斬合道中《四》

 日差しがある程度強くなってから、きく昀昀いんいんは出発した。


 二人は今、真っ直ぐ続く山道を歩いていた。


 右に深い森、左に断崖絶壁。


 絶壁の下では、先ほどまで過ごしていた川がさあさあと流れている。


「この先をもうしばらく北上していくと、『唐家楼とうかろう』という街に着くわ。『唐氏とうし』が守っている街よ。路銀が少なくなってきたから、そこに少し滞在して稼いでから、また出発する——という予定にしようと思っているのだけど、異論はある?」


 そう問うてくる昀昀いんいんに、きくはかぶりを振った。


「いんや。ねーよ。あたしはまだまだこの国には素人だからな。しいて言うなら……『唐氏とうし』ってのが何なのかが分からねーって事くらいかね」


「『唐氏とうし』というのは、「世家せいか」の一つよ」


「世家って?」


「古き時代、何らかの形で特権を持っていた過去を持つ一族のこと。滅んだかつての王朝の王族だったり、諸侯だったり、王朝と関係の深かった氏族だったり…………たいていは属していた王朝の崩壊とともに実力を失ったけれど、中には時流に上手に乗って、その頃に持っていた既得権益や特殊技能を守り、数百年経った今もある程度保有し、その恩恵にあずかっている一族もいるわ。それが今でいう「世家」という存在よ」


「ふーん…………んで、その『唐氏とうし』って連中は、いつかの王朝の皇帝かなんかだったのか?」


「いいえ。でも、昔この大陸を治めていた皇族と関係が深かった一族よ。——『唐氏とうし』が皇族から与えられていた役割は「暗殺」。朝廷に害をなす反乱分子をひっそりと、それもで殺してきた暗殺貴族。その末裔よ」


「うえー。根暗っぽい。目ぇ合っただけでも殺されそう」


 苦い顔をするきくに、昀昀いんいんは可笑しそうにくすくす笑う。


「流石にそれはないわよ。だって『唐氏とうし』は、『武林盟ぶりんめい』と協力関係にあるもの」


「そうなのか? 「邪派」の奴を暗殺したりとか?」


 昀昀いんいんは首を横に振って否定し、なぜだか少し悲しげな微笑で答えた。


「——「毒」よ」


「毒…………ああ、専門だもんな。毒くらい使うか」


「うん。『唐氏とうし』は暗殺貴族の末裔である世家。暗殺とは自分の犯行であることを隠して相手を殺すこと。ゆえに『唐氏とうし』は豊富な暗器術と、豊富な「毒」の知識を蓄えているわ。そして、この世に存在するありとあらゆる毒を知るがゆえに、それらの毒を癒す知識も持っている。『唐氏とうし』はそんな毒の知識を『武林盟』に提供することで、邪派が使ってくるかもしれない毒に備えさせて、自分達の存在の正当性を示しているのよ。……まぁ、持っている全ての知識を提供しているかは怪しいけれどね。彼らにも「秘伝」があるだろうから」


 『唐氏とうし』という存在に関して必要な説明は全て言い終えたようで、昀昀いんいんはそれ以降何も言わなくなる。


 きくは、次に何を話題にしようか考えたが、思いつかない。


 なので、ずっと温めていた話題を、今ここで出すことにした。


「ところでさ、昀昀いんいん


「なに? きく


「——?」


 昀昀いんいんはその問いかけの意味を瞬時に察したようで、目を戦意で細めた。


「ええ。もちろん。十分くらい前から」


「あたしと同じだな。……さっきから、あたしらを尾行けてる連中がいる」


 共通認識の存在を確かめ合った二人は、後ろを見ずにささやき合う。


「昨日、あたしが斬り殺した連中の仲間かね?」


「可能性はあるわね。緑林りょくりんの連中は執念深いもの」


「緑林?」


「山道で人を襲って金品を掠奪する集団のことよ。『武林盟』では「邪派」に数えられているわ」


「山賊ってわけか。じゃあ斬る?」


「いいえ。まずは右の森に紛れましょう。昨日の連中の片割れなら、また火槍かそうを持ってきていても不思議は無いわ」


「なるほどな。木が生えまくってる森の中なら、火縄銃ひなわじゅうじゃ狙いにくいもんな」


「そういうこと。それじゃあ…………今っ!」


 昀昀いんいんの号令に合わせ、きくは右に広がる森の中へ飛び込んだ。


 さんさんと照っていた朝の陽光から、深緑の薄暗さへと視界が変わる。


 勢いよく森へ入った二人を、ずっと尾行していた「気配」たちも追随してくる。


 乱立する木々をかいくぐる「気配」。

 ずっと足音が無かったそいつらだったが、さすがに落ち葉や枝がある森の中を無音で移動するのは不可能だったようだ。足音が聞こえる。


 さらには、全体像まで見えてくる。

 各々の武器を手にした、いかにも「ならず者」といった風貌の男達。

 全員、明らかにこちらを睨んで剥き出しの刃を持っている。


 面白ぇ、全員斬ってやる。


 敵の殺意を確信したきくは口端を吊り上げる。


「————!」


 だが、突如に「殺気」を感じ、思わず振り返る。


「な——」


 そこには、いつの間にやら、一人の男が立っていた。


 その男が振り抜いた刀の薙ぎを、転がって間一髪避けた。


 距離を取り、その襲撃者の全体像を見据えるきく


 一言で言い表すなら「刃物だらけ」な男だった。

 面長な顔の上から垂れ下がる髪は肩の辺りまで達しており、たくさんの束になり、その先端部から小さな匕首ひしゅがぶら下がっている。

 肩には交差して背負われた二振りの直剣。

 大腿部には一対の短刀。

 猛禽の脚を模した形の靴は、爪の部分が鉤爪状の刃物になっている。

 ……一対になっているそれらと違い、腰の刀の鞘が右にしか無いのが、なんだか気になった。


 だが、そんな奇抜な見た目よりも、よほど驚くべき点がある。


(ぎりぎりまで「気配」に気づけなかった……!?)


 後ろを取られた経験がほとんど無いきくが、背後を取られた。


 それだけでも、この男が強敵であるという十分な裏付けだった。


 さらに面倒臭いことに、周囲を囲まれた。


 きく昀昀いんいん、そして刃物だらけの男を中心に、ならず者たちの円陣ができていた。


「……てめぇ、何者だ?」


 きく鯉口こいぐちを切りながら、殺気を尖らせて訊いた。


 刃物だらけの男はその鋭い細目を若干開き、わざとらしく明るい声で答えた。


「失礼失礼! たしかに、名乗らずに首をねるのはあんまりだよなぁ。——俺の名はりく嬰虎えいこ。よし、名乗った」


 人を食ったような態度に苛つきを覚えるきくとは対照的に、


「——まさか、『萬刀会ばんとうかい』の『百刃千死ひゃくじんせんし』っ?」


 昀昀いんいんは目を見開き、驚きを帯びた声で謎の単語を口走った。


「こいつを知ってんのか?」


「直接会ったのは初めてだけど、噂なら聞いた事があるわ。——緑林組織『萬刀会ばんとうかい』を率いる、凄腕の刀剣使い。値打ち物の刀剣を好んで掠奪することで有名な男よ。その外見はとにかく刃物で彩られていて、それを用いた変則的な刀剣術が得意と言われていて……どうやら、本物のようね。想像していたより刃物だらけ」


 ちゃらり、と無数の髪束の末端に付いた小型匕首を鳴らし、「へへっ」と上機嫌に笑声を漏らした。


「嬉しいねぇ、俺をご存知とは。その服装、『玄洞派げんどうは』の内門ないもん弟子でしかい。相手にとって不足はねぇが…………あいにく、俺が用があるのはお前さんじゃあねぇ、そこの黒髪のお嬢さんだ」


 あたしっ? と目をしばたたかせるきく


 りく嬰虎えいこは、そんなきくを細く鋭い眼で見た。


 ……より正確には、


「そこの黒髪のお嬢さん。単刀直入に言おうか。——その腰の刀、俺にくれねぇか?」


「ざけんな。斬り殺すぞ」


 きくは嫌悪感丸出しの声で即答した。

 共に大陸での死戦をくぐりぬけてきた、命の次に大切な愛刀を寄越せと言われたのだ。

 剣客として当然の答えだった。


 嬰虎えいこはにやりと笑う。


「まぁそう答えるわなぁ。その刀は見るからに業物わざものだし、和人わじんは刀を恋人よろしく可愛がる変態だって聞くからなぁ。——やっぱ、って展開になっちまうわけだよなぁ?」


 言質げんちを取ったと感じたきくは、次の瞬間には疾駆していた。


 風のごとく詰め寄り、閃きのごとく抜刀し、石火のごとく嬰虎えいこの刀と衝突した。


「……おぉ、怖い怖い。いきなり斬りかかってくるたぁねぇ。和人わじんの女はおっかないねぇ」


 ——野郎、反応しやがった。


 ほぼ不意打ち同然の一太刀を余裕で受け止めた嬰虎えいこに、きくは内心で舌を巻いた。


 やはり、この男。


 刃同士を接し合わせた状態から、攻め手を繰り出そう思った瞬間——


「——っ!?」


 視界の端から弧を描いて高速で迫った小型匕首を、きくは身を素早く引っ込めて間一髪回避した。

 ……もしも一瞬でも動くのが遅れていたら、あの小型匕首で眼球を横一線に切られていた。


 さらに真下から風圧が迫る。


 猛禽の脚を模したような靴。その鋼鉄の爪がきくに迫る。


「くっ……」


 きくは刀の刃で、鋼鉄の爪刃を受け止める。

 柄に感じる重み。かろうじて防御が間に合った。


 だが、きくは「見切り」によって、次の一瞬、確実に自分の喉首に届くであろう太刀筋が殺到することを予知。


 一瞬の猶予の間、すでにきくは技の準備を終えていた。 


 ——川島派かわしまは至刀流しとうりゅう・三ヶ条『閃爍せんしゃく』。


疾疾疾しししっ!!」


 明滅する雷光のごとき速度で、瞬時にを放つ。


 一太刀——嬰虎えいこの左肩から抜き放たれた長剣を防ぐ。

 二太刀——右手の刀による斬撃を弾く。

 三太刀——蹴りによる鉄爪を跳ね返す。


 嬰虎えいこの迅速な追い討ちを、菊はそれ以上の「速さ」で全て防いでみせた。


 『閃爍』は、「」の型。

 光のような速度で、瞬時に「一太刀」を放つ。

 斬るというより「叩く」に近い性質の斬撃なので、斬れ味は他の型よりいまひとつだが、その剣速は川島派かわしまはの型の中で

 練度が高いほど、一度に連発できる斬撃の数が多い。

 ——きくはその「一瞬一太刀」を、三回連続まで出せる。


 その電光石火の防御を受けた嬰虎えいこは、驚いたように口笛を鳴らす。


「へぇっ! すげぇ速ぇなぁ! 見た事の無ぇ刀術だ! それが和國わのくにの刀術かぃ!?」


 答える代わりに刃をくれてやろうと思った瞬間、嬰虎えいこの背後にが迫った。


「おっと」

「ふっ!」


 嬰虎えいこは自然に反応して、背後へ長剣を振るう。

 昀昀いんいんがそれを、内力ないりょくを内包した掌の風圧で斜め上へと受け流した。


 真上を通過する剣身の下をくぐって、一気に肉薄する昀昀いんいん


 嬰虎えいこは真後ろへ片足を跳ね上げ、靴のかかと部分に装着された鉄爪を振るう。


 顎を的確に狙ったその一蹴りを、昀昀いんいんは一歩後退して避ける。

 

 嬰虎えいこはその跳ね上げた足をそのまままっすぐ蹴り伸ばすが、昀昀いんいんはそれも掌風で受け止め、事なきを得た。


 きくもすぐに加勢しようとするが、背後から殺気を覚え、とっさに反応。


 嬰虎えいこの手下だ。その振るってきた刀の一撃をきくは受け流し、反撃しようとする。


「おっと!」


 が、別の方向からも剣がやってきて、それも素早く防ぐ。


「っておい!? さっきよか増えてねーかっ!?」


 いつの間にやら、手下の数が増していた。


 次から次に殺到する攻撃を受けるのに精一杯で、きくは反撃がうまくできない。


 さらに忘れてはいけないのは、本格的な危機はこの手下どもではなく、だということ。


「俺とも遊んでくれよぉ!」


 勢いよく距離を潰してきた嬰虎えいこの刀撃を、きくはどうにか己の刀で受け止めたが、


「ぐぅっ……!」


 刃は防げても、そこに込められた重みだけは受け止めきれず、きくの小柄で軽い体が大きく吹っ飛んで転がった。


 勢いを維持したまま、木の幹に背中からぶつかる。


「っ——」


 一瞬、息が詰まった。


 それを仕留めんとばかりに手下が群がってくる。


 「いかん」と思ったきくと、敵の群れとの間に、昀昀いんいんが割って入った。


「——っ!!」


 火薬の炸裂のような一喝とともに、その声を体現したような凄まじい風圧が、突き出した昀昀いんいんの掌から爆発した。


『うおおおああぁぁぁ————!?』


 木々すら揺るがすほどの暴風に、敵の群れが押し流される。


「うっははは! すげぇなぁおい! まだ若いのになんつう内力ないりょくだよぉ!?」


 嬰虎えいこも、愉快そうに笑ってはいたが、体を低く伏せたまま動けずにいた。


 暴風が緩やかになっていく過程で、昀昀いんいんは矢継ぎ早にきくへ告げた。

 

「『百刃千死ひゃくじんせんし』はあなたを狙ってる! だから、あなたが戦って! はわたしがしてあげるから!」


「……ああ、恩に着るぜ!」


 相棒の心強い言葉に、刀を握るきくの手に力が入る。


 やがて風が止み、伏せていた嬰虎えいこが立ち上がった。


「お前さんの和刀わとう、その可愛い頭ごと貰い受けるぜぇ!」


 嬰虎えいこは剥き出しの刀のきっさききくへ向け、剣呑な気勢を発する。


 肌に刺さるような殺気に、これから始まる激闘の匂いを覚え、きくわらった。


「吐かせ! てめぇにこの刀は役不足すぎんだよっ! 土の輪廻に還してやらぁっ!」

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