不機嫌
翌日。
ほとんどあぶく銭とはいえ、もう十分過ぎるほどの路銀を稼いだのだ。なので今日は少し贅沢して、街中を見て回ることにした。
「ねぇっ、見て見て!? あの小さい木像! 龍よっ? すごいわよね! 一つ買わない?」
「えぇ? いらねーだろ。武器にならねーし」
「もぅ、菊ってば戦うことばっかり。少しは異文化を楽しもうって心はないのっ?」
「武者修行に来たんだよ、あたしは」
「あ! 菊、見てあれっ! すごいわっ!」
「聞いてねーし……」
『
太陽が中天に差し掛かった頃。二人は人々が行き交う街中を共に見回っていた。
落ち着いて物見遊山ができるようになった昀昀たるや、まさに水を得た魚のようであった。足元に敷いてある石敷にすら興味を示していた。
「この石敷きの溝はね、雨水とかが巡り巡って運河に通じる水路に運ばれるようにできてるのよ。この街は薬草栽培が盛んだから、水の扱いも他の街に比べて長けているの。近くに大河があって、そこから運河を作って水の疎通を作っているの。だからこの街では水資源が豊富なのよ」
「ふーん」
菊は昀昀のそんな熱弁にとりあえず相槌を打っていた。興味はないが、昀昀が楽しそうなのでそれで良いと思った。
それからしばらく物見遊山を楽しんでいると、
「……あ」
菊の足が止まる。それに合わせて昀昀のそれもピタリと静止。
目の前に立っているのは、見覚えのある人間の群れ。
——昨日、菊を尾行して、イカサマ犯扱いしてきた武人達だった。
向こうも菊の顔に反応し、足を止めていた。彼らの顔はひどく気まずそう……いや、苦々しい感じだった。
それはそうかもしれない。
この街の主である『唐氏』の判断によって菊が「潔白である」とされたが、それは上が勝手に判断しただけの話だ。昨日の雪英との一戦が菊の潔白の証左になるとは、必ずしも限らない。あくまで「見切り」という能力が偽物ではないという証明になっただけの話だ。
一方で、この連中は根本的な勘違いを起こしている。
『碗骰』では、イカサマは実質不可能だ。
なので菊は堂々として、武人達に無遠慮に言った。
「なぁ、まだ謝ってもらってねーんだけど」
武人達の表情の苦みがさらに増した。
その顔でしばらく押し黙ると、やがて重い扉が開くような重々しさのある口調で言った。
「……すまなかったな」
どれだけ嫌そうに告げられても、謝罪は謝罪だ。菊はとりあえず頷いた。
彼らはもう菊と話すのは嫌なようで、今度はその隣に立っている昀昀へ目を向け、そしてその目を大きく見開いた。おそるおそるな語気で問う。
「貴女は……もしや『
……ああ、そういえば名のある門派だったな。『玄洞派』。
まだ旅路を共にしてそれほど経っていないが、どんな場所でも必ず昀昀を指差して『玄洞派』と言う者はいた。
やはり有名なのだ。武林における『四大派』という存在の大きさを、菊は今ようやく知った気がした。
昀昀は拱手し、答えて曰く、
「はい。『玄洞派』の内門弟子です。そういうあなた方は、この『唐家楼』の武人かしら?」
「ええ、そうです。いやぁ、この『唐家楼』には『玄洞派』の方々を含む『四大門派』の方々も来てくださります。この『唐家楼』では様々な薬草が栽培されているので、門派の修行で用いる薬の材料を探しにきてくださるのですよ。ところで、あの……お名前など伺っても?」
「
「霍…………まさか!? かの有名な『
「大袈裟ですわ」
「何をおっしゃる! 貴女の武勇はかねてよりうかがっております! 何より、「龍」という文字の付く異名は、武林において最大の誉れ!」
それからもベラベラといろいろなことを話し出す武人達と昀昀。
異人である自分にはまったくわからない単語を連発されて、菊はあんまり面白くなかった。
結局、その立ち話は数分は続いた。
それからも、二人は街中を見て回った。
ここまで栄えた街は、帝都以外ではなかなかお目にかかれないので、ぜひ隅から隅まで見て回りたいという昀昀の希望ゆえだった。
菊もそれに付き合うのは嫌ではなかった。
昀昀のこれは、単なる好奇心の発散ではない。
人生そのものだからだ。
もはやもって数年。そんな短い命が尽きる前に、その魂にできるだけ多くのモノを抱えてから土の輪廻へ還りたい——これはいわば、死ぬ前の準備。
悲しいことだとは思いつつも、一方で、それは昀昀だけでなく、他の人間にも当てはまることだと思った。
人はいつか死ぬ。どれほど長く生きたとしても、死からは逃れられない。
菊だって、大剣豪になる前に、負けて斬り殺されるかもしれない。
考えてみれば、昀昀はただいずれ訪れる「死」が人より早いというだけで、彼女自身は異常でも可哀想でもないのかもしれない。
昀昀に宿った「毒」のことを告げられてしばらく時間を置いたことで、菊はその考えまで至ることができた。
そして、そうなったことで、途端に罪悪感のようなものが芽生えだした。
——自分の「憐れ」の基準を、昀昀に押し付けていたのだ。
自分の考えの足りなさに腹が立った。
昀昀のことを思っているようにみえて、実は自分しか見ていなかったのだ。
彼女には、彼女の人生観があるというのに。
しかし一方で、やっぱり昀昀の行く末に割り切れないものを感じているのもまた事実で。
ならば、やはり、自分にできること、してやれることはただ一つだ。
——昀昀が望んだ死に方ができるように、守ってやること。
自虐抜きで、自分にできるのは、この刀を振るって戦うことだけだ。
ならばそんな自分に唯一出来ることで、昀昀の「生き方」を守ろう。
そもそも自分は戦うためにこの大陸に来たのだ。渡りに船ではないか。
気がつくと、隣に歩いていた昀昀の手を握っていた。
「菊?」
「……昀昀」
「なにかしら?」
「あたし達……死ぬまでずっと一緒だからな」
「え」
「あんたのことは、あたしが一生守る。だからあんたは、安心して老い先短い余生を満喫すればいい。……あたしが、あんたが息を引き取るまで、あんたを守る剣になってやる」
昀昀の喉奥から変な声が出た。
かと思えば、その白皙の肌がみるみるうちに赤みを帯びてきて、
「……い、いきなり何言ってるの。そんな、おおげさなこと」
「本心だけど」
昀昀の余命は、あと数年だ。
それまでの間、菊はこの白い少女と一緒にいると心に決めたのだ。
たとえ、終わりが突然だったとしても、自分がついていれば一人寂しく逝くことはない。
昀昀は、その紅い双眸を見開かせ、何か熱い気持ちを込めているように輝かせていた。
「菊……」
「ん。まぁ、そういうことだからさ。これからもよろしくな?」
菊がそう笑いかけると、
「………………ん」
控えめな声で頷き、菊と繋いだ手をぎゅっと握った。
昀昀はうつむいているが、菊の方が背丈は低いので、その顔が見える。
ほのかに朱く染まった白い頬。ほころんだ唇から、ささやくように呟かれた。
「菊…………ありがと」
「お、おお」
なんだか甘酸っぱい雰囲気を覚え、菊は思わず声を上ずらせる。
何だこの妙な感じ。なんか、今の昀昀が、その……めちゃくちゃ可愛く感じる。
どのようにその先の会話を繋げていいか思いつかず、手を繋いで無言で歩き続けていると、
「ん? あれは……」
往来の中に、見知った顔を見つけた。
桑畑の仕事で知り合った少女、
「おーい、琦琦ー!」
菊は見つけるや否や、昀昀から手を離し、声を張り上げながらその少女へ近づいていく。
「あ……」という昀昀の名残惜しげな声を尻目に、菊の声に反応してぱぁっと笑みを浮かべた琦琦に話しかける。
「菊さんっ」
「よ。何してんだ? 仕事はどうした? ふけたのか? あの婆に殺されねーか?」
「きょ、今日はお休み、です。菊さんこそ、お仕事はしていないんですか……?」
「ああ、あたし辞めたわ。もともと路銀稼ぎのためだけにやってたわけで、その路銀もたんまり貯まったからさ」
菊があっけらかんとした顔でそう言うと、琦琦は沈んだように表情を曇らせた。
「そう……ですか」
「ん? どうしたよ? なんかいきなり元気なくなってんな。おめぐりか?」
「…………もう、『唐家楼』を、出て行っちゃうんですか?」
「うん。明日の昼前に出ちまおうかとな。……なんだぁ? もしかして菊お姉さんとお別れすんのが寂しいんかぁ? え?」
菊がからかうような笑みを浮かべて顔を近づけると、琦琦は頬をほのかに紅潮させながら「……はい」と消え入りそうな声で肯定。
「私……もっと、菊さんと一緒にいたかったです。もっとお話、聞かせてもらいたかったです……」
「……そっか。悪かったな。でも、あたしにも目標があるからな。一所にとどまってるわけにはいかねーのさ」
「はい…………わかって、ます」
消沈した態度が悪化する琦琦。
そんな小さな肩を、菊は背中から手を回して抱いた。
「ひゃわぁ!?」と顔を一気に真紅に染めてびっくりする琦琦に構わず、菊はことさらに陽気に言った。
「っしゃ! んじゃ、これからあたしらと遊ぼうじゃねーの! 今日で最後だ! ぱぁっと行こうや! どこ行きたい? 好きなとこ行ってみ? 鉄火場なんてどうよ? あたしが「
「え、えっと、あの……」
真っ赤っかな琦琦に気づかぬまま、菊は離れたところに立っていた昀昀へ呼びかける。
「おーい、昀昀! こいつも一緒にいいだろ? 三人でぱぁっと遊ぼうぜっ?」
ええ、いいわね、大勢のほうが楽しいもの——そんな柔らかな了承が返ってくると思っていた。
しかし。
「…………ふんっ」
昀昀はひらりときびすを返し、歩き去っていってしまった。
今までに見せたことのない反応に困惑しながらも、菊は「ちょっと悪い」と一旦琦琦を待たせ、昀昀に追いついた。
「ちょっとちょっと、どうしたよ昀昀? 一緒に遊ばねーのか?」
「二人で遊べば? 仲良く。仲睦まじく」
不機嫌そうに尖った昀昀の声に、菊はさらなる戸惑いを覚える。
今までに見せたことのない昀昀の一面。
こんなふうに不機嫌そうな彼女は初めてだった。
しかし原因が分からない。
「いったい何怒ってんだよっ?」
「知らない」
「いや、原因が無きゃ怒りゃしねーだろうよ。何があったよ?」
「何もない」
何も無くねーだろ。
どうしたもんかと思っていると、昀昀の体がふわりと浮いた。高々と。
「あ、おおい!?」
軽身功を使って建物の屋根まで飛び上がった昀昀は、そのまま屋根から屋根へ伝ってどこかへ消えてしまった。
「…………なんなんだよ」
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