第16話
結局ペリーヌさんとしかろくに言葉を交わさなかったお茶会は、表面上ぎすぎすしたものにはならなかったけれど私にはどっと疲れる事となった。絶対次なんて行きたくない。よれよれで帰るとドアが開いていて、不用心だぜ騎士団長様、なんて思っていると、コーヒーの匂いがしていた。ただいまと言うのもなんだか躊躇われてドレス姿のまま台所へ向かうと、シモンがじーっとコーヒーメーカーからコーヒーが落ちて来るのを見詰めている。何やってんだろ、と思っていると、気付いたのか入り口側を見てぱちっと目が合った。
「おかえり、矢栖理。首尾はどうだった?」
「何事もなく疎外されてきたよ。何やってるの?」
「いや、カフェオレを作ってみようかと」
豆の量とかお湯の量とか分かってたっけこの人。台所の中に入って覗き込んでみると、豆は少なく、お湯が多い様子だった。戦時中じゃないんだから、と思わず笑ってしまうと、きょとんとされる。赤い目。色素が少ないと出る色だって聞いた事があるけれど、黒髪は色素が多めだ。なんだって不思議な色を出しているんだろう、なんて考えつつ、カップを出して砂糖を入れる。
「ちょっとお湯が多いから、ミルクは少なめの方が良いね」
「そ、そうか……やはりちゃんと教わらないと分からないものだな、料理と言うのは。本当は夕飯を作って待っていようかと思っていたのだが、料理はからきしで、冷蔵庫にある物で作れる料理も解らなかったんだ。すまない」
「手袋着けてる時点でシモンは家事に向いてないんだよ」
言いながら私は休日のシャツとベスト姿のシモンを見る。綺麗なシャツのストックが増えたのは、私がちびちびと洗濯屋さんにクリーニングをお願いしているからだ。ワインの染みが取れないものだとか、お惣菜のタレが残っているものだとかは家用にして。綺麗なものは外出用に。
そうして家事を握ることで私はこの家を自分の居場所にしようとしている。でも好かれ過ぎるとそれを取り上げられるって言うんだから、難しい問題だ。社交界デビューもしちゃったし、ペリーヌさん以外からも茶会の招待状が届くことになったらどうしよう。
まあそれは無いだろう。あったとしてもシモンの方にそれは増えるだろう。騎士団長を狙っているご令嬢は多いみたいだったし。いくら王様に考えてみるよう頼まれても、立ち場って言うのは覆せないんじゃないかと思う。貴族が動かしている国って言うのは、そう言うものだと思う。私の住んでた日本だってちょっと前にやっと平民から皇后陛下に、なんてことがあった所だ。当時は反対派も多く、お姑さんには大分差別されていたと聞いている。車の窓を開けたとかで。
私も立場は同じだろう。たとえ元の世界でお姫様だったとしても、ここでは平民として扱われたに違いない。そして平民には容赦がない。ペリーヌさんでさえ陰口をたたかれていた。にこにこ笑っているのは、彼女なりの処世術なのかもしれない。何も聞こえていないふりをする。そうすることで場を収める。私はどうだっただろう。ただ俯いて薔薇を見ながらお茶を頂いて来ただけだ。あとタルト。今日はリンゴジャムの物とオレンジの物で、やっぱり美味しかった。今度レシピを教えてもらおうか。ふと、気になって私はスツールに腰掛けたシモンを見下ろす。きょとんとされた。だから可愛いって。
「シモンはペリーヌさんのタルト、どのぐらい食べたことある?」
「ペリーヌの? ああ、何度かあるな。ジャムを使ったものが多くて、生地は香ばしいのが多くて、美味かった」
「ふーん、そっかぁ」
素直にシモンにそう言わせるって事は、ペリーヌさんにタルトでは勝てないだろうなあ。張り合ってる自分。でも普通のお料理ならどうだろう。それも無理か。彼女、庶民育ちだからレパートリーもたくさんあるに違いない。私はお母さんのお手伝いでちょこっとだけ料理を知ってる幅が多いぐらいの中学生だ。
シモンの部屋から今度は料理の本探さなくちゃなー。それとも自分で本屋に行って買って来ようか。大分街にも慣れて来たし、一人歩きって言うのも気分転換に丁度良いだろう。庭いじりに勝るものはないけれど。庭のハーブをなるべく活用した料理。先日やはりシモンの書斎の本で調べたところ、この辺って言うのは常春の国らしい。だったら長い間ハーブを摘む事ができるだろう。ミント。まず奴を駆逐しなければ。
「恐らく今日の茶会でもペリーヌのタルトが出たんだろう。美味かったか?」
「リンゴジャムのとオレンジのが出たよ。美味しかった」
「それは良かったな」
くふ、と笑われて、何でだか胸がイラッとする。良かったけどさ。あの人あんたの婚約者のなんだけど。私に公衆の面前でしたことは何だと思ってるんだろう、この人。求婚だよ? あっちは伯爵令嬢、こっちはド平民のメイド。どういう意味か分かってる? あんたの所為でこっちは見世物だよ?
考えない様にしよう、やっぱり。そしてなかったことにしよう。あれ以来何も言ってこないって事は、やっぱり保護者としての疑似恋愛感情だったのだ。愛を囁くでもなく、二人で過ごす時間が特別増えたわけでもなく、私はメイドとして料理と掃除をし、この世界に馴染んでいる。三か月もしたら、もう良いだろう。ここから出て行って別の奉公先を探す。生憎私は好きな人が幸せな結婚をしているのをニコニコ見ていられる性質じゃないのだ。そこまで人間出来てない。大きなお屋敷の大量のメイドになって埋没しよう。それが良い。それが、一番いい。
お湯が全部落ちたコーヒーメーカーをどけて、私は砂糖の入ったカップにととととっとコーヒーを注ぐ。それからミルクを少し、後はスプーンでかき混ぜればちょっと薄いカフェオレの出来上がりだ。ソーサーに乗せてはいどうぞ、と渡してあげると、ありがとう、と律儀に告げられる。こくんっと一口飲んだシモンは、確かに、と苦笑いをした。
「コーヒーが薄いな、これは。飲めなくはないが、お前が作ってくれた方が美味い」
「あらありがと。じゃあ残っちゃったの私が飲んでも良い?」
「こんなに薄いのに良いのか?」
「戦時中みたいなもんでしょ。私の住んでた世界では、それを誤魔化すためにカップの底に派手な花柄を入れたりして、眼で楽しめるようにしていたぐらいだよ」
「それは頭が良いな」
「博物館で見たことあるけど綺麗だったよ」
誰と行ったのかは覚えているけれど思い出したくない。こんな時に両親の事を思い出したら、現金だ。都合の良い時だけ思い出すのはみじめだと思う。ブラックのコーヒーを飲むと、ほんとに薄かった。でもその苦酸っぱさは優しく私の鼻腔を擽る。紅茶より。ほー、っと息を吐いてシンクに身体を寄り掛からせると、目線が近くなったシモンの眉が寄っているのに気付く。
「疲れたか? やっぱり」
「別に。ただお茶飲んでただけだもん」
「友人は出来たか?」
「ペリーヌさんがいれば良いよ、もう」
「投げやりなのは良くない」
「お父さんか」
「それは嫌だな……」
真顔になるシモンに。私はくつくつと笑ってしまう。ああ、こんな会話がいつまでも続くものだったら、どんなにか良いだろうな。でも私は異世界人なのだ。馴染んで来てはいるけれど、それは忘れちゃいけない事だ。いつかここも出て行かなくちゃ。結婚なんて無理なんだから。
だからシモンの話なんて聞かなくて良い。それはここを出る時に寂しくなるだけだ。こんな何気ない時間を重ねていくだけで、私は満たされている。だから何も怖くない。怖いなんて気持ちは、射殺せばいい。小さなうちに、気付けるうちに、射殺してしまえばいい。私は矢なのだから。
放たれて帰ってこない、帰ることの出来ない、矢なのだから。
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