剣客と白い少女《二》

「さっきはありがとな。あたしの潔白を証明してくれてさ」


 騒動が収まって数分後、きくは卓を挟んで対面に座る昀昀いんいんへ向けて、そう感謝を告げた。


「どういたしまして。要らぬ血が流れなくて何よりだわ」


 昀昀いんいんは上品に微笑し、銀鈴の声でそう述べた。


 きくはその笑みに、甘いざわつきを覚えた。


 酒場の周囲に座っていたり往来していたりする人々の垢抜けない挙動や出で立ちの中、目の前の白い美少女だけ違う世界から切り取ってそこに置いたような、浮世離れした雰囲気があった。

 同性のきくですら見惚れそうになるくらい。


 二人が挟む卓の上には、湯立った二つの茶碗と、饅頭まんとうの入った蒸籠せいろが置いてある。

 ……この店は、先ほど助けた娘の親が営んでいる。

 「娘を助けた礼に」とただで振る舞ってくれたのである。


 感謝の気持ちを抱きながら茶をひとすすりしてから、きくはちょっぴり不満げに唇を尖らせた。


「だけどよ、別に助けてもらわなくても、あたし一人でどうにかできたんだぜ? あんな阿呆ども。ちっさい頃から鍛えてきた剣術と、こいつがあればな」


 「こいつ」という代名詞とともに、きくは卓の隅に立て掛けてある己の愛刀の柄頭を叩く。


 昀昀いんいんはふたたび雅に一笑し、


「そうね。あなたにはそれができるだけの実力があった。でもね、駄目よ」


「なんでだよ?」


「あなたはあまりにも『武林ぶりん』に対して


 刀の柄頭に添えていた手に、思わず力が入る。


「……『武林』って言葉は、この国に来る前から承知してるよ。確か、強ぇ武芸者がゴロゴロいて、しょっちゅう休まず斬り合ってる社会のことだろ。だったらあたしも郷に入っては郷に従って、ぶった斬ってやればいいんじゃねーか?」


「そういうわけにもいかないのよ。……確かに、武林は争い事が絶えない社会だわ。でも、ちょっと気に入らないからって殺してたら、あっという間に血の海が広がってしまうわ。それをなるべく防ぐために、武林には慣習しきたりみたいなものが存在するのよ」


「しきたり、ねぇ……」


 面倒くさそうに天井を仰ぎながら、きくは引き続き耳を傾けた。


「たとえば、あなたがあの時、あの男達をその刀で皆殺しにしたとする。そうしたら、今度は男達の同門がみんなあなたを殺しにやってくるわ」


「じゃあそいつらも斬ればいいじゃねーか」


「そうしたら、今度はその門派と同盟を結んでいる他の門派が、同盟の義理を果たすためにあなたを始末しにくる。そんな彼らも全員殺せば、武林を統括している『武林盟ぶりんめい』があなたを正式に「邪派」……悪者みたいなものね。それに認定してしまう。そうすれば、あなたは晴れて武林のお尋ね者。安心して野宿もできなくなってしまうわ」


「じゃあそいつらも斬ればいいじゃねーか」


 昀昀いんいんは頭が痛そうに額を押さえ、渋面を浮かべた。

 その表情すらも絵になるからずるい。


「——。確かにあなたは強い。今まで多くの武芸者を見てきたけれど、あなたはその中で確実に上位に食い込むほどの実力があると見ているわ。けれどね、やはり上には上がいるの。あなたより強い人も決して少なくない。武林から「邪派」と見られてしまえば、そんな人達をまとめて敵に回すことになるのよ。とても生きてはいられないわ」


 少し重みを秘めた口調に、きくは思わず息を呑む。


 だが、すぐにその幼さが残る美貌に好戦的な笑みを浮かべさせた。


 刀の柄を握る手にいっそう力がこもる。


「——それならそれで上等だよ。


 昀昀いんいんは少し驚いたような顔をした。


 ふと、大事なことを忘れていたきくは、昀昀いんいんにそれを尋ねた。


「そういや、自己紹介がまだだったね。——あたしは川島菊かわしまきく川島派至刀流かわしまはしとうりゅうの免許皆伝だ。気づいているとは思うが、和國わのくにから来た。よろしくな。それで、あんたの名は?」


「わたしは霍昀昀かくいんいん。武林四大派の一つ『玄洞派げんどうは』の内門弟子よ。よろしくね」


 紹介を交えてしばし和やかな雰囲気を作る。


「それで、どうやって和國わのくにから大陸へ来たの? 和國わのくには鎖国していて、物や人の交流は必要最低限のはずよね?」


 それから昀昀いんいんが訊いてきた。


 色白な美貌に浮かべる笑みには上品さが少し消えて、好奇心旺盛な子供のような興味の色が宿っていた。


「密航してきたんだよ。大陸南方行きの船の木箱に隠れてよ。ばれたら打ち首獄門だろうから命懸けだったよ」


「へぇー……どうして和國わのくにって、鎖国しちゃったんだっけっ?」


「西の果ての異教が入り込むのを防ぐためだよ。戦乱期の後半にその異教がたくさん信者を作ってよ、一勢力と化しちまったんだよ。だから全土統一した幕府軍がその勢力を叩き潰して、外から異教が入ってこないように鎖国したってわけ。生糸とかの重要品を出来る限り国産化したおかげでどうにか必要最低限の交易だけして鎖国ってられてるけど、その分、外の世界を見たことある奴は限られるようになっちまったよ」


 話が後半に続くにつれて、きくの口調が重く、苦々しいものに変化していく。


「あり得ないくらい平和な世が百年以上続いた……だからかね、。戦国乱世を知ってる奴はみんなとっくに墓の下。残ったのは泰平にあぐらをかいて腑抜けた侍どもと、こんな豆粒みたいな女相手に手も足も出ない五流剣士の群れさ」


 思い出す。故郷のことを。


 和國わのくには神武の国。

 その武芸は他のどの国の武芸よりも秀で、無双の武人がうごめく尚武の地なり。

 剣客どもは口々にそう言っていた。


 神武の国だと?


 ……少し竹刀で小突いただけで腰を抜かす奴。

 ……免許皆伝のくせに、剣を握って二年の自分に手も足も出ず負ける奴。

 ……「全力で挑む」と言ったくせに、負けた途端に「女だから手加減してやった」などと吐かす奴。

 ……ぶちのめされたら、自分の力で再戦しに来るのではなく、親を同伴して文句を言いに来る奴。


 これが、神武の国だと?


 ふざけろ。

 武に謝れ。


 狭い島国の中しか見ていないかえるの分際で、なぜ世界より秀でているなどと言える?


 なぜ、外の世界が劣っていると言える?


 悪い意味で島国根性にあふれた祖国にいるままでは、真の剣客には決してなれない。


 ——だから、外へ出ようと思った。


 大陸に『武林』という武芸者の社会があることを聞いた時「ここで武者修行をしよう」とすぐに思った。


 そのために準備もした。


 大陸で使われている言葉も隠れて勉強した。


 命懸けの密航もし、ようやくきくは大陸にたどり着いたのだ。


「——なるほどね。だから、「そうでないとここへ来た意味がない」なんて言ったのね」


 昀昀いんいんは納得したように頷いてみせた。


 次に彼女が浮かべたのは、好奇心と悪戯心を帯びた笑みだった。


「ねぇ、きく。わたし……助けたお礼として、あなたに一つ頼みたい事があるのだけれど、いいかしら?」


「え? ああ、構わねーよ? あ、でもあたしの出来る範囲でだぞ? この刀を寄越せとか、そういうのは無理だからな」


「そういうのではないわ。安心して。むしろ、あなたが喜びそうなことよ」


「なんだ?」



 きくは目を見開いた。


「わたしはこう見えて人一倍好奇心が強い女でね。一度見てみたいと思っていたの。百年以上前に大陸近海を荒らしまわった和人わじんの海賊。彼らが使っていたという、石火のごとく跳ね、稲光のごとく斬り殺す、和國わのくにの刀術をね。——だから、見せてもらえる?」


 今の昀昀いんいんは、明らかに「武芸者の顔」をしていた。


 剣をく者への敬意と戦意と好奇心を隠しもしない、そんな武芸者の姿を見せていた。


 きくはつられて、口端を吊り上げた。


「奇遇だなぁ。あたしもちょうど、あんたと斬り合ってみたいと思ってたんだよ。……あんた、強ぇだろ?」


「強ぇわよ。『白龍姫はくりゅうき』なんてあだ名も頂戴しているしね」


「変に謙遜しないところもまた気に入った。——? あたしはこの辺に明るくないんでな、場所決めはあんたに任せるぜ」


 





 昀昀いんいんが選んだ場所は、街から外れた場所にある森の近くだった。


 二人の身長よりも少し高い巨岩以外何も障害物の無い、開けた場所。


 はかりごとを用いず、純粋な武をぶつけ合う決闘にはふさわしい場所だ。


 距離を開いて向かい合う二人。


 それを照らす、中天からの陽光。


「あんたも武器を取りな」


 きくがそう告げると、昀昀いんいんはやはり雅に微笑んだ。


「ふふ、必要無いわ。このままやりましょう」


 それを聞いて、きくは眉をひそめた。


「……舐めてんじゃねーだろうな?」


「舐めてはいねーわ。武林の武功は、素手も武器持ちも変わらない。武器はあくまで。その武器を操るのは他でもない徒手の技よ」


 言うや、昀昀いんいんはおもむろに巨岩へ歩み寄り、その硬そうな岩肌に指を添えた。爪が整った、滑らかそうな女の細指。


「ふっ!」


 鋭い一息とともに、添えた指先を鋭く押し込む。

 

 途端、その指先は岩肌へ深々と突き刺さり、その一点を中心にあっという間に岩全体に深い亀裂が広がった。


 崩壊。


 巨岩を一瞬で瓦礫に変えてみせた昀昀いんいんの威力に、きくは驚愕をあらわにし、そしてすぐにそれを歓喜の笑みに変えた。


「なるほど。少しでも撫でられたら即死ってわけかい。……面白ぇ」


 きくは左腰の刀を抜き放つ。


 中天から差す陽光によって輝く、美しい刀身。

 刃文は直刃すぐは。満点の星を散りばめたようなにえにおいが、見事に調和してきらめく。

 さらにはばきから刀身へ伸びるように描かれているのは、見事な彫金技術で施された美しいの絵。


 昀昀いんいんは「ほぅ」と、感嘆のため息をもらす。


「……すごく良い刀ね」


「同感。家を出る前に、親父の部屋の床の間から代物だよ。なんでも、あたしらのご先祖が、師匠から譲り受けた一振りらしい」


「悪い子ね」


「よく言われるよ。女ならもっとしとやかにしろ、ってさ」


 お互い軽く笑い合ってから、すぐに心を引き締めた。


 祖国を出てからずっと運命を委ねてきた愛刀を、きくは正眼に構える。


 昀昀いんいんも、片足を退いて半身はんみとなり、前後に掌を構える。


 互いに、神妙に名乗りをあげた。


「——『玄洞派げんどうは』内門弟子、霍昀昀かくいんいん。この立ち合いにおいて、結果の如何いかんにかかわらず、門派間の遺恨はいっさい残さないことをここに誓います」


「——『川島派至刀流かわしまはしとうりゅう』免許皆伝、川島菊かわしまきく。しかとこの耳で聞き届けた。貴殿の誠意と覚悟を信じ、無礼無きよう全身全霊でお相手つかまつろう」


 数秒の静寂ののち、口火を切ったのは、きくだった。


「勝負!」


 電光石火の勢いで、昀昀いんいんとの距離を瞬時に肉薄した。

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