斬合道中《二》

 ——その日の朝ごろから、きく昀昀いんいんの旅路を尾行していた者達がいた。




 良い女が二人もいる。

 美しさの種類は違うが、二人とも男から見れば垂涎すいぜんものの魅力がある。

 妓楼ぎろうに突き出せば高値で売れるだろう。


 しかし、それ以上にあの黒髪の女——あの


 どうせ武器などすぐに壊れる。だからそこそこの性能の武器を大量に作れば良い——

 例外もいるが、大陸の職人はおおむねそういう冷めた考え方で武器を作っている。

 しかし和人わじんの刀工は、一本の刀に心血を注ぐ。

 そんな気質から生まれた和刀は輝きも斬れ味も凄まじく、美術品としても武器としても一級品だ。


 その中でも、あの黒髪の女が持つ刀は、極めつけの業物であった。


 それを聞いた「頭目」は、喜色満面で手下の隊に命じた。

 「奪い取れ」と。


 けれど、二人の身のこなしから分かる。

 どちらも相当な手練れだ。

 無闇に挑んでも返り討ちにあうだけ。


 だからこそ、否が応でも隙が出来る時を、蛇のように静かに待った。


 やがて、待ちに待った「その時」は訪れた。


 二人とも、闇夜に焚いた火の側で、横になって眠っていた。


 男達の口元に、思わず笑みが浮かぶ。

 極上の獲物を見つけた捕食者の笑み。


 特殊な外功がいこうの歩法によって音も無く近づき、「射程圏内」に二人を納めてから、止まる。


 その隊の隊長として「頭目」に任命された男が、右腕を外から内へ引き、力を溜める。


 数秒の沈黙ののち、その溜めた力を弾けさせるように、右腕を勢いよく振った。


 右腕の袖口に仕込まれていた五本もの針が、暗闇を駆ける。


 その針の先には毒が塗ってある。

 死ぬような毒ではないが、しばらく体が麻痺して動かなくなる毒だ。

 麻痺している間に動けぬよう縛り上げ、刀を奪ってから二人の身柄を攫ってしかるべき場所へ売り飛ばす。

 そういう算段だ。


 こいつが刺されば、荒ぶった象だって大人しくなる。


 針が一気に二人の柔肌へ迫る。


 そして、今まさに突き刺さる——




 ——その直前に、五本の毒針がによって弾かれた。




「っ!?」


 隊長が息を呑んで目を見張った。


 さらに驚くべきことに、さっきまで動いていなかったはずの白い女の手が、こちらへ真っ直ぐ向いていたのだ。

  

 ——内功ないこうか!


 二人が勢いよく立ち上がった。


「おい昀昀いんいん、こいつら斬っていいのかっ?」


「大丈夫。寝ている婦女子に狼藉ろうぜきを働こうとしたんだから、いかなる大門派の門人であろうと情状酌量の余地無しよ。義侠にもとる所業。斬ってよし、きく


「心得た!」


 ——こいつら、最初から起きてやがったのか!


 隊長はそう思ったが、実は違う。


 二人は今まで、本当に眠っていた。


 ただ、


 近づかれたことでその気配に勘づいた途端、一気に目を覚まし、襲撃者に反応してみせたのだ。


 きく昀昀いんいんも、「そういう訓練」を積んでいる身だった。

 

「行くぞ盗っ人どもぉ!!」


 きくは腰の刀を抜き、美しい刀身を露わにさせながら、男達へ迫る。


「くそっ! れっ!!」


 隊長は後方へ退がりながら、手下にそう命じる。


 前に残った手下達が、各々の袖を振り、毒針をきくへ発する。


 だが、きくの前へ進み出た昀昀いんいんが、内力ないりょくのこもった掌を突き出した途端、そこから発生した重厚な風圧によって針が吹き飛ばされた。


「今っ!」


「おうよっ!」


 瞬間、きくは兎のごとく疾駆した。


 川辺の石のせいで足場の悪い地形を全くよろける様子も無く駆け抜け、敵の一人へ一気に詰め寄ったかと思えば、その首元へ一太刀。


 首が飛んだ。


「ひっ——!?」


 突然訪れた仲間の死に、男の一人が細い悲鳴を漏らす。


 しかし、きくの太刀筋はまだ止まらない。続いている。


 一番近くにいた敵へ踊るような足取りで近づき、その首を斬り飛ばした。


 さらにもう一人、己の剣で防ごうとした男の防御の間をとかいくぐり、片腕と首を斬り落とす。


 もう一人、もう一人、もう一人。


 その蛇のごとき太刀筋に撫でられた者は、みな例外無く、血の華を咲き誇らせて息絶えた。

 通る先々に血色の椿を咲かせて這い回る死の蛇。

 川島派至刀流・四ヶ条『逶迱いい椿つばき』。


 反撃も許さず、周囲一帯の敵を根こそぎ斬殺したきくは血振りをする。


 首無し死骸の断面から吹き出る血の雨を浴びながら、酷薄に微笑んだ。


「んで? 次はどういう手を使うよ?」


 男達は揃って戦慄する。


 隊長も同じく気圧されたが、すぐに気を持ち直し、叫んだ。


「ひ、怯むな! あれを出せ! あの女をんだ!!」


 もはや生け捕りなど考えてはいられない——そんな危機感に駆られた命じに従い、手下の一人が取り出したのは、


火縄銃ひなわじゅうっ?」「火槍かそうっ?」


 きく昀昀いんいんが、それぞれ違う単語を、しかし同じ意味を持つ単語を口にした。


 そう。きくのよく知っている武器。

 祖国で何度も見て、きくも武人の教養だと父から練習させられ、肌に合わないからとすぐにやめた武器。

 火縄銃。……ここでは「火槍」と呼ぶらしい。


 種類は最も一般的な「小筒こづつ」。

 威力は低めだが、鎧も身につけていない女の柔肌を食い破るには十分。


 おそらく、ここへ来る前に装弾済み。でなければ今出したりはしない。


 すでに二人とも


「——かぁっ!!」


 確信した瞬間、きくは逃げるのではなく、射手へ向かって弧を描くような軌道で疾駆した。


 殺伐とした気迫を全身からみなぎらせ、六丈(約十八メートル)も離れた距離を食い尽くさんと迫る。


「ひっ……!」


 その強烈な殺気に呑まれ、射手の目はきく一人に釘付けとなる。


 巣口じゅうこうもその感情に従い、きくに集中した。


 


 ——弧を描くような軌道で走ったのは、昀昀いんいんから離れるため。昀昀いんいんを後ろへ置かないため。


 ——殺気で脅したのは、狙いをきく一人に絞らせるため。


 そう。全ては昀昀いんいんを守るため。


 さらに、これは自己犠牲ではない。


 自分の方があの火縄銃のことを知っている——きくはそう確信していたからだ。


 だって、あの「小筒」はどう見ても、和國で使われていたものだったから。

 

 おそらく輸入品、もしくは密輸品だろう。


 いずれにせよ、自分の国の銃器であり、なおかつある程度の知識を持っているきくの方が、適切に対処できると思ったのだ。


 きくは射手へ目を向け、その「眼力」を凝らした。


 怯えた様子で、引き金にかかった指に力を入れ始める射手。


 引き金を引く瞬間さえ良い。

 道具の動く速度は、人の介入する余地がない「一定」だ。

 そして、あの「小筒」がどういう仕組みで動くのかは知っている。


(…………今っ!)


 雷鳴じみた撃発音が鳴るよりも一瞬早く、


 三もんめ(約十グラム弱)の弾が貫いたのは、煙のような残像だった。


 その次の瞬間には——射手の首が胴体から転がり落ちていた。


 きくは、射手の隣で残心していた。


 川島派至刀流・五ヶ条『朧舞おぼろまい』。

 特殊な歩法でその立ち位置から瞬時に身を逃しつつ相手に斬りかかる「せん」の型。


 首無し死体を横切りながら血振りをし、さらなる獲物を品定めするきくの眼差し。


 次は誰から食ろうてやろうか——


 男達はみな、言ってもいないきくの言葉の幻聴した。


 隊長は尻餅をついて腰を抜かし、


『う、うわあああああああ!!』


 他の男達は、少女の形をした悪鬼から少しでも遠ざかりたいと、いっせいに逃げ出した。


「お、おい貴様ら!? 待て! 俺を置いていくんじゃない!」


 隊長の呼びかけすら無視して一人、また一人と消えていき、あっという間に一人になった。


 残された隊長に、きく昀昀いんいんは揃って歩み寄った。


 血の気が急速に引いていく。

 

 俎板まないたこい同然となった隊長のすぐ前で、二人は呑気な口調で話し出す。


「なぁ昀昀いんいん、あんた? こいつらに尾行けられてるってさ」


「んー……朝ごろ、あの茶館を出てすぐかしら? なんか嫌な視線を感じるなーって」


「ちくしょう、あたしと一緒じゃねーか。引き分けかよ」


 ——ほとんど最初からだろうが!!


 心中で悲鳴を上げる隊長。


 そんな隊長の首筋に、刃が突きつけられた。

 見事なの意匠が彫金された、目を奪われるほどに美しい刀身。

 ならず者達の血を浴びてなお、その美は変わらなかった。


「あー……なんつーかさ、お前らほんと阿呆だな。……あたしが川辺で型の鍛錬をしてたのはどうしてだと思う? ——だよ。あたしの鍛錬を見りゃ、実力のほどが嫌でも分かる。あの時ならまだ引き退るのには遅くなかったってのに……命よりも金を惜しんだ。本当に救えねーな、お前」


 きくの呆れたような、諦念に満ちたような言葉を聞き、隊長は命乞いを決意した。


 頼む、殺さないでくれ、金目の物は全部やるから——


 そんな言葉が口から出るよりも早く、首筋に突きつけられた刃が別方向へひるがえった。


「——だから、こいつが本当に最後の温情だ。。てめぇの親分のとこに戻りやがれ。今度来たらまじでくび叩き落とすから、そこんとこよろしく」


 きくの静かな発言を聞き、隊長は耳を疑った。


 動けない。


 殺されると思っていたので、まったく予想外のその答えに、体がうまく対応できない。


「……おら、失せろっつってんだろ。早くしねーと気ぃ変わるかもよ?」


「ひっ……あ、ああっ」


 だが、少し苛立ったきくに急かされ、隊長は強引に我が身を立たせ、もたついた足取りで走り去った。


 その姿が夜闇に溶けていく様子を眺める二人。


 昀昀いんいんが問いかけた。


「……良かったの?」


「戦意を失った奴を斬るのはあんま好きじゃねー。それに、あの馬鹿があたしらの怖さを親分に告げてくれりゃ、びびって手出しして来ねーんじゃねーかな。……なにせ、火槍でも殺せない女だぜ、あたしは」


 したり顔でそう豪語するきくは、血まみれだった。


 そんなきくの頬を、昀昀いんいんの白い細指がそっと撫でる。血を一滴すくう。


「……ありがとうね。きく


「んぁ?」


おとりになってくれたんでしょう? 火槍からわたしを守るために」


「……囮じゃねーって。あたしならどうにかできるって思ったんだよ。あたしの「見切り」の鋭さ、一度やり合ったあんたなら知ってんだろ?」


「でも、やはり相手は火槍である以上、それは綱渡りだわ。……あなたはわたしのために、そんな綱渡りをしてくれた。だから……ありがとうね。守ってくれて」


「……おう」


 嬉しそうな笑みをまじえた昀昀いんいんの感謝に、きくは少し顔を赤くしてそっぽを向く。


 恥ずかしさを誤魔化すように、きくはまくし立てた。


「そ、それよりさ、、どっかに埋めてやらない?」


「えっ?」


 昀昀いんいんは、散らばっている敵の遺骸を見渡してから、きくに問うた。


「いいの? 彼らは、あなたを殺そうとしたのよ?」


「ああ。だから斬った。それで十分じゃねーか。魂の抜け殻まで踏みにじる趣味はあたしにはねーよ。……せめて埋められる余裕のある時くらいは、土に埋めてやろうって思うわけよ」

 

 神妙なきくの横顔を昀昀いんいんはきょとんと見つめてから、最後には微笑した。


、ということね。分かったわ。手伝う」


 昀昀いんいんの奇妙な言い回しを聞き流してから、きくは埋葬に取りかかった。

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