第10話 例の男


 帝国全土に騎士団の駐屯地が点在しており、このヴォイスの街にも拠点がある。


 煙の上がる騎士団拠点に到着すると、建物の一部が破壊されていた。石畳の地面に建物の一部が突き刺さっており、地面には円状の引っ掻き痕や刺突の痕が刻まれている。激しい戦闘があったようだ。


 立派な建物の入口付近には見張りが4人。その他の騎士は慌てた様子で拠点に出入りしている。彼らは台車を引いて瓦礫を片付けており、通りの真ん中に立つ俺達を訝しげに睨んできた。


 さっきまでは「たのもう」という感じで乗り込もうとしていたのに、全然そういう感じじゃない。緊張感のある雰囲気に気圧されてしまった。


 あちこち歩いて機会を窺っていると、見知らぬ声が俺に向けられた。


「そこの方、帝国騎士団に何か御用ですか?」


 声の方角に振り向くと、怖い顔をしたお兄さんが今まさに俺の肩に手をかけようかというタイミングだった。


 どう考えても俺達のことを警戒してる。口元は少し微笑んでいるけど目が笑ってないもん。ただでさえ誰かさんに襲撃されて混乱中だというのに、俺達のような野次馬が見学しに来たことに不快感満載のようだ。


 ただ……これはチャンスではないか? 図々しくネクサスに言及して取り入るべきだ。


「あ、あの、先日隻腕の男に拠点を襲撃されたと聞いたんですけど」


「我々を侮辱しに来たのか?」


「い、いえ! 違います! おれ……じゃなくて私、襲撃犯の情報を持ってるんです。私もその人に用があるので、捜査に協力させてほしいんですけど……」


 おずおずと切り出してみると、お兄さんの眉毛がきりきりと吊り上がる。


「素人が。あっちに行ってろ」


「あ、ちょっと!」


 遂に怒りを露わにした騎士のお兄さんが俺の腕を掴み上げる。ぐい、と引っ張り上げられて肩が鋭く痛んだ。


「痛っ」


 何するんだよと振りほどこうとしたが、しかと掴まれた細腕の拘束は解けなかった。上半身を懸命に捻っても騎士の身体はビクともしない。


「と、トウキ様に乱暴しないでください!」


 痛がる俺を見て、ナシュアが騎士の甲冑を殴りつける。


 何故ほどけない? 単純な力の差? 今の俺は身長170センチにも満たない女だから、こいつの膂力に抗えないのは体格差のせい? くそっ、考えたこともなかった。


 上から伸し掛るような重圧に身を捩っていると、騎士の後方から手が伸びてくる。その大きな手はあっと言う間に俺を掴んでいた騎士の拘束を取り払った。


「どうした?」


「あ、隊長。捜査に協力したいという妙な女がいるんですよ」


 柔らかい微笑みをたたえた初老の騎士だった。彼の後ろには3人の騎士が控えており、いかにも重鎮といった風体である。


 初老の騎士と目が合うと、彼は俺の顔を2度見してくる。有り得ないモノ見た、この光景が信じられない、といった風に。


 微妙な沈黙が流れる。俺なんかやっちゃったかな? などとすっとぼけるつもりはない。多分こいつ、大賢者ウィンターの外見的特徴を知っているんだ。俺はまだエルフの耳を露出していない。顔をまじまじ見てこんな大仰な反応をするのに、それ以外の理由なんてないはずだ。


 ひやりとした空気が喉元を撫でる。すると、隊長と呼ばれた男はひとつ咳払いして、若い騎士を俺から引き離してくれた。


「……報告ありがとう。お前は拠点の中に戻れ」


「隊長、しかしその女は……」


「下がれ。そちらの女性には昔お世話になったことがあるんだ」


「えっ!? そ、そうだったんですか!? たっ大変失礼しました!」


 驚く騎士。もちろん俺はこんなオッサンのことなんて知らない。ナシュアもびっくりした表情で俺を見てくるけど、彼女には後で弁明しておかないといけない。


 やはりそうか。このオッサンは大賢者ウィンターを知っている。


 嫌な予感は止まらないが、ネクサスを探すために前進できた。良しとしよう。


「吾輩はこの方と捜索にあたる。2番隊は待機だ」


「は、はっ!」


 彼は部下を控えさせると、胸に手を当てて背筋を伸ばした。こちらの世界なりの挨拶のようで、凛とした印象を受ける。……が、表面上だけだ。


 オールバックにした白髪、人を見下すような冷たい緑の瞳、少し痩けた頬、歪んだ口元。人は見た目に性格が現れると言うが、ここまで裏が透けて見える人物も珍しい。


「吾輩の名前はグルゲスト。早速犯人の捜索に向かうとしましょう、トウキさん」


 グルゲスト。その名前を聞いた瞬間、俺とナシュアの間に緊張が走る。俺にしてみればネクサスと関わっていそうな重要人物だし、ナシュアにしてみれば故郷を奪っていった男の名前なのだ。突然仇が現れたも同然で、ナシュアはパニックに陥りかけている。


 他人の混乱状態パニックを見ると落ち着くというのは本当らしい。ナシュアの様子とは裏腹に、俺の心は少しだけ穏やかになった。


 ここで怯むな。探りを入れて、こいつの考えを読むんだ。こいつは何がしたい。何故俺のことを知っている。俺は生唾を嚥下すると、ナシュアの右手を握り締めた。ナシュアの手が震えているのが分かった。


「お……私の名前はトウキです。よろしく」


「…………」


 ナシュアは自分の名前を名乗らない。俺の左手がぎゅっと握り締められる。その細い手からは考えられないほど強い力。深い黒を潜めた瞳からは、隠し切れぬ殺意が滲み出ている。


 俺はグルゲストを疑っていて――

 ネクサスとグルゲストの間には恐らく確執があって――

 ナシュアの故郷を滅ぼした騎士団を操っていたのがグルゲストで――


 や、やばい……。色々な思惑が交差しすぎてワケが分からなくなってきた。


 ひとつ分かることがあるなら――この男が良い人間には到底見えないってことか。


「ど……どうして私と知り合いだなんて嘘をついたんですか?」


 単刀直入に聞く。俺はこいつのことを本当に知らないのだ。

 片方の眉を歪めたグルゲストは、苛立ったように語気を強めた。


「面白い冗談だな。笑えないぞ?」


「……!」


 やはり、だ。グルゲストはかつての大賢者ウィンターを知っている。だからこそ、出会った瞬間に驚いたんだ。その事実を呑み込んだ瞬間、胸の奥を抉られるような感覚に襲われる。


 鼻筋に嫌な汗が伝った。寒気が止まらない。何かがおかしい。いつの間にか裏路地に入っていて、人の気配が消えている。明かりのないところに連れて行かれている。


 ――初めて俺の身体ガワを大賢者ウィンターだと見破る人が現れた。


 普通、ウィンターの行方が掴めるかもしれないから、絶対嬉しくて堪らない出来事のはずなのに。


 どうして怖気が止まらないんだろう。


「しかし、今日は本当に運が良い日だ」


 はっとしてグルゲストの方を見る。ミンチ肉を撹拌するような、にちゃにちゃという粘性の音が響き渡る中、奴の身体が変形し始めた。


「あの大賢者と再び相見えることが出来るなんてなぁ――」


 もはや人間の姿ではない。顔に該当する部分が複雑に歪み、6つ目の怪物へと変化していく。


 路地裏の一角で、漆黒の翼が広げられた。


 その姿はまるで悪魔。


 復讐の念を抱いていたであろうナシュアは気勢を削がれ、異形の怪物に対してがたがたと震えている。突然のことに俺も腰を抜かしそうになったが、ナシュアの手前ギリギリで堪えた。


 お、おちおち落ち着け。ここは強者の雰囲気を取り繕ってやり過ごすんだ。まだネクサスの手がかりを掴めていない。


「戦いは後だ、グルゲスト。騎士団襲撃の犯人……ネクサスを探すことが先決だ」


 臨戦態勢に入っていたグルゲストもとい悪魔デーモンは、俺の言葉を聞いて拍子抜けしたように立ち止まった。


「何故だ?」


「ネクサスとの繋がりを持つのは私だけだ。みすみす奴を取り逃がすようじゃ、お前の立場は危うくなるぞ」


「…………」


 ハッタリに次ぐハッタリ。場合によっては、この嘘は致命的なものになる。


 6つの血走った瞳がこちらを向く。悪魔デーモンは俺の周囲を舐めるように徘徊し、戦うべきか否かを思考し始めた。


 長い沈黙。俺は奴の選択を待つことしかできない。あまりの緊張感に、喉仏を圧迫されているように錯覚してしまう。


 今グルゲストに仕掛けられたら、多分一瞬で死ねるだろうな。


 呼吸が浅くなり始めたところで、グルゲストが不快な音を立てながら人の姿に戻った。


「……ここは一時休戦としよう。貴様と戦うのは奴を見つけた後だ」


 よ、良かったぁぁ……! グルゲストがそういう性格で本当に助かった……。


「目撃情報によると、ネクサスはダンジョンに逃げ込んだようだ。面倒なことをしてくれる」


 グルゲストが路地裏の一角を漆黒の翼で抉り取ると、地下から見覚えのある建築物ダンジョンが顔を覗かせた。


 グルゲストは顎でしゃくると、俺達をダンジョン内に誘った。

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