第9話 魔法研究


 ダンジョンはこの世界の一部に過ぎない。二度ダンジョンから生還しただけで、俺はこの世界のことをロクに知らない。住んでいる国の名前も、通貨の名前も、何もかも。


 そんな状態でネクサスのことを知った気になっていたのが間違いだった。俺はナシュアに根掘り葉掘り世界の常識を聞きまくった。


「トウキ様は記憶喪失なのですか?」


「そうだよ。だから何でもかんでも教えてくれると嬉しい」


 まずこの国はスケイル帝国と呼ばれ、大陸の大部分を支配しているらしい。帝国の正規軍が騎士団に当たるのだが、その帝国騎士団が襲撃されたとあって街は大騒ぎだ。


 確か「グルゲスト」なる人物の名前を聞いた時、ネクサスの態度は豹変していた。無くなった左腕を押さえ、じっと何かを考えるようにして黙ってしまったのだ。


 順当に考えれば、ネクサスと騎士団は昔に何かあったんだろう。ナシュアの話を聞いて何かを思い出した結果、ネクサスは騎士団の拠点に向かったんだ。


 問題はネクサスが人を殺したらしい噂が出回っていることか。


「信じられねー」


 ニュースでよく耳にする「あいつがそんなことする奴とは思ってなかった」という言葉が脳裏をよぎる。ネクサスと別れたあの日、一体あいつに何が起こったんだろう。インタビューを受けていた人達もこんな気持ちだったのだろうか。


 いずれにせよ、ネクサスに会うためにトラブルや戦闘は避けられない気する。


 知識は半日かけてある程度呑み込んだ。次に自分の戦力の確認、魔法の研究だ。どれくらい魔法を使ったら魔力切れになるのか、というか魔力切れがあるのかなど調べないといけないことは山積みだ。


 俺は魔法を限界までぶっぱなせる実験場を求め、ナシュアと共にダンジョンの上層に潜ることにした。ダンジョンに続く道を歩く最中、あちこちで鎧を着た騎士達が慌ただしく動き回っているのが見えた。


 恐らくネクサスを探し回っているんだ。だけど、ネクサスの足ならしばらく逃げられるはず。今日はとにかく自分の身体を知る必要がある。


「あ、あの。トウキ様は私のことを置いていったりしませんよね?」


「しないしない!」


「殴ったりも?」


「全然しないって! ほ、ほら、大丈夫だから……な?」


 ダンジョン内にトラウマがあるのだろう。迷宮に入ると、ナシュアがぶるぶると震えて俺の服を引っ張り始めた。しかし控えめに抱き締めてやると、安心したように身を任せてくれた。


 外面は綺麗なお姉さんだけど、中身はバキバキの男だから犯罪臭が凄い。人の身体ってこんなにあったけぇんだな……。


 気を取り直して、以前ネクサスと通過した安全なエリアを目指す。そこでならファイヤーボールなり暗黒の拳なり、好き勝手に使っても怒られない。


 安全な部屋に到着すると、俺は荷物を下ろしてナシュアに押し付けた。そのまま彼女を安全な場所まで離れさせる。


「ナシュアは離れてて」


「え?」


「かなり熱いから、気をつけてね」


 あの日、ゴブリンを燃やし尽くしたような火球を思い浮かべる。突き出した右手に力を込めると、シャボン玉を膨らませるように火球が大きくなっていく。


 その直径が50センチ、1メートルと肥大していくと、たちまち部屋の中がサウナのような高温状態に陥った。陽炎が立ち昇り、全身の肌がピリつく。


「――綺麗……」


 ナシュアが惚けたように呟く。俺達のいる部屋があまり大きくなかったので、ファイヤーボールの大きさは身長を超えるか超えないかの辺りで止めておいた。


 まるで小さな太陽だ。こういう見るからに危険な物――例えばプレス機の真下とか――に手を突っ込みたくなるのは俺だけだろうか。


 悪戯心のような邪念を払い、次なるファイヤーボールの生成にかかる。


 あの日はファイヤーボールを前に射出したが、今日はどれだけ魔法を使えるかの実験をする日だ。膨らませたまま静止させ、次なるファイヤーボールを生み出していく。


 どれくらい大きくできるのか。何個まで複製できるのか。目安でもいいから知っておきたいのだ。


 特にファイヤーボールのような得意魔法は土壇場での精神的な支柱になってくれるから、どんどん研究を進めていくべきでしょ。


 1つ、2つ、3つ。魔力が切れるまで限界に挑んでいく。


「ちょ、あの、トウキ様!?」


 そして、7つのファイヤーボールを宙に浮かべたところで――急に足元がぐらつき、強烈な寒気と目眩を感じた。


 しかし、魔力切れとか自分の限界を感じたとかではなく、単純にファイヤーボール7個分の熱が暑すぎた結果な気がする。滝のような汗を拭い、ナシュアの近くまで退避した。


「だ、大丈夫……。危なくなったら辞めるから」


「もう既に危ないです……」


 ……何となく分かってきた。恐らくこの身体、魔力の限界が程遠いところにある。何万個火球を生み出してもケロッとしていられそうな確信があるのだ。大賢者様がファイヤーボールぶっぱなしただけで魔力切れを起こすなんて嫌だったから、ちょっと嬉しいかも。


 ただし、肉体の強度自体は男だった頃の自分と変わらないと思う。ファイヤーボールの余熱でくらくら来てる辺り、素の身体は割と貧弱である。


 俺は7つのファイヤーボールを残したまま次なる実験に移行した。


 次は「暗黒の拳」だ。背中から魔力の腕を1本だけ顕現させると、ファイヤーボールに向かって突き出す。


 例えば、この魔力の腕に強度限界はあるのか。どれくらいの温度耐性があるのか。そういう疑問を解消するための実験である。


 ファイヤーボールの破壊力は折り紙つきだ。ゴブリンの肉の壁を容易く貫通し、ダンジョンの壁さえ容易く溶かしてしまうほどの威力を誇る。


 そんな火球が7つもあるなんて、暗黒の拳をぶち込むにはうってつけの状況でしょ。


 高熱源に向かって魔力の腕を突っ込む。痛みはないが、ぶよぶよとした粘性の感触がある。痛覚はやはり共有していないようだ。


 ファイヤーボールの中から暗黒の拳を抜き放つと、何ら変わらぬ黒い腕が伸びていた。暗黒の拳が崩れる気配はなく、無傷である。


 そのまま火球を薙ぎ払うと、あろうことかファイヤーボールが容易く決壊していった。火の魔法も相当強いと思うんだが、この腕はその遥か上を行くらしい。


 元々有用だとは思っていたが、ここまでとは。暗黒の拳改めゴッドハンドと名付けよう。防御面でも攻撃面でもお世話になることが多そうだ。


「よし」


 まとめ。


 ファイヤーボールは何個も出せる上、やろうと思えばどれだけでも大きく膨らませることができる。めちゃくちゃ熱い。弾速はあんまり速くないが、攻撃範囲が広い。


 ゴッドハンドは硬い。熱にも強い。射程距離は3メートル程度。


 こんなところだろう。


 とりあえず今のところ、戦闘用の魔法としてファイヤーボールとゴッドハンドを覚えておけば何とかなるはずだ。いきなり覚えることを増やしても、身体がついていかないだろうし。


 今は2つでいい。余裕が出てきたら増やすだけだ。


「ナシュア、ネクサスを探しに行くぞ。騎士団の拠点まで案内してくれ」


「わ、分かりました。しかし私にはトウキ様のような戦闘能力がありません」


「大丈夫。いざとなったら無関係を装って逃げるとか、脅されてやったとか言って逃げればいい」


「は、はあ……」


 これは俺の予想だが、ネクサスは帝国騎士団のグルゲストという人物に用があったはずだ。まずはグルゲストって奴に会う必要がある。


 そんでもって、ネクサスの捜索に協力すると持ちかける。ネクサスを見つけたいのは俺も騎士団も一緒だからな。


 問題はどうやって協力を取り付けるかだけど……う〜ん。嘘と勢いで乗り切るか? とにかく騎士団の人と話さないことには分からんな。


 行き当たりばったりだが、それしかない。


 俺はナシュアの手を取り、ダンジョンから脱出した。

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