二人の「競争」
風呂から出て予備の服に着替えた後は、『
「来客を想定していなかったから、こんな質素なものでごめんなさいね」と言う
しかし、
満足な食事とは無縁である旅人の身ゆえ、こういったきちんとした食事は嬉しいものであるはずなのに。
理由はひとえに、浴場で
二十歳になる前に、体に巣食った「毒」によって殺されると。
——あんまりな話だと思った。
武林という武芸者の世界は、いつどこでどういう形で命を落とすのか分からない、厳しい世界だ。
なので、
だからこそ、
だが——
どれほど武を磨こうと、絶対に敵わない敵。
殺されるという結末が約束されている敵。
しかも、それは
親から受け継がれてしまったものなのだ。
戦う前から、
——そんなの、武人としてあんまりではないか。
何度も言うが、自分の未熟のせいではなく、親のせいなのだ。
復讐なんて愚かなことをやらかした親に足を引っ張られて、娘が呪われる。
こんな理不尽なことがあるだろうか。
自分だったら、とうの昔に割腹しているかもしれない。
——
いや、そもそも受け入れているのだろうか?
自分に残酷な運命を強いた母親を恨んでいるのではないだろうか?
——
自分も、訊くのが少し怖かった。
あの常に落ち着きと柔和さを崩さない麗人が、母親に対する憎悪で燃え上がるところを、自分は見たいとは思わない。
でも、訊いてみたい。
だから、
『唐氏』は今日と明日、ここに泊めてくれるらしい。
なので、今夜、共に寝る時に訊こうと思った。
来客用の寝室へ案内され、
自然の地や草を寝具代わりにしてきた旅人の身である二人にとって、あてがわれた寝台は夢のような寝心地だった。あっという間に重い眠気が襲ってきた。
しかし、
「…………あんた、なんで黙ってたんだよ」
「毒」のことを、という文脈を省いた問いであることを
「……言ったところで、治るものではないもの」
「だからってさ…………いや、いい。確かにあんたの言うとおりだ」
「あんたはさ——どういう気持ちで毎日を生きてるんだ?」
自分は生まれてから今に至るまで、病気とは無縁の子供だった。
周りの大人達が手を焼くほどの、元気者だった。
だからこそ、
しかし、いくばくかしてから、ようやく口を開いた。
「……強いて言うなら、「焦り」を覚えた、といったところかしら」
「焦り?」
こくん、と頷く
「わたしの命は、人よりずっと短い。だからこそ、そんな短い人生の中で、出来るだけたくさんの事を感じておきたい。世界にある色々なものを見て、聞いて、嗅いで、触れて、味わい、この魂に刻み込みたい。そして、この心身を土の輪廻に還したい…………だからこそ、わたしは常に焦っている。そして——これから訪れることの全てが、楽しみで仕方がないの」
その発言に、
それは、
——この世界は、とっても広いわ。その
——それでも、わたしは命の続く限り、この世界を知りたい。目で、舌で、鼻で、耳で、肌で、この魂で、世界を味わいたい。だって、この世界には面白いもの、素敵なものが数えきれないほどたくさんあるから。
今にして思えば、これらの言葉が片鱗だったのだ。
さらに
そんな奇妙な旅の理由も、今となっては納得がいった。
自分の命が長くないことを悟り、それでもなお、そんな救いの無い運命を自分らしく生きていこうという……誇り高くも悲しき決意である。
「母親を……恨んでないのか?」
「お母さんがいなかったら、そもそもわたしは生まれていないわ。非常に短いとはいえ、人生をわたしにくれた。どうして恨まないといけないの?」
「……そうか」
彼女は、そう遠くないうちに訪れる自分の最期にきちんと向き合い、その上でどう生きるかをしっかり決めていた。
——自分は、どうだろうか。
自分には
けれど、自分にだって、生き方や目標くらいちゃんとある。
大剣豪になる——そんな目標が。
だからこそ、こんな広大な大陸まで密航し、死と隣り合わせの武者修行の旅をしているのだ。
——そんな自分が、
寿命の長短の違いがあるだけで、命を賭けられる、確固たる生き方を持っているのは同じだ。
貴賤はない。相違があるのみ。
そこに憐れみを差し挟むのは無粋と思った。
「じゃあさ、
けれど、やはり少しずるいと思った。
だって、
旅をして、その道中でいろんなものを見れているのだから。それを楽しめているのだから。
手段そのものが目的となっているのだから。
しかし、
達成するよりも早く、
大剣豪となった自分の姿を、
だからこそ——
「——あたしとさ、競争しないか?」
呆気にとられたように
「あたしの目的は、大剣豪になることだ。そんなあたしが大剣豪になるのが先か、あんたが「毒」でくたばるのが先か…………そんな競争だよ」
しばし
かと思えば、可笑しそうに笑い出した。
「うふふふ、もうっ、なにそれっ?
「だろっ? あたしは少しでも早く大剣豪になるよう努力する。だからあんたもさ、少しでも寿命が延びるように努力してくれよ。だから「競争」なんだよ」
「いやいや、
「え、そうお?」
「そうよ。ふふっ、うふふふふふ」
なおも可笑しげに笑い続ける
「……ああもうっ! やっぱ今の忘れろ! ったく……」
だが、そんな
ふわり、と芳しい匂いが鼻腔に漂った。
「——
耳のすぐ近くで発せられた優しい囁きに、
かと思えば、頬が自然と熱を持った。
「……おう」
なんだかばつが悪くなり、うろたえ気味な声になった。
意味が分からない。なんでこんなに恥ずかしい気分になってんだ、あたし。
だが、自分でも意味不明な葛藤はすぐに、意識そのものとともにまどろみの中へと沈んでいった——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます