第14話
招待状をシモンに見せると、あからさまに嫌な顔をされた。まあ婚約者から求婚相手に出されたものと思えば多少は狼狽えるだろうけれど、私にとってそれはどうでも良い。問題はどんな格好で行くかと、靴だ。そして何を話せば良いか。靴はお天気だったら外でのことも考えられるし、でなければ、雨が降ったりしたら室内になるのだろう。みんなあなたに興味津々だから是非、と書き足されているのを見るに、私はご令嬢たちの客寄せパンダになりそうだ。異世界の事を根掘り葉掘りに訊かれるのか、それともシモンの事を偵察してくるのか。まあ大雑把にそのどちらかだろう。
ふうっと息を吐いたシモンは、がしがしとずぼらで長めな自分の髪をかき混ぜた。あいつ、と舌打ちするのに関係の近さが見えて、やっぱり特別な関係なんだろうなあと言う事が解る。私はポーカーフェイスで帰って来て外套も脱いでいないシモンを見上げた。身長差は頭一つ半分、と言ったところだろうか。十代にしては背が高い。お父さんよりもだ。知ってる男の人の中で一番背が高いのだと思うと、その所為で大人びて見えているだけなのかもしれないと思う。くちびるを突き出して拗ねたような顔をするのもそうだ。頑是ないと言うか。幼けないと言うか。
「欠席するわけには行かないのか? ペリーヌなら気にしないと思うのだが」
「あれ、シモンってば私の事婚約者にしたいんじゃなかったの? だったら貴族的な手配はさせておいた方が良いんじゃない?」
「うぐ」
ちょっと意地悪く言ってみる。言葉に詰まったシモンから手紙を取り返し、畳む。はーっと息を吐いて頭を抱えたシモンは、取り敢えず、と私を見下ろした。
「ドレスはこの前買ったもので良いか?」
「あれハイヒールじゃないと床引き摺るからヤダ。詰めて」
「分かった。他には靴か?」
「そうだね、雨天の場合も考えると」
「あとは――」
「お化粧品。使い方はお店で教えてもらう。この前いきなりお城に行った時は大分恥ずかしかった」
「そ、そうだな、そう言うものだよな女性は……気が利かなくて済まない」
「良いから、その内連れてってよね。私はシモンの所為で出ることになるんだから。剣技一筋だった騎士団長様が婚約相手を変えるってんでみんな私に興味津々なんでしょうよ」
「何か棘が無いか」
「そりゃたっぷりと、栗のようにウニのように薔薇のようにサボテンのように」
本音を言ってしまえば陰口ばかり叩かれるような場所だと推測されるところに行くのは御免だ。でもペリーヌさんからの招待状にはあの笑顔が隠れているようで断れない。品定めされるんだろうなあ。ちんちくりんな所、見せ付けてしまうんだろうなあ。味方一人いない所に放り込まれるのは怖い。ペリーヌさんはどういうつもりだか分からないから、敵か味方か謎の美女って感じだ。それでも行かないよりは、行った方がご令嬢たちの好感度も上げやすいだろう。
簡単に社交界の案内をしてくれるつもりなのだろうか。夜会なんかにいきなり連れて行かれるよりはましだけれど、どっちにしろ私がアウェー極まりないのは変わりない。ペリーヌさんは助けてくれるかなあ、ちょっと心配になって来る。手紙を見れば馬車も出してくれるらしい。うちに馬車が無い事はお見通しだ。うち。うち、ねえ。
ここって今のところ私の居場所だけど、うちって感じではないなあ。寛げない訳じゃないしメイド仕事にも慣れてきている。だけどどこかで私は怯えている自分に気付いてもいる。いつ追い出されるか。不興を買うか。今の所好奇心もあってシモンやペリーヌさんは私に好意的だけど、いつそれが綻ぶかは分からない。私が厄介な存在だと解れば、濡れ衣着せられたり圧力かけられたりしてあっと言う間にぺちゃんっと崩れ割れるだろう。うちってどこだろう。私は何処に帰ればいいのだろう。ぼんやり夕食の支度をしながら考え込んでしまう。今日はスープカレー。明日はビーフシチューだ。カレーも、とろとろに煮込んだ鶏肉が舌で潰せて簡単に骨から外れるのが美味しい、我ながら。
「美味いなこれ」
「ありがとう。半日煮込んでたからね、そう言われると報われるわ。ちなみに明日はビーフシチューです」
「!! 何かお祝い事か!?」
「単に肉の残りが微妙ってだけだよ。幼児か」
「うぐ。……楽しみにしている。では明日は休暇を取って買い出しに回るか」
「お化粧品の扱いに慣れたいからそれは助かるかな。ありがとう、シモン」
「矢栖理がどんな淑女になるのかは、俺も楽しみな所だからな」
この笑顔よ。たまに見せるこんな顔が私を諦めから遠ざける。隣に居たいと思わせる。性質の悪い男に惚れてしまったのかもしれない。格好良くて強くて、でも汚部屋メーカーで可愛く笑う事もあって。ペリーヌさんもそれを知っているのかな、なんて思った。やっぱり私は嫉妬深い。グリーンアイズは私の方だ。緑の眼の魔物。私の方がずっと、もっと。それはシモンを、好きな故に? 愛してるまではまだ到達していないのかもしれない、この好意ゆえに?
シモンは私の家事が気に入っただけだろう。内側はそんなに見せ合ってもいないし、顔だってキリッとした美形のシモンに比べたら私はまだ成長途上のちんちくりんだ。それでもシモンはペリーヌさんより私を選んだ、のだ、ろうか。綺麗な巻き毛に緑の眼。手先も器用で手袋はしなくて。手袋。私は一応持って行くだけ持って行った方が良いのかな。何をやらされるか分からないけれど。何もされないのだって少しは堪える。
ふあ、と息を吐いたシモンに気付き、私は席を立った。
「さて、洗い物しちゃうからシモンはお風呂済ませてちょうだいな。明日は洗濯屋さんに出すからね、なるべく畳んで」
「分かった。……母親のような言い方だな」
くすっと笑われる。ずきんっと胸が痛む。
やっぱり私はそっちの意味での家族なんじゃないかな。恋愛を含まない方の家族。シモンは多分そう言う感覚に飢えてて、私にそれを求めてるだけなのかも。
だとしたらちょっと空しいよなあ、本当。
私の思いはどこへ行けば良いんだろう。あと私に似合うドレスってあるんだろうか。百六十センチ無いんだぞこっちは。ふりふりのベビードレスみたいなのを着せられたら、それこそ笑いものだ。なるべくシンプルなのが良い。この前の萌黄色はまあ合ってたけど、裾がね、やっぱりね……。靴も吟味しなくちゃなあ。途中で靴擦れでも起こしたら大変だ。
考えれば考えるほど憂鬱になって行く。私もさっさとお風呂を頂いて、髪を乾かして寝てしまおう。明日の朝食は、食パンが売ってるの見付けたから、フレンチトーストにでも……砂糖は目いっぱい、その分カフェオレは控えめで。
洗い物を終えた私は部屋に戻る。なんだか手紙一通に振り回された一日だった。疲れちゃったからこのまま寝ようかな。汗ばむような日じゃなかったしそれでも良いかな。自分のずぼらを誰かに許してもらいたい。それはシモンにこそなのかもしれない。ぽてんっとベッドに転がって、天井を見る。ちょっと小さなシャンデリアがあった。レバーは無いから電気が通ってるんだろう。電話もあるし、古風と思わせつつ結構現代科学も入ってきているのがこの世界の不思議な所だ。発電は何でしてるんだろう。火力? 水力?
何も知らないんだなあ、この世界の事。聞いた事もない。突然飛ばされた異世界に慣れるのに手いっぱいで、細かいところは全然知らない。薔薇の種類だって。
明日は綺麗に咲いた薔薇を食堂に飾ろう。それから蔦を柵に絡ませよう。私の庭が、私だけの庭になるように。そこだけは、主張していられるように。ダマスク系の良い香りが、屋敷中に広がるように。
まるでマーキングだな、と乾いた笑いを漏らしながら、私はエプロンも取らずに目を閉じた。
また家族や友達の事が思い出されたけれど、射殺して知らないふりをする。怖いから出て来る以前の暮らしの事を、なるべく考えないようにする。
それが唯一の自衛だ、今の私には。
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