第3話
馬車から降りてまず目についたのはほったらかされっぱなしの庭だった。なるほど私のいた世界と同じような花が野花として咲き誇っている。野花。平たく言うと雑草だらけだった。竹藪なんかがないのには安心したけど、ミントはちょっと生えているらしい。しゃがんで思わずぶちぶちと引っ張ると、長い根が付いて来た。そこで声が掛かる。おい。
「玄関から掃除を始めていたら家に入るのが日暮れになるぞ」
まだ真昼間だけどどんだけすごいんだ玄関。一緒に馬車を下りたシモンは、呆れたように言う。馬車は城の方に戻って行ったから、呼び出しだったんだろうな、と何となく思った。しかし私の話題以外にそれらしい気配はなかったので、おや、と思う。取り敢えず立ち上がるとまたミントがぶちぶち言った。これは庭じゃなくハーブ園にした方が良いんじゃないかな、と考えつつ、私はシモンがドアを開けるのを待つ。物語ではいつも使用人がいるから主人が手ずからドアの鍵を開けるシーンって言うのは珍しいな、と思っていたら、ぐいっと手を引かれた。
土で汚れた靴のままわわっと慌てて中に入ると、素早くドアは閉じられて光の注ぐ玄関ホールが――
「きったねぇ!」
……飲み終えたワインボトル、要らなくなったと思しき書類、店屋物のものらしい空の木箱、そしてなにより降り積もった埃。チッと舌を鳴らして、シモンは振り向いた私の前で偉そうに腕を組む。
「お前が選んだんだからな、矢栖理。言っておくが俺は剣術の稽古ばかりしていて、十八になるまで王宮の家政婦付き寄宿舎に住んでいたから掃除の作法など知った事じゃない。最初に自分で何とかしようと思ったが三日で面倒になった。どうせ次の騎士団長が決まったら出る家だと思えば愛着もない。お前はせいぜい自分の部屋を探して掃除を――」
「っの……」
思わずぎゅっとこぶしを握る。それに頭一つ分私より背が高いシモンはふんっと仰け反る。
「こっのきったない家を私にどうにか出来るかですってぇ!? 出来るわよ! あんたがメゲた三日待ってなさい! 掃除道具ぐらいはあるんでしょうねえ!?」
私の食って掛かる様におうっと更に仰け反ったシモンはドアに背を付ける。どんッと鳴った。こくこく頷いて、白い手袋が指さしたのはホールの隅にある小さな木のロッカーだ。足音荒く――するとすっごい埃が舞い上がる――そこに近付くと、箒と塵取り、雑巾にバケツと言ったおざなりの道具が置いてあるのが解る。ほぼ新品だ、本当に三日で放り投げたのだろうことが解る。
幸い絨毯敷きじゃないから埃を外に出して雑巾がけすればホールは簡単だろう。個別の部屋は三部屋、多分客室。バルコニーがあるのは見えていたから布団はそこで干そう。心配なのは台所と使用人部屋ぐらいだ。もっともどこも使ってないと思われるから寝具を干して絨毯があったらそれも干してバシバシ叩けば埃が出るだろう。
ずかずか奥に向かい、キッチンチェック。埃が溜まっているだけで使った形跡はなし。よろしい。使用人部屋。二段ベッドが二つと書き物机が二つ。ここも絨毯敷きではないし布団も置いてない。もう一部屋は執事の寝室、こちらも以下同文。
ホールに戻って二階に伸びる階段を駆け上がると、くちゃんっとくしゃみが出た。埃アレルギーはないけれど、こんな場所で暮らしたら時間の問題だろう。客間は絨毯が敷かれていた。邪魔くさいな、チッと舌打ちし、シングルとダブルとツインが一つずつなのを確認する。ドレッサーなんかも置いてあったけれど、そこには埃避けの布が掛かっていた。これは外でばたばた振れば良いだろう。とりあえず今日のノルマはシングルの客室と玄関ホールの掃除だ。下女とまで言われたからにはしっかりやってやろうじゃないの。
ふんっと鼻息を鳴らして客室のドアを閉めると、眺め渡せるホールの玄関の前から一歩も動かずぽかん、とこちらを見上げているシモンの顔が見えた。絨毯は粘着テープでもあれば簡単に掃除が出来るんだけどな、こっちの世界ってそう言うの魔法で済ませそうだよな、異世界って言ったら魔法だし。実際魔術師もいたし神官もいたし。
もっとも私はただの人間だから、何にも出来ないけれど。でも出来る範囲は出来るのよ。
花粉症持ちの父を持った娘の力を、ここで発揮してやる。
その所為で滅多におばあちゃんの家に寄り付けなかった人だ。私だって家に帰ったらまず着替えるぐらいだ。それに比べたら目に見える埃なんて駆除は容易い。
見てなさいよ、箱入り騎士!
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