第15話
決戦の日は良い日和だった。庭の薔薇が満開だったから棘を取って花束にして、一応手袋を持つだけ持ってペリーヌさんの家からの馬車に乗る。御者さんは事務的だったけれど、特に不愛想にされると言う事もなく、こんにちはお嬢さん、と言ってくれた。招待状は私にだけだったので、休日でもシモンは留守番である。一緒に行きたいと駄々をこねたけれど、流石に女子会の気のあるティーパーティーにこの目立つ美貌の男を連れてはいけないだろう。行ってらっしゃい、と手を振り振りされて、そう言えば初めてのシモン抜きの外出なのだな、と思い至りちょっと足が震える。サイズを詰めてもらったドレスは、靴先をちょこんと出しながらごとごと馬車に揺られていた。ちょっとドナドナな気分。自分で一人で大丈夫なんて言っておいて。
十分ほど窓から景色を眺めていると、キイ、と馬車全体が小さく揺れて、馬の声が響く。止まったそこは大きなお屋敷の前だった。どうぞお嬢さん、と御者さんにドアを開けられてそっと靴を下ろす。アーケードになって舗装されているのがうちとの違いだな、なんて思った。うちの前は踏み固められてる道だから、あんまり泥も跳ねない。
開いている門を前にほへーっとそれを見上げていると、メイドと思しきエプロンドレスの女の人が出て来て、こちらへどうぞ、と案内してくれた。客が来ない役宅ではめったに私もこんな事はしない。と言うか二週間強、やって来たのなんてペリーヌさんぐらいじゃないだろうか。しかも目当ては私だったっぽいし。
庭は季節の薔薇が咲き誇っていて、その中にドレス姿の子女たちがきゃっきゃとお茶会をやっている。私がそこに合流すると、途端に視線は私に集まった。萌黄色のドレス、レモンイエローのシンプルなローヒールの靴、お化粧は一応この三・四日で手慣れたつもり。下地にシェイディングにハイライト、チークにルージュにアイシャドウ。短い睫毛もマスカラで増量してビューラーで上げて。あんまり濃いと童顔とちぐはぐだから、ナチュラルに見える程度に。髪には白薔薇の髪飾り。香水を振りかけて来たから、そこからも薔薇の匂いが漂う。
お化粧なんて学校では禁止だから、色付きリップすら持ってない私には結構な大冒険だった。ドレスもそうだけど、何と言うか、初めての事ばかりで慣れないったらない。こんな事を毎回やらされると思うと貴族なんかには絶対なれないと思った。
おまけに令嬢ですらお茶会の主催をすると言うのだから、夫人になんてなったらこっちも手はずを整えなければならないだろう。知り合いのいない今は楽だけれど、人付き合いが始まろうとしているこれからはただただ億劫だった。ひそひそ話、ポーカーフェイスでかわす。どうせ私の悪口だろう。ぽてぽて足を進めていると、矢栖理さん、と声を掛けられた。いつの間にか俯きかけていた顔を上げると、ドレス姿にやっぱり手袋を着けていないペリーヌさんが満開の笑顔で私を迎えてくれる。白いドレスで髪には赤薔薇の髪飾りを割けていた。否、生花かもしれない。ほっとして肩から力が抜ける。こんな何でもないことに、何を緊張していたんだろうと思う。
「ペリーヌさん、こんにちは。この度はお誘いありがとうございます」
「こんにちは、矢栖理さん。来てくださって嬉しいわ。あら、その薔薇はおみやげかしら」
「はい、庭でシーズンを迎えていたのでどうせならと」
「ありがとう、嬉しいわ。薫り高くて良い花ね。あなたが丹精したのが解るわ。とっても綺麗」
「そ、そんな……ありがとうございます」
「誰か、この薔薇を活けて中央のテーブルに! 矢栖理さん紅茶は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「ミルクと砂糖は要るかしら」
「いえ、ストレートで」
「解ったわ」
にこにこ笑って中央のテーブルに私の手を引いて行ったペリーヌさんに、自然とご令嬢たちは道を作る。大きなティーポットを持って、ペリーヌさんは私にお茶を注いでくれた。どうぞ、と椅子を引かれて腰掛けると、ホッとした気分になる。小休止。紅茶の香りはダージリン。やっぱり結構温かい国なんだろうか、ここって。
音を立てないようにカップのハンドルを掴んで、く、とちょっと冷めたお茶を飲み込む。美味しい。紅茶はもっぱらペットボトルの物しか飲んだことが無かったけれど、茶葉が躍るとこんなにも違うのかと呆然とするぐらいだ。しかし、落ち着くとヒソヒソ話が良く聞こえてくるようになる。今度はペリーヌさんについてだった。
『伯爵令嬢が手ずからお茶を入れるなんて、はしたない』
『また手袋をしていないのね、まるで女中じゃない』
『シモン様が選んだって言う娘も、まだ子供ね』
『どうしてシモン様はあの娘を選んだのかしら』
『市井育ちとは言え、伯爵令嬢のペトロニーユ様の方がまだマシだわ』
聞きたくない声を射殺せ。こくんっともう一口飲むと。私の隣にペリーヌさんも座って来た。ホストとして十数人の相手を恙なくこなしてきたのだろう、一休みと言う事か。私はポットを取る。意外と重いけれど、粗相をしてしまうほどじゃない。
「ペリーヌさん、私が注ぎます」
「あら良いのよ矢栖理さん。お客様にそんな事させるなんて」
「先日のタルトのお礼です、どうか受け取ってください」
とぽぽぽぽっとペリーヌさんの前にあったカップに気を付けて紅茶を入れる。過ぎないようにするのがミソだな、と私は両手を傾けた。よし、と言ったところで、手袋をしていない手はポットを置いてコゼーを掛ける。ありがとう、と言われて私もへらっと笑った。ペリーヌさんほど完璧にはなりきれない笑顔で。
「矢栖理さん、お茶が飲み終わってからで良いのだけれど、自己紹介お願いできるかしら」
ちょっと困ったような笑顔で、ペリーヌさんにそう囁かれ、クラス変更後の自己紹介を思い出しながら、あーと私は応える。
子女様たちにとってそれは一番大切な事だろう。どこの誰か。付き合ってメリットがあるか。大丈夫です、と苦笑いで返すと、ほっとした顔をされた。私だって人付き合いは苦手だけど、引き籠っていたい訳じゃない。友人が出来たらそれは嬉しいけれど、現状そう呼べるのはペリーヌさんぐらいだろう。許されるのならだけど。婚約者。私たちどっちも、シモンの婚約者なのだから。
くいっと紅茶を飲み込んでしまうと、ペリーヌさんもくっとカップを傾ける。それから私の手を取って。薔薇の生垣を背後に立たせた。途端、十数人の招待客の視線が一気に集まって来る。ごくっと喉を鳴らす。ペリーヌさんが、皆様、と声を掛けた。
「今日は新しいお友達を呼んでおりますの。さ、矢栖理さん」
握られた手が力強いなあ。素肌で触れるのはシモン以外に初めてかも知れない、こっちに来てから。
「鏑木矢栖理と申します。異世界より迷い込みまして、今はシモン・ラプラス様の役宅の世話をしています。どうぞお見知りおきを」
スカートを掴んで丁寧にあいさつすると、またざわざわしだした。役宅の世話を任されている、と言うのは余計だっただろうか。でも私とシモンの関係は、大体そんなところだ。婚約者候補です、なんて、婚約者の前で言えるはずが無いだろう。そう言えば結局、ペリーヌさんに言われたことはしてないな。シモンの話を聞く。今日帰ったら聞いてみようかな。この刺さる視線から生きて帰って来られたら。
「ねえ、異世界ってどんなところ?」
まだ小学生ぐらいの子にそう問われて、私はえっと、と声が詰まる。
「自然は大して変わらないと思います。ある程度の年齢までは学校に行って勉強をします。それから自分が就きたい職業を選んで、また勉強します」
「パーティーとかしないの?」
「私の国では、誕生日ぐらいしかしません」
「ふーん、なんかつまんないとこだね!」
くすくす笑われる声には慣れて来たけれど、それが被害妄想にならないよう、私は苦笑いをするに留める。まあ子女様たちにとっては詰まんない所だろう。こういう貴族は家庭教師が就くし、将来の事なんて親の領地を引き継ぐとか、どれだけ良い家と結婚するかとか、そんなものだろうから。
でもそんなに詰まらないかな、なんて、ちょっとブルーになってみたりする。
私にとっては大事な世界なんだけどな。
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