剣客と白い少女《終》

「いやー、斬り合った斬り合った!」


 きくは手ぬぐいで汗を拭きながら、さっぱりしたような口調で言った。


 自分と同じく、巨岩だった瓦礫の一つに腰を下ろしている昀昀いんいんへ目を向け、先ほどの見事な武芸を称賛する。


「あれが『武功』ってやつか。噂には聞いていたが、予想以上の代物だったな。徒手の技も、あの内功とかいう技も大したもんだ! あたしをあれだけ追い詰めたのは、あんたが初めてだよ」


「いえいえ。わたしより強い人なんて、『武林』にはたくさんいるわよ。あなたの刀術こそ、素晴らしかったわ。和國わのくにの刀術の噂は以前から知っていたけれど、あなたと立ち合って噂以上だと分かったわ。また一つ賢くなっちゃった。ありがとうね、きく


 昀昀いんいんも上品な微笑混じりでそう称賛を返す。


 そこでふと、気になることを思い出し、きくへ問うた。


「そういえば、きくが身につけている外功は刀術だけ? 徒手の技は習得していないの?」


 『武林』では、剣術や拳法みたいな武技を『外功』と呼ぶんだな——そう冷静に認識しつつ、きくは答えた。


「ああ、使えるぜ。柔術っての。てか、柔術やらねーと剣術は上手くならねーわけよ。体の使い方がほぼ同じだからな。だから最初は剣を持つ前に柔術を徹底的にやった。手前味噌だけど、あたしは素手でも強ぇよ。さっきだって酒場の馬鹿男どもを投げ飛ばしてやったもんよ」


 あぁ、と合点がいったように声を出す昀昀いんいん

 ……何人か倒れていたのは、そのせいだったか。


「…………「あそこでは斬り合うべきではなかった」ってあんた言ってたけどさ。なら、他にどういう方法があったんだ?」


 そう尋ねてきたきくは、少し不満そうだった。


 昀昀いんいんは少し考えてから、答えた。


「万事に模範的な方法があるわけではないけれど、一番穏便なのが口八丁でどうにかすることかしらね。理詰めで説き伏せたり、へりくだって相手の態度を軟化させたり。なるべく争わないようにするの。……下手をすると当事者間の争いから、門派同士の争いにも発展しちゃうの。どこかの門派に入っているなら、その門派の者として恥じない行動が求められるのよ。それが、武林における上手な立ち回りよ」


 それを聞いて、きくはため息をついて昼空を仰ぐ。


 和國わのくにと何も変わらぬ青い空。


 しかし空を同じくしていても、こんなにも価値観が違う。


 面白いと思うが、めんどくさいとも思う。


「結局……『武林』ってのは、どういう社会なんだ?」


 ほぼ独り言だった。


 そんな独り言に、昀昀いんいんは真面目に答えだした。


「そうね……『武林』という社会の本質を知るには、まずは「かんの社会」と庶民の関係について知っておかなければならないわね」


 きく昀昀いんいんへ向く。


「「官の社会」?」


「皇帝がおわす朝廷や、国の機関に宮仕えしている官吏かんり達の社会。それが「官の社会」」


 昀昀いんいんは細かく説明し始める。


「まず前提として……「官の社会」の人達は、基本的に庶民を守ってはくれない。いえ、「守りきれない」という表現の方が適切かしら。——この国『りん』は、大陸全土を版図はんととして治めている大国。けれどその分、この国はあまりにも広すぎる。版図の隅から隅まで安全を守るには、莫大な費用と人手が必要。さらに守るための兵力を広げれば広げるほどから、国の存立のために重要な地域までも守りが手薄になる。だから「官」の人達は、そういう「国家存立のための重要な地域」のみに注力する。だから、優先順位が下がるほど守りも薄まっていく。そして、この広大な大陸には、優先順位の低い地域の方が圧倒的に多い」


 昀昀いんいんの説明をそこまで聞いて、きくは合点がいった。


「……なるほどな。ってわけかい。国がでけーってのも考えもんだな。和國わのくには『りん』よかちっせー分、守りが行き届くし安全ってことか」 


「そうよ。組織立った賊が村を襲い、殺し犯し略奪しても、そこが「重要な土地」ではなく、なおかつ国を揺るがすほどの賊ではないのなら、「官の社会」は何処吹どこふかぜ。——だから庶民は、自分達で武力を身につけ、自分達の力で自分達を守るようになった。武装せず、丸腰のまま、殺されるのを受容することほど愚かなことは無いわ」


「同感。……んで、そういう「武力を身につけた庶民」が集まる社会が『武林』ってわけかい」


 昀昀いんいんは「ええ」と頷き、続ける。


「『武林』は、『武功』という強力な力を持つ者達の社会であるがゆえに、独自の慣習や掟、道徳が存在するの。代表的なのは、理不尽な暴力を憎み、その暴力から弱い者を助ける義侠の精神…………武林の者達は、非力な庶民を「官の社会」に代わって守っているのよ」


「でも、さっきの黄色い馬鹿どもはなんだよ? 明らかに弱い女に絡んでたよな?」


 きくの容赦無い指摘に、昀昀いんいんは「うっ」と痛い所を突かれたような唸りをもらした。


「……まぁ、義侠が尊ばれる社会といっても、結局は人間の集まりだもの。やはりそういう人も出てくるわ。それを正すのもまた武林の者の務めなのよ。それに、あの人達はまだよ。中には身につけた強力な武功を、義侠のためではなく悪意と私利私欲のために振りかざし、嬉々として人を殺す者達もいる。そういうのが——」


「「邪派」って呼ばれてる連中かい?」


「うん。それ。……なんだきく、意外と賢いじゃないの」


「意外と、ってどういう意味だ。ああ?」


 じとっとした眼差しを送るきく。それを優雅な微笑で誤魔化す昀昀いんいん


 昀昀いんいんは咳払いをすると、話の方向を戻した。強引に。


「とにかく、『武林』という社会で上手に立ち回るには、むやみに波風を立てない自制心と柔軟性、そして何より弱者を助ける義侠心が必要なの。「喧嘩を売られたから買って斬る」じゃ、周囲から警戒されるだけよ」


「……でもよ、あたしはこの大陸に武者修行に来たんだ。強い奴とやり合えなきゃ意味がねーんだ。むやみに波風立てんな、って言われたら、どうすりゃいいか分かんねーよ」


 いじけた子供みたいな顔をしながら、鞘に納まった愛刀を抱きしめるきく


 そんなきくを、横から興味深げにじっと見つめてくる昀昀いんいん


「……なんだよ?」


「いや、そんなしおらしい顔もできるのねって。野獣みたいな笑い方ばっかりするんだもの」


 言って、昀昀いんいんは口元を弧にする。

 口元に垂れた白い髪を細い指先ですくい、片耳に掛ける仕草をしながら。

 その微笑みに、その仕草がやけに調和していて、舌舐めずりをしているような艶っぽさが感じられた。


「な……何言ってんだよっ」


 少しどきりとしたきくは、頬をやや赤くしてそっぽを向いた。


 小首をかしげる昀昀いんいんだが、ふと、思いついたように両手を叩き合せ、表情を明るくする。


「そうだわ! いいことを思いついた!」


「な、なんだよ今度は」


「ねぇきく、あなた、これからもするんでしょう? 武者修行の旅!」


「あ、ああ。今更尻尾巻いて帰れねーよ」


「うんうん。それじゃあ——わたしもついて行くから! あなたの旅に!」


「はっ?」


 虚を衝かれたように呆けるきくの顔に、昀昀いんいんは明るい笑みをぐいっと近づける。


「わたしが『武林』の案内人になってあげるって言ってるの! そうすれば、あなたが変に暴走するのを諌めることが出来るし、物の取引とか、世渡りのし方とか、教えてあげられるじゃない! それにわたし、食べられる草とかたくさん知ってるよっ? ね、どうっ? わたしを連れて行かないっ?」


 さっきまでのしとやかさはどこへやら、まるで子供のようにその赤い目を輝かせて詰め寄ってくる昀昀いんいん


 蘭のような吐息が間近にかかり、唇同士が触れ合いそうなほど、その人間離れした端正な顔を近づけて。


「い……いいのかよ、あんたはっ? あたしなんぞに構ってよ。あんたにも、用事くらいあんだろっ?」


 きくは少し頬を桜色に染め、目を逸らす。


「うん。いいの。が、わたしの目的だもの」

 

 昀昀いんいんは顔を離すと、身を翻す。


 青々と広がる昼空全てを手中に納めんとばかりに両腕を広げ、空を仰ぐ。


 息を大きく吸い、言葉とともに吐く。


「——この世界は、とっても広いわ。その広大無辺こうだいむへんさたるや、人一人の生涯では把握しきれないほど。


 昀昀いんいんの白髪が、白衣びゃくえが、風で揺れる。


 この風は、いったいこの世界のどこから、やってきたものだろう。


「それでも、わたしは命の続く限り、この世界を知りたい。目で、舌で、鼻で、耳で、肌で、この魂で、世界を味わいたい。だって、この世界には面白いもの、素敵なものが数えきれないほどたくさんあるから。——あなたもその中の一つだよ、きく


 振り返り、笑う昀昀いんいん


 これまでみたいに洗練されていない、しかし子供のように裏表の無い、清々しい笑顔。


「だから——わたしに「あなた」を教えて? 「あなた」を通して見る、武林という未知の世界を教えて?」


 そんな昀昀いんいんを、きくは今まで見た人間の中で最も美しいと思ってしまった。


 外見だけではない。


 魂まで透けて見えて、その美しさがよくわかるような感じがした。


 ——自分はまだ、かく昀昀いんいんという少女のことをよく知らない。


 すさまじく美人で、すさまじく強くて、すさまじく上品で、それでいて好奇心が強い。それくらいしか分からない。


 けれど、少なくとも、悪い人間ではない。それだけは分かる。


 それだけでも、これから先も彼女と一緒にいるには十分だった。


 きくは微笑し、一礼した。


「——ああ。よろしく頼むぜ。相棒」


 



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書き溜めてから、また連投予定。

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