第13話 迷宮の戦い 二
1分で決めるとネクサスは言った。敵に脅威的な回復能力があろうと、俺達なら倒し切れる。そういう確信があっての発言に違いない。
「トウキ、お前は火の魔法に集中しろ!」
「わ、分かった!」
「させるものか」
6つ目の悪魔が俺に向かって漆黒の翼を叩きつけてくる。巨大な壁が迫ってくるような圧力。衝撃に備えて防御を固めると、衝突の寸前に翼が粉々に砕け散った。
「!?」
何事かと思って防御を解く。俺じゃない。グルゲストも瞠目している。
奴の6つの黒目は、隻腕の男の右腕に注がれていた。
「ぬるい攻撃だな」
次の瞬間、もうひとつの翼が木端微塵に弾け飛ぶ。
ネクサスの剣だ。
予備動作も剣筋も捉えられない。
俺やナシュアはともかく、グルゲストでさえ完璧に捉えられていないのか。
「こ、氷の精霊よ――」
たたらを踏むグルゲスト。根元に残った黒い羽根と肉塊が回廊内に飛び散る。グルゲストは慌てて魔法を詠唱しようとするが、その途中に奴の喉笛が吹き飛んだ。
「詠唱などさせん」
「かっ――」
グルゲストは喉元を押さえ、声にならない掠れた息を漏らす。そのまま血に染まったロングソードが振り抜かれると、悪魔の胴と首が斬り離された。
彼の猛攻は生首を飛ばすだけに留まらない。ネクサスは目にも止まらぬ剣技でグルゲストの頭部を微塵切りにする。
「ば……バケモンかよ……」
ネクサス1人で勝てるじゃん。そう思って気が緩みかけるが、どこからともなくグルゲストの身体が再生し始めた。
「トウキ。オレの剣の切れ味が落ちる前に終わらせるんだ」
「あ、あぁ!」
再生が始まった箇所は粉々にした頭部の欠片だ。
グルゲストの身体は数秒の間に完全再生した。
奴の身長は2メートル。翼をめいいっぱい広げたら、横8メートルくらいあるだろうか。翼を含めてグルゲストの細胞を焼却するには、直径8メートルものファイヤーボールを作り出さなければならない。
問題となるのは、火球が大きすぎて自傷ダメージを負ってしまう恐れがあること。2メートル弱のファイヤーボールならギリギリ熱いくらいで済んだが、直径8メートルものファイヤーボールを生成するには間違いなく危険が伴う。
だが、躊躇っている暇はない。死ぬよりはマシってやつだ。
俺はネクサスを信じて意識を脳内に移し、火のイメージを練り上げていく。
思い浮かべるのは太陽よりも熱い恒星。赤よりも熱い青。膨らむ風船。上に向けた手のひらの上に
魔法発動から5秒が経過して、いよいよファイヤーボールの大きさが俺の身長を超える。しかし、そこから成長の速度が目に見えて鈍くなった。
無意識のイメージが邪魔をしているのか。最初のうちは急激に大きくなる風船だが、限界が近づくほど膨張速度は緩くなっていく。「膨らむ物と言えば風船」「ファイヤーボールを大きくする」とイメージしたばかりに、俺の魔法は風船の性質を反映してしまったのかもしれない。
そうしている間にも、ネクサスとグルゲストの戦いは苛烈を極めていた。
グルゲストが翼を硬質化させ、ネクサスの剣を防御し始める。明らかな劣勢を覆し、たまにネクサスに防御姿勢を取らせるほどに場が拮抗していた。
人間にグルゲストのような回復力はない。回復のポーションや癒しの奇跡で身体を修復しても、痛みが残滓として残る以上、肉体の不利を被っているのは俺達。根本的に身体の構造が違うのだ。
ネクサスが一撃貰ってしまえば、2人の均衡は容易く崩れる。早く、早くファイヤーボールを完成させなければ――
「熱ッ」
戦闘開始から50秒、ファイヤーボールを生成し始めてから30秒が経過し、いよいよファイヤーボールの直径が5メートルを超える。もっと大きくしないとダメだ。勝負はこの一度きり。
ファイヤーボールの成長が遅い。完成までもう少しかかる。
ネクサスが蹴りをつけると言った1分まで残り10秒。だが、魔法の完成が間に合わない――
「ヌゥゥ、貴様はあの時殺しておくべきだった!」
「オレもそう思う」
戦闘開始から1分が経過した。
そして、61秒を数えると同時、ネクサスのロングソードから異音が弾けた。ネクサスの剣に視線が集約する。ヒビだ。攻撃を受け続けたせいで剣にダメージが入ったんだ。
俺達が亀裂を認識した瞬間、透き通るような音を立てて鈍色の刃が途切れた。
「フ、ハハ! ここで死ね、ネクサァス!」
グルゲストが漆黒の翼を地面にめり込ませ、地盤ごと捲り上げる。
上層の特徴的な地面である石畳が抉られ、その下に詰まった地層さえ削り取られ。
礫と土塊が巻き上げられた瞬間、俺達の立っていた地面が消失し、ダンジョン中層への大穴が口を開いた。
足元の頼りが無くなり、内臓が強制的に上に引っ張られる。
「うおおおおおっ!!?」
「きゃああああっ!!?」
突如として空中に放り出される俺達。翼を持たない種族は重力に絡め取られ、自由落下するだけ。
刹那の浮遊感の後、俺達は真っ逆さまに闇の中へと落下していく。
どれくらい穴が高いかは分からない。とにかく深い。ネクサスと一緒に落ちたトラップよりも、恐らくは。
俺はファイヤーボールから意識を外し、近くにいたナシュアの救出にかかった。
「……っ!」
思いっきり手を伸ばす。掴めない。ならば、と魔力の手で少女の身体を抱え込む。ゴッドハンドはとにかく衝撃に強い。どれだけ落ちようとナシュアの身体くらいは守れるはずだ。
だけど、遠く離れた所にいるネクサスは?
あいつは魔法を使えない。剣も折れている。
俺はネクサスとグルゲストの方向に首を振る。今まさに漆黒の翼がネクサスを襲う寸前だった。
空中なら防御はできない。剣を折った上で用意周到な手段を選んだグルゲストは、硬質化した翼でネクサスの胴を袈裟斬りにした。
「ネクサス!!」
空中で鈍い音が響き渡ると同時、ネクサスの身体がパチンコの如く弾かれ、闇の中に一直線に落ちていった。少し間を空けて、縦穴に岩の砕け散る音が反響した。
ネクサスのことは心配だったが、まずは俺とナシュアの安全な着地だ。既に3秒は落ち続けている。ジェットコースターでも中々ない落下速度に悲鳴を上げそうになりながら、俺はナシュアを庇って地面に叩きつけられた。
「がっ……!」
魔力の手で完全に守り切れたのはナシュアの身体だけ。地面に衝突する寸前に3本目の腕を生成したが、2本分をナシュアに使っていたために衝撃を殺し切れなかった。
自由落下の衝撃が俺の左脚を襲う。何かが折れ曲がる音がした。痛みはないが、とにかく熱くなっている。
「な、ナシュア……無事か……?」
「トウキ様、私を庇って――」
地面に転がる松明を拾い上げた俺は、ナシュアの身体を照らす。どこかを痛がる様子もないし、目立った外傷もない。彼女は無事だ。
でも、俺の足は? 自分の下半身に松明を掲げる。
見た目に異常はない。靴を脱ごうとすると、激痛が走った。骨折なんてしたことないが、多分折れているんだと確信した。じっとしている分には痛まないものの、患部を動かそうとすると耐え難い激痛が襲いかかる。
「痛ッてぇ……ネクサスは……?」
俺とナシュアは生きていた。しかし、怪物の一撃を真正面から受けたネクサスはどうなった?
グルゲストはまだ降りてこない。遠くにネクサスの装備していた胸当てが転がっている。
そこにいるのか?
「ネクサス様……?」
ナシュアが声をかける。返事はない。生き物の気配がしなかった。俺達は顔を見合わせる。ナシュアは絶望的な顔をしていた。その瞳に映る俺もまた、愕然としていた。
「人間とは脆いものよ。どれだけ強い者であろうと……この程度の高さを落下するだけで死に至る」
翼を羽ばたかせて、グルゲストがダンジョン中層の地面に舞い降りる。
「あの男が我ら魔族の身に生まれていれば優秀な戦士になっただろうが……運命とは残酷なものよ」
ネクサスが死に、残ったのは無力な少女と手負いのエルフ。グルゲストは勝ちを確信したのか、口数が多くなり始めた。
しかし、頭上を見上げた俺は偶然気付いていた。俺達の最後の勝機――ファイヤーボールが未だに残っていることに。
しかも、青い光は主である俺の元に降りてきているように見えた。魔法に意識を割いている時は気付かなかったが、ファイヤーボールも重力に引っ張られていたのだろう。もしくは、巨大になりすぎて沈み始めたのか。
いずれにせよチャンスは残っている。ファイヤーボールをもう一度俺の手元に寄越すことができたならグルゲストを倒せるんだから。
時間稼ぎだ。防御に徹すれば何とかなるかもしれない。
そう思って身体を奮い立たせようとする俺の前に、両腕をめいいっぱい広げたナシュアが立ち塞がった。
「や……やめてください」
「愚かな」
グルゲストはナシュアの行為を一蹴する。心を開いてくれなかったナシュアが、この土壇場で身を呈して守ろうとしてくれている。その行動に胸が詰まるような思いがした。
そして、懇願だけではグルゲストの進軍を止められぬと思ったのか、ナシュアはこんなことを口にした。
「わ、私は……あなたの……グルゲストという名前を過去に聞いたことがあります。……あなたが私の故郷を焼き滅ぼしたんですよね」
「あ?」
「お父さんも、お母さんも、私も、友達も、知らない人も。みんなみんな、普通に過ごしていただけなのに。……どうしてあんな酷いことが出来たんですか?」
グルゲストはナシュアの過去と深く関わりのある男だ。こんな状況だからこそ、どうしても聞きたくなったのかもしれない。
パラパラと小石の落ちる音がする。首を傾げたグルゲストは、あっけらかんと言い放った。
「覚えていないな」
「――ッ! こ、の――」
バキバキ、と奥歯を噛み砕く音が響いた。誰でもない、ナシュアの元から。
どんな気持ちなのかは分からない。でも、彼女の背中からは、耐え難い苦痛と、どす黒い激怒の感情が伝わってきた。
不意に、ナシュアの手を見つめる。血が滴るほどに握り固められた拳。その拳の中から、えもいえぬ熱を感じた。
「え……?」
――ファイヤーボール。
彼女が握り込んでいたのは、小指の爪ほどの、小さな小さな火の玉だった。
俺は直感する。追い詰められた絶望、死の恐怖、心を塗り潰す殺意の炎――狂おしいほどの激情に支配されて、ナシュアは魔法の力に目覚めたのだ。
人はそれを奇跡と言うのかもしれない。だけど、彼女が火の魔法を発現したのは、どうも運命のように思えて仕方なかった。
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