異変

「ごめんなさい……なんだか、私のせいでお友達を怒らせてしまったみたいで……」


「あーいいのいいの。きっとおめぐりか何かだろ。次会う頃にはけろっと上機嫌なはずだよ」


 申し訳なさそうに謝ってきた琦琦ききに、きくはからからと明るく笑いながら手を振った。


 謎の不機嫌によって昀昀いんいんが飛んで行った後、残された二人は一緒に街中を歩いていた。


 明日には菊はこの街を去ってしまう。なので、琦琦の要望もあり、一緒に過ごすことにした。


 琦琦は少し浮かない顔で、おずおずと訊いてきた。


「あの人……菊さんと一緒に旅をしている人、なんですよね?」


「え、ああうん。そうだぜ。昀昀、霍昀昀ってんだ。ああ見えて『玄洞派』っていう門派のすげー女なんだぜ? 地元じゃ負け知らずだったあたしとも引き分けたんだから」


「そうなん、ですか……私は、武林のことは全然わからないですけど……羨ましいです」


「羨ましい?」


「はい……強い人なら、一緒に旅が、出来ますから…………菊さんと」


 最後の尻すぼんだ言葉を聞いた途端、菊はにんまり笑いながら顔を近づけた。


「なぁんだぁ? あたしに興味あんのかぁ? でもあたしと旅するには体力がいるぜぇ? その辺の武功門派に弟子入りしてみればよ?」


「え、いや……それは無理だと思います。体力的にも、


「人脈?」


 妙な言葉に、菊は片眉を持ち上げる。


「はい。武功って、誰でも習えるわけではないんです。ある門派の重鎮の人から信頼を得て、その上で門派に紹介してもらわないと入門ができないんです」


「へぇ、そりゃ知らなかったな。基本来るもの拒まずな和國の武術とは違うんだな。でもなんだって、そんなまだるっこしい弟子の取り方すんだ?」


「えっと……伝承を守るため、だそうです。人格的に問題のある人に教えてしまうと、その武功を悪用したり、門外の人へみだりに公開したり、師の断りなしに新たな門派を作ってしまったりしかねません。そういった事を避けるため、門弟を厳選するんです」


「ふーん。よく知ってんな?」


「あ、はい、これくらいは武林の人でなくてもみんな知っています……」


 ……昀昀には教わってなかったぞ、そんなこと。


 まあ知っていても入門しようとは思わないが。


 自分にはすでに『川島派至刀流』がある。しかもすでに皆伝済みなため、自分で新しい流派を打ち立てることが許されている。


 菊はこの武者修行の旅で、この川島派に改良を加え、新たな剣術を生み出すつもりだった。

 

「それに……私にも、夢がありますから」


「夢?」


 はいっ、と、いつもより明るめな声で返事をした。


「私、宮廷の機織り師になりたいんですっ」


「機織り?」


「はいっ。蚕の繭から取って作った生糸で、絹織物とかを織るんです」


 蚕、という言葉に菊は合点がいった。


「まさか、あの婆のところに足繁あししげく通ってるのって……そのためか?」


「そうですっ。今はまだ雑用ですけど、もう少し成長したら機織り道具を使わせてもらえるんです。そうしたら機織りを一生懸命覚えて、もっと上手になって、いつかきっとすごい職人になるんです。そうしたら、宮廷付きの機織り師として召し抱えてもらえることもあります。……それが、私の夢なんです」


 そこで、琦琦は我に返り、恥ずかしそうにうつむいた。何言ってるんだろう私、みたいに。


「ご、ごめんなさい……熱く語っちゃって。さ、さすがに無理がありますよね。私みたいな田舎娘が宮廷に召し抱えられるなんて……」


「なぁに言ってんだよっ!」


 菊は嬉々として琦琦を抱き寄せ、抱えた頭を犬猫にするように撫で回した。


「あんた、かっこいいじゃんかよ! いいじゃねーかよ! 目指してみろよ! 璘帝国で一番の機織り職人をさ! あたしは応援してっぜ?」


「は、はわわわ、き、きくさんっ……!?」


 これ以上無いくらい顔を真っ赤にする琦琦に構わず、菊はその頭を撫で回し続ける。子供の頃、たびたび家に餌をねだってきていた野良犬を可愛がっていた時のように。


 ひとしきり機織り師見習いの髪を愛でてから、菊は解放した。


「じゃあさ、もしも機織り師になったらさ、あたしの服を作ってくれよ」


「え……?」


「あたしは将来、大剣豪としてその名を轟かせる。その時にはあんたもいっぱしの機織り師になってんだろうからさ、あんたの手であたしの羽織りか何かを織ってくれ。大剣豪の羽織りを作った女になれるんだぞぉ? 名誉なことじゃねーか?」


 菊は片手を差し出した。


「あたしは大剣豪。あんたは機織り師。——お互い、悔いのないように、頑張ろーぜ? な?」


 菊がそう言うと、琦琦はきょとんとし、そしてやがて満面の笑みを浮かべてその手を握り返した。


「——はいっ!」











「——あらあら。何をそんなところに突っ伏しているのかしら?」


 客間の机に突っ伏している昀昀に、雪英が苦笑混じりに問う。


「何をやっているのかしら……わたしは」


「どうしたの? あら? そういえば菊は?」


「街にいます……」


「確か今朝から一緒に出て行ったはずよね? なぁに? 喧嘩でもした?」


 雪英に聞かれると、昀昀は「うううううう」といっそう重々しく唸った。


「図星ね。理由は何かしら?」


「……分かりません」


「理由も無いのに喧嘩をするの?」


 理詰めにすると、昀昀はまたもくぐもった唸りを漏らす。


「……唐夫人」


「何かしら?」


「友達が他の友達と楽しそうにしていたら、頭に来ますか?」


「え? 別に来ないけど……それがどうかした?」


 またも唸り出す昀昀。


 それ以降、全く口をきかなくなったので、捨て置くところであると判断した雪英は客間から立ち去った。










 あっという間に夕方になった。


 時が経つのは楽しいほどに早いもので、琦琦に案内されて面白い店を物色したり、薬草園の美しい緑の風景を一望したりして楽しんでいる間に、すでに陽は西の城郭に吸い込まれかけていた。


 琦琦はもう家の手伝いのために帰らなくてはならなくなった。


 ひどく名残惜しそうに菊の顔をちらちら見てから「あ、あのっ。明日、この街を出るんですよね? お見送りしたいから、お家に来てくれませんかっ?」と思い切ったような口調と表情で頼んできた。


 菊が快く頷くと、琦琦は嬉しそうに顔をほころばせて、家の場所を教えてくれた。


 それから琦琦と別れた。彼女はお互いの姿が完全に見えなくなるまで、何度も菊の方を振り返り続けた。


 懐かれたなぁ、と菊は苦笑する。


 けれど、嫌ではなかった。人の世に悪童である自覚はあるが、相手が余程の極悪人で無い限り、人から向けられる好意に対して難色を示すほどひねくれてはいない。


 明日は絶対に家へ立ち寄ろう。


 そう心に決めてから、菊は気持ちを切り替えた。


 その足は『唐氏』の屋敷——ではなく、その『唐氏』が胴元を務める賭場へ向かった。


 胸に抱くのは、昨日の成功体験。ちっぽけなお駄賃が泡立つように大金へと早変わりする光景。


 手元にはちっぽけな額の銭貨。しかし賭場へ行けばこれは何十倍にも膨れ上がる。まさしく錬金術だ。


(なんで急に機嫌悪くなったんか知らねーけど、昀昀も路銀がまた増えれば機嫌良くなんだろ。ようし、やっぜ)


 喜び勇んで賭場に訪れた菊は——しかし門前払いをくらった。


 『腰に刀を差した和人の少女は入店を禁ず』。


 そんな触れ書きが賭場の前の看板に書かれており、また門番からもとおせんぼを食らった。


 この賭場に触れ書きなんてものを出せる連中は一つしかない。


 『唐氏』。おそらく、雪英あたりが手を回したのだろう。


 なるほど。菊の「見切り」の技術は本物であることが証明され、イカサマ疑惑も晴れた。しかしそれでも菊という存在は、賭場の金の流れをめちゃくちゃにしかねない、ある意味イカサマ博徒以上に邪魔で厄介な存在だ。……だから閉め出させたのだろう。


「くそったれ! あの若作り婆、ちゃっかりしやがって!」


 土を苛立ち任せに蹴っ飛ばし、菊は吐き捨てた。


 不完全燃焼もいいところだ。


 このまま帰ったら雪英の顔を見た途端むかつきそうなので、しばらくは散歩して過ごした。


 その間に、日はほとんど沈み、瑠璃色の夜闇が空の大半を占めた。


 そろそろ気持ちが落ち着いてきたので、菊は足の向かう方向を唐氏の屋敷に向けた。


 今いる場所はどこかの裏通りだ。やや筋の悪い雰囲気が薄暗さとともに漂っており、歩いている人々も筋の悪そうな感じだが、一度も絡まれることなく歩けていた。街の治安が良いのか、菊の腰にある和刀の影響か。


 両側に連なる軒の数々を見るともなく見ながら裏通りを歩いていたが、ふと、とある建物に視線が集中した。


 和國の表意文字は、大陸から取り入れて発展させたものだ。ゆえに、和國で使っている表意文字を大陸で見ることも多い。だからこそその建物の軒下の扁額に書かれた文字の意味が分かった。——「武館」。いわゆる道場とか稽古場と同じ意味だ。


 一武人として興味が湧いた。覗いてみたい衝動に駆られるが、ハッとなり自制する。武林では稽古の覗き見は禁忌だと、昀昀から以前聞いたからだ。


 しかし、大陸の武術は一体どのような修行をしているのか……好奇心ばかりが募る。


(一瞬だけ。一瞬だけだから。一瞥したらとっとと帰るから)


 武館の両開き扉にほんの少しだが隙間が開いているのを見て、菊は強烈な誘惑に駆られた。まるで行燈の火に引き寄せられる蛾のように、武館の扉までゆっくりと近づいていく。


 しかし、その足が止まる。


 その武館の人間に見つかったから……ではない。


(——だとっ?)


 扉の隙間から外へ点線を作るように落ちた赤い血滴。しかも、まだ新しい。


 菊の意識が、一気に引き締まった。左腰の刀の鍔に我知らず親指を掛けていた。

 

 足音と気配を消して、両開き扉の前まで近づく。


 数回呼吸を繰り返してから、ええいままよと扉を押し開けた。

 

 途端、血臭がむっと押し寄せてきた。


「なっ……!?」


 ——そこには、惨劇が広がっていた。

 

 それなりに広い四角形の中庭。そのあちこちには人が倒れており、その誰もが例外なく血溜まりを作っていた。


「お、おい! しっかりしろ! どうした!? 何があったんだ!?」


 菊は張り詰めた声をかけ、倒れている手近な人間へと駆け寄った。


 その体をさすったが、返事はまったく無い。……心音や脈までも皆無。


 他の者も確かめてみるが、結果は同じ。


 ——みんな、事切れていた。


 しかも、みんな肋骨のわずかな隙間から刃物で刺された跡。心臓をひと突きされたのだろう。恐ろしく手慣れたやり口だった。


 明らかに普通の状況ではない。


 いったい何が起こったのか、菊がさらに混乱をきたしていると、


「う…………うぅ」


 まだ安否を調べていない人間の中から、呻き声を漏らす者が一人。


 菊はその人物の顔を見て驚く。


「あんた……!」


 菊をイカサマ犯と疑って殴りかかってきて、逆に菊が投げ飛ばしてやり返した、あの武人だったのだ。 


 その武人も菊に気づいたようで、今にも生命が失われそうな虚ろな眼差しで菊を見つめた。


「……お、まえ、は」


 武人は枯れ果てた声を漏らした。


 見ると、血を流して死んでいる周りの連中とは違い、彼だけはまだ生きている。だが、なぜかはまだ分からないが、動けないようだ。


 菊は慌てて駆け寄り、しゃがみ込んで問詰めた。


「おい!? いったいどうしたんだよこれ!? 誰にやられた!?」


 そんな菊の足を、武人の手が握る。


「お、おいっ」


 いきなり何を、と一瞬思って、それから息を呑んだ。


 菊の足を握る力は、腕の無骨さとは不釣り合いにひどく弱々しい。しかし、切実に何かを訴えかけるような必死さを感じた。


 押し黙った菊に、武人は懇願するみたいに言ってきた。


「た、たのむ…………どうか……」


「えっ?」


「俺のことは、良い…………どうか、どうかこの『唐家楼』を……救ってほしい」


 最期の力を振り絞るように、武人は菊の足を掴む手にぎゅぅっと力を込めた。


 訴えかけてきた。


「このままだと……『唐家楼』は、————『唐家楼』は、大変なことになる」

 

 その訴えを裏付けるように。


 街のあちこちから、悲鳴が次々に膨れ上がった。



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