第6話 ダンジョン 二

 ちょっとした成功体験で気持ちよくなっていた俺だったが、トラップ地帯を抜けた先に更なるトラップ地帯があった。


 そして落ちた。一帯の地面が冗談みたいに抜け落ちて、そのまま自由落下したのである。


 気付いた時には2人で水溜まりの中に横たわっていた。


「トウキ、生きてるか?」


「死ぬかと思った。ネクサスは死んだ?」


「死んでる人間が口答えできると思うか?」


 互いに軽口を叩けてるうちは大丈夫だな、と呟いたネクサスが手を貸してくれる。


 普通に10メートルくらい落っこちたんだけど、どうやら水がクッションになったおかげで大した怪我をしなかったらしい。


 不思議なものである。その昔、2メートルくらいの足場からジャンプして捻挫したことがあるのに……今はこんな高さを落ちても無事だったんだから。


 水を含んで重くなった服を絞りながら、俺達は水溜まりを抜け出した。松明だけは運良く濡れなかったらしい。ネクサスは松明を取り上げて前方を照らしている。安全確認が抜かりなくて助かるぜ。


「水場があったおかげで助かったな」


「……いや、逆に運が悪いかもしれん」


「そうなのか?」


「この水場を縄張りにするモンスターがいるはずだ。早く移動しよう」


 周囲の様子が先程と違っており、石畳が敷き詰められていた上層と打って変わって、地下自然が色濃く現れたフィールドになっている。つまり俺達はダンジョンの中層に落ちてきたことになる。


 ダンジョンは、上層、中層、下層、深層といった分類に別れており、地下に潜れば潜るほど危険性が増していく。トラップは更に容赦がなくなっていくし、モンスターも理不尽なくらい強くなるらしい。


 場馴れしていそうなネクサスはともかく、俺にとっては相当過酷な環境になるだろう。異世界での成功体験は十分積めたので、早く帰りたい。


 かなりの距離を落下してきたので、俺達が目指すのは上になる。地図は役に立たないから、ネクサスの勘だけが頼りになる。


 ただし、音への敏感さだけは俺の方が上だ。微かな異音を聞いた俺は、前を歩くネクサスの裾を引っ張った。


「何か聞こえる」


 エルフの耳がピンと立つ。

 聞こえてくるのは女性の声。何かを喋っている。


 …………て。


 ――たす、けて?


 まさか。


「ネクサス、あっちから助けてって声がする」


「なに?」


「女の人の声だよ! い、急いで助けに行かないと!」


 この時ばかりは、早く日本に帰りたいという気持ちが消え失せた。変な正義感というか、困っている人を助けるのは当然だという日本人的な感性が働いていた。


「待て。行くな。オレ達には関係ない」


「無視するってことかよ!?」


「そうだ。厄介事に関わるな」


「ネクサスは俺のことを助けてくれただろ!」


「…………」


 厄介事の塊みたいな俺を助けてくれたことに言及すると、ネクサスは押し黙ってしまった。屁理屈じみた言葉だが、この瞬間だけは俺の行動を通すために役立ってくれた。ネクサスは大きく溜め息を吐くと、俺の意見に折れてくれた。


「分かった。だが先導するのはオレだ。助けに行く最中に罠で死んだら元も子もない」


 ネクサスが早歩きで俺の指した方向に進んでいく。


「正直、オチは見えてるんだがな」


「?」


 運よく罠が無かったため、あっという間に声の近くに辿り着いた。狭い洞穴の道の先――少し開けた小部屋のような空間から、先程よりもはっきりとした声で「助けて」と聞こえてくる。


 松明を掲げても中の様子は分からない。真っ暗闇が覗いている。それでも助けに行かなければ。


「やはりな」


 そうして踏み出そうとした傍ら、地面を確認していたネクサスが奇妙なことを言い始めた。


「これは罠だ」


「え?」


 ワナ? 言っている意味が分からない。呆気に取られていると、ネクサスが地面の筋模様を指さした。


「植物の根っこが部屋の中に伸びている。そして助けを求める人の声が聞こえる。推測するに、この部屋の中に本物の人間はいない。人の声を真似するモンスターがいるだけだ」


「はぁ!?」


「嘘だと思うなら、部屋の中を明かりで照らしてみろ」


 言われた通り、火の玉のイメージを具現化して遠くに飛ばしてみる。「火の魔法も使えるのか」とネクサスが驚いていたので、「全属性使えるよ」と冗談めかして返答してやった。全属性の魔法が使えたとしても、俺の精神力じゃ土壇場で役に立たなそうで自慢しづらい。


 遠くに飛んでいく火の玉。部屋の中心に辿り着くと同時に、巨大な植物を照らしつけた。


 明らかになったのは、全長5メートルはあろうかという異形の花。壺の口のようになった葉が蠢いたかと思えば、「助けて」という男の声が漏れてくる。俺はその姿を見て全てを察した。


「あの植物は人を惑わせる狡猾な化け物だ」


 俺はまんまと誘い込まれていたのだ。ネクサスが引き止めてくれなければ、間違いなく初見殺しを食らって死んでいた。あまりにも悪辣で残酷。俺はこの世界の知識が無さすぎるんだ。


「根っこの部分がセンサーになっている。部屋の中に足を踏み入れた瞬間、分厚い根っこに閉じ込められて捕食されるってわけさ」


「……ネクサス、こいつの駆除を手伝ってくれないか。他の探検家の邪魔になる」


「いいだろう、お人好しめ」


 何やかんや言って、それを手伝ってくれるネクサスもお人好しだろう。俺は部屋の中央に運んだ火の玉に力を込め、植物の至近距離で爆発させた。


 異形の植物が悲鳴を上げる。このモンスターは、これまで多くの探検家を食って効率の良いやり方を学んできたのだろう。悲鳴を上げることで、人間が攻撃を躊躇ってくれることも知っているんだろうな。嫌になる。


 ネクサスは言う。中層は調子に乗った探検家が死に絶えていく場所で、ダンジョンは「そろそろ中層に行っても余裕だろう」と考える人間の心理を的確に突いてくるのだと。


 異形の植物が燃え尽き、一気に枯れていく。魔法の効果は絶大で、火に弱いらしい。


「またひとつ賢くなったな、トウキ」


「……うん」


「ところでトウキ。嫌なことを言っていいか」


「なに?」


まだ声が聞こえる・・・・・・・・のはオレの気のせいか?」


「……!?」


 衝撃の発言に思わず口を噤む。本当に声がする。まさか、この周辺は異形の植物の群生地体なのか。ひやりとした風が背中を撫でる。


「確かめに行こう」


「う、うん……」


 俺達は制圧した部屋の更に奥へと向かう。声にならない呻き声だ。偽物だとしても、聞いていて気持ちの良いものじゃない。


 再び、指先から火の玉を飛ばす。この魔法は暗い道の探索に有用だな。2度目ともなると、素早い魔法の出し方を心得てきた頃だ。


 万が一のことを考えて、声の主が偽物だと確定するまでは爆発させない。助けられる人がいるなら1人でも多く助けるべきだと思うから。


 火の玉を操作して、次の空間を舐めるように照らしていく。


 一瞬、裸足が見えた。


「ん!?」


 火の玉を止め、少し火力を上げて光量を増やす。


「あれは……奴隷のガキか?」


 その裸足の上に、ボロ布が見えた。胸と下半身を最低限覆い隠す垢まみれの布。冗談だろう、まさかあのぞうきん・・・・が衣服代わりなのか?


 絶望と拒絶感が脳裏を掠める。更に照らしていくと、傷だらけの四肢と、痛み切った髪の毛が見えた。真っ青な顔をしたその少女は、冷たい床の上に横たわってピクリとも動かなかった。


「本当に……お前と出会ってから妙なことばかり起きる」


「無駄口叩いてないで、早く治療するぞ! この子は助けられる!」


「あぁ。だがトラップだ」


「はぁ!? まだこの子は生きてるだろ!?」


「さっきの植物とやり方が違うだけだ」


「……!?」


 広い空間に立ち入った瞬間、四方の地面が持ち上がり、隠れた穴からゴブリンが溢れ出してくる。先程の植物は偽物の声で人間を釣り出してきたが、このゴブリン共は生きた人間を餌に俺達を誘い出してくるのか。


 トラップに次ぐトラップ。いつの間にか10体のゴブリンに囲まれ、考えうる限り最悪の状況だ。


 しかし、流石の俺も怒りを隠せなくなってきた。ダンジョンは俺達をどれだけ翻弄すれば気が済むのか。俺はボロボロの少女を抱きかかえ、しかと手を握り締めた。


 ネクサスがロングソードを抜刀する。少女の治療よりも先に、このゴブリン共を殲滅しなければならない。


 背中から力の奔流が迸る。大賢者ウィンターの膨大な魔力が暗黒の拳を形作り始めた。しかも、今度は腕が2本。感情の起伏に応じて力が増幅しているのだろうか。


 まぁ、今はそんなことどうでもいい。


 ゴブリン共を倒せるなら、何でもいいんだ。


 ゴブリンが木製の棍棒を振り上げると同時、戦闘が始まった。

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