第11話

 シンプルながらも上品なカップでいただいているのが庶民の味方コーヒー牛乳と言うのはちょっとおかしかったけれど、ペリーヌさんはその口当たりの良さを気に入ってくれたらしく、あら、あらあらあらと頬をほころばせて半分ほどまでくいっと飲んでしまった。私はその様子を見ながら、倉庫から引っ張り出してきたテーブルでお向かいに座り、ちびちびとやっている。シモンの知り合いみたいだけど、どんな知り合いなんだろう。そして私の所に来たと言う事は、やっぱり例の爆弾発言を受けての事だろうから、敵意があるのだろうか。とてもそうは思えないけれど、警戒しといた方が良いのかなあ。思っているとぱっちり目が合う。


 綺麗な人だった。ちんちくりんな私はちょっと仰け反る。ねぇねぇ、音を立てずにカップを置いた彼女は、両肘をテーブルにつき、私を覗き込むようにしながら無邪気に笑っている。お土産のタルトはアーモンドプードルを使っているのか香ばしい匂いがして、敷き詰められたブルーベリーのジャムも甘く、美味しかった。コーヒー牛乳の砂糖はもうちょっと控えめでも良かったかな。なんて思う。思考を逃がす。ほんとは席を立ちたいぐらいに、ちょっとこのお嬢様には怖いものがある。


「シモンも飲むの? これ」

「ええはあ、昨日辺りから」

「とっても美味しいのね! ミルクとコーヒーなんて考えたこともなかったわ。それにお砂糖で口当たりが良いの、とっても素敵! お庭も掃除もお料理も出来るなんて、シモンがあなたを選んだ理由、解る気がするわ」

「でも、奥さんにはなれないですよ私。そしたら全部そう言うのメイドの仕事って取り上げられちゃうわけですから」

「それもそうね……それは残念ね」

 ふむ、とペリーヌさんはくちびるを撫でる。やっぱり手袋はしていない。テーブルを引っ張り出して来たり、ティーセットを持って来たり、タルトを自分で切り分けてくれたり、この人は動いている方が多い性質なんだろう。メイドの仕事を奪ってしまいそうな性質。お付きの一人も従えず、乗り込んで来る度胸からも解る。


 タルトに手を付けて私はもぎゅもぎゅとそれを味わう。そう言えば自分用の茶菓子って買った事なかったから、甘いものなんて随分久し振りだ。誕生日とクリスマスしか許されない楽しみをこんな日向でぽかぽかしながらいただくのって結構良いかも。ねぇ、とペリーヌさんはまた私を覗き込んでくる。はい、と私は答える。

「美味しいかしら。そのタルト」

「はい、美味しいです。香ばしくてブルーベリーのジャムが甘くて、普通のコーヒーと合わせても美味しいと思います」

「うふふ、ありがとう。わたくしが作ったのよ」

「え、えええ!? お嬢様なのに!?」

 素で驚くと、そう、お嬢様なのに、とペリーヌさんは笑う。

「やろうと思えばできると思うの。わたくしはメイドに傅かれて何でもやって貰えば良い、という、普通のご令嬢とはちょっと違ったからなのだけど。元々は自分でやっていた事だしね」

「元々は?」

「父が市井で作った妾の子なのよ、わたくし」


 いきなり重い発言をされて、おぅ、と返事が出来なくなる。でも同じようにタルトをつついたペリーヌさんは気にもしない。そう言えばタルトとトルテの違いって何だろう。言語?

「いつも母と一緒に手をぼろぼろにして働いていたわ。その母が亡くなったのと父の本妻が亡くなったのが同時期で、ふふ、天国でも喧嘩しているかしら。張り合うみたいにね。本妻には子が無く、私が急遽伯爵令嬢に取りたてられたと言うわけ。だから今も手袋は鬱陶しいし、たまに台所を使わせてもらう。嫁の貰い手が無いと父は嘆くけれど、今更父親ぶられたって困っちゃう」

「はあ……」

「そう言う伯爵令嬢がいるんだから、そう言う伯爵夫人がいても良いんじゃないかしら?」

 ぱくっとタルトを口に含んだクッキー状になっている生地部分を食べて、彼女はにっこり笑った。私もつられて食べる。甘酸っぱくて香ばしくておいしい。向こうの家にはオーブンが無かったから、お菓子作りは実はあんまり縁が無いのだ。料理の本をシモンの書斎から探してみようか。張り合うみたいでそれこそ嫌だな。私は私の出来る範囲、と決めて、コーヒー牛乳を一口飲む。甘ったるい。

 しかしシモン、伯爵だったのか、余計に結婚は考えて出さなきゃいけない事柄じゃないか。思い付いたように出会って十日の娘にすることじゃない。大体プロポーズも受けていないのに。否、もしかしたらあの『家族になる』って言うのがその意味だったのかな?


 あくまで家族になる手段の一つがお嫁さんになる事だっただけで、本当は養子縁組でも良かったのかもしれない。どっちにしろ積極的な愛情があったわけではなかったのかな、と思うと、ちょっと鬱々としたものが湧いて来る。どうなっても身内になったら家政婦生活はやっていられない。料理も掃除もしなくなった私をシモンが重用するか。……多分思いは覚めるだろう。

 だったら私はやっぱり、この家の家政婦のままで良い。そうすれば煩いご令嬢方に見聞に来て頂く必要もないのだ。その方が楽に決まっている。


 あれ? でもそれじゃあ、ペリーヌさんは何しに来たんだろう? 伯爵夫人がいても良い、なんて、まるで結婚を勧めるような。じっとその緑の眼を縁取る長い睫毛を観察していると、目が合った。これは逸らしづらい。

「ねえ矢栖理さん。シモンの事はお嫌いかしら」

「そ、そんな事ないです! ただ恋愛感情があるかって言われると、それはどっちかって言ったらシモンの方が無いと思います。可哀想な異世界娘を助けてやろうとしているだけで、私個人の事は別に……」

「別に?」

「ぁ、愛している、訳じゃ……」

 くすっとペリーヌさんが笑う。意味もなく傷付く。言葉にすると結構堪えるな、これ。言わされてるのか言ってるのか。分からない。シモンとの仲は秘密だと言う、アクティブなこのご令嬢は。庶民育ちはバイタリティが必要な世界なのか。四民平等で生きてた私にはそれすらも眩しい。いやどうだか分からないけれど。でもクラスメートに特別エリートがいたわけでもなく、呑気に暮らしていたと思う。特別な奮起はテスト前ぐらいしか発揮しないような。


 それがいきなり異世界に来て、二週間足らずで伯爵夫人の座を押し付けられるなんて、頭がキャパオーバーしても良いと思う。タルト美味しい。こんな美味しいものを作れる手袋嫌いな伯爵令嬢。この人の方が私よりよっぽどシモンの面倒を見るには相応なのだと思う。

「あなたは素直な子なのね、矢栖理さん」

 コーヒー牛乳を飲みながら、ペリーヌさんはくすくす笑う。

「でもその素直さを隠しては、いけないと思うの。一度ぐらいちゃんとシモンの話を聞いてあげて、答えを出すのはそれからでも良いんじゃないかしら。本当に自分の事を愛しているのか。聞いてみるのは大切な事だと思うわ。あの朴念仁の事だから、きっと結婚だって突然言い出したのでしょう? 男所帯で過ごしているから、女性に対しての礼儀作法がなっていないのよ、あの人。自分の言葉が周囲にどんな意味を持つのか、まだ自覚も薄い。下手をすればその辺を歩いている男の子より疎いのよ。だから、愛をたくさん囁いてもらって、それから結婚の事を話し合うべきだとわたくしは思うの」

「ぁ、あなたは――シモンの、何なんですか?」


 随分と知っているような口ぶりで話されて、なんだか胸の奥に苛立ちのようなものが湧いてきてしまう。この人の言っていることは正しいと、頭の中では分かっているはずなのに、胸の中は嵐が吹き荒れる。そうねぇ、と言ってくいっとコーヒー牛乳を飲み干したペリーヌさんは、にっこり笑ってこう言った。


「わたくしは、シモンの婚約者よ」


 ……フォークの先で、タルト生地がぼろっと割れた。

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