剣客と白い少女《二》
「さっきはありがとな。あたしの潔白を証明してくれてさ」
騒動が収まって数分後、
「どういたしまして。要らぬ血が流れなくて何よりだわ」
酒場の周囲に座っていたり往来していたりする人々の垢抜けない挙動や出で立ちの中、目の前の白い美少女だけ違う世界から切り取ってそこに置いたような、浮世離れした雰囲気があった。
同性の
二人が挟む卓の上には、湯立った二つの茶碗と、
……この店は、先ほど助けた娘の親が営んでいる。
「娘を助けた礼に」と
感謝の気持ちを抱きながら茶をひとすすりしてから、
「だけどよ、別に助けてもらわなくても、あたし一人でどうにかできたんだぜ? あんな阿呆ども。ちっさい頃から鍛えてきた剣術と、こいつがあればな」
「こいつ」という代名詞とともに、
「そうね。あなたにはそれができるだけの実力があった。でもね、駄目よ」
「なんでだよ?」
「あなたはあまりにも『
刀の柄頭に添えていた手に、思わず力が入る。
「……『武林』って言葉は、この国に来る前から承知してるよ。確か、強ぇ武芸者がゴロゴロいて、しょっちゅう休まず斬り合ってる社会のことだろ。だったらあたしも郷に入っては郷に従って、ぶった斬ってやればいいんじゃねーか?」
「そういうわけにもいかないのよ。……確かに、武林は争い事が絶えない社会だわ。でも、ちょっと気に入らないからって殺してたら、あっという間に血の海が広がってしまうわ。それをなるべく防ぐために、武林には
「しきたり、ねぇ……」
面倒くさそうに天井を仰ぎながら、
「たとえば、あなたがあの時、あの男達をその刀で皆殺しにしたとする。そうしたら、今度は男達の同門がみんなあなたを殺しにやってくるわ」
「じゃあそいつらも斬ればいいじゃねーか」
「そうしたら、今度はその門派と同盟を結んでいる他の門派が、同盟の義理を果たすためにあなたを始末しにくる。そんな彼らも全員殺せば、武林を統括している『
「じゃあそいつらも斬ればいいじゃねーか」
その表情すらも絵になるからずるい。
「——絶対に無理よ。確かにあなたは強い。今まで多くの武芸者を見てきたけれど、あなたはその中で確実に上位に食い込むほどの実力があると見ているわ。けれどね、やはり上には上がいるの。あなたより強い人も決して少なくない。武林から「邪派」と見られてしまえば、そんな人達をまとめて敵に回すことになるのよ。とても生きてはいられないわ」
少し重みを秘めた口調に、
だが、すぐにその幼さが残る美貌に好戦的な笑みを浮かべさせた。
刀の柄を握る手にいっそう力がこもる。
「——それならそれで上等だよ。そうでなくちゃ「ここ」へ来た意味が無い」
ふと、大事なことを忘れていた
「そういや、自己紹介がまだだったね。——あたしは
「わたしは
紹介を交えてしばし和やかな雰囲気を作る。
「それで、どうやって
それから
色白な美貌に浮かべる笑みには上品さが少し消えて、好奇心旺盛な子供のような興味の色が宿っていた。
「密航してきたんだよ。大陸南方行きの船の木箱に隠れてよ。ばれたら打ち首獄門だろうから命懸けだったよ」
「へぇー……どうして
「西の果ての異教が入り込むのを防ぐためだよ。戦乱期の後半にその異教がたくさん信者を作ってよ、一勢力と化しちまったんだよ。だから全土統一した幕府軍がその勢力を叩き潰して、外から異教が入ってこないように鎖国したってわけ。生糸とかの重要品を出来る限り国産化したおかげでどうにか必要最低限の交易だけして鎖国ってられてるけど、その分、外の世界を見たことある奴は限られるようになっちまったよ」
話が後半に続くにつれて、
「あり得ないくらい平和な世が百年以上続いた……だからかね、本物の斬り合いを知ってる人間がいなくなっちまった。戦国乱世を知ってる奴はみんなとっくに墓の下。残ったのは泰平にあぐらをかいて腑抜けた侍どもと、こんな豆粒みたいな女相手に手も足も出ない五流剣士の群れさ」
思い出す。故郷のことを。
その武芸は他のどの国の武芸よりも秀で、無双の武人がうごめく尚武の地なり。
剣客どもは口々にそう言っていた。
神武の国だと?
……少し竹刀で小突いただけで腰を抜かす奴。
……免許皆伝のくせに、剣を握って二年の自分に手も足も出ず負ける奴。
……「全力で挑む」と言ったくせに、負けた途端に「女だから手加減してやった」などと吐かす奴。
……ぶちのめされたら、自分の力で再戦しに来るのではなく、親を同伴して文句を言いに来る奴。
これが、神武の国だと?
ふざけろ。
武に謝れ。
狭い島国の中しか見ていない
なぜ、外の世界が劣っていると言える?
悪い意味で島国根性にあふれた祖国にいるままでは、真の剣客には決してなれない。
——だから、外へ出ようと思った。
大陸に『武林』という武芸者の社会があることを聞いた時「ここで武者修行をしよう」とすぐに思った。
そのために準備もした。
大陸で使われている言葉も隠れて勉強した。
命懸けの密航もし、ようやく
「——なるほどね。だから、「そうでないとここへ来た意味がない」なんて言ったのね」
次に彼女が浮かべたのは、好奇心と悪戯心を帯びた笑みだった。
「ねぇ、
「え? ああ、構わねーよ? あ、でもあたしの出来る範囲でだぞ? この刀を寄越せとか、そういうのは無理だからな」
「そういうのではないわ。安心して。むしろ、あなたが喜びそうなことよ」
「なんだ?」
「わたしと一手、立ち合って」
「わたしはこう見えて人一倍好奇心が強い女でね。一度見てみたいと思っていたの。百年以上前に大陸近海を荒らしまわった
今の
剣を
「奇遇だなぁ。あたしもちょうど、あんたと斬り合ってみたいと思ってたんだよ。……あんた、強ぇだろ?」
「強ぇわよ。『
「変に謙遜しないところもまた気に入った。——どこでやる? あたしはこの辺に明るくないんでな、場所決めはあんたに任せるぜ」
二人の身長よりも少し高い巨岩以外何も障害物の無い、開けた場所。
距離を開いて向かい合う二人。
それを照らす、中天からの陽光。
「あんたも武器を取りな」
「ふふ、必要無いわ。このままやりましょう」
それを聞いて、
「……舐めてんじゃねーだろうな?」
「舐めてはいねーわ。武林の武功は、素手も武器持ちも変わらない。武器はあくまで手の延長。その武器を操るのは他でもない徒手の技よ」
言うや、
「ふっ!」
鋭い一息とともに、添えた指先を鋭く押し込む。
途端、その指先は岩肌へ深々と突き刺さり、その一点を中心にあっという間に岩全体に深い亀裂が広がった。
崩壊。
巨岩を一瞬で瓦礫に変えてみせた
「なるほど。少しでも撫でられたら即死ってわけかい。……面白ぇ」
中天から差す陽光によって輝く、美しい刀身。
刃文は
さらに
「……すごく良い刀ね」
「同感。家を出る前に、親父の部屋の床の間からがめた代物だよ。なんでも、あたしらのご先祖が、師匠から譲り受けた一振りらしい」
「悪い子ね」
「よく言われるよ。女ならもっとしとやかにしろ、ってさ」
お互い軽く笑い合ってから、すぐに心を引き締めた。
祖国を出てからずっと運命を委ねてきた愛刀を、
互いに、神妙に名乗りをあげた。
「——『
「——『
数秒の静寂ののち、口火を切ったのは、
「勝負!」
電光石火の勢いで、
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