あぶく銭には危険がつきまとう

「っしゃぁ——!! また勝ちぃぃ————!!」


 きくは興奮のあまり拳を突き上げて叫んだ。


 そこは、それなりに人が集まる、そこそこ大きな部屋だった。あちこちに広い卓があり、主にそこに人が密集していた。菊もそのうちの一人だった。


 周囲にはきくと同じように喜びを露わにしている者や、落胆している者、ほぞを噛んでいる者など、顔色が異なる。


 しかしそのいずれも、二種類に大別できる。


 


「さぁ、もう一度行くぞ!」


 きくを含む人々が囲う卓。そこに座る男が、骰子さいころの入った碗を手に持ち、ひっくり返す。


(ここだっ!!)


 碗がひっくり返る角度、最後に見た三つの骰子の角度、さらにひっくり返った碗の中で骰子が鳴った角度——それらの要素から、きくは碗の中で静止した三つの骰子の出た目を、正確に予測した。


 六、六、三。


「さぁ、賭けた! 丁か!? 半か!?」


「半っ!!」


 きくが先んじて叫ぶ。


 それから次々と博徒たちが叫び、全員が叫び終えると、やがて碗が持ち上げられた。


 露わになった三つの骰子の出た目は——六、六、三。


「っっしゃぁぁぁぁぁ見たかこんちくしょぉぉぉぉ————っ!!」


 再びきくが勝ち鬨を上げた。


 それを鬱陶しげに見た奴らがいる。負けた奴らだ。どんなもんだい。


 ——この『唐家楼』では、街を管理している世家「唐氏」が、一部賭博の胴元を務めて管理している。


 今、きくがいるこの鉄火場は、その「唐氏」の管理下にある賭場の一つだ。


 さらに今、興じている賭博遊戯は「碗骰わんとう」というものだ。

 骰子三つの入った碗を傾けて閉じ、骰子の出た目が偶数であるか奇数であるかを言い当てる。

 大陸で生まれ、和國わのくににも輸入された遊びだ。


(うっしっしっしっ。ぼろ儲けぼろ儲け。あの雀の涙みてーな駄賃があっという間に大金に早変わりだぜ。錬金術師だなあたしは)


 きくは心中でほくそ笑む。


 ……賭博は射倖心しゃこうしんを煽る遊戯であるとして、幕府に管理されたもの以外禁じられている。この「碗骰」はその埒外なので、が密かに営む鉄火場でしかやられていない。

 きくは昔、貧しい村娘に扮して鉄火場に通い、小遣い稼ぎをしていたことがあった。


 ——その時に活躍したのが、きくが得意としていた「見切り」の技術だった。


 碗の角度、最後にちらっと見えた骰子の角度、碗の中で音のした方向……こういった情報を把握していれば、どういう目が出るのかが分かる。


 その技術が、今、再び遺憾無く発揮されていた。


 少ない一日の稼ぎが、今やしばらく遊んで旅できるくらいにまで膨れ上がっていた。


「さあ、賭けた賭けた! 丁か、半か、どっちだ!?」


「丁ぉぉぉぉぉ!!」


 再びきくは、高らかに叫んだ。


 出た目はやはりきくの読んだ通りの数だった。









「あっはっはっはっ! 笑いが止まんねーわ!!」


 夜もとっぷり暮れ、閑散としている街路を、きくは上機嫌に闊歩かっぽしていた。


 手には、たっぷりと金の入った麻袋。なかなかに重たいが、その重みすらも今のきくには心地良かった。


(これで昀昀いんいんの奴をぎゃふんと言わせられるぜ。しばらく多少でかい顔ができそうだ)


 じゃらり、じゃらり、と麻袋を振って鳴らし、再びうしししと笑声を噛み殺す。


 すでに人通りもほとんど無い夜道を、大股で歩く。


 その足は、表通りの脇道へ踏み入り、さらにそのまた脇道へと入っていく。


 裏通りへと入るたび、ただでさえ暗い街がさらに暗くなる。


 けれど今日は遮るものの無い、玲瓏れいろうたる満月だ。

 ほの明るい月光が天上より照らし、沈殿物じみた暗黒にささやかな白を投じていた。おかげで周囲を最低限視認するのには不自由無い。


 こんな夜は月見酒が良いものだ。父の戸棚から蒸留酒をくすねて、満月を肴にこっそりと飲んでいた時のことを思い出す。


(博打のことといい、あたしって奴は随分と悪餓鬼だったなぁ)


 由緒正しき剣術名家の神童にして悪童。


 両親は頭を抱え、兄も愚妹と呆れ果てていたが、宗家道場の男衆には大層可愛がれた。むさ苦しくて汗臭いが、気のいい連中だった。博打も月見酒も、そいつらに教わったものだ。


 ——そして、「剣術の新時代を創る」というこころざしの種も。


 下級武士の出身。川島かわしまの開祖の師「貴島きじま至刀斎しとうさい武美たけよし」に憧れる、生粋の剣術馬鹿だった。すでに免許も皆伝しており、父も稽古熱心な彼を大層好いていた。


 当時六歳だったきくは、十歳離れたその青年を兄のごとく慕った。


 至刀斎がいかに凄かったか。

 そんな師に一生かけても追いつけなかった開祖がいかに無念の最期を迎えたか。

 今の時代の剣客がいかに泰平の世に耽溺たんできしているか——

 それらをきくに教えてくれた。


 父が「将来、きくの嫁の貰い手に」とまで考えていたらしいその青年は、ある日突然姿を消した。道場からだけではない、家にもいなかったそうだ。


 彼の失踪からすでに十年が経過している。今では顔も覚えていない。


「……今、どうしてんだろうな、あいつ」


 昔のことを思い出し、少し切なさが心に宿る。


 けれど、悪くない。博打で一発当てたおごりの熱を冷ますには、ちょうどいい感傷だ。


 頭を冷やせば、気持ちの切り替えも素早い。




「——?」




 闇の中にそう声を投じた途端、きくの後方から足音が一、二、三…………六人分聞こえてきた。


 月光に身を晒したのは、見知らぬ男達。


 しかも、全員武芸の心得有りと、立ち姿からすぐに分かった。


「あんたら、鉄火場から出た時から、あたしの事尾行してたよな? なんか用? ここなら人もいないから、後ろ暗い事も言えるぜ?」


 飄々と問うきくに対し、武人達は疑惑の眼差しを向けて答えた。


「……後ろ暗いのは、貴様の方ではないのか」


「はぁ? 何であたしが」


「賭場での事だ。……貴様、「碗骰」で随分と勝っていたな。いや、。一度も負けていなかった」


 言いたい事を察したきくは、軽やかな口調で言った。


「なるほどな、つまりって言いたいわけか」


「そうだ! 『唐氏』の膝下でイカサマとは、いい度胸をしている! 命が惜しくないらしいな!?」


 すでにイカサマしていたことが確定しているような武人の物言い。


『どうせならお尋ね者とか盗人とか取っ捕まえたりよ、そういうあたし向きの仕事がいいぜ』


『そういうのは『唐氏』を中心とした「門派連合」がやってくれるからいいの』


 今日の朝、昀昀いんいんと交わした会話が脳裏をよぎった。


 つまりこの武人達は、この街の自警団的な役割も兼ねているということだろう。だからこそ、公認賭場の秩序を乱しかねないイカサマを、見過ごすわけにはいかない。そういうわけか。


 だが、自分は断固として、イカサマなどには手を染めていない。


 呆れた口調できくは反論した。


「ざけんじゃねーよ阿呆ども。どうやってあたしがイカサマなんかしたってんだ。しかも「碗骰」でだぜ? 何よ、神通力でも使ったって?」


「減らず口を! どういう絡繰からくりがあるのかは分からん。だが普通なら、あそこまで勝ち続けられるわけがない! 貴様はイカサマをしていたのだ!」


「してねーっての。純粋な「技術」で勝ってたの。……あたしは人や物のちょっとした動きから、次の動きを「見切る」ことができるんだよ。骰子さいころの最初の回り方とか、碗の中の音のする方向とかから、どういう目が出るのか分かるってわけ」


「嘘を吐くな! それこそ妖術ではないか! そんなことが出来るわけがない!」


「そりゃ、あんたらが武人として未熟だからだろ」


 言ってから「しまった」と思った。


 今の発言は、武力のぶつけ合いを誘発しかねない失言だったからだ。


 案の定、武芸者たちは怒り出した。


「貴様っ!! 侮辱したなっ!? 俺を侮辱したなぁっ!?」


「そんなに言うなら見せてもらおうか! 貴様がいかほどに見事な武を持つのかを!」


 それから、勢いよく踏み込んで、拳を突き出してきた。


「あぶねっ。ちょ、おい! そんなもん当たったら死んじまうぞ!?」


 次から次へとやってくる拳法の技を、きくは軽やかな動きで避けていく。


 一つ一つの技にしっかりと威力が乗っており、当たればあばらを容易に粉砕しかねないものだった。


「ああもう! いい加減に、しろぉっ!」


「ぬおぉっ!?」


 いい加減頭にきたきくは正拳をしゃがんで避けつつ懐へ入り、その男の体に働く「勢い」へ自分の体さばきを合わせ、「勢い」を奪い、投げ飛ばした。


「ぐはっ——!?」


 大地に背中から思い切り叩きつける。普通なら死にかねない衝撃だが、武林の武芸者は内功を鍛えているため、これくらいの方がちょうど良い。というか、これくらいしないと効果が無い。


「貴様ぁ!?」「よくも!」「もう容赦せんぞ!」「覚悟しろ!」


 先に仕掛けてきたくせに被害者ぶる連中に、きくは刀の鯉口こいぐちを切って勢いよく言い返した。


「るっせーんだよ糞馬鹿ども!! いい加減にしねーと、まじでぞ!?」


 それを見て、武人達も鞘に納めた各々の武器に手をかける。


 両者の空気が、沈黙で張り詰める。


 剣戟の前触れ。


(……すまん昀昀いんいん。でもこれは仕方ないんだ。黙ってたら殺されちまう)


 心の中で昀昀いんいんに謝罪し、左腰の刀を抜き放とうとした時だった。





「————何の騒ぎかしら?」





 蜂蜜をさらに甘く煮詰めたような、甘露な響きを持った少女の声。


 全員がその声のした方向へ振り返る。


 ——そこには、小柄な一人の美少女がいた。


 女の平均より少し低めなきくよりもさらに背丈が小さい。

 しかしその体格はきくとは真逆で、女性的な起伏に富んだ、砂時計じみた美しい肢体。

 それを描き出している密着度の高い黒衣は、その密着具合に反し、両袖が広く余裕がある。


 後頭部でまとめられた長い髪は先端部がゆるく波打っており、優美に微笑むその顔立ちは幼さが残る華やかな造作。


 ……昀昀いんいんとは別種の美少女。神秘性ではなく、妖しさのある美貌。


 誰だ、と思って呆然としているきくとは違い、武人達は慌てた様子で拱手きょうしゅした。


「こ、これはご当主様……!」


「ああ、冗長な挨拶はいいわ。それよりも何があったのかを聞かせてちょうだいな。貴方達の怒声、表通りにも丸聞こえだったわよ?」


 武人の一人が挨拶をしようとするのを、黒い少女は掌で制する。その微かな仕草だけでも妙に洗練されていて、育ちの良さを示唆させる。


 ——ご当主様。


 確かに武人はそう言っていた。


 聞く耳持たずな話の分からない武芸者が、うやうやしく対応するほどの相手。

 どういう相手か?

 この『唐家楼』の武功門派は、全て『唐氏』と同盟関係を持っている。

 『唐氏』はこの街の防衛を担っている世家。

 この街の有力者。

 つまり、


「……あんた、『唐氏』の当主なのか?」


 きくがためらいがちに問うと、黒い少女はパッと目を見開く。


「すごいわね。まだ名乗っていないのに。一を聞いて十を知るとはこのことね。——ええ、正解よ。可愛いお嬢さん。私は『唐氏』の現当主、とう雪英よ。よろしくね」


「ふーん……ずいぶんとちっこい当主様じゃねーの」


「ふふふ。こう見えて人生経験豊富なのよ。多分、貴女の倍はあると思うわ」


「言ってくれるな。こっちだって人生経験豊富だよ。あたしが親父に黙ってやらかした悪戯や遊びの数は、両手両足の指じゃ足んねーよ」


「お父様は大事になさいね。……それで、何があったのかしら?」


 よくぞ訊いてくれたとばかりに、武人達が喋り出す。


「お聞きくださいご当主様! この女が、世家認可の賭場でイカサマを働いていたのです!」


「だからやってねーって言ってんだろ! 何度も言わせんなよ!」


「貴様の主張は聞いていない! 黙って沙汰を受けろ!」


「るせーな! さむらいぶってんじゃねーぞこの田吾作たごさく! 土でもいじってろ!」


「何だと貴様——」


 ぱん! という乾いた音が弾け、双方は思わず黙った。


「——落ち着きなさいな」


 黒い少女——とう雪英は両手を合わせながら、なおも優美に微笑んでいた。


 見惚れそうなほど美しいのに、なぜだか抗いがたい、有無を言わせぬ「圧」を感じた。


 きくが連想したのは、昔、家へ客人として来訪した、位の高い武士。


 物腰は柔らかだが、それなのに逆らいにくい何かを感じた。


 この雪英という幼げな少女には、それと同じものがあった。


「順を追って説明してもらえるかしら? まずはそこのお嬢さん。えーと……」


きくだ。川島かわしまきく


「不思議な名前…………もしかして、貴女は和人わじん? でも確か和國わのくにはここ百年ほど鎖国状態だと聞いているけれど……」


「密航した」


「まぁ、悪い子。……ではきく、まずは貴女から説明してもらえる?」


 その要請にも、すんなり答えてしまった。


 きくから順を追った話を聞き、さらに武人達の話も聞いてから、雪英はようやく納得いったように頷き、おとがいに手を当てながら考える仕草を見せる。


「なるほど……確かに勝ち過ぎているわね。不自然なくらい。特に「碗骰わんとう」は完全に運が左右する賭けだもの。普通なら、何らかのイカサマを真っ先に疑う場面かもね」


「だから、やってねーってば。剣術の修行で培った「見切り」を使って、骰子の次の目を予測したんだっての」


「「見切り」ね…………それが、和國わのくにの武術の得意とする技術なのかしら?」


 問われて、きくは答えた。


「ああ。そうだ。和國わのくにの刀……あんたらが言うところの「和刀わとう」は、首筋とか内股にかすっただけで死ねるからな。相手の呼吸とか細かい動きとか、周りの地形とか、そういう要素から次の動きを予測する「見切り」の能力を重視するところがある。この「見切り」の能力は、あたしが最も得意とするものだ」


「なるほどね……武功もその能力を軽視しているわけではないけれど、それほどまでに重視もしないわ。内功を高めて、その高めた功をぶつける外功を学べば勝てるもの。小手先の技をいくつも覚えるより、絶対的な功力をつけてそれをぶつければいい。……思想の違いとは、こういうものを言うのね」


 言って、少し考える仕草を見せてから、ふと名案とばかりに再び口を開いた。


「思いついたわ。きく、あなたの潔白を証明する、最も簡単な方法を」


「なんだよ?」


「——?」


 きくが目を見開き、武人達がそれ以上の驚きを見せた。


「貴女の言う「見切り」という能力。それがいかほどのものであるのか、私に示してもらえる? もしもそれが潔白を証明するに値するほどの練度であるなら、私は貴女を信じましょう。……どう? 一番簡単で手間の無い方法でしょう?」


 なおも優美な笑みを絶やさない雪英に、きくが驚いていたのはほんのわずか。


 すぐに、闘志を含んだ微笑が浮かんだ。


「……へぇ? お嬢様みてーな見た目のくせに、随分と豪胆じゃねーの」


「言ったでしょう? 貴女よりも人生経験が豊富だって。人を見た目で判断しない方がいいわ。『武林』では特にね」


「ははっ、面白ぇ」


 きくが歓喜の赴くまま左腰の刀を抜こうとするのを、雪英は掌で制する。


「慌てないの。——で、存分にやりましょう?」




>>>>>>>>>>>>>>>>


 育ちは良いのに筋が悪い不良少女、菊さん。

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