邪派
————その惨劇を徐から聞かされた瞬間、
「クソ邪派がっ! やる事がえぐいんだよ!!」
毒づきながら表通りへと走り、たどり着いた瞬間、微かに聞こえていた悲鳴の群れはさらに強く耳に突き刺さった。
出てきた脇道のすぐ足元に、人が倒れていた。首筋をぱっくりと斬られており、すでに死んでいると一目で分かった。
さらに視界の端から、恐慌の表情で走ってくる人々。その後方からは汚い身なりの男達が武器を片手に迫っていた。
菊は動き出していた。
逃げる人々と追う男達の間に瞬時に割って入り、全身に密に纏った旋風のような太刀筋で刃の群を全て弾き返した。——川島派至刀流・二ヶ条『
『ぬおっ……!?』
男達の体ごと弾かれた刃には、真新しい血が付着していた。……ついさっき、人を斬ったばかりなのだろう。
川島派至刀流・四ヶ条『
残心。倒れる音が背後で重複して聞こえた。血振り。
「どこか安全な場所に隠れてろ! 『唐氏』の屋敷にでも匿ってもらいな!」
背後を一瞥して助けた人々の無事を確認すると、そう押し付けるように言ってから、菊は走り出した。
本当なら助けてやりたいところだが、それよりもまず——
「
菊の脳裏にあったのは、自分に懐いてくれた一人の少女の顔。
ここにいる邪派どもを相手にするのは、まずその後だ。……冷たいようだが、自分は聖人でもなければ、神でもない、ただの人だ。助けられる人数にも限りがあるし、助ける優先順位も決まっている。人は所詮、状況の許す範囲でしか正義や善行を行えないのだ。
事前に教えてもらった道をたどり、菊は琦琦の家を目指した。
すでに全速力だ。しかしまだ足りない。もっと速さが欲しい。
ここからだと短いはずの道のりが、とても遠く感じられる。
一日千秋とはこういうのを言うのだろうか。
やがて、菊はたどり着いた。
琦琦の家。
明日、この『唐家楼』を発つ前に寄る予定だったのが、よもやこんな形で先んじることとなるとは。
そして、早くも菊の心を、大きく揺さぶる光景があった。
——表戸が、破壊されていた。
中からは、品性の欠片も感じられない野卑な笑声が、数人分聞こえてきた。
血の気が一気に下がる。
しかし、菊は琦琦の家の中へと踏み込んだ。
——きっとあれだ。琦琦はいないんだ。琦琦やその家族の留守中に、邪派の連中が盗みに入りやがったんだ。そうだ。そうに違いない。
それは、自分でも滑稽に思えるくらいの、希望に満ちた予想だった。
しかし、おおむね現実は、その希望とはかけ離れた様相を見せてくるものだ。
今回も。
「……っ!?」
入った途端、期待を裏切るような血臭とその他の異臭が、菊の鼻腔をつんと刺した。
目に入ったのは、なぜか下半身を丸出しにした、汚い身なりの男四人。
そして。
男達の真ん中に、全身丸裸にされた琦琦の亡骸があった。
まだ膨らみかけな乳房の間を、剣が垂直に突き刺さっていた。墓標のように。
昼間まで自分に笑ったり照れたりといろんな可愛らしい表情を見せてくれた幼なげな顔立ちは、不気味なまでの無表情。開けられたままの瞳からは生命の輝きが消え失せており、そこから下がって頬を伝い顎までを、くっきりと涙の跡が続いていた。
何もかもを脱いだ、男達の下半身。
「……いったい……その子に何しやがった」
もう分かっている。
しかし、聞かずにはいられなかった。
もしかしたら、自分の考えている最悪の予想とは違うのかもしれない——そんな淡い期待のままに。
「よく見るとなかなか可愛い顔してたんでなぁ、可愛がらせてもらってたんだよ」
しかしやはりそんな期待は、男の一人の下卑た返答であっさり打ち砕かれた。
菊は敵のど真ん中であるにもかかわらず、とぼとぼと琦琦の亡骸の元へと歩み寄った。
胸のど真ん中をひと突きされている。助かりようがない。しかし菊は琦琦の顔をそっと触れた。
冷たい。
生きている者の体温ではない。
死んでいる。
琦琦は、死んだのだ。
見て、触れて、死んだという事実を認める他なくなった。
「……っざけんなよ。琦琦。あんた……なるんじゃなかったのかよ!? 機織り師に! お上のお抱えになるほどすげー機織りになってさ! あたしの羽織り作ってくれんじゃなかったのかよっ!?」
菊は琦琦の抜け殻を乱暴に揺さぶり、怒鳴りつける。
「起きろよ……起きてくれよ! なぁっ……起きろよ!! 寝てんじゃねーよ馬鹿野郎っ!!」
そんな事をしても、生き返ったりなどしないというのに。
「うるせぇんだよ小娘。もうその雌餓鬼は死んでんだよ。死人が生き返るわけねぇだろ。
うるせーのはお前だ馬鹿。そんなの分かってんだよ。
「だけど、殺す前にたっぷり楽しませてもらったぜ? まだ餓鬼だからか、締まりは良くて気持ちよかったなぁ。ぎゃはははははは!!」
「最初はきゃあきゃあ悲鳴上げてたけど、何人も代わりばんこするうちに何も言わなくなったよなぁ」
「そうそう! うるせぇのなんのって。何回引っ叩いても喚きやがってよ」
「確か「いやぁぁっっ!! 助けてぇっ!! 菊さん、菊さぁぁん!!」だったっけか?」
「ぎゃははは!! お前女声上手いな! 気持ち悪ぃけど今のちょっと似てたぜ!」
「つぅか、菊さんて誰だ?」
菊はおもむろに立ち上がった。
「おい、そこの小娘。お前運が良いな? 今俺達すっきりしてるからよ、首切り落としてぶっ殺すだけで済ませてやるぜ? そこの丸裸の雌餓鬼に感謝し————」
「死ね」
川島派至刀流・四ヶ条『
男達の首筋から、一斉に血華が咲き誇った。
静寂が訪れる。
倒れる音の重複を無視し、菊は再び琦琦のかたわらにしゃがみ、その冷たい体を抱きしめた。
「ごめんな……もっと早く気づいてれば、助けられたのに。——さよなら」
開かれたままの虚ろな瞳をそっと閉じた。
そっと遺体を寝かせ、部屋の中にある布を適当に見繕ってその裸体に被せると、菊は立ち上がり、ゆらゆらとした足取りで琦琦の家を出た。
今なお剥き出しの刀身の鋒から、赤黒い血滴を滴らせながら。
赤い血。
信じがたいことに。
あんな畜生すらも目をそらす所業に平気で手を染める連中までも、血の色は自分と同じなのだ。
それが面白く、腹立たしい。
あの外道どもとの共通点が一つでもあることが、厭わしい。呪わしい。
——あれが「邪派」なのだ。
同じ人間であることが信じがたいくらいの非道を働き、そのくせ悪びれることも、反省することもしない。
それどころか、笑いながら武勇伝のごとく己の非道を誇る。
そして、さらなる惨劇をばらまく。
——今日、菊は初めて「邪派」というものを知った。
今まで、邪派のことを「戦っていい相手」程度にしか考えていなかった。
しかし、今、身近な人間が惨たらしい殺され方をされたことで、その認識を大きく改めた。
——「邪派」は、斬らなければならない。
一匹残らず、この刀で葬らなければならない。
ぞろぞろと、武器を持った無頼漢が菊に集まってくる。
血振り。
しかし、再びその刀身は、新たな血にドス黒く染まるだろう。
「腹ぁ括れ。——てめぇら一匹残らず、皆殺しだ」
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