第22話 噂は踊り、策略は沈み込む

 昼休み。どこもかしこでも噂話が飛び交っていた。


 曰く、倒れた男子生徒は病気だった。

 曰く、あの男子生徒は誰かに恨みを買っていた。

 曰く、あの男子生徒には最近、おかしな点があった。

 曰く、あの男子生徒は呪われていた。

 曰く、あの男子生徒は悪魔と契約した。


 日常の中に起きたイレギュラー。

 その内容について、不謹慎であると知っていながら、生徒たちは盛り上がりを見せていた。


 いつもなら、どこからそんな噂が出てきたんだと呆れ混じりに言いたいものもあるのだが、今回はそうはいかない。


 悪魔との契約。冗談のような話。

 それが冗談じゃなさそうなのだから笑えない。

 葵さんから聞いた悪魔がどんな願いも叶えてくれる噂。

 俺の斜め後ろの席にいる氷姫へと、視線を向ける。


 氷上舞姫は机の上にお弁当を広げて、静かに昼食を取っていた。


 どこのグループにも属してないが故に、こういう場面では彼女は1人が多い。時折り、クラスメイトが彼女に話しかけるぐらい。


 丁度いい。

 やはりここは彼女に話を聞くのが1番だろう。


 立ち上がって彼女の席の前まで移動する。

 そんな俺に氷上は面倒くさそうな瞳を向けてきた。


 普通のクラスメイトに対しては向けない視線。つまり俺は普通のクラスメイトという扱いから抜け出したというわけだ。マイナスの方向な可能性があるけど。


「なにか御用かしら」

「言わなくても分かってるだろ」

「申し訳ないのだけれど、読心術は使えないの」


 冗談か本当か微妙なラインの話だ。けど、今はそこに突っ込んでいる場合じゃない。


「朝の件、どう思う?」

「意外ね。櫻木くんもオカルト好きだったなんて」


 白米を摘んで口に運びながら、氷上はくだらなそうに言った。

 オカルトなんて言っているが、あれはそんなものじゃないと氷上も判っているはずだ。


「あれって異世界の」

「はぁ……」


 ため息に、口にしてた言葉を飲み込む。

 氷上の視線が廊下に向けられた。


「オカルト好きがこの学校には多いのかしら」


 教室の扉の前に居たのは、佐藤だった。

 珍しい客人だ。恐らく、彼女も朝の件だろう。


「仕方ないわね」


 諦めたように、食べかけのお弁当の蓋を閉じて氷上は立ち上がる。


「移動しましょうか」


 周りには聞こえないような小さい声で俺に伝えて、彼女は教室から出た。

 その背中を追って、俺も教室から出る。


「あ、櫻木くん」


 待ち構えてた佐藤が俺を捕捉した。


「よっ」


 軽く手を挙げて答える。

 それに対した、佐藤は少しだけ頬を膨らませた。

 怒ってますと体現したような仕草に困惑する。

 俺、なにかしたっけ……?


「朝、私のこと無視したでしょ」

「……シテナイヨ」


 無視はしてない。タイミング逃してしまっただけ。

 気まずさでそっと視線を逸らす。

 気にしてない感じだったけど、ちゃんと恨まれていたらしい。こうやって女子の間で悪い噂が蔓延するんだろうな。なにそれ、こわ。


「そ、それよりも、佐藤も氷上に用事あるんだろ」


 電車での話題はあまりにも不利だと悟って、話を逸らす意味も込めて尋ねた。

 ちょっと上擦った声になってしまったのはきっと気のせい。


 氷上は俺らのことを待つ気はないのか、どんどん廊下を進んでいる。長話なんてしていたら見失ってしまう。

 早く追った方がいい。歩き出した俺の隣に佐藤がつく。


「えっと、私は氷上さんというより、櫻木くんに……」

「……俺?」


 言いづらそうにしながら、佐藤が言うものだから、すぐに足を止める羽目になってしまった。

 視界の端で氷上を追いつつ、佐藤に視線を向ける。


「櫻木くん、放課後、暇だったりする?」

「まぁ、特に用事はないけど……」

「じゃあ、教室に残っていて欲しいんだよね」

「いいけど……」


 訳がわからないがとりあえず頷いておく。

 少しだけ嬉しそうに頬を綻ばせた佐藤。

 放課後の教室に呼び出し。

 嫌な甘さがする言葉の並びだが、ここで詳細を聞く時間もない。

 佐藤から視線を外して、氷上を探すと彼女は廊下の角を曲がっていた。


「佐藤はこの後、どうする?」


 俺に用事があっただけなら、一緒に氷上を追う必要もない。

 質問の意図を捉えられなかったのか、佐藤は首を傾げた。


「この後って?」

「氷上に朝の件について聞こうと思ってたんだよ」

「ああ、あの倒れた男子生徒の」


 朝の件というだけで伝わるあたり、やはり倒れた男子生徒はかなりの噂になっているみたいだ。


「うん。私も気になるし、ついていこうかな」


 頷いた佐藤は氷上が曲がった廊下の角に向かって、少し早足気味に歩き出す。


「佐藤は倒れた男子生徒について、なにか知ってたりするのか?」

「うーん、そう言われても……」


 佐藤に合わせて歩きながら、情報を確認しておこうと、念の為に尋ねてみた。

 少し困ったように考えて、彼女が口にしたのは俺も聞いた噂話ばかり。

 佐藤もその男子生徒とは面識はないようで、大した情報は持っていないようだった。


「あ、でも、一つだけ、とっておきの情報があるよ」


 思い出したように佐藤は、そう切り出した。

 何か知っていればラッキー程度の認識だったので、とっておきなんて謳い文句が出てくるような情報を佐藤が持っていることに素直に驚く。


「その情報ってなんだ?」


少し期待して佐藤を見る。


「うん。あれはスライムの仕業じゃないって」

「……なんだそれ」


 そんなの当たり前だ。だって、スライム事件は金曜の段階で終わらせたはずなのだから。

 それにスライムに寄生されていたら、あの男子生徒は死んでいたことだろう。

 とっておきというから凄い情報かと思ったが、どうやら俺が思っていたものとは違ったようだ。


「後は、大した情報じゃないけど……、その男子生徒、最近、好きな子がいたらしいよ」

「それは確かに大した情報じゃ……って、そっちの方が重要な情報じゃねぇか!」

「え、そう?」


 きょとんとしている佐藤。ボケなのか天然なのか絶妙にわからない。


「でも、好きな人がいるなんて普通じゃない?」

「そう言われればそうなんだけどな」


 ただ、噂に最近様子がおかしいなんて話があったはずだ。それが、その好きな女子ができたことが関係しているのだとしたら。

 その好きな子が誰かというのは調べておくべきかもしれない。調べる方法は全く思いついてないけど。


 どうしたものかと考えつつ、氷上が曲がった廊下の角を俺たちも曲がる。

 しかし、そこには既に彼女の影はなかった。


「本当に待ってくれてないかよ」

「氷上さんらしいね」


 苦笑した佐藤。

 さて、選択肢は3つだ。このまま廊下を進む。

 または、隣にある階段を上るまたは下るだ。

 なんという運ゲー。当たる気がしない。

 しかし、幸いにもここには佐藤もいる。二手に分かれて追うのはありかもしれない。


「えっと、上だね」

「え?」


 俺が提案するよりも早く、佐藤は呟くと、階段を上り始めた。

 迷いがない。まるで、そこに氷上がいると確信があるようだ。

 そして、それは当たっていたようで、階段を上った先の廊下で氷上は壁に背をつけて待っていた。


「遅かったわね」

「お前が早すぎるんだよ」


 もう少し待ってくれても良かっただろ。佐藤がいなかったら見失っていたかもしれない。

 しかし、なぜ佐藤は氷上が上にいるって分かったのだろうか。

 佐藤を見ると、俺の視線に気づいた彼女は目を瞬かせた。


「なあ、なんで」

「それで、話すのは朝の件についてでいいのよね」


 俺が佐藤に氷上がいる場所がわかった理由を尋ねるよりも早く、氷上が口を開いた。

 それで言葉が遮られてしまう。佐藤の件も気になるが、今は氷上に朝の件について聞くのを優先するべきだろう。


「ああ。あれはやっぱり、異世界転生者の仕業なのか」

「……どうかしら」


 俺の問いに氷上は眉を寄せて、困ったような表情を浮かべた。

 意外だった。

 彼女がそんな表情を浮かべたことも、そんな曖昧な言葉を返したことも。


「申し訳ないのだけれど、あれの原因は私には分からないわ」


 氷上は首を横に振る。


「わからないって……、なんで」


 困惑しながら尋ねる。

 恐らく俺は期待していた。

 氷上に聞けば何かしらの手がかりを得られるだろうと。


「状況だけを見れば、どちらとも捉えられるのよ。ただの体調不良とも、異世界転生者の仕業とも」

「魔力とかで分からないのか?」

「分かったら苦労はしないわね。……もし、異世界転生者の仕業だとすれば、巧妙に隠蔽されてる」


 信じられない。

 だって、俺は氷上の化け物具合を知っている。脳内に棲みついたスライムの存在に気づけ、凍らせることが出来るような魔法使い。

 そんな彼女を相手に隠蔽できるなんて、それはまるで──、


「出来れば体調不良なんてつまらない結末の方が嬉しいのだけれど……。もし、異世界転生者の仕業だとすれば、今回は魔王レベルね」


 スライムから一気に魔王に格上げするなんて、酷い冗談だ。

 口角が引き攣りそうだった。


「氷上さん、その魔王って、あのゲームとかのボスにいるやつ?」

「ええ。その認識で間違いはないわ。魔族の王。勇者が殺すべき相手というところかしら」


 あのスライムですら、こちらの世界では、そこそこの大きな事件を起こしてしまったのだ。

 もし魔王が事件を起こすとなれば、最悪、この街が壊れるんじゃないだろうか。

 嫌な想像をして、拳を握りしめる。


「……待て。そういえば、悪魔の噂がある」


 はっと気がついたことを告げると、氷上は怪訝そうな顔をした。

 こんな噂がある以上、魔王よりも悪魔の方が可能性としては高いのではないだろうか。


「その噂なら私も知っているわ。けれど……」


 噂を知っていながら犯人から悪魔を除いたということは、何かしらの理由があるのだろう。

 しかし、氷上はそこから言葉を続けることなく、考えるように顎に手を添えた。


「なんかあるのか?」

「悪魔が犯人だと仮定した場合、一つだけ問題があるのよ」

「力が足りないとかかな?」


 ぴょこっと小さく手を上げて佐藤が答える。

 そうだった。魔王レベルじゃないと氷上を欺けるほどの証拠隠滅が出来ないというのなら、悪魔の仕業である可能性は低い。


「いえ、悪魔なら可能よ。あれは擬態と欺きが得意だもの」

「なら、魔王なんかより悪魔の方が可能性が高いだろ」


 なにが問題なのだろうか。

 俺と佐藤はクエスチョンを浮かべる。


「可能かどうかじゃない。動機がないのよ」

「そんなの人間を襲いたいとかじゃないのか?」

「……ええ。それは、そうかもしれないわね」


 口ではそう言っているが、顔が全然納得していなかった。


「どうして……、けど、なら、誰が」


 小さく呟かれた言葉の意味を拾うことは出来ない。

 それを見て、佐藤がこっそりとこっちに耳打ちしてきた。


「氷上さんって考えてる顔も綺麗だね」

「……そうだな」


 理解はできるけど、わざわざ耳打ちしてくることかそれ。

 確かに、顔立ちが整っているだけあって、考えてる姿も様になってはいるが。

 氷上は小さくため息を吐くと、肩にかかった髪の毛を払った。


「証拠が足りないわ」


 なにを言い出すかと思えば。

 真っ直ぐにこちらを見て告げられる。


「今の状況じゃ、なにも証明できない」

「じゃあ、どうするんだ。このまま次の犠牲者が出るまで放置するのか?」

「まさか。けど、打つべき手が無いのも事実よ」


 氷上は俺たちとすれ違って、そのまま階段を降り始めた。


「どこ行くんだ?」

「これ以上話し合っていても、何もないでしょ。お昼、途中だったのよ」


 振り返ることすらなく、それだけ言うと氷上は行ってしまった。

 予定外だ。

 氷上から話を聞いたというのに、なに一つ話が進展してない。

 分かったことは、氷上ですら今回のことはよく分からないという答えだけ。


「どうすんだこれ……」


 このパターンは想定してなかった。

 動き出し方すら分からない。

 前回は氷上の指示通りの行動をしていたが、今回はその指示すらないらしい。


「やっぱり、信用されてないのかなぁ」


 佐藤が小さく呟いた。


「信用されてないって、氷上にか?」


 俺の尋ねる声すら聞こえてないのか、じっと氷上が去っていった階段の方を見つめている。

 それから、急にこちらに笑顔を向けてきた。


「ごめん。私もお腹空いちゃったから、行くね。あ、放課後の約束忘れないでね」

「え、あ、ああ」


 俺が答えるより早く、佐藤も早足気味にいなくなってしまう。

 残されたのは俺一人。

 なんというか部外者感が酷い。

 自分勝手というわけではないだろうが、もっとチームワークって奴をさぁ……。無理か。無理だろうな。


 佐藤はともかく、氷上はチームワークって感じじゃない。

 元魔女だからだろうか。群れるより一人の方が得意なのかもしれない。


 一人でここに残っていても仕方がない。俺も教室に戻るか。

 冷え切ってしまった空気を感じながら俺もその場を後にした。

 廊下を歩いて、教室に向かう。


「ここよくない?」

「えー、楽しそうー!」


 その途中で、廊下で話し合っているカップルのような男女とすれ違った。

 次のデート場所でも話し合っているのか、女子の方からは作られたような甘い声がする。


 無意識に顔を顰めそうになってから、ふと気になって振り返った。


「じゃあ、今度の日曜日に」

「うん。楽しみにしてるね」


 あの子、どこかで……。

 カップルの女の方。黒髪のツインテールで幼めな顔立ち。ぼやけた記憶の中でなにか引っかかる。

 しかし、同じ学校にいる生徒だ。どこかで顔を知っていても特段おかしくない。

 浮かんだ疑問はそんな言葉で封じ込められる。

 胸やけしそうな違和感を感じながら。

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初恋の人が異世界転生しました 秋春雨 @akileaf_410

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