第3話 隻腕の探検家


 かつて、ネクサスという凄腕の騎士がいた。彼は若くして数多くの武勇を立て、仲間からも一目置かれる生粋の武人であった。


 しかし、世の中にはそういった若い芽を摘もうとする邪な者も存在する。ネクサスは策略によって左腕を失い、騎士の立場から退いた。


 生きる意味を失ったネクサスは、それからダンジョンの探検家になった。自分から進んで探検家になったのではなく、隻腕の男という目に見えた地雷を雇ってくれる者がどこにもいなかったからだ。


 探検家はダンジョン内の財宝で生計を立てる職業――稼げる者以外は無職とほぼ同等の扱い――であり、その性質上、犯罪者や変人の多い稼業だ。


 彼はダンジョンの浅い層を中心に探索して回り、その日暮らしの生活を数年間続けていた。


 回廊を探索していたある日、ネクサスはダンジョン内で銀髪の女を見つけた。


「完全に男子便所じゃねーか」


 そいつは恐ろしい独り言を呟いていた。


 君子危うきに近寄らず。探索の掟だ。ネクサスは彼女を無視してダンジョン探索を再開した。


 しばらく歩いてから、ネクサスは奇妙な独り言を呟いていた少女のことを思い出した。


 ダンジョン内で独り言なんて、敵に居場所を教えているようなものだ。ここで人を見かけたら敵だと思え――これは探検家の間で言外に共有されている認識である。資源や財宝は早い者勝ちだし、場合によっては人同士で殺し合いが発生することもあるほど。


 そのため、ソロの探検家は静かに行動するのが鉄則だ。あそこにいた少女は、そんな常識をガン無視して独りでくっちゃべっていたわけだが。


 ……なぜリスクを犯す?

 その一点が少し気になった。


 左腕を失ってからの生活はつまらない。なんの志も目的もなく、ただ生きているだけ。だから、ほんの少しでも面白い奴だったらいいな――という程度の好奇心で、ネクサスは銀髪の少女を探し始めた。


 捜索の途中、モンスターと戦闘になった。


 ダンジョン内は魔族の領域。ゴブリンが相手だ。


 仲間とはぐれたのだろう。


 孤独なゴブリンを無造作な一太刀で切り捨てる。


 これもまた日常だ。トドメを刺そうとしたところで、ネクサスは少女の声が接近してくることに気付いた。


「まぁ向こうも困ってるだろうな。自分の身体が無いんだから」


 こいつは一体なにを喋っているんだ?


 訳の分からない彼女の言葉と、鈴の音のようなその声に惹かれていく。


「うわ、エグいな」


 バコンと扉を蹴り開ける音が響く。その大きすぎる音に笑いそうになった。あまりにも探検のセオリーを無視している。


 面白い。あの少女の顔を見てみたくなった。ネクサスは暗闇の中で息を潜め、曲がり角を進んでくるであろう少女を待った。


 軽やかな足音が数回響いた後、素人の忍び歩きの音に変わる。次の瞬間、ネクサスは少しだけ目を見開いた。


 特徴的な三角の耳――


 エルフだ。初めてお目にかかる。


 外界と隔絶された深い森の中に暮らす種族で、永遠に近い時を生きるという。エルフを生け捕りにして売り捌けば高い金になるが、少女のエルフともなれば青天井だ。


 つまり、ネクサスの前には大金が転がっていることになる。そんな気は毛頭なかったが、もしこのエルフがつまらない奴だった時はそう・・しよう。


 エルフの少女はこちらを向いていない。死にかけのゴブリンが這いずっている向こう側に気を取られている。


 顔を見たい。顔を見ればどんな人間か分かる。ネクサスはあえて足音を立てた。


 そして彼女が振り向いた瞬間、ネクサスは呼吸することを忘れてしまった。


 ハーフアップの銀髪がカーテンのようにたなびいて、紫の大きな瞳と視線が交わされる。白い肌。細い肩。臍から鼠径部が露出した衣装で、浮世離れした美しい印象を抱かせる。


 なるほど、これほど美しい少女は見たことがない。しかし、彼女の人畜無害そうな呆け顔とは裏腹に、その内に秘められた魔力量に驚きを隠せなかった。


 純粋な魔力量で言えば、人の領域を遥かに超えているのだ。ネクサスが知りうるどの生物よりも、遥かに多くの貯蔵量があった。


 なるほど、間違いなくこいつはバケモノだ。ネクサスは震える手を握り締め、彼女へと歩み寄る。


 さあ、お前のことをもっと教えてくれ。この退屈な人生に明かりを灯してくれ。微かな期待を胸に、ネクサスはエルフの少女に近づいていった。



◇◆◇



 てらてらと赤黒く光る剣を携えて、隻腕の男が俺の方に歩み寄ってくる。血を纏ったその佇まいは劇役のそれではなく、どこまでも真に迫った本物の雰囲気。つまり彼はガチモンの兵士さんで、左腕を失うという大怪我していることになる。


 さて、ここで質問です。みんなはナイフを持った手負いの男に出会ったらどうしますか? ただし、男はテロリストとする。


 男性諸君なら一度は妄想したことのあるシチュエーションだと思うが、中学校時代の俺ならその質問に対してこう答えるだろう。


 ――懐に潜り込んでナイフを取り上げて、トドメを刺す。


 男子中学生らしい回答でしょ? バカがよ。


 常識的に考えて武器対ステゴロで勝てるわけないだろ。全人類それが出来るなら、武器なんて流行らなかったはずだ。


 そして今なら分かる。実際にそういうやばい奴と対面したら、怖すぎて動けない。敵と出会ったら魔法を撃てばいいじゃん! なんて思っていたが、全然できそうにない。


 一刻も早く現代日本に帰りたい。この状況を厨二臭い妄想だと笑い飛ばせるような、平和な世界に帰りたい。


 足が震える。普通におしっこ漏れそう。


 それでも俺が動けたのは、血まみれの男が片腕を無くしていたからだ。恐怖よりも心配の方が勝ってしまったのかもしれない。


「け、怪我……してるのか?」


 絞り出すように声を出す。男の動きが止まり、金の瞳が値踏みするように俺を見下ろしてくる。


「俺が治そうか?」


 その一言に、隻腕の男は動きを止めた。


「……生憎だが、この腕はずっと前に失ったものでね。治療の必要はないよ」


「あれ、じゃその血は?」


「奥を見てみろ。そこにいる死にかけのゴブリンの血だ」


 男が指を差す。素直にそちらを向いてみると、ゴブリンだったらしい肉の塊が痙攣していた。さっき聞こえていた何かを引きずるような音は、あのゴブリンが原因だったわけね。


「……お前、何だ? 簡単に目を逸らすし、敵意もない。荷物を持っている様子もない」


「あぁ、実は俺記憶喪失で……気がついたらダンジョンの中にいたんだ」


「それはまた災難だったな……」


 出任せの嘘だけど、何かマジの同情をされてしまった。もしかしたら記憶喪失系のトラップがあるのかもしれない。ダンジョン怖すぎる。


 そして哀れみの言葉と共に、出会った直後の殺意に満ちた雰囲気が消え去る。もしかして俺、ワンチャンこの人と戦いになってたかもしれない感じ?


「オレはネクサス。しがない探検家だ」


「俺は……えっと、トウキってんだ。何も分からないけど、よろしく」


 俺達は案外すんなりと握手を交わした。ただ、血まみれでクソ汚い上に臭かったので、俺の聖水もとい水魔法で血を洗い流してやった。


「最初に教えておいてやろう。ダンジョン内で出会う同業者を助ける奴なんて、お人好しか初心者か記憶喪失のバカしかいねぇ。普通は目が合った瞬間物資の奪い合いが始まるんだよ」


「そうなの?」


 水を被って気持ち良さそうな顔をしながら真剣なことを言われても説得力がない。


「初めて会ったのがアンタで良かった」


「は?」


「ネクサス、優しそうじゃん」


「…………」


 物凄く微妙な顔をされた。


「おもしれー女」


 ただ、ダンジョンのトラップといい殺し合いといい、この世界は思っていた以上に殺伐としているな。ネクサスは人同士で物資の奪い合いが起こるなんて可愛く言っていたけど、多分実情は血みどろの殺し合いなんだろう。法治国家とは程遠い治安の悪さである。


「あ、そうだ。ここの出口知ってる?」


「地図持ってきてねぇのか。ほらよ」


「おお、ありがとう」


 ネクサスから地図を貰ってこの空間の全体像を記憶しようとしたが、手書きでボヤけている上に広すぎて分かりにくい。


「自由帳に書いた迷路の落書きみたいだ」


「何を言う。公式に発行されてるモンだぜ」


「嘘だろ……」


 特にやることもなかったので、俺とネクサスは共に出口に向かった。


「少なくともダンジョンの外ではなるべく耳を隠せ」


「え、何で?」


「エルフは被差別種族だ。女ひとりでいると拉致されて売り飛ばされるぞ。これ常識なんだが、トウキお前本当に記憶喪失なんだな。お前ほどの実力者が不覚を取るとは、これもまたダンジョンの危うさというわけか」


 よく分からん後半の独り言は聞き流すとして、今の俺は危ない立場らしい。被差別種族で売り飛ばされるってことは、多分奴隷的なアレだ。普通に怖いな。


「売られたらどうなるの?」


「性奴隷か実験台」


「きっついな……」


 ネクサスからフードを受け取って、なるべく深めに被ってやる。


 ネクサスの言葉を噛み砕いて理解する度に、現代日本が異様なまでに恋しくなってくる。法治国家が恋しい。


 やっぱりアレか。日本にいた頃の俺が性奴隷的なシチュエーションで抜けたのって、現実からかけ離れた架空の物語だったからなんだろうな。実際にそうなることを考えたくはない。


 考えれば考えるほど、この隻腕の青年――ネクサスが良い人に思える。記憶喪失の俺にあれこれ説明してくれる上、今のところ騙そうとする素振りもない。


 持ち物なんて何も無かったけど、今の俺は超絶美少女だ。それだけの理由で脅されて、エグい行為を要求されてもおかしくはなかった。


「ネクサス」


「何だよ」


「やっぱりアンタ良い人だ」


「なワケねぇだろ。オラ、飯行くぞ」


「え、奢ってくれるの?」


「う。お前、無一文なのかよ」


 これからは誰かと一緒に行動した方が良いだろう。今の俺は知識も経験も足りないのだ。


 ダンジョンの外に出た俺達は、そのまま平原を歩き始めた。

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