『唐氏』としての優先順位
きっかけは、敷地内の納屋に隠されていた下男の遺体だ。異臭を感じた下女が開けて見つけ、血相を抱えて当主の
その下男は、今日の昼間に『唐家楼』の各門派に「香」を配って回る役目を担っていた者だった。
さらに、蛆のわいたその遺体は服を着ていなかった。服を盗まれていた。
「香」を配る者の服を剥ぎ取る……雪英が少し考え、すぐにその意味に気がついた途端、衛士が慌てて伝えてきた。「街中が邪派の軍勢に荒らされている」と。
普通ならば『唐家楼』に常駐している武林門派がそれを許すはずがない。しかしその武術家達が全く戦っていない。……悪い予感が的中したようだ。「香」と称して毒薬を焚かされ、動けなくなったところを殺して無力化したのだ。
雪英はしかし冷静に、衛士に全門を堅牢に閉ざすよう命じる。衛士らはそれに従って駆け足。
その後ろ姿を見るともなく見ながら、雪英は黙考した。
邪派どもの狙いは、わざわざ邪派側から説明されずともはっきりと分かっていた。
——『唐氏』の保管している、秘伝の毒だ。
『唐氏』はこの世のありとあらゆる毒を保管している。その中には、世の中に知れ渡っていない未知の毒物も存在する。
未知の毒物とは、そのまま治療のできない毒物という意味になる。存在が知れ渡っていないのだから、治療法も知れ渡っていないのは自明である。
悪意のある人間に渡れば、これ以上に恐ろしいことは無い。
街の住民を助けたい気持ちはあったが、それよりも家伝の毒の情報を外へ漏らさないことを雪英は優先させた。もしも家伝の毒が邪派に漏れたならば、将来殺されるであろう人間の数は『唐家楼』の住人の比ではない。
たとえこの身を蹂躙され、殺されたとしても、そんな家伝の秘法の存在だけは絶対に守らねばならない。
雪英だけでなく、夫や、他の子供達も同じ気持ちである。すでに屋敷を入ってすぐの広間に、家族全員集合済みだ。
そして、これはあくまでも『唐氏』の戦いなのだ。
部外者まで巻き込むわけにはいかない。
「
雪英の勧めに、しかし昀昀はかぶりを振る。
「わたしもここを守ります。『唐氏』の秘術が邪派の手に渡れば、大変なことになります。武林を生きる者の一人として、決して他人事ではありませんわ」
「ありがとう。でも——ここは『
これ以上言うことは無いと思ったのか、昀昀は黙った。
雪英は笑いかける。
「だから、貴女は菊を助けてあげて。それは、貴女の役目よ」
昀昀は頷いて、雪英に背中を見せた。
「て、てめぇっ! よくも仲間を——がぁ!?」
五月蠅い。死ね。
「この女ぁっ!! 手足斬り落として死ぬまで犯してや——おぉぁ!?」
黙れ。死ね。
「ま、待って、待ってくれぇっ! お、俺が悪かった! もう帰るから許し——ごぁ!?」
駄目だ。死ね。
死ね。死ね。死ね、死ね、死ね————どいつもこいつも、死んで琦琦に詫びろ。
菊が一度動き、その白刃を閃かせるたびに、三人四人が斬り裂かれて地に伏し、赤黒い水溜まりを作る。
散々我が物顔で百鬼夜行を繰り返していた『
——『傖龍』という荒っぽい土地にて育まれた武功は、基本的に実戦ではかなり強い。
内功こそあまり重要視されておらず、外功ばかりを強化させ、発展させてきた。内功の改変には肉体に関する豊富な知識が必要になるが、外功は拳法や剣法といった武芸の技だ。改変はさせやすい。
外功と内功の均衡を重んずる武林ではこれを『
『傖龍』はいうなれば「蠱毒」のような土地だ。尚武の気風が強く、武による争いが絶えない。それだけに、新たな武功が生まれやすい。
……例えば、「門派その一」が新たに興ったとする。するとすぐにその「門派その一」の天敵のような特徴を持った「門派その二」が登場する。それからすぐに「門派その二」が苦手とする技法を保有した「門派その三」が生まれ……というようなことが、昔から行われてきた。
こうした蠱毒のような環境が、『傖龍』の優れた武功を育んできた。
そんな実力派揃いのはずの『傖龍狠子』が——百年以上も戦を経験していないはずの和人に、それも少女一人に圧倒されていた。
この現象は、菊の尋常ならざる剣力だけに由来するものではない。
ほぼ全ての武功門派の『外功』が持つ「構造的欠陥」に由来していた。
それは、腰を落として攻める技が多いという点。
武功が主に重視しているのは「威力」だ。殺傷力の高い体技を、内功によってその威力を底上げして相手に叩き込む——これが武功使いの重んじる戦い方だ。
殺傷力の高い『
腰を落として攻める技。
腰を垂直に落とすことで、自重と大地を氷山の一角のごとく一体化させて盤石な重心を得て、その盤石さを踏み込みによって威力として相手に打ち込む。
しかし威力と引き換えに、この動きには弱点がある。
それは、足さばきの機敏さに欠けるという点。
腰を落として大地にどっしり立つため、直立動作に比べて動く速度は落ちてしまう。
……百年前の
百年以上経ってなお、その優位は健在だった。
——斬り合いは続く。
「この雌餓鬼ぃ! 死——ごぉぁ!?」
大陸製の幅の広い片手刀をその小柄な体でしゃがんで避けつつ、そのままならず者の懐へと潜り込み、その腹へ横一文字に刃を走らせた。刃は瞬時に衣類と肉を斬り進んで背骨まで達し、ばっくりと割れた腹からは滝のごとく臓物がこぼれ落ちる。
「死ねこの野——ろぉっ」
鋭い踏み込みと同様に鋭い槍のひと突きが急迫するが、菊はその槍の柄へ刀身を触れさせてそのまま捻りを加え、刀の反りを利用して弾くように槍の向きを変えた。槍は菊の脇腹と薄皮一枚の間隔で後方へすり抜け、菊の刀は槍使いの首筋を鋭くなぞった。猛烈な流血。
菊の間合いへ敵意を持って踏み入った者は、みな例外無くその刀で絶死の一太刀を浴びせられ、息絶える。
まさしく
弱い者いじめは趣味では無い。
しかしどれほど弱い者であろうと「邪派」であるなら容赦無く斬り捨てる。
「斬って良い相手」ではない。
「斬らなければならない相手」なのだから。
武器も何も持っていない無辜の住人の亡骸を見るたびに、菊は己にそう言い聞かせる。
何より——むごたらしい有様であった琦琦の遺骸。
今なお脳裏に鮮明にこびりついた惨劇が、菊の五体に燃えるような闘気をもたらし続けていた。
何度も斬り殺していくうちに、自分に勢いよく向かって来ていた『傖龍狠子』らが、浮き足立つさまを次第に見せるようになった。
逃がさない。誰一人。一人残らず土の下へ送ってやる。
そんな黒々とした闘志の赴くままにさらなる斬殺をもたらさんと全身をみなぎらせた菊だが——急に横合いから飛び出した黒い影二つに、警戒をこれまで以上に厳とした。
ぶつからないように? それもある。
だがそれ以上に、できる相手であると、一目で分かってしまったからだ。
「おっと!」
その二人から発せられた二太刀を、菊はぎりぎりのところで防ぎ、避ける。
一度距離を取って、その斬撃の主二人を見据え、思わず声を出した。
「双子かっ?」
そう。双子である。
一言で言うなら「猛禽のような顔」。下へ先細った顔の輪郭に、後ろへ逆立った髪、落ち窪んだような鋭い目つき、
体格は、菊に比べると背丈は高いものの、それでも大人の男にしては少し小柄だ。しかし、それでもその身から醸し出される「武の匂い」は、あなどれないものがある。油断をして良い相手では断じてない。
——そんな身体的特徴を同じくする男達が、目の前に二人。
「クケケケハハハ! そうさぁ、俺たちぁ、」
「双子の兄弟さぁ! 『
「俺たちがぁ!」
「まさしくそれよぉ!」
双子の兄弟が、同じ鷲顔で代わりばんこでうそぶく。
「知らねーよ。あたしは大陸の住人じゃねーんだよ」
菊は唾を吐くように言った。
「ケケケハハハ! それは可哀想に!」
「もしも我らの名を知っていたならば」
「裸になって慰み者になるだけで」
「許してやったかもしれぬものを」
「だが、いずれにせよここまでやってしまった貴様を」
「許してやることはできんかもしれんがなぁ!」
またしても代わりばんこでしゃべる『双鷹爪』。
「うるせーよ」
菊はそう断じた。
「『双鷹爪』だろうがなんだろうが、関係ねーんだよ。……あたしの大切な友達に、あんな殺し方しやがったてめぇ等は、一人残らずこの刀でバラバラだ。——兄弟仲良く殺してやるよ」
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