第7話 そして、日常が終わりを迎えました
リビングに戻ってきた俺は温めていたシチューを盛り付けるための器を探していた。
どこだったかな。久しく料理してないから皿の仕舞われている位置すら覚えてないぞ。
食器棚をあさるが、見つかるのは普通の薄皿や、味噌汁を入れるような容器ばかり。
流石にシチューを味噌汁の器に盛り付けたくない。
「なにやってんの」
ゴタゴタやっているうちに香織が俺の部屋から出てきたようだ。
なぜか無駄に冷たい目を向けられている。さっきのこと少し根に持ってやがるな。
「見たらわかるだろ。シチュー盛り付ける皿を探してるんだよ」
「それなら、あんたが探している棚の更に上よ」
「え? あ、ほんとだ」
言われた場所の扉を開ければ簡単にシチューに使えそうな深めの皿が見つかった。
なんでこの子は俺はよりもうちのキッチンに詳しいんですかね。
ともかく、これで皿は見つかったのでシチュー盛って、ご飯を食べられる。
「待って。まさか、シチューのパンだけのつもり?」
「つもりって、それしかなかったけど」
冷蔵庫の中を見たけど、シチュー以外の料理は見つからなかった。だから、てっきりこれだけなのかと思っていた。
「サラダを作ろうとか思わないのね」
少しだけ呆れたようにして、香織が壁にかかっていたエプロンを手に取る。
「サラダいるか?」
シチューとパンだけでよくない?
俺の問いに、香織はジトッとした湿度高めの視線を投げかけてきた。
「拓也、今日の昼ごはんは?」
「今日って昼ごはんって、……ケーキ?」
今日は試験期間中ということもあり、学校が終わるのは早かった。
いつもなら帰ってから昼食を食べるところだが、氷上とカフェに行っていたので昼ごはんはあのケーキだ。
「昼ごはんにケーキって……、じゃあ、朝は?」
「朝はご飯派だって知ってるだろ」
「ええ。知ってるわよ。じゃあ、おかずはいつもの目玉焼きとウィンナーだけでしょ」
「惜しいな。今日なベーコンだった」
「どうでもいいわよ!」
は?ウィンナーとベーコン違うだろ。舐めてんのか。ウィンナーは出てきたらもちろん嬉しいが、分厚いベーコン出てきてみろ。男子はそれだけで大歓喜だぞ。
「ともかく、あんたの食生活、野菜が全然足りてないの!今からサラダ作るからそこで待ってなさい」
香織は冷蔵庫を開けて、レタスやらミニトマトやらを慣れた手つきで取り出していく。
「本当はあんたが帰ってきてから準備するつもりだったのに、帰ってくるの遅いから寝ちゃったじゃない」
「それは俺のせいじゃないだろ」
酷い八つ当たりだ。帰ってくるの遅かったのは否定しないが。
レタスの葉を剥がして、水洗いをしながら、香織の視線がこちらに向いた。
「そういえば、あんたがケーキって珍しいわね」
「それは氷上と……って、そうだ、お前、既読無視したろ」
未だに香織からの返信は来てなかったはずだ。
俺の言葉に心底驚いたように香織は目を見開いた。
「……あれって妄想とかじゃなかったんだ」
「お前は、幼馴染のことなんだと思ってるんだ!」
「いや、拓也がまさか氷上さんとなんて……、大丈夫? 変な壺とか買わされてない?」
「買わされてたまるか!」
俺が氷上と帰るだけでマルチ疑われるってどういうことだよ!
「たまたま帰るタイミング一緒だったから誘われただけだ」
「ふーん。それで、一緒にケーキまで食べたんだ」
こちらに向けられたその瞳はジトリとしていて、湿度高めだ。
この視線はなんだよ。
「……ケーキでも食いたかったのか?」
「それはもちろん食べたい、じゃなくて! なんで一緒に帰るからケーキ食べるなんてことになったのかなって」
「なんでってそれは、」
異世界転生の話をしていたから。
「……明日の試験の話をしていたからな」
事実なんて口に出せるわけもなく、咄嗟についた誤魔化しの嘘に、香織は訝しげな視線で答えた。
「拓也が試験の話ねぇ……」
「学生らしいだろ」
「そうね。あんたじゃなかったらね」
どういう意味だそれは。
「あんた、誰かに聞くほど頭悪くないじゃない」
「そんなことねぇよ。それに俺よりも氷上の方が頭いい」
もしかしたら、魔法使ってズルしてる可能性もあるが。
転がしたら絶対当たりの出る鉛筆とかあったりません?
「ま、いいけど。それで、こんなに遅くなったんだ」
自分から聞いておいて、まるで興味なさそうに香織は話を終わらせた。
ただ、一つ勘違いがある。
氷上とカフェでケーキ食べた程度じゃ、7時を回るほど遅くなんてならない。
こんなに遅くなったのは他にも理由がある。それを香織に伝える予定は今のところ存在しないが。
レタスとミニトマトを洗った香織は、水気を切って、大きめな皿に盛り付ける。
「他にも何か野菜いる?」
「要らん。あっても味変わらんだろ」
「流石に変わるでしょ……」
そうか? サラダなんて大抵ドレッシングに味支配されてるじゃん。もうドレッシングが本体だろあれ。流石に過言すぎるか。
「これでいいなら、別にいいけど。シチューとか冷めちゃうし」
「ああ。全然問題ない。シチュー作ってくれただけで感謝してる」
試験期間中だというのにそこまでしてくれ頭が上がらない。
もう実質第二の母である。これ本人に言ったら本気で気持ち悪がられた。
「そう思うなら私が頼まれないようにあんたもちゃんと料理作りなさいよ」
「そうしてもいいんだが、香織の作る料理は美味いからなぁ。一生これでいいぐらいだし」
「〜〜っ!」
わざわざ自分で作るよりも香織に作ってもらった方が幸せ指数高い。ほんとなんでこの子こんなに料理美味いのかね。良いお嫁さんになれる気しかしない。
「ほ、本当にあんたは……!」
いつの間にか、香織は顔を赤くしていた。
「とっととこれ机に持って行け! こっちにいるな!」
「えぇ……」
盛り付けられたサラダを渡され、急にキッチンから追い出された。
情緒2次関数のグラフかよ。上がり方が急激すぎる。
「手伝わなくていいのか?」
「いらない! 全部こっちでやる! 邪魔!」
戦力外通告を受けてしまった。スタメンから外されるってこんな気分なのね……。
まぁ、あとはシチューを盛るぐらいだし、香織に任せればいいだろう。
サラダを置き、机の上に載っていた新聞紙とかの余計なものを退かして、料理が来るのを待つ。
それからすぐに、机の上には香織の作ったシチューに焼かれたパン、サラダ、飲み物と用意された。
全ての準備を終えると、香織は俺とは机を挟んで反対側の椅子に座る。
本当に手伝いなんて要らなかったようだ。
あまりにもテキパキと用意していくものだから見惚れてしまった。
「なにぼーっとしてるの?」
「あ、いや、なんでもない。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
手を合わせてから、スプーンを手に取ってシチューを掬う。
具材は玉ねぎ、にんじん、鶏肉、じゃがいもと至って普通。
味はもちろん美味しい。前に食べた時よりも美味しくなっている気もする。てか、マジで美味いな。胃袋がっちり掴まれてる。
もう香織が嫁に来てくれるのが1番なんじゃないか。
「このシチュー、隠し味とか入れてたりするのか?」
「なに急に」
「いや、前と少し味変わってたから」
前に香織のシチュー作りを見ていたが、ちゃんとルウから作っていた。
だから、味が違うとしたら何か手順に変更が加わったからだろう。
「料理しない癖にそういうところには気づくんだ」
「料理しないわけじゃないぞ。ちゃんと自炊はできる」
「はいはい。カップラーメンは料理じゃないから」
カップラーメン以外も作れるよ? 別に香織の前だとしないだけで。
この前も、インスタントラーメン作ったし。カップラーメンじゃないからセーフなはず。
「それで、隠し味は?」
「なんだと思う?」
質問に質問で返してきやがった幼馴染は、挑発するような笑みを浮かべた。
「外したらコンビニでスイーツ買ってもらうから」
「え、急すぎない?」
なにそのすぐに賭けと罰ゲームをしたがる馬鹿な男子学生のノリ。誰に教わったの。多分俺ですね。昔とか、すぐに賭けごとに持ち込んでたし。
「あんた今日、ケーキ食べたんでしょ。ズルい」
「ズルいって……」
そのケーキのせいで俺の財布がスリムボディの理想体型になっているので、出来れば遠慮して欲しいんですが。
「ちなみに、当てたら?」
「コンビニスイーツを買わなくて済む」
「賭けにすらなってねぇ!」
なんて割に合わない勝負だ。こんなの誰が乗るか!
「10、9、8」
「え、やるの? てか、カウント付き?」
「7、6」
「ちょっと待て。話し合おう」
「やだ。5、4」
これ強制参加のクソゲーじゃねぇか。
もう一口食べる猶予すら与えてくれずに、タイムリミットは近づいてくる。
慌てて必死に頭をフル回転させる。
やばい。シチューの隠し味ってなんだよ。
カレーならチョコとかあるが、シチューにそんなの入れるか?
待て。そもそも、本当に隠し味入っているのか。
料理は下拵え一つで味が変わると言う。ならば、実は隠し味は食材などの形があるものというのはミスリード。
実は形がない技術的な側面の可能性もある。
「2、1」
だとしてもそんな技術知らねぇよ!
淡々と数字を数える香織。優しさも慈悲も感じない。鬼かこいつ。
「0。それじゃあ、答えは?」
隠し味、隠し味、隠し味……!
「愛情!」
「は、はあああああああっ!?」
形のない隠し味として思いついた渾身の解答に、香織は大声をあげる。
あ、やべ……、慌ててたせいで、とんでもない誤答を導き出してた。
0点どころかマイナスの一撃。
顔を真っ赤に染めた香織が俺を睨みつける。
「……高いの買わせるから」
「はい。ごめんなさい……」
ちなみに答えは味噌でした。その味噌に生産者の愛が入ってたりしません?
約束通り、食後に香織のデザートを買うために、暗い夜道を歩く。
最寄りのコンビニまではそんなに遠くないとはいえ、人影は少なく、街灯の明かりも心許ないとなれば、普通に怖い。
隣に香織がいなければ早歩きで行くところだ。
「家で待ってても良かったんだぞ」
ツインテを揺らしながら歩く幼馴染は、口を尖らせた。
「あんたのセンスに任せたら、安いやつしか買ってこないじゃない」
「そんなことないぞ。ほら、バニラアイスとか」
「そういうところよ」
どうやらバニラアイスじゃ不満なようだ。どれくらい高いの買うのか知らないけど手加減してね?
香織と他愛もない会話をしながら歩いていたら、目的のコンビニの明かりが見えてきた。
こんな時間だが車が何台か止まっている。
目立つ青色の看板。
アニメのコラボ商品があるとかなんとかの広告。スイーツだけでなく、様々な商品が陳列してある。
それらに目もくれずに、香織はカゴを持ってスイーツコーナーに足を運ぶ。
「なににしようかなぁ」
「え、たか……」
今日のケーキほどじゃないにしろ、そこそこ良いお値段してる。
それらが香織の手によって、ポンポンとカゴに入れられていく。
「待て待て待て! どんだけ買うつもりだ」
「私は買わないわよ」
「知ってるわ! そうじゃなくて、手加減とか」
「無理」
おお……、たった2文字なのに俺を絶望に叩きのめす強力な一撃。こいつさてはアタッカーだな。
「これくらいでいっか」
ひの、ふの、みの……、多くない?
財布がスリムボディからガリガリボディになりかねない。てか、絶対になる。ダイエット大成功だね!全然嬉しくないけど!
「……そんなに食べたら太るぞ」
せめてもの抵抗にと、女性に対して禁句のワードを口にする。
けど、背に腹は変えられない。これでカゴに入れたスイーツを減らしてくれるなら俺は喜んで地獄に行こう!
「は? いま、なにか言った?」
「え、この子、超怖い」
やっぱり地獄は無理です。入り口だけで心折られました。
「はぁ……、私も半分払うわよ。折角なんだから、2人で食べればいいじゃない」
「え、この子、天使なの」
「なんで、こんなのが幼馴染なのかしら……」
頭痛でもするのか、頭を抑える香織。
昼にケーキを食べたとはいえ、甘いものが嫌いなわけでもない。2人で食べて、代金も半分になるというなら、そこまでとやかく言うつもりもない。
香織からカゴを受け取って、レジで代金を支払う。
家に戻ったら半分渡すということで、一度は痩せてしまった俺の財布だが、すぐにリバウンドできることだろう。ダイエットの縮図みたいだ……。
そこから、同じ道を辿って家に帰る。
行きと違って手に持ったレジ袋にはスイーツが入っているので、あまり雑なことは出来ない。
これでデザートを食べて、その後に勉強をして……。
普通の日常。
そうやって終わると思えた1日。
「あれ……」
家は目の前というところで、香織が小さく声を漏らす。
それに釣られるように、俺は香織の視線の先に目を向けて──、
「悪い! コンビニ忘れ物してきた。先に食べてくれ!」
「え、ちょっと!」
香織にレジ袋を押し付けて、コンビニとはまるで違う方向に走り出す。
後ろから香織の声が聞こえるが答える余裕はない。
クソなにやってんだ。このまま、家に入るだけで良かったのに。
けど、一度動き出したら止まらない。
先程の光景、大量の猫が道路の角を曲がるところ。
あれは間違いない。
しかも、人影すら見えた。
近くに犯人がいる。そうとなれば、放っておくことなんて出来なかった。
全力疾走で駆け抜けて、先程猫たちが曲がった場所と同じ道路を曲がる。
すると、遠くに猫と人影が見えた。
速すぎるだろ……!
どうなってるんだ。こっちは全力疾走なのに、全然追いつかない。
それどころか距離は更に開いているようで。
必死に追いつこうと走ると、息が上がって、心臓が痛くなる。
くっそ、どこまで行くつもりだよ!
脚を止めたら確実に見失う。だから、どれだけ辛くても脚を止められなかった。
そうやって走り、何度も角を曲がるうちに、結局追いつくことなく、見失ってしまった。
「あっ……はぁ、はぁ…、はぁはぁ……」
脚を止めると、とうに限界を超えていたのか、脚が鉛のように重い。
荒い息を吐いて、辺りを見渡す。
「はぁ、どこだ、こ、こ……」
暗くて気づかなかった。
目の前に広がる公園には嫌な見覚えしかなかった。
ここは……、俺が初恋の人を失った場所。
香織に対して償いきれない罪を背負った場所。
懐かしい公園が、あのままの光景で残っていた。
その公園の中央に、1人、ポツンと誰かが立っている。
なんで、こんな時間に。
ベンチに座るわけでもなく、ただ立っている。
それはまるで、誰かを待つように。
おかしい。
昼間ならわかる。だが、こんなに遅い時間だ。そんな時間にこんな場所で待ち合わせなんてするだろうか。
重たい脚を引きずって、ゆっくりとその人影に近づく。
公園の中は街灯が少なく、それが誰なのか顔は見えない。
ただ、その体つきから女性であると察せられた。そして、その女性は髪の毛をポニーテールにしていて、それは嫌なくらいに見覚えがあった。
「由紀ねぇ……」
嘘だ。あり得ない。
俺の目の前で消えたはずだ。
じゃあ、目の前にいるのは誰なんだよ……!
ふらふらと脚を踏み出そうとしたら、鈍い音がした。
そして、気づいたら身体は地面の上にあった。
あれ……、身体に力入らねぇ……。
あと少しで、その人影が誰かわかるのに、身体が動かない。
それどころか、頭が割れるように痛い。
視界が歪み始めて、真っ赤に染まる。額から何か液体が垂れている。
ああ、そうか……。後ろから襲われたのか。
その事実に気づいた瞬間、俺の意識を完全に刈り取るための一撃が頭に降りかかった。
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