第20話

 これこれこーゆー訳でお茶会に呼ばれました、とシモンに招待状を見せたのは手紙が来たその夕方だった。帰って来て外套と剣を外したシモンはちょっと訝りながら、首を傾げて見せる。


「聞かない名前だな、差し出し主。ペリーヌがいると言うのは、お前に対して良い事なのか?」

「一応お友達扱いしてもらってるし、私はペリーヌさんが好きだよ。知ってる人が一人いるだけで大分緊張はほぐれるし。相変わらずシモンは呼ばれてないから多分来ない方が良いんだろうけれど」

「俺はこの類のパーティーには呼ばれたことが無いからな。やりづらいんだろう。夜会もパートナーがいないからと欠席することが多いし」

「ぼっちだね? ペリーヌさんで良いじゃん、それこそ」

「既成事実を作られるのは困る」

 何が既成事実じゃ。婚約者と発表されている時点でそうだろう。今更の事を、ふうっと息を吐いて招待状を返してもらうと、うーむとまだ難しい顔をしている。めんどくさいからさっさと夕飯にしよう。今夜はクリームシチューだ。牛乳じゃなくて生クリームを使うレシピがあったので挑戦してみた。濃厚で良い香りがする。じゃが芋はちょっと溶けてるぐらいが好きだ。鶏むね肉も柔らかくなっているし、人参の色合いがコントラストになっていて良い感じ。


 お皿に盛りつけてバターロールと一緒に出すと、部屋着に着替えたシモンがパッと明るく笑う。何て言うか、牛乳とか生クリームとか牛系好きだよね。ビーフシチューとか。食の好みが分かって来ると作るものが偏りがちになりそうなんだけど、それを是正するにはどうしたら良いものなのかしら。ぷすっと笑うと頬を赤められる。

「矢栖理は俺の好みをよく知っている」

「そりゃーね、一か月以上メイドやってたら気付きますよ、ご主人様」

「それには逆に慣れない……」

「よく分かんないなー。あのねシモン、私だってあんたに泣いて縋られたら、メイドとしてはここに居ることを決めても良いぐらいには気に入ってるんだよ。この仕事」

「妻にはなりたくない、か」

「そ。大体私まだ十五歳だよ。ロリコン・シモン」

「ろりこん? とはなんだ?」

「まあ小さい子が好きな人だよ」

「仕方ないだろう、お前は俺より頭一つ分以上も小さい。栄養の足りない家で育ったとは思えないが」

「確かにペリーヌさんより小さいけど、そう言う意味じゃないよ……」

「だが、妥協案が出たのは良い事だな」

「うん?」

 ふーっと表面を吹いていたスプーンの上のシチューを口に含む。人参は甘い。飾り切りとかするとシモンは目をきらきらさせて喜ぶ。母親の気分だ。お母さんもこうするとあんたはよく食べたのよ、って言ってたから、覚えた事だ。お母さんありがとう。現金にこんな時だけ思い出を美化する私である。

「この家に居る事。お前はペリーヌが好きだと言うが、それはこうして給仕できる程度の好きか? ペリーヌが許せば、この家に居ても良い?」

 またそれか。混ぜっ返すなあ、もう。

「ペリーヌさんの方が居心地悪くなっちゃうでしょ、それじゃあ。愛人と同居するようなもんだよ?」

「愛人にならなってくれるのか?」

「ならない。絶対ならない。貴族の人は公娼も良いらしいけれど私はそれは絶対嫌。自分を一番にしてくれる人じゃなきゃ、結婚なんかしたくない」

「すると言っている」

 パンをぶちっと千切って、シモンは中のバターを零さないようにして、でもこっちを薔薇の衝立越しに見て言った。

「お前を一番にしたいと、俺はずっと言っている」

「……だから、シモンにはペリーヌさんがっ」

「婚約は破棄する! お前が望むなら明日にでも王に伝える! それでお前が俺のものになってくれるのならば、俺はどんな謗りでも受ける!」

「私は嫌だよ!」

 私も薔薇越しに叫ぶ。


「ペリーヌさんは良い人だし、シモンもそう! そんな人たちに巡り合えて感謝してる! 仕事のノウハウも解って来て、私はそれで満足してる! 大事な人たちが傷付くぐらいなら、私はここから出て行く! それが一番の、冴えたやり方だもん!」

「全然冴えていない!」

 シモンが怒鳴る。

「お前は逃げているだけだ! どっちとも険悪になりたくないから身を引こうとしている! 俺の思いもペリーヌの思いも無視して! 大体、本当にペリーヌと結婚するつもりはないんだ! あいつには、」

「どこまででも逃げるわよ! それが悪いとは言わせない! 謁見の間でシモンがペリーヌさんとの婚約解消を唱えなかったのが、何よりの事実だよ! 私のいる快適な生活の中にペリーヌさんを入れたらもっと心地良くなると思ったんでしょ!? 親の決めた事でも、シモンだってペリーヌさんの事を嫌ってないじゃない!」

「じゃあ嫌いになれば良いのか!? 俺があいつを嫌えば、お前は満足なのか、矢栖理!」

「そんなこと言ってない!」

「同じことだ!」

 バン! とテーブルを叩かれ立ち上がられると、飾られた薔薇の優雅な生垣は簡単に超えられる。びくっと思わず肩を震わせると、スプーンがお皿に落ちた。もう空に近かったから、カチャンと音が鳴る。シモンは顔を真っ赤にして怒っているようだった。でも私だって、負けていられない。ぎゅっと少しあかぎれの引いた手を握り締めて、深呼吸をする。落ち着け。煽られるな。あの日、夜の市場で放たれた鏑矢を、ゆっくりと引き抜くために。

 嫌いじゃない人にプロポーズされて、嫌なわけがない。本当はずっと、そう言いたかったのかもしれない。でも頭の裏にはペリーヌさんがこびりついている。彼女は良い人だった。幸せになって欲しい。その為にはこの騎士団長と結婚するのが良いはずだ。親がそれを推奨している。私には何の後ろ盾もない。私じゃシモンを幸せに出来ない。


「私はシモンを幸せに出来ないよ」

「そんなことはない。今でも十分に、幸せだ。幸せになったんだ、矢栖理」

「プロのメイドを雇えばもっと幸せになれる」

「その時お前は俺の横にいるのか?」

「まさか。お役御免で職探しに城にでも行くよ」

「それじゃあ意味が無いんだ」

 意味がない。シモンは繰り返す。

「俺はお前が好きなんだ、矢栖理。愛している。だからどこにも行ってほしくないし、結婚だってしたい。メイドではなく妻として、この家に迎えたい。ここを、お前の帰る場所にしたい」

 私の帰る場所。

 鼻がツンとして、泣いてしまいそうになる。

「お前はここに居るのが嫌か?」

「だから……、シモンにはもう婚約者が、」

「撤回なんて容易い事だ」

「代わりが私なんかじゃ貴族の人は黙ってないよ」

「異世界人だとしても、俺が守る。俺と俺の星がお前を守る」

 星のもとに生まれる。この世界では当然の事なんだろう。そして私にはそれがない。星空すらも違う世界に私はいる。何もかもがままならない世界にいる。誰も私を助けてくれない。シモンすら、私を追い詰める。


「も……止めようよ、この話」

「何故」

「ぐるぐる回って結局答えなんかでないもん。問答無用で出て行った方が早いって思えて来ちゃったら、限界だよ」

「お前はここを出て行きたいのか、矢栖理」

 行きたくない。

 ここに居たい。

 でも睦まじく暮らすだろうペリーヌさんとシモンを見ているのは多分ちょっとしんどい。

 愛人になるなんてもってのほかだ。

 二人は二人で幸せになって欲しい。

 私に射られた鏑矢は、腕ずくでも引っこ抜いてしまうから。

 そうしたら、流れる血潮で心も無くなるだろうから。

 思わず顔を掌の中に伏せると、シモンが近づいてくる靴音が響く。

 こっちにこないで。

 今は、こっちに来ないで。

 泣きそうなの。

 苦しくて。

 死んでしまうぐらい。


「矢栖理」

 私は顔を上げない。

 さら、と髪を遊ばれた。

 それから、耳元に、声が響く。

「愛している」


 私は立ち上がって、駆けて行く。自分の部屋まで。鍵も閉じて、ベッドに突っ伏す。

 耳まで熱くて、声が出なくて、涙は止まらなかった。

 喜んでいる自分が薄汚くて、新たな鏑矢が胸に突き刺さってしまったのが分かった。

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