第19話

「矢栖理」

 朝食の席で呼ばれてサンドイッチを食べていた手を止め、うん? と私は応える。相変わらず薔薇で遠ざかっている私達の距離は、そう簡単には縮まらない。と思う。もう食べ終わったらしいシモンは組んだ手指に顎を乗せ、私を見ているらしかった。んっく、と口の中にあったものを飲み込めば、シモンが真剣な空気を発しているのが分かる。

 何だろう。首を傾げると、シモンはちょっと息を吐いて、それからゆっくり呼吸をしてから、私を改めて見つめてくる。


「そろそろ答えが出た頃だろうから聞きたいと思うんだが」

「答え?」

「俺の婚約者になる話だ」

 途端に半眼になり、ポーカーフェイスになってしまう私は、怒って良い方の立場だと思う。婚約者が他にいるのは知っているのだ。こっちは。そしてそれはシモンも知っている。そんな人の婚約者になる、なんてことは、はっきり言って考えられなかった。

 って言うかデリカシーが無いのか常識が無いのか。まずは婚約破棄してからそう言う話はしてもらいたい。でも相手があのペリーヌさんだと思うと、彼女から婚約者を奪う、というのはちょっと気が引けた。この世界に来て初めての、一応お友達であるわけだから。


 こっちに来て一か月。向こうの世界でも一か月ぐらい経ったのかな。両親は、と考えた所で現実逃避しようとしている幻想を射殺す。もう慣れた行為だ、大分。戻れない世界の事を考えても仕方ない。死んだ子の年を数えても仕方ない。私はこの世界で生きるのだと、その覚悟は結構前に決まってしまっている。

 でもそれがシモンと一緒に暮らすのと同義だと言うのは、いささか先走った回答であると言えよう。メイドとご主人様、と言う立場では何とかやって行ける自信があるけれど、奥様と旦那様になれるとは思わないのだ。そこに大きく立ちふさがるのは周囲の反対だの身分の違いだの色々とあるけれど、一番大きいのはやっぱりペリーヌさんの存在だと思う。

 あの人を蔑ろにして話は進められない。だから私は半ば無視するようにサンドイッチを食べ進める。鳥はむ美味しい。我ながら。ネギが手に入らなかったから紐で縛ってお湯にボチャンしたけれど、あのスープも何かの出汁に使おう。鍋。こっちに鍋料理ってあるのかな。湯豆腐とかにしたら美味しそうだ。でも米も見掛けないからなあ。

 矢栖理、と今度は幾分強い口調で問われて、んっく、と私は最後の一口を飲み込み終える。それからカフェオレをぐーっと飲み込むと、もう答えを避けられる陣地はなかった。なので仕方なく、私は溜息を吐く。


「シモンにはペリーヌさんがいるでしょ」

「だからペリーヌとは、」

「親が言うことが絶対なことぐらい私だって知ってるんだよ。特に貴族社会ってそうだろうし。王様はシモンの後見人だけどシモンの意思を尊重してくれる。でもペリーヌさんだって伯爵令嬢なんだから、伯爵って言う地位にいるお父さんがいる訳でしょ? 貴族を敵に回してまで私と婚約する意味が、シモンにはない。おまけに私はいつどうなるか分からない異世界人。危険が克ちすぎる。見世物にされるお茶会だのは別に構わないけれど、地位がそこにくっ付いたら厄介だよ」

 汚れていない手を意味なくナプキンで拭いて、私はこの話はおしまい、と言うように席を立ってお皿とグラスを持った。カフェオレ用に新しく揃いで買ったグラスは、中の氷をかろんっと軽く音立てさせて、ちょっと擽ったい。でもその対がいつまでもシモンの物、というわけにも行かないだろう。と言うかこちらか。こちらこそ、恐れ多い相方に腰が引ける。

 シモンはお皿を持って私の後を追い掛けてくる。良いって言ってるのに。私から、メイドの立場から、仕事を奪わないで欲しい。私がここに居れる理由を、奪わないで欲しい。

「俺はお前が良いと言っているんだ」

「私は嫌だよ」

「……俺の事が嫌いだ、という事か?」

「違う。それは断じて、違う」

 そのぐらいは断じても良いだろう。事実だし。鏑矢で射られたのは私だったし。

「じゃあどうして」

「だから言ってるでしょ、シモンにはペリーヌさんがいるの。私も好きなペリーヌさんを泣かせるような男なら、ホントに見下げ果てるけれど、シモンはそうじゃないでしょ?」

「あいつが悲しむものか。自由になったとはしゃぐのが目に見えている」

「じゃあ何で私に婚約者だって宣言して行ったの?」

「それは――多分、からかって」

「からかっても婚約者を自称する程度にはシモンの事を気に入ってるんだから、もう答えは出てるじゃない。私はメイド。それを変えるつもりはないわ」

「……強情張りめ」

「よく言われた」

「お前の世界で?」

 射殺せ。

 射殺せ。

 射殺せ、こんな感情は。


 シモンのお皿とグラスを受け取って、私はシンクにそれを置く。顔は何となく見られなかったけれど、時計を置いてある出窓に映って見えてしまった。悲しそうな顔。

 王様の後ろ盾が無ければシモンは騎士団の寄宿舎にだって入れなかったんだろう。戦災孤児だ。だからその王様の一派、貴族とは対立しない方があの王様には快いはずだ。でも王様も言っていなかったっけ? 考えてみて欲しい、って。

 駄目だよそんなの。戦争が終わった国で内乱が起こったらすぐにまた近隣に火種を巻くことになる。私はそうなりたくない。そんな鏑矢にはなりたくない。私は一人で大丈夫。大丈夫、大丈夫。シモンが大丈夫じゃない所はペリーヌさんに埋めて貰えば良い。彼女だって彼の生活態度はきちんと躾けてくれるだろう。料理はメイドを雇って良い。なんてったって騎士団長なのだし、今まで誰も雇ってこなかったから貯め込んでいるだろう。ペリーヌさんは自分が家事をすることも厭わなそうだけれど、面子の問題だ。伯爵家と伯爵家。私は平民。手荒れだってし放題の、メイド。

 そんな私の為に、国が荒れようとしているのだろうか。先日は誘拐まがいの事さえされている。私は厄介者なのだ。無害だったら良かったけど、否私自身はまるで無害だけれど、周りがそれを放っておかない。異世界人。魔術師にとっては良い実験材料みたいだし、守る星もないって言うのは多分だけどこの世界では珍しいんだろう。

 珍しさは蔑視に繋がる。ペリーヌさんでさえそうだったものを、異世界人の私がそうでないわけが無い。詰まんない世界に帰りたいと願いそうになって、感情を射殺す。詰まんなくても平和だった。私は、平和だった。受験勉強が始まっても良い頃合いだったけれど、そんなの可愛いぐらいに、この世界は私に過酷だ。ダンスも出来なければお茶会を開く器量もない。貴族の仲間になんてなれるわけがない。


 音もなく台所を出て行ったシモンの肩が落ちていたのを見送って、私は洗い物をする。水切り籠にぽいぽいと投げ込んでしまえば、朝食なんてあっという間に片付いてしまう。玄関の方でシモンが剣を佩く音がしたから、ホールまで出て行った。今日も磨くホール。そこが汚かった頃も、ペリーヌさんは知っている。

「行ってらっしゃい、シモン」

「……行ってきます、矢栖理」

 どんなに険悪になっても行ってきますとただいまは欠かさないのが私達だ。せめてもの礼儀。ここがシモンの家になってからの、おそらく最初の決まり事。

 私の家は何処だろう。何処になら帰って良いんだろう。いっそ国を出ることも考えられたけれど、戦争をしていたという隣国には行けないし、そもそもお給金を貰ってる仕事じゃないからどこにも行けないのが現実だった。

 いっそペリーヌさんの実家に雇ってもらおうかなあ。そしたらペリーヌさんが輿入れした後は何の未練もなく繋がりをほぼ断ち切れるんだけど。


 玄関ホールの埃を箒で集めた所で、ドアがノックされる。先日の事件から勝手に出てはいけないと言われていたから、息を潜める。すると、す、っと下から手紙が差し入れられて来た。馬車の音が遠くなるのを確認してから、私はそれを受け取る。

 私へのお茶会への招待状だった。だけど名前に覚えはない。ペリーヌさんのお茶会で私を知った人からだろうか。そう考えるのが自然だ。当日はペトロニーユ様もいらっしゃいます、との言葉に、なんとなく安心感を持ってしまう。

 ドレスはあれしか持っていないけれど、別に構わないだろう。季節が変わったわけでもなし、洗濯してないわけでもなし。ちょっとした気晴らしに、私はもっとお友達を作っておこう。

 出来れば就職先を。

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