第22話
うとうとと目を覚ますと最初に感じたのは両腕を広げるロープの感触だった。なんだっけ、確かお茶会で出されたハーブティーを飲んだら気が遠くなって、そのまま意識を無くして――目を開けるとぎょっとしたものが映る。
仮面で顔を隠したドレス姿のご令嬢たち。薄暗いそこは蝋燭で照らされていて、石造りの壁や冷えた感触から地下だろうことが分かる。私はその上で、四肢を縛られ吊り下げられるようにされていた。自重が重くて力が入らないのか、ハーブティーの所為かは分からないけれど、身体に力が入らない。あら、と声を上げたのは、アニエスさんだった。髪の巻き方と声で解る。他の十人近い客と、私の前に座っているのは――魔術師だった。肩に掛けた本で解る。一か月で三人も見れば、耐性もつく。
くすくすくすっと笑うアニエスさんは、装飾的な仮面で顔の上半分を隠していた。歴史の教科書で見た仮面舞踏会を思い出す。私を文字通り吊し上げにした宴会なのだろうか。分からない。けれど取り敢えず、尋常ではないことが分かる。主に私にとって。ぐいぐい何とか紐を引っ張る。外れない。
「やっとお目覚めかしら、生贄さん」
「いけにえ……?」
「あなたが悪いのよ? 平民どころか異世界人の癖にシモン様とお近付きになるなんて無礼を働くから。ペトロニーユ様ならば爵位も丁度良いから文句も出なかったけれど、あなたじゃあねえ。そう言うわけで邪魔者には、さっさと異世界に帰ってもらいたいの」
帰れるもんならさっさと帰ってるわ、両腕を広げらけている所為で胸を圧迫され声が出ないのが忌々しい。やっぱりシモンにはペリーヌさんが似合いなんだと改めてつきつけられているのにも腹が立つ。自分で思っている分には鬱屈するだけだったけれど、他人に言われるのは腹が立った。どうせメイドですよ。でも余所者に口出しされたくはないわ。
思ってじろっと睨みつけるけれど、アニエスさんは笑っているだけだった。嘲笑っているだけだった。あら怖い、なんて言って。
「……私を正確に、元の世界に戻すのは、無理だって、城の魔術師さんが言ってた、わ」
「別に元の世界になんか戻らなくたっていいのよ。この世界からあなたが消えてくれれば、それで十分」
世界中から疎まれてんのかよ私は。地味に傷付くわ。せめて手切れ金持たせて隣国へ、だったら解らんでもないけれど、こんなまるで黒魔術の儀式のようにどこへなりともと放り出されるのは流石に想定外だった。
私は私が思う以上に、他人に疎まれていたのか。シモンが市場に行くとき以外私を半軟禁生活にしていた意味が解る。定期的に登城していたシモンは、多分私に対する悪い噂を聞いていたんだろう。だから早く婚約に漕ぎ付けようとしていた、と考えれば、あの強情さも解らんではない。
しかし取りこぼしていたのは、小貴族の方の声だった。あんないい物件、しかも隣国の王家の血が入ってるなんておいしい人間、放っておけるわけがない。王の後ろ盾があると言うことは、それ以外に頼るものが無いのと同じことだ。下級貴族でもチャンスはある。集まっているのも女性たちのようだった。
勘弁してくれよ。泣きそうになりながら、シモンを思い出す。一応今日がお茶会なのは伝えてあったけれど、こんな所で生贄になっているなんてことは予想外だろう。ペリーヌさんの事もこっちを油断させるための嘘だったと思われる。現状、助けの可能性は無し――。
まあどこに飛ばされても図太く生き伸びてやるつもりではあるけれど、それで元の世界やこの世界が影響を受ける可能性って言うのは考慮されているのだろうか。肺に上手く息が入らなくてぜえっと息を吐いてからまた顔を上げ直し、私はアニエスさんに問う。
「私をどこかに飛ばすことで、他の平行世界が、影響を受ける可能性は、知ってる?」
「知っているわ、多元宇宙論と言うものでしょう? だから魔術師を雇ったんじゃない。この世界から一番遠い場所まであなたを飛ばしてもらうの。そうすれば少なくともこの世界に影響は出ないわ」
出たらどーすんのよ。城のお抱え魔術師が躊躇ったことを在野の魔術師にどうこうできると思い込めるのは楽観以外の何でもない。頭悪いのかな、貴族って。お茶会とダンスで出来てる令嬢ってこんなもん? げほげほっと咳が出て、それから私の身体の下方に合った魔法陣が光り出す。魔術師はぶつぶつ何事か呪文を唱えているようだった。だから。待って。早とちりしないで。世界に関わる事なんだから。
「私が、シモンの家から出て行けば良いんじゃ、ないの?」
「様を付けなさいな平民が。ええ勿論それでも構わないと思っていたけれど、災いは根本から排除した方が後腐れなくて良いでしょう? あなたが変な消え方をしたらシモン様はきっと全力でお探しになるわ。そうしてあなたの口から私達の名前が出るのは、消極的に言っても迷惑だし面倒だわ。だからあなたは、あなた一人でどうにかなったことになって貰わないといけないの。勿論ちゃんと馬車で帰したと言うつもりだから、心配はなくってよ。それからあなたからの偽の辞表を送付すれば、シモン様もお探しにならないでしょう」
強引だなあ。あのシモンが諦めるわけないじゃない。ミントより図太い男よ、あれはあれで。情熱的だし熱血漢だし。この人達は私がシモンにどのぐらい愛されてるか知らないんだよなあ。私も誰にも言ってないし。ペリーヌさんにさえ、だ。はは、こんな時だけ愛を盾にするのもおかしいか。ニッと笑うとアニエスさんがちょっと靴を引くざりっとした音が響いた。
私はシモンに愛されている。私が居なくなったらシモンは最後の足取りであるフォーレル男爵家をまずしらみつぶしにするだろう。その過程でこんな部屋が見付かったら、あっと言う間に誘拐犯に辿り着く。私を彼方の世界に追いやった誘拐犯に。
今度飛ばされるのはどの世界かな。元の世界に戻りたいけれど、こんな石造りの地下じゃ風も吹いては来られまい。私を元の世界に戻してくれるいたずらな風は、届くまい。何かの偶然があって誰かがドアを開けてくれたら。そうだったら、良いのにな。シモンだったら、良いのにな。
そんな都合の良いことあるわけない。あはっと私は苦しい胸で笑った。自分を嘲笑った。切れ切れの笑い声に令嬢たちは後ずさりし、或いは震えて見せた。馬鹿だなあ。怖いならこんな事企てなきゃ良かっただけなのに。私が邪魔なら正々堂々そう言えば良いんだ。ペリーヌさんがやってきた時のように。思えばあれは試されていたのかもしれない。本物の婚約者と本物の愛情と、どちらを取るか。
でも私はペリーヌさんが好きになってしまったし、シモンだって愛してる。そのどうしようもない板挟みの中で苦しんでいるのが今だ。ああもう、好きにしてよ。少なくとも三角関係からは逃れられるとしたら、それは私にとって良い事だろうから。誰も助けてなんかくれない。私はただの異邦人。誰が探してくれるわけもない。誰が後ろにいる訳でもない。守ってくれようとした人は突き放した。私にはお似合いの、別れだ。
魔法陣がいよいよ光を増してきた。魔術師の眉間に汗が出ている。けらけらと、私はその中で笑った。アニエスさんも引いている。ドン引きすんなよ。傷付くなあ。原因はあなた達の方じゃない。こんな事をして。こんなどうしようもない私をもっとどうしようもなくして。とぎれとぎれの笑声。笑うしかない。泣き笑うしかない。
好きだったよ、シモン。
「全員そこを動くな!」
唐突に開けられたドアから響く声に、魔術師は詠唱を止め、令嬢たちはドアを見た。
そこにいたのは、シモンとペリーヌさんと、見知らぬ男性だった。
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