第11話 ネクサスという男
15歳のネクサスが帝国騎士団に入隊した時、彼は何も知らない若者だった。
熱心な指導を受けて1人前になったネクサスは戦争に参加し、数多くの武勇を立てた。しかし、戦争という壮絶な経験を経てネクサスの心は磨り減っていった。
そんな彼の心に決定的な亀裂が走ったのは、戦争に勝利した直後のことだ。
戦争が終われば何らかの救いがあると思っていたが、ネクサスは敗戦国の少女から謗りを受けることになる。
その一言はあまりにも単純かつ直接的な言葉だった。
「人殺し」
黒髪黒目の少女はそう言い残すと、奴隷商人に連れて行かれた。自分よりも一回り小さな子供からぶつけられたその言葉に、ネクサスは全身から力が抜けていくのを感じた。
労いの言葉などを期待していたわけじゃない。それでも、いざ真正面から敵意をぶつけられると心に来るものがある。
それから程なくして、ネクサスは鎧を脱ぐことを決意した。
「オレは何をしてきたんだろう」
純粋な気持ちで騎士団に入隊したはずだった。
帝国の輝かしい未来の礎となるため。騎士団に入れば輝かしい栄光が待っていると思ったから入隊したのに……戦地には栄誉も歓喜も無かった。
華麗な騎士など何処にもおらず、ネクサスの視界には只々暗鬱とした現実が広がっていた。
子供の頃から憧れていた騎士の幻影は消えていた。
もうこの騎士団に用はない。思い立ったネクサスは、戦争集結と共に騎士団を退団しようと計画した。彼の意志に同調する仲間の声もあり、ネクサスは数人の友人と共に騎士団退団を決意した。
しかし運の悪いことに――ネクサスが退団を決めた同日、彼に白羽の矢を立てた者がいた。
その者の名はグルゲスト。彼は人に非ず、地獄より生まれ出た闇の勢力だった。
グルゲストは戦乱に乗じて有望な若い騎士を殺して回っており、偶然このタイミングでネクサスが選択されたのである。
かくして、グルゲストの凶行は実行された。
その夜。グルゲストに呼び出された若き騎士達は、漆黒の翼による一撃で葬られた。
幾つもの胴が宙を舞い、血飛沫が飛ぶ。
だが、ネクサスは唐突な奇襲を見切っていた。
初撃によって左腕こそ失う羽目になったが、彼は
グルゲストの心臓を貫いたネクサスは、満身創痍のまま逃げ出した。
一方のグルゲストは、心臓を破壊されたがしぶとくも生き残っていた。人間であれば当然死んでいたが、彼は悪魔の身。驚異的な回復力もあって死には至らなかった。
騎士団から逃げ出したネクサスは、それから各地を転々としながら探検家をやっている。帝国に帰るつもりはなく、その日暮らしの金さえ稼げるならどんな国にでも赴いた。
そんなネクサスが帝国に帰ってきたのは、かつての祖国が恋しくなったからではない。他の国に比べて帝国のダンジョン開拓が全く進んでいなかったからだ。
未開地が多ければ多いほど探検家としての稼ぎは増えていく。本当は戻りたくなかったが、生活資金には変えられない。
そしてネクサスが帝国のヴォイスという街を拠点にして数ヶ月。何の因果か、彼は記憶喪失のエルフ・トウキと出会った。
トウキとつるむ気は無かった。気の合う親友は全員、戦争ないしグルゲストの手によって殺されていたから。
暇を紛らわすような面白いことに興味はあったが、新たな人間関係の構築には億劫になっていた。
しかし、どうもこのエルフ、放っておけない。
「完全に男子便所じゃねーか」
人の第一印象は3秒で決まると言われている。その最初のインパクトがあまりにも興味をそそり、何より意味不明で面白すぎた。
こうして出会った不思議なエルフ。たった数日だが、トウキと過ごすうちに、ネクサスは自らの心が洗われるのを感じていた。とにかく変な奴だが、一緒に過ごしていると気が楽になった。
もしかしたら、自分はずっと仲間を求めていたのかもしれない。くだらない話をして、一緒に冒険できるような、そんな仲間を……。
このままトウキと探検家をするのも悪くないと思い始めていた頃、2人はナシュアという奴隷の少女を助けた。
黒髪黒目。間違いない。あの時「人殺し」と言ってきた少女だった。カルマからは逃れられないということか。ネクサスは拳を握り固めた。
ただ、彼女の反応を見るに、ネクサス個人のことは覚えていないようだ。兜を着込んでいたからだろう。
ネクサスは胸の痛みに押し潰されそうになりながら、トウキの手前強がりな言葉を絞り出した。
「植民地から来た奴隷か。哀れだな」
哀れ。誰が望んでそうなったと言うのだろうか。ネクサスは冷たい言葉を投げかけるしかできない己の無神経さを呪った。
「……助けちまったもんは仕方ねぇ。こいつはウチで預かるぞ」
奴隷は戦争の負の遺産だ。武勇を立てた自分が撒いた不幸の種とも言える。ネクサスは、長い時間をかけてでも、この少女に不自由のない暮らしを与えてあげようと考えた。
そんな時、ナシュアに何となく質問した返答の中に、忌まわしきグルゲストの名を聞いた。
瞬間、ネクサスの左腕に強烈な幻肢痛が迸った。彼はその痛みが悪夢の予兆だと信じて疑わなかった。
それから彼は騎士団の拠点に向かった。嫌な予感がする。グルゲストの名を聞くと、親友が一瞬で切り捨てられたあの夜を思い出てしまう。だから、過ぎたことであると確かめに行く必要があったのだ。
つまるところ、心の整理のためにグルゲストが死んでいると確認する必要があって――
遠くから帝国騎士団の駐屯地を眺める。
そして、やはり気のせいだったかと視線を逸らしそうになった時。
建物の窓の隅に、忘れるはずもない悪魔の顔を目撃した。
全ては偶然だった。
それからのことは、よく覚えていない。
ただ、グルゲストを殺そうとして失敗したことだけは確かだ。
気付いた時にはダンジョンの上層に身を潜めていた。
「……グルゲスト、あいつは必ず殺す。ナシュアのためにも、オレ自身のためにも……」
ダンジョン内の構造は熟知している。大隊長を務めるグルゲストからすれば、騎士団の拠点を襲った犯人を放置するわけにもいかないだろう。何せ、騎士というのは面子を重んじる傾向にある。上からも下からも犯人を捕まえろという圧がかかっているはずだ。
ならば、ダンジョン内を出る必要はない。大隊で捜索してくるなら自然と人数が減っていくのを逃げて待ち、少人数なら待ち伏せて一気に叩く。
地の利はネクサスにあった。
ネクサスは知る由もないが、件のグルゲストはトウキとナシュアを連れてダンジョンに潜入しているため、人数的な優位もネクサスにある。
4人が出会うのは時間の問題だった。
「…………」
迷宮の中から聞こえてくる音に耳をすませながら、ネクサスは不気味な風の音を聞いた。人の作る音ではない。自然由来、或いは大いなる存在によるものか。
ダンジョンの深層は地獄に繋がっているらしい。そんな根拠のない与太話を思い出して、ネクサスは自嘲気味に口元を歪ませた。
「――その声は。見つけたぞグルゲスト」
ネクサスは走る。魔法も奇跡も持たない探検家は、悪魔の元へと向かった。
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