桑の葉

「——なんだい、しおれた葉っぱだらけじゃないかい! こんなもんが役に立つと思ってんのかい!? ただ桑の葉取りゃ良いってもんじゃないよ!」


 渡した網籠の中を見て、体格の良いばばあがその体格どおりのでかい声で叱責を飛ばしてきた。

 

 うっせーし唾が飛ぶんだよ馬鹿。きくは顔をしかめ、うんざりしたように言い返した。


「んだよ、どうせ虫が食うもんだろ? 適当に選びゃいいじゃねーかよ」


「馬鹿言うんじゃあないよ! かいこはただの虫じゃあない、金のなる木なんだよ! んでもって蚕はそんなしけた葉は食わないんだ! もっとつやの良い葉を用意しな! でなきゃあいつら糸も出さないし、そもそも食わなきゃ死んじまうんだ!」


「虫のくせにぜーたくだなおい」


「口答えすんじゃないよ! あんた雇われてる身だろ!? ちゃんと仕事しないとお代出さないよ!」


「わーった。わーったから。もう叫ばないでくれっての」


 きくが観念してそう言うと、婆は鼻を鳴らして網籠を返す。


 「今度文句言ったら追い出すからね、和人わじんめす餓鬼がき」と悪態をつき、去っていった。


「けっ、腰抜かせ」


 唾を吐くように文句を言って、きくは網籠に入ったしおれた桑の葉を捨てる。


 数々の桑の木が梢を広げる桑畑。そこにきくはいた。


 今、隣には昀昀いんいんがいない。


 周囲には、自分と同じ仕事を担う、知らない人間ばかり。


 しかも全員女。


 ……蚕に食わせる桑の葉を取ったり、その蚕から取った生糸を精製して絹にするのも、基本的には女の役目なのだ。


 りん帝国の作る絹は非常に質が良く、諸外国への贈り物としても高く評価されている。

 それによってさらに絹の需要が増え、さまざまな場所で絹の生産が行われるようになったらしい。

 ……ここにはいない昀昀いんいんの受け売り。


 蚕は良質な桑の葉を好んで食べる。

 その葉を多く集めるため、人を雇っている。

 きくもその一人であった。


 その稼ぎの額は、良質な葉をどれだけ集められたかで決まる歩合制。

 しかし所詮は下働きであるため、多くても貰える額は推して知るべし。


 それでも、稼ぐからには、人はより多くを望む。


 そのために楽な道を進みたがるのもまた、人の性だ。


「や……やめて! 返してっ!」


 どこからか、懇願するような声。


 見ると、気の弱そうな女の子が、それよりやや年上っぽい女三人に網籠を奪い取られていた。


 女の子の網籠の桑の葉——どれも光沢がある良質なものだ——を自分達の網籠にそれぞれ入れると、女の子の籠を放り捨てて笑いながら歩み去る。


「おい、待て」


 そんな女三人の前に、きくが立ちはだかる。


 女の一人が、怪訝そうに言った。


「確かあんた、今日ここで働き始めた和人わじんの女じゃない。何か用?」


 きくははっきり告げた。


「今その子から葉っぱだろ。返してやれ」


「は? 何言ってんの? これはあの子から譲ってもらったのよ」


「やめて、返して……って言ってたの聞いてたぜ? おら、とっとと返せ、すれっからし共」


「空耳でしょ。小汚い和人わじんごときが、侠客気取ってんじゃ——」


 ちん。


 きくがわざと音を出して鯉口こいぐちを切ると、三人は硬直した。


「あたしがこんな喪服みてーな暗い色の服着てんのは何の為だと思う? ……


 あからさまに悪ぶった笑みをにやりと見せ、言葉と刀で示威するきく


 効果は抜群だった。三人は青い顔をして立ち尽くしていた。


「返せよ。お前らの手でな」


 きくに言われた通りに、三人はいそいそと各々の葉っぱを、女の子の網籠へと戻した。


 それからそそくさとその場を後にした。


「や、野蛮っ。なんて野蛮な生き物なのっ」「さすが和人わじんだわ」「近海を荒らした海賊の野蛮な血が流れてるのね」「あいつら腹が減ったら刀に人肉刺して焼いて食うらしいわよ」「い、行きましょう。食べられてしまうわ」


 陰口が聞こえてくるが、言ってろと無視。


 女の子へ網籠を返し、笑いかける。


「この件、あの仕切り屋の糞婆に訴えな。あの婆、うっせーけど不正には厳しい類の奴っぽいからな。あたしの地元にも似たような奴がいたから分かるんだ」


「え、あ、はいっ」


「あと、これからあたしと一緒に作業しようぜ? そうすりゃ、あの阿婆擦あばずれ共も寄ってこねーだろ。あたしが守ってやるから、頑張って集めようぜ。な?」


 出来る限り優しい感じに微笑みかけると、女の子はぽぅっと顔を赤らめ、


「は…………はぃ」


 うつむいて、消え入りそうな声でそう返事した。


 それから、女の子と一緒に、仲良く葉っぱ集め。


 仲間が出来て少しだけ楽しくなったが、それでもでっかいため息を禁じ得なかった。


 女の子に聞こえない声で、呟く。


「……あたしってさ、何しにこの大陸来てんだっけ」


 ——武者修行でしょう?


 心の中にいる相棒のかく昀昀いんいんが、そう答えた。


「じゃあなんで、虫の餌を汗水流して集めてんだ?」


 ——路銀を稼ぐためでしょう?


 だよなぁ。


 じりじりと照らしてくる昼過ぎの太陽を、きくは憂鬱そうに睨んだ。




 ————さかのぼる事、数時間前。











唐家楼とうかろう』。


 大陸にいくつか残る旧貴族や旧有力氏族の末裔「世家せいか」の一族、『唐氏とうし』が秩序と安全を守っている街だ。


 かつて『唐氏とうし』が「暗殺貴族」として昔の朝廷に仕えていた頃の領地が、主である王朝が崩壊した後も残り、今に至るまで存続し続けてきた。


 暗殺を生業としていた『唐氏とうし』は、暗器術と毒術に優れている。


 毒は、人を冒し殺すだけではない。使い方次第では、人を治す薬にもなり得る。


 『唐氏とうし』は毒の知識と共に身につけている薬草の知識の一部を街の人間に広めた。

 商魂たくましい街の商人はその知識を商売に利用しようと活発に動いた。

 結果、大陸有数の薬草の産地となったのである。


 無論、そんな薬草の利権を狙って攻め込む悪しき勢力——邪派がその典型例——もまた存在する。


 当然、それらから街を守るための防衛機能も有している。


 まず、城郭が二重に存在する。

 一枚目は、建物が集まる居住区を守る城郭。

 二枚目は、居住区の外側に広がる薬草園や桑畑を守る城郭。


 さらに、『唐家楼とうかろう』にはいくつかの小規模武功門派が拠点を構えている。それらは全て規則によって『唐氏とうし』と同盟関係にあり、街が武力侵攻を受ければ全員が一丸となって戦う。


 古来から続く血族が育て上げた、質実剛健の街。


 それが『唐家楼とうかろう』である。







「——というわけだから、きく、くれぐれもこの街の武芸者と揉め事を起こさないようにね?」


「わぁってるっての。穏便に済ませろ、ってんだろ?」


 もう何度目かになる昀昀いんいんの釘刺しに、きくはうんざりしたように同意を示した。


 早朝より少し日が登ったくらいの時間、二人は『唐家楼とうかろう』の市街区の街路を歩いていた。


 周囲はやいのやいのと賑わっていた。


 さまざまな商店が軒を連ね、商売文句を声高に訴えたり、値引き交渉を行ったり、茶杯や酒を片手に談笑していたりと、人々は活気にあふれている。


 その中に、きくの眼力が反応する人間もちらほら見かけられる。……つまり、武芸者。


 ついさっきたどり着いたばかりのその街でも、昀昀いんいんの行動は早かった。


「それじゃ、改めて、この街に来た目的を説明するわね。——わたし達の目的は、残り少なくなった路銀を増やす事。そのための働き口を探す事」


「んな簡単に見つかるかねぇ」


「探せばきっとあるわよ。なかなか豊かな街だもの、ここは。特に薬草取りと桑の葉取りは、いくら人手があっても足りないくらいよ。薬と絹は、いつの時代も需要が高いわけだし。最悪、きくはそっちをやってもらうことになるわ」


「えー? 地味だなぁおい。どうせならお尋ね者とか盗人ぬすっととか取っ捕まえたりよ、そういうの仕事がいいぜ」


「そういうのは『唐氏とうし』を中心とした「門派連合」がやってくれるからいいの。それ以外の仕事を探しましょう。……何度も言うけれど、この街の武芸者に喧嘩を売るのは駄目だからね? きくがカッとなってその和刀わとうで武芸者を斬りつけようものなら、「門派連合」そのものが敵になって、この街にいられなくなるわ。そうなったら目も当てられないわよ?」


「わーってるってば!」


 聞き分けの悪い子供を諭すような口調で念を押してくる昀昀いんいんに、きくは勘弁してくれとばかりに同意を叫んだ。


「よろしい。それじゃあ、お仕事探しましょうか」


 昀昀いんいんはにこにこ笑いながら、きくの黒髪を撫でる。きくの方が小柄なので撫でやすい。


 きくは不満げに頬を膨らませながら、心中で誓う。


(ちくしょう、餓鬼扱いしやがって。見てやがれ、こうなったら馬鹿みてーにたくさん稼いで、拝ませてやる)


 






 


 ——が、そう簡単に大金など稼げるはずもなく。


「……これだけかよ」


 夕空の下。ちょうど先ほど桑の葉取りの仕事を終えて街中を歩いていたきくは、掌に乗っかった少ない労働の成果にしなびた表情を浮かべていた。


 仕事が終わった途端「ほらよ」と仕切り屋の婆に渡されたのが、このはした金だ。


(「ほらよ」? 「ほらよ」で済ませんなよあの婆。その日暮らしの奴の食い扶持を。つーかあれだけ頑張ったのに、これっぽっちって何だ)


 ため息をつくきく


「あ、あのっ……きくさん、わ、私の稼ぎ、少し分けましょうかっ? その……一緒に頑張ってくれましたから」


 隣でそう訴えかけてくるのは、昼間に助けた女の子だ。


 よう琦琦ききと名乗ったその女の子の申し出に、きくはことさらに笑いながらかぶりを振った。


「あー、いいって。別に今日死ぬわけじゃねーし。食うに困ったらその辺の魚獲って食えばいいし。あんたはそいつで家族を食わせてやりな」


 そう言って頭を撫でてやる。


 琦琦ききは顔をほんのり赤くして「……はい」と頷く。


 ずいぶん懐かれたなぁ。きくは心の中で苦笑した。


 途中で二人の帰路が分かれた。琦琦ききはとても名残惜しそうにきくを見つめてから、自分の家路へ去っていった。


 一人になったきくは、昀昀いんいんが取った宿を目指して歩きながら、改めて掌に乗ったはした金を見つめる。


「やっぱ、少ねーなぁ」


 きくはまたもぼやく。


 昀昀いんいんの方は、荷運びの仕事についた。仙女のような見た目に反してとんでもない怪力を誇る彼女は、屈強な男よりも軽々と荷を運んでみせた。きっとあの様子じゃ、自分より稼ぎが良いに違いない。


(こんなちまちま貯めてたんじゃ、この街をまた出る頃には老婆になっちまう)


 もっと割りのいい仕事はないものかと、きくは頭を悩ませる。


 すでに夕方であるため、人通りもまばらだ。そのせいか、昼間よりも並んでいる建物が見やすくなっていた。


 その中の一つに、きくの視線が止まった。


 建物をじぃっと数秒間見つめてから、きくの口元に猫のような笑みが浮かんだ。


 ——そうだ。稼いだ額が少ねーんなら、


 すっかり軽やかさを取り戻したきくの足は、その建物へと駆け寄った。


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