏れ日を受けて燻し銀に輝く菊の刀を、
「刃物はいい……その輝きも、その斬れ味も、斬った時の感触も、全てがいい。そしてそれは良い刃物ほど素晴らしいものだ。だから俺は刃物を集めるのさ。その中で一番いい物を見つけるまで、俺は何度でも刃物狩りを続ける。理想の女を探すのと同義だなぁ。……んで、お前のその刀が、その刃物狩りに終わりを迎えさせてくれるような、そんな気がするんだよ」
まだ大陸の共通語が上手とはいえない
この男は、本当に刃物を愛し、火槍を嫌っているのだ。
刀狩りの山賊などに身を堕としていなかったら、気が合ったかも分からない。
少し残念に思いながら、
「そうかい…………だが残念だな。あんたは失恋だよ。この刀とも、その首ともな」
「くくく……そうかそうか。じゃあ————予定通り「略奪愛」といくかねぇ!!」
あっという間に彼我の距離が埋まったかと思えば、片方の直剣で斬りかかってくる。
かと思えば、今度は左太腿から逆手に抜いた短刀で頭を斜め上から刺さんとしてくる。
だがすぐに横合いからもう一本の短刀の
受け身をとって体勢を整える。
だがすぐに手裏剣のように投げつけられた一対の短刀と目が合ったので、それらを刀で弾く。虚空を舞う一対の短刀。
その投擲からほぼ間断を作らず、
「ちっ……」
「こんのっ……!?」
直剣の刃が首の柔肌に達する寸前に、どうにか刀を差し挟んで防いだ
それ以降も、二人の斬り合いは続く。
——
人の腕は二本一対しか無い。
だから空中で手玉のように刃を取り替えたり、足で蹴っ飛ばしたり手で弾いたりしながら、一対しか無い腕でありながらまるで二対三対も腕があるかのような連撃をしかけてくる。
これこそが、数多の武芸者を山中で葬り、『百刃千死』の悪名を頂戴した、
……さらに、そこに『
「もらった!」
蹴り上げられた鉄爪を後退して避けつつ、その足へ向かって刀を走らせる
だが、刀が
いや、
互いの距離が、あっという間に五丈(約15メートル)ほども遠ざかった。
どう考えても片足一本で出せる勢いではない。つまり。
(内功、ってやつか……!)
深緑の薄闇から白日の明るさに急変して、一瞬目が痛くなる。
後方の森の中から聞こえる戦いの音は、すでに弱まっている。
「そろそろ手下どもの数が減ってきたなぁ……このままだと二対一になっちまう。というわけで——そろそろ終わりにさせてもらうぜ」
断崖を背にした
「——」
今までとは違う「感じ」がする。
構えの重みが違う。
呼吸が違う。
細く鋭い瞳から覗く気迫が違う。
——嵐が起こる。
「————
空気が渦を巻いた。
その太刀筋は、
明らかに常人の身体能力では体が壊れる、めちゃくちゃな動きだ。
であれば、内功を併用した動き。
——『
内功を併用していても無茶苦茶な回転を用い、太刀筋を密に纏い、触れた相手を確実に斬り刻む技。体への負担は大きいが、それでも
これを見せたということは、
同時に、その相手に確実に「死」をもたらすという宣告。
(くそが、内功内功って……!)
少なからずの劣等感を覚え、
——
理にかなった効果的な動きを何度も反復練習し、その「理」を肉体に刻み込み、意識せずとも扱える水準にまで達させるもの。
極めた者の動きは一挙手一投足すべてが「技」。わずかながらの力で、最大限の実戦性を生みなす、まさしく「職人芸」だ。
さらに
対して、武林の武功は「肉体改造」。
「気」の操作によって肉体の構造そのものに働きかけることで、根本から強くする。
熟達すれば、女の細指であっても男の胸板を貫くほどの威力を発揮できる。まさしく体格差という常識を塗り替える「肉体改造」。
大陸の武器に対する考え方は「どうせ武器など壊れるのだからそこそこの物をたくさん作れればいい」という淡白なもの。しかし、代わりに肉体そのものを変質させる。その変質のさせ方はさまざまで、門派によって多様な技能が存在する。
戦術思想としては、この二つに「優劣」は無い。
「相違」があるのみ。
だがやはり「相違」というのは、「力の入れどころ」が違うという意味だ。
お互いの長所をぶつけ合えば、お互いの短所で負ける。
仕方のないこととはいえ、それが
しかし、勝っている部分もある。
それもまた劣等感とともに承知していた
認めよう。
自分は貧弱だ。
単純な力比べなどしようものなら、ひとたまりもない。
だけど、今、この手に握っている刀の使い方だけは、武林にいる誰にだって負けはしない。
それに、いくら体技が優れていたとしても。
武器の性能まで、変わるのだろうか?
刃の竜巻が、一足一刀の間合いを侵す。
その間合いは、
版図に入った
かくして、
————
風が轟然と唸る。
まばゆい陽光を浴びて燻し銀に輝く菊の刀が、銀の
砕ける音。
花びらのように虚空に舞うのは、刃の片割れ達。
それと、真紅の
「な、にぃ……!?」
……両手の直剣はいずれも半ばで折れており、両靴の鉤爪も欠けていた。
浅いながら斬り傷を負った胸からは、わずかな血が噴き出ていた。
見開かれた細目には、刀を大地まで深々と振り下ろし終えた姿勢の、
それを見て、悟る。
——その業物と、それを最大限に活かす刀術の熟練に、己の「絶招」は破られたのだと。
『瀑布』は、
刀を上段から思い切り振り下ろす、単純な型。
しかし単純な分、強力で、なおかつ奥が深い。
何より『瀑布』は、
さらに、
すぐに次の構えをとった。
刺突の構え。
そこからほんのわずかな間を作ってから、
「っ……!」
構えから刺突が走るまでのわずかな間を使い、刺突の来るであろう部位を予測し、なおかつそこへ折れた直剣の柄で塞ぐ。
その鋒が、
金属で出来た鍔を容易く貫き、『鎧透』は
肋骨の一本が傷つきはしたものの、心の臓を貫かれることはなかった。
だが、『鎧透』に込められた勢いで、
そして——断崖絶壁の向こうへと投げ出された。
「……おぉ?」
呆けたような声を漏らし、一瞬だけ虚空にとどまる
しかし、次の一瞬には、下降した。
空を仰ぎ見るような体勢で、はるか下の川へ向かって落下していった。
「…………や、やったぞ……」
いくら頑強な肉体を持つ武林の武芸者でも、あの高さから落ちれば死はまぬがれない。
首を斬るのではなく、突き落とすという殺し方は剣客として少々
この勝負、あたしの勝ちだ——
「殺したぞぉぉぉぉっ!!
森の奥へ向かって、力強く叫んだ。
それは、
案の定、「頭」を失ったならず者の集団は、一人、また一人と、足音を遠ざからせていき、やがて無音となった。
しばらく待っていると、
「……ご苦労様」
その白装束には、少しの汚れも見られなかった。相手が手も足も出ずに圧倒されていたことは想像に難くない。
「そっちこそ、お疲れさん」
「怪我は無い?」
「ああ、大丈夫だよ。少し危なかったけどな」
「……正直に言ってしまうと、あなた一人に『百刃千死』を押し付けたのは重荷ではないかと思っていたわ。相手はそれなりに名の知れた緑林だもの。奴の手下を全員殺してからわたしも加勢するつもりだったけれど…………どうやらわたし、まだ
「あたしはむしろ感謝してるぜ? 確かにあいつ、強かったからな。良い修行になったよ」
「ふふっ。そういえば、それが目的だったわね」
二人して笑い合ってから、同時に同じ方向を向いた。
「んじゃ、そろそろ行こうぜ」
「ええ」
頷き合い、北へ続く山道を、再び歩き出した。
まるで、散歩の途中で石につまづいて転んだ後のような、そんな軽い歩調で。
「…………はは、ははははっ」
さあさあと川が流れる音に、男の乾いた笑声が混じる。
声の主である
さんさんと輝く太陽が、不思議と先ほどよりも強く輝いているように見える。
浅くながら斬りつけられた胸の痛みも、気にならない。
それくらい——心踊っていた。
「ははははっ………はははは」
自然と、笑いが高まってくる。
——生きている。自分はまだ。
確かに自分は崖から落ちた。
しかし落ちている最中、崖から細い木が生えているのを
その木が重みで折れる前に、
身が大きく崖から離れ、深い川の真上へ達する。
そのまま川に落ちた。
——こうして、
「くっくっくっくっ…………!」
だが、そんな奇跡さえも、些事に思える。
笑いを噛み殺しきれない。口から否応無く漏れ出てくる。
——惚れた。
あの見事な
自分を見事に打ち破ってみせた、あの和人の女に。
「はっはっはっ…………ははははははっ」
ああ、斬られて負けたというのに、なんと心が踊るのだろう。
素晴らしい剣に出会った時の感動すら超える喜び。
彼女に付けられた胸の傷さえも愛おしい。
——欲しい。
あの女ともっと斬り結びたい。
今まで数えきれないくらいに人を殺してきたが、あの女の屍だけは大切にとっておきたい。
斬り合いの末に殺されるとしても、あの女にならば一向に構わない。
惚れていた。完全に。あの
まずは、この傷を治す。失った武器を新しく埋め合わせる。
それから、あの女を追いかけるのだ。
緑林の情報網は広い。やろうと思えば、簡単に見つかるはずだ。
——待ってろよ。
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また書き溜めてから連投いたします。
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