第14話 迷宮の戦い 三
グルゲストは火の魔法に目覚めたナシュアを見て、心底驚いたように6つの目を見開いた。
「ほう。貴様、無能から魔法に目覚めたか……」
ナシュアは非力な少女だ。剣はもちろん、小振りなナイフすら満足に扱えない。武器の重さに引っ張られてしまうからだ。
魔法も使えなかった。本人がそう言っていたし、何より魔法が使えるなら使い捨ての斥候などやらされない。
しかし、今この瞬間を以てナシュアは無能ではなくなった。火の魔法を扱うれっきとした魔法使いへと成長したのだ。
「フ、フフ。フハハ! なるほど、吾輩は運が良い。唯の肉体で魔族を圧倒する剣士――大賢者ウィンターと呼ばれたエルフ――大魔法使いの素質を秘めた奴隷――さしずめ『勇者パーティ』全員を1日のうちに殺すことになるとはな!」
心底面白そうに笑うグルゲスト。この余裕は、その『勇者パーティ』が崩壊しているからだろう。
魔法が使えるようになったとはいえ、ナシュアの手のひらで燦々と燃え盛る直径1センチほどの赤いファイヤーボールは、グルゲストの身体を破壊するには全く足らない。
俺はファイヤーボールとゴッドハンド以外の魔法をまともに使えない上、足を負傷してしまっている。何より、一番の戦力であるネクサスが欠けている。
まともに動けるのがナシュアだけとあって、奴は勝ちを確信しているのだろう。
ただ、俺も確信したことがある。グルゲストは優勢になると口数が多くなる。ネクサスの剣が折れた時から奴の饒舌は止まっていない。この性格は
ともあれ、勝手に時間稼ぎをしてくれて大変結構だ。奴はまだ、遥か遠くから落ちてくるファイヤーボールに気付いていない。
しばらく笑った後、グルゲストは正気に戻ってくる。
「ネクサスもその奴隷も間違いなく本物の逸材だ。だがウィンター、今の貴様だけは2人に似つかわしくない偽物だ」
「……俺が偽物?」
「吾輩の記憶違いでなければ、大賢者ウィンターの得意魔法は氷の魔法だった。遥か過去……忘れもしないあの日、吾輩の心臓を破壊したのも氷の魔法だった」
「…………」
「何故今の貴様は火を使う?」
そうか、さすがに違和感が隠し切れなかったか。グルゲストが大賢者ウィンターとどれほどの付き合いかは分からないが、本物のウィンターの知り合いには容易くバレてしまうらしい。
何なら、あいつの一人称って「ワシ」だしな。語尾もおじいちゃんみたいな感じだったし。咄嗟に一人称を「俺」から「私」に変えたりしてみたけど、よく考えたら全然意味なかったな。
「貴様……大賢者ウィンターではないな? 誰だ?」
まぁ、俺にとっては大したことじゃない。大賢者ウィンターを失った世界にとっては一大事なんだろうけど。
「その通りだ。俺は大賢者ウィンターじゃない」
ファイヤーボールが降りてきている。頭上に蒸し返すような熱気が差し迫っている。
「見た目は間違いなく同じだ。どうやって成り代わった?」
グルゲストが口を開けば開くほど、俺達の勝機が増していく。謎は謎のままにして、目の前の敵を倒すことを考えられないのだろうか――などと思いながら、ファイヤーボールと自分の意識を繋ぎ止める。
そして――
「お前に言う義理はねぇ」
青い光が迷宮中層を照らす。グルゲストが頭上を見上げた時にはもう遅かった。
「なっ、火の魔法が……!?」
ナシュアを炎の余波が及ばぬ所まで突き飛ばす。続けて、天に掲げた右手とファイヤーボールを連結させる。俺は第三の手で身体を支えながら立ち上がり、火球の灼熱を一身に受けた。
直径6メートル。美しささえ感じる火球を抱き締め、俺は
「……っ!!」
右手の平から魔力を注ぎ込む。皮膚組織の水分が沸騰し始め、全身の穴という穴から体液が噴き溢れていく。ゴッドハンドで俺の身体に襲いかかる熱を遮断しても、隙間から漏れてきた超高音の空気が表皮と肺を焼く。
ゴッドハンドを熱に対する防御に回しているせいで、骨折した足がそのまま地についている。火球に魔力を注ぐ度に電撃のような激痛が全身に走り、苦痛のあまり口端から涎が垂れ流しになる。無論、その唾液も瞬く間に蒸発していくのだが。
ファイヤーボールが大台の7メートルに達すると、青い火球の周りに小さな石が引き寄せられ始め、ここに来て成長が促進され始めた。
「ウィンターッ、まだ諦めていなかったのか!!」
グルゲストは漆黒の翼で俺のファイヤーボールを止めにかかるが、攻撃の全てをゴッドハンドで弾き返してやる。
その際、魔力の手による熱遮断を一瞬失った俺は、その熱波に打ちひしがれた。銀色の髪の毛が焦げ、目の粘膜がパリパリに乾燥していく。涙が滲む前に蒸発している。
上下の唇が接着し、口を開けなくなった。舌は乾き切っていて、口内がピリピリする。犬のようにだらしなく舌を出して、荒っぽく口で息をしたい。でも、そんな力さえ湧いてこない。熱に体力を奪われ過ぎている。
危険な火傷に加えて、急激な脱水。今まで生きてきた中で、一番死が近い。だけど、この窮地もどこか他人事だ。
どうせ死なないんでしょ、なんて。死ぬ瞬間までそうやって気楽に考える人間なんだろうな、俺って。
「ば、化け物め……!」
自らの身体を鑑みない俺の行為を受けて、グルゲストは
「氷の精霊よ――万年を生ける氷河の息吹となりて――我が敵を絶対の極寒へと封じ込――」
詠唱が途中で止まる。
詠唱中は意識配分をそちらに取られるため、視界外からの不意打ちに弱くなる。
――そんなことを、ネクサスが言っていた気がする。
「同じ手を二度も許すとは、お前も騎士失格だな」
低い男声が飛ぶ。グルゲストの真横から飛んできた瀕死のネクサスが、折れた剣を悪魔の喉仏に突き立てていた。
「魔法詠唱中に喉を潰される。トドメを刺さずに余計な会話をする。全て素人のやることだ」
半死半生。血みどろのネクサスは、続けざまにグルゲストの脚を破壊しながら叫んだ。
「今だトウキ、やれ!」
全身に痛みを超えた寒気を感じながら、俺は青い火球を射出する。
「燃え、尽きろぉっ!!」
血を吐く。直径8メートルもの灼熱。生命が触れれば消滅は免れない。余波を受けることさえ死に直結する。
反則級の回復力を持った
ネクサスに足を破壊され、喉を切り裂かれ、グルゲストに逃げ場はない。
超絶的な高温に侵食されて、次第に奴の回復が追いつかなくなってくる。
何とか喉は完治させていたが、太陽の如き烈火を鎮火させるイメージが出来ないせいか、グルゲストの魔法詠唱はいつまで経っても始まらなかった。
「ナシュア、火を焚べるんだっ!!」
「!?」
「ここでグルゲストを倒し切る!! ナシュアの力が必要なんだ!!」
「わ、私は――」
地面に倒れ込みそうになりながら、最後の力を振り絞ってナシュアに叫ぶ。
火はあればあるだけ良い。やれることをやり尽くさねばならない。余剰を残して失敗しました、なんて許されないから。
それに、あのファイヤーボールにナシュアの炎を加える必要があると思った。大賢者ウィンターにとっても、ネクサスにとっても、ナシュアにとっても、グルゲストは因縁の相手。3人の手によって奴を葬るのが一番良いと感じたからかもしれない。
ナシュアは手の内に抱いた種火を掲げる。おずおずとした動作。まだ迷いがあるのか、その目には怯えが色濃く現れている。
しかし、次にナシュアが目を開いた時、彼女は既に覚悟を決めていた。
「……いえ。私も戦います」
その言葉と共に、彼女の手から小さな光が飛び立った。蛍の如く飛んでいくナシュアの炎。青い火球の引力に吸い寄せられるように宙を舞う。
そして、ナシュアの炎が俺のファイヤーボールに追いついた。
青い火球に小さな紅が焚べられる。ブルーの斑模様のようになっていた火の玉の表層から、不意に深紅の色が現れる。
俺とナシュアの炎が混ざり合ったんだ。合体魔法とでも言うのだろうか。今までにない質の炎を感じる。
赤い炎にはナシュアの怒りと悲しみが込められていて。
何よりも、強い覚悟の感情が燃え滾っていた。
赤と青のファイヤーボールは更に速度を増し、逃げ場の無くなったグルゲストへ進行していく。
地鳴りのような音で、グルゲストの言葉が掻き消された。
「吾輩が死ぬなど――」
刹那、暗い洞穴の中に閃光が瞬いた。顔面を叩くような砂塵と熱風が吹き荒れ、抵抗するグルゲストを一瞬で呑み込む。
じゅわ、という音すらしなかった。蟻がどれだけ抗おうと車の走行を妨げられないように、力と力が拮抗する時間すらなく。
ただただ、一方的な蹂躙。
静かな終焉だった。
その軌跡に
細胞の一片すら残さず、この世から消し去ってしまったのだから。
グルゲストを喰らってもファイヤーボールは止まらなかった。壁を貫いて遥か彼方へと進み続ける。
俺の視界から見えなくなっても、大地を溶かして進み続ける炎の音は、しばらく地下空間に反響していた。
「トウキ様っ」
戦いが終わった。そう感じると、今度こそ動けなくなった。元々ゴッドハンドを維持する気力も尽きかけていたし、予想はできていた結末だ。俺は全身の力を抜いて大きく息を吐く。
「……やったか」
「はい、私達の勝ちですっ」
ナシュアに支えられながら顔を上げる。
「みんなが無事で……良かった……」
「と、トウキ様っ!?」
俺は視界の端で座り込むネクサスを捉えた後、静かに意識を手放した。
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