第7話
ちょっと寝不足だったかな、思いながら庭の雑草取りがてら解るハーブは摘んでいく。レモングラスとか生えてるじゃん、前の騎士団長さんはちゃんとした庭職人さんを雇っていたのかな? 思いはせるけれど、だったら普通ミントの地植えはしないだろう。ハーブ畑を作ろうとして失敗した趣味人かな、お、バジルもある。チーズ買って来てピザにでも乗せたらおいしいだろうな。あとはサラダにもなるし。ちしゃもある。別名はラプンツェルだ。あの王子様はあんまり好きじゃない。原作読んでからは。
大体春夏のハーブが生えているけれど、この国の気候ってどうなっているんだろう。私のいた世界では春夏秋冬がくっきり分かれているのって珍しい方だったけれど、この国はどの辺にあるのかな。後でシモンの書斎から地図の載っている本を探してみよう。不思議と日本語じゃない本も読めるのは、気まぐれな風の更なる気まぐれなんだろうか。それとも何か特殊な魔法が掛かっているものなのだろうか。でもシモン、書斎の本にはあんまり手を付けて無かったらしくて埃被ってたなあ。今日もはたきで上の方の本棚はたかないとなあ。ちなみにはたきも新しく買ったものだ。意外と掃除用具に類似のある異世界である。庭帚も同じく。
「あ」
見付けたのは薔薇のつぼみだ。ほころび始めているから二・三日以内に咲くかもしれない。なんでもある庭だけど、観賞用植物もちゃんとあるのが嬉しい。図鑑も書斎にあるかな。思い出しながら私は日が上って中天に差し掛かった頃にふうっと一段落して雑草を集め、庭の隅にまとめる。ミントとは根気強く戦って行くとして、元のハーブ畑は何とか発掘できた様子だ。やれやれと腰を叩くと、また眩暈がした。くらっと来たのを、とととと、とたたらを踏んで堪える。
昼食は朝食の残りのパンで良いかな。あんまりお腹も空いてないし、やることはたくさんある。まずは書斎の掃除だ。それから私が宛がわれている部屋の掃除も。人が動く限り埃は移動する。毎日やらなきゃまたあの汚屋敷にぞろすぐ戻ってしまうだろう。それは私の十日間が許さない。すっかり自分のテリトリーになっちゃってる屋敷に入り、念のために鍵を掛ける。シモンが帰って来るのは六時ごろ――時計は元の世界と同じだった――だから、ゆっくり図鑑探しもしよう。
大丈夫、私はこの異世界で上手くやれている。やって行けてる。シモンも私に対して心を開いてくれているし、今の所私を元の世界に戻す方法は確立されていない。だからここで生きて行く。その為の生活基盤は作れていると思う。もしシモンに追い出されてもメイドとして、或いは庭師として生きて行くことが出来るだろう。大丈夫、大丈夫。
冷めたパンを一口齧って、コーヒーを飲む。一式売ってたから買って来たコーヒーメーカーは、だけどあまり活躍できていない。シモンがお腹を壊すからだ。買った最初の日はトイレに駆け込んで大変だった。せめて薄くしてみたけれど、やっぱり駄目なものは駄目らしい。朝に飲ませたら確実に馬車で粗相をする、と真剣に言われ、以来これは私用だ。私は紅茶よりコーヒーの家に生まれたからなあ。ああ、牛乳で薄めたらいけるかもしれない。お砂糖も入れてあげれば甘いカフェオレだ。私としては無糖派だけど、お砂糖も牛乳も買ってある。明日の朝に――否、それは冒険だな。今日の夕食にでも出してみよう。
ぐいっとコーヒーでちょっと硬くなったパンを流し込んだら、さあ掃除だ。庭の世話は涼しい午前中に片付けるに限る。午後は家の中で風通しを良くしながら布団の回収なんかも含めてやってしまおう。広い屋敷は片付けても片付けても終わらない所が見えて、その目まぐるしさが私を不安から遠ざけてくれる。心の中にしまい込んだことを押しつぶすように。矢で射る風船のように、一時的に無くしてしまえるから。
書斎に持ち込んだ脚立――これも新しく買い求めたものだ――に上って、ぱふぱふと私ははたきを動かす。落ちた埃は板張りの床に落ちるから、後で箒でまとめれば良い。最小限の移動で最大限の埃を落とすのは、中々にゲーム性があって面白い。パズルゲームみたいな。しかしきったねぇな、などと思いながら私はくちゅんっとくしゃみをする。アレルギー持ちでなくてもこの量じゃくしゃみも出るだろう。脚立を下りて移動して、ばたばたはたいて埃を落とす。単純作業は頭をちょっと暇にしてしまう。そうすると何かが胸の奥から溢れ出そうになって、慌てて頭を叩く。出て来るな。何だか分からないけれど、出て来ない方が良いものだ。
本の背表紙を見たりして無駄に集中力を使いながら、私は無心に脚立の上に向かう。大体こんな所だろう、脚立を下りて片付けてから箒で埃を集める。屑籠に塵取りの中身を捨てて、探すのは植物の本だ。司法とか剣術とかの方が目立つけれど、百科事典なんかに混じって雑学や植物学の本も置いてある。あまり厚くなくて、写真があるのが良いな。野ばらなのかちゃんとしたお店から買った人造種なのか、それだけでも分かれば世話はしやすい。棘はそんなに鋭くなかったから、株分けも容易だろう。生垣にするのも良いかもしれない。
探すのは春の花。春と言う区分があるのならの話だけれど、薔薇はまとめて収録されていた。写真じゃなく絵だけれど、これは解り易いかもしれない。ふんふん読んでいると、見付けたのは庭の薔薇だ。近年交配されて――って言ってもこの本がいつの物か分からないと、近年がいつだか分からないんだけど。そして今が何年なのかも知らないんたけれど。まあとりあえずそんなに古いオールドローズじゃないことが解る。どんな形で咲くんだろう、ふふっとちょっと楽しみになりながら、私は図鑑を元の場所に返す。面倒なのは剪定ぐらいで特別な世話はないらしい。と、夕暮れが近づいて来たから、私は布団を回収して各部屋に運ぶ。さて、そろそろシモンが帰って来る頃だ。サンドイッチの準備をしなくちゃ。
バターを室温に戻して、野菜を洗って、お肉は焼こうか茹でようか。筋肉とか言ってたから茹でたささみとかで良いかな。確か買って来ていたはず――水を張ったお鍋を火に掛けて、ちょっと水を出した後の水道水で朝より痩せたレタスを割いて行く。明日の朝食にはなくなるだろうな、何を付け合わせようか。トマトもまだあるし、カリカリにしたベーコンでも添えたら、あとは蒸し焼きにした目玉焼きと合わせて、それと今日の夕食で試してみるカフェオレが入るか入らないか――。
案外コーヒー牛乳にしちゃった方がお腹に悪くないかしら。思いながら野菜の水切りをして、あとは挟むだけにしておく。さてドアの鍵を開けて来なくっちゃな。
今日は郵便もなかったし、一日にハプニングが起きてって言う事もなく平和な一日だった。良かった良かった。何が良い? ふっと自分に問いかける自分を、頭の中で射殺す。余計なことは考えるな。ニコニコ笑って掃除して庭いじりして、それで私は満足している。そうだ、負担なんて何もない。何も――
ドアの鍵を開け、無意識に足を出せば発掘されたハーブ畑が見える。私の前にここの世話をしていた人はどんな人だったんだろう。少なくとも異世界人ではなかったはずだ。私みたいなのは何処にもいない。私は一人なのかな? うるさい、とまた自分で自分を射殺す。
鏑矢は放たれたのだ。
ふっと意識が遠くなり、私はミントの中に顔をダイブさせていた。
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