第2話 エルフの身体


 現代日本では1年におよそ8万人が行方不明になるらしい。前まではめちゃくちゃ多いじゃんって思ってたけど、もしかしたら、俺のようにクソみたいな理由で異世界転生して行方不明になる人もいるのかもしれない。


 そんなことを考えてから、現代に戻る手がかりがない事実を噛み締めて溜め息を吐いた。


「腹減った」


 ダンジョン内に放り出されて1時間が経過した。


 孤独と恐怖を紛らわせるためなのか、閉鎖空間に響き渡る独り言が明らかに増えている。その内容も愚痴や文句ばかりで、陰キャエルフがじりじりと追い詰められているのを感じていた。


 何でこんなデカい建造物があるんだろう。ダンジョン内を不休で歩いているが、出口が見つからない。


 ちょっと開けた場所に出てきたので休憩しよう。自分のおっぱいがデカすぎて肩が凝ってきたところだ。


「クソ。大賢者って肩書きで“ワシ”とか“のじゃ”とか言うなら、普通貧相な体つきで然るべきだろ」


 見下ろしてみると分かる。衣服が下から持ち上げられているのだ。それはもう壮観の一言だが、疲労困憊の今は余分な脂肪の塊でしかない。動く時に邪魔だし重い。


 少なくとも運動時なら胸は小さいに限るということだ。またひとつ知見が深まってしまったな。


 土埃を払って尻を落ち着けると、ようやく一息つくことができた。精神的には全く休まらないが、足腰の疲労が癒えていくのを感じる。


 少し落ち着いたところで、俺は大切なことを思い出した。


「あ。漫画アプリのハート消費するの忘れてた」


 ソシャゲだの漫画アプリだの、連続ログインしてデイリー消費しておかないと萎えるんだよね。はぁ。マジであのポンコツ大賢者ゆるさん。


 まあ、流石に現代日本の事情については諦めるとして。


「休むのはいいが、火と水がないと落ち着かんな」


 火を生み出す魔法や水を生み出す魔法が使えたりしないんだろうか。俺の身体、大賢者の身体そのものだし。


 そうだ、この時間で魔法について考察してみよう。


 ……まず、どうやって魔法を使うかだ。

 ウィンターの魔法によってこちらの世界に来れた以上、魔法が存在しないなんてことは無さそうだが。


「とりあえず詠唱してみるか……」


 魔法と言ったら詠唱だ。無詠唱で魔法を使う作品もあるけど、個人的には詠唱があった方がいい。かっこいいから。


「えー……ぐ、紅蓮の炎よ……灰燼……なんか黒い……あっ無理だコレ」


 適当に考えた詠唱で魔法を発動しようとしたが、詠唱をするのはセンスがいるし恥ずかしかった。現代人が臆することなく口に出すにはレベルが高すぎる。


 しかも、実用するとなったら人前で捲し立てないといけない。戦闘の最中に急に早口で怪文書を読み上げる陰キャとか、普通に気持ち悪いと思う。


「可愛いエルフで助かった。元々の外見だったらただのキモい厨二病だ」


 外見は説得力のひとつだ。怪文書を読み上げるにしても、ヒョロガリ学生と銀髪エルフだったら、そりゃ後者の方が説得力があるよね。可愛いし。


 前言撤回。詠唱有りだと恥ずかしいからダメだ。次は無詠唱の魔法を試してみることにする。


 詠唱はエンタメとしてならアリだけど、実際は無詠唱の方が便利でしょって実は思ってたんだよね。


 足元にあった小枝を魔法杖に見立てて、小気味よく振ってみる。イメージするのはメラメラと燃え盛る焚火。或いは手で持つタイプの花火。間近で見れば目の粘膜を焼いてしまうような、猛り狂う危険な赤。妄想するのは得意分野だ。


 詠唱の完成度に気を取られていた先程とは違って、無言の間は妄想が捗った。


 そして枝の先から火花が散ったかと思うと、パンパンという破裂音と共に火が点った。


「うわ、ほんとに出た……」


 少し低めの、蕩けるような自分の声が虚しく響き渡る。今更なんだが、ウィンターの声は結構美声だ。イケボ寄りのお姉さんボイスだから、独り言もちょっと楽しい。


「水も出せるかな」


 燃え尽きた木の枝を捨て、消化の意味を込めて水の魔法をイメージする。自分の身体から水を出すイメージと言ったら排泄行為が真っ先に浮かんでしまう。


「うわ」


 そのせいなのか、帯になった水が手先から射出され始めた。ジョボボという切ない音を立てて的を撃ち抜いた俺の水は、しばらくすると勢いを失って消えていった。


「完全に男子便所じゃねーか」


 まぁいい。イメージさえあれば魔法が撃てるって分かったんだから。


 その他にも魔法を試してみたところ、なんかドロドロした魔法が得意分野っぽいことが判明。陰キャ特有の闇属性が全面に現れているのか、陽キャへの恨み嫉みを乗せた闇の魔法なら速攻で出せるみたいだ。


 モンスターとは出会いたくないけど、もし襲われたらコレで対処しよう。エルフになっても本質が変わってなくて泣けるぜ。


「歩くか」


 探知の魔法とか器用なことはできないので、道なりにずんずん進む。


 暗い狭い臭いの三重苦が容赦なく銀髪美少女エルフに襲いかかってくる。


 胸元をぱたぱたと扇いだり、開放されたお腹の辺りをひらひらとさせながら、汗で蒸れた熱を逃がそうとするが……建物の中は無風なので当然徒労に終わる。


 マジでウィンター許せねぇ。俺が煽ってしまったとはいえ、アイツは一般男性を異世界に拉致した上で放置プレイしているのだ。必ず見つけ出してやる。


「まぁ向こうも困ってるだろうな。自分の身体が無いんだから」


 自分の身体に他人の人格が宿っているこの状況、誰だって拒否感を感じるものだろう。俺だって嫌だ。


 ……まあ、この身体で得することがあると言えば、自由な時におっぱいとケツを揉めることだな。3揉みくらいしたら何の感動も無くなったんだけど。


 恨み言を口の中でボヤきながら石造りの道を歩く。ダンジョン内は景色が変わらないので退屈である。


 一般オタクとしてはダンジョン探索に夢を抱いていたものだが、実際に歩いてみると籠った空気が息苦しいので「楽しい」という感情は皆無だ。ただでさえ四方を壁に囲まれているため、閉所恐怖症の人にしてみれば発狂モノだろう。


 しかも、時々見かけるトラップに悪意が滲み出ているから気が抜けない。序盤の10分はアトラクションを期待していた俺も、壁にこびりついた血を見て心を改めたものである。


 例えばほら、今目の前にある扉にはトラップが仕掛けられている。ご丁寧に設置された丸いドアノブは、本物のドアノブではなく回転する刃の残像なのだ。


「うわ、エグいな」


 エルフの耳が良くて助かった。回転する刃物が風を斬る音がシュォォオオって感じで聞こえる。悪趣味すぎて笑えないね。


 洋画の如く扉を蹴り開けると、むせ返るような鉄の臭いが顔を叩いた。


 流石の俺も独り言を自重。足音を消して腰を落とし、いつでも逃げられるように退路を確認しながら首を伸ばした。


 多分、この臭いの源には誰かがいる。

 モンスターか人間かは分からないが、何かを引きずる音が聞こえるから間違いない。


 ……息が詰まるようなこの感覚、エロトラップは期待できないな。


 確認するだけ確認して逃げよう。


 俺は曲がり角の先を覗き見た。


 誰もいない。音もない。


 しかし、背後から足音がした。


 そこには、片腕を失った血みどろの男が立っていた。

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