第8話 大切な人の姉が異世界転生しました
なんだここ……。
気づいたら真っ白い空間に立っていた。
足元の地面すら白く、浮いているのか立っているのかわからない不思議な感覚を味わう。
「お待ちしてましたよ」
透明な声だった。
背後から聞こえたその声の主の方に振り向くと、そこには1人の女性が立っていた。
日本では見かけない、シスターに似た不思議な衣装。
銀色の髪に、緑色の瞳と、日本人ではないのは間違いなく、絶世の美少女と言っても過言ではない顔立ち。
「ここは……、夢とか?」
まさか、俺の夢の中にこんな美少女が出てくるとは。もう夢の中で生きていたい。
だって、現実は──、
「あれ、そういえば、事故に遭って」
直前の記憶が蘇ってくる。
由紀ねぇに振られて、いや、振られたかどうかは答えを聞いてないからわからないけど。
ともかく、怖くなって逃げ出した俺の目の前にはトラックが走ってきていた。避けれたとは思えない。
「はい。そうです。思い出しました? 残念なことに貴方は不幸な事故に遭って命を落としました」
悲しそうに顔を伏せた彼女は、一歩俺の方へと近付いてきた。
「けど、安心してください。貴方はもう一度やり直せます」
「は、はあ……」
「あの、反応が薄いですけど、大丈夫ですか?」
死んだんなら全然大丈夫じゃないと思います。というのは、置いておいて、全然理解が追いつかない。
「えっと、これって異世界転生というやつ?」
「はい。ご存知なのですね。それは都合が良い。なら、この後の展開もわかりますよね」
告白したら事故にあって、異世界転生しました。なんだこのラノベのタイトルにありそうな超展開。
大きく息を吸って吐いて、ようやく停止した思考が動き出した。
「……え、マジで俺死んだの?」
まだ夢って言ってくれたら信じれるよ?タチの悪いドッキリでも良い。
「はい。死にました。トラックに思いっきり轢かれて、数十メートル弾き飛ばされて、首とか腕とかぐちゃぐちゃになって、骨も複雑骨折し」
「聞きたくない聞きたくない! 誰が好き好んで自分の死んだ状況聞くんだよ!」
夢でもドッキリでもなく、現実として死んじゃったらしい。
ということは、読んでいたラノベの新作も見れないし、ゲームの続きもやれないのか。
マジかぁ。せめてあの漫画の犯人だけは知りたかった……。
「あ、そういえば、申し遅れました。私、女神のルーナと申します」
ニコリと微笑んだ彼女。
胸が一瞬高鳴ってしまう。反則級の笑顔。
幼馴染の香織と、由紀ねぇぐらいしか異性との交流がない俺からしたらクリティカルヒットの一撃だった。
向こうの世界の未練が思いっきり吹き飛びかけるぐらい。
「貴方には、異世界に行ってもらいたいと思っています。その世界では魔王が人間界を攻め込んでいて」
テンプレのような異世界設定を話し出すルーナ。
話半分に聞きながら、どうするかを考える。
死んでしまったことは残念だが、転生すれば異世界であんなことやこんなことを楽しめるというわけだ。悪くない気がしてきた。
「というわけで、いかがですか? 異世界に行っていただけますか?」
「……あの、聞きたいんですけど、俺の世界に戻ることって出来るんですか?」
「残念ながらそれは。貴方の肉体は死んでしまったので」
「そうですか……」
由紀ねぇや、香織、母さんや、父さんにもう会えないと思うとかなり悲しい。
だが、どうしようもないというのなら仕方ない。元はと言えば、いきなり車道に飛び出した俺が悪いわけで。
「わかりました」
「覚悟は決まったみたいですね。では、異世界への転生を……、あれ?」
どこからともなく杖を召喚したルーナが、今まさに異世界転生のための儀式を行おうとした瞬間、彼女は首を傾げた。
「何かありました? もしかして、すごいチート能力が宿っていたとか!」
異世界転生に付き物のテンプレチート能力に期待を寄せた俺を他所に、ルーナは困惑したように顔を覗き込んでくる。
「貴方……、異世界適正がない、異世界不適合者ですね」
「はい?」
「えっと、異世界適正というのは、文字通り、異世界で過ごすための適正です」
「それがないとなにが……」
「転生した瞬間に死にます。身体が爆発したり、呼吸できなかったりします」
つまりスタートした瞬間にゲームオーバーになるということか。え、ダメじゃん。
「それはルーナさんの力とかでなんとか」
「ならないです」
「えぇ……」
めちゃくちゃきっぱりと断言されてしまった。
「なので、転生者を選んでるんですけど……、おかしいなぁ。ミスがあったのかな」
ブツブツと呟くルーナは考え込む。
てか、待て。聞き逃せない言葉があったんだが。
「転生者を選んでるって」
「ああ、それは事故に遭う人を選んで……あ、これは内緒でした」
「おい!」
事故に遭ったのこいつのせいかよ。
テヘッと舌を出しても許されないだろ。クソ可愛いな。腹立つ。
「じゃあ、俺はミスで死んだってことかよ!」
「……まぁ、はい」
少し気まずそうにルーナは頷く。
なんて酷い話だ。そのミスで死んだ挙句、異世界転生すら許されないとか。
「し、心配しないでください! ちゃんと修正をかけますから!」
「修正?」
「はい。貴方は事故に遭わなかったことになります。それならいいですよね? ね?」
「ま、まぁ、それなら……」
すごい圧力についつい頷いてしまう。こうやって変な契約を結ばされる若者がいるんだろうなぁ……。
「それじゃあ、急がないと間に合わないので!」
「え、おい、ちょっと!」
ルーナが小さくなにか呟くと、俺の身体が浮かび上がり出す。
さっきは出来ないと言ってたのに、元の世界に戻れるということか。説明をもっとして欲しい。
「ここのことは秘密でお願いしますね」
最後にルーナからのセリフだけを残して、俺の視界が真っ白に覆われた。
気づいたら由紀ねぇに告白した公園に立っていた。どうやら本当に戻ってきたらしい。
そして、俺が事故に遭った道路には代わりとばかりに由紀ねぇが立っていた。
「……は?」
一瞬理解できなかった。
なんで、あそこに由紀ねぇがいるのか。
彼女も驚いたようにこちらを見て、俺に手を伸ばして──。
クラクションが鳴り響く。
人が跳ねられるとあんなに鈍い音がするんだと、その時初めて知った。
由紀ねぇの身体はピンボールのように跳ね飛び、数十メートル先で止まった。
真っ赤な血溜まりがアスファルトの上に広がっていく。
身体の一部は吹き飛び、首があり得ない方向に曲がっていた。間違いなく即死だった。
『貴方は事故に遭わなかったことになります』
その言葉の意味をやっと理解した時には、もうとっくに手遅れで、俺は大切な人を1人失った。
その選択をしたのは俺だという事実だけを残して。
暗い水の底から浮かび上がるように、ゆっくりと意識が浮上していく。
目を開けると、真っ暗な空。
ちょっとどころか、だいぶ頭が痛い。
頭痛を堪えるようにしながら、体を起き上がらせた。
酷い夢を見た。おかげで気分は最悪だ。
「意外と目覚めるのは早かったわね」
唐突にかけられた声に振り向くと、氷姫がベンチに座って本を読んでいた。
「状況は理解してる?」
「……ああ。わかってる」
「そう。なら、いいわ」
場所はあの時の公園。後ろから襲われて気絶した。
うわ、服にめっちゃ土ついてる……。
「傷自体は大したことなかったけど、一応治療だけはしておいたから」
「悪いな」
「そう思うなら、無茶な行動はやめて欲しいのだけれど」
「今日のケーキの貸し分ってことにしておいてくれ」
はぁと呆れたようなため息を吐いて、本を閉じた氷上は、立ち上がってこちらに近づいてくる。
「なんで氷上はここに?」
「理由なんて分かりきっているでしょ。まさか、櫻木くんがいるとは思わなかったけど」
「俺も居る予定は無かったんだけどな」
まさか、失踪事件を目撃してしまうなんて思ってもいなかった。しかも、よりにもよって、こんな家の近くで。
「それで、犯人は見たの?」
「いや、全然。暗くて見えなかった」
「使えない……」
「そういうのは思っても心の中にしまっておこうね。傷つくから」
もう少し怪我人に優しくして欲しい。治療して貰えただけありがたいんだろうけど。
「とりあえず今日は帰りなさい。これ以上面倒は見れないから」
厄介なモノを見る目を向けられる。
勝手に突っ走って怪我だけ負った挙句、なに一つ情報を掴んでないとなればお荷物極まりないだろう。
「そういえば、俺はどれくらい寝てた?」
「1時間くらいかしら」
「やっべ、香織に絶対なんか言われる……」
家に戻った後が、少しだけ憂鬱だ。とりあえずデザート代は全て俺待ちになりそうだ。
ああ、さようなら、お札たち……。
「随分と呑気なのね。わかってる? 私の到着が遅かったら、貴方、死んでたわよ」
「は? でも、怪我は大したことなかったって」
「私が来たから犯人が逃げ出したのよ。もし間に合わなかったら、更に酷いことになっていたかもしれない」
言われてみればそうだ。
後ろから襲って気絶させてくるような奴だ。その後なにをしてくるかなんて、わかったものじゃない。
それと、氷上も犯人の逃げる姿は見たようだ。その上で、犯人を追うことではなく、俺の治療を優先したのか。
やっぱり、こいつ良いやつなのかもしれない。学校でも演技とはいえ、同級生に対して勉強教えてるわけだし。
「やっぱり櫻木くんのことは放っておいて、犯人を追うべきだったかしら……。情報一つ持ってないなら、追った方が有益だったわね」
「やめろやめろ! 今、優しさ感じてたところなんだから」
やっぱりこいつ良いやつじゃないかもしれない。打算的すぎる。助けてくれたの情報欲しかったからかよ。
おい、本気で失敗したみたいな顔するな!
少しだけ納得いかない気持ちになりつつ、痛む体で無理矢理に立ち上がる。
「氷上はこの後どうするんだ?」
「そうね……。面倒な事態になったし、準備をしたいから一度帰るわ」
「面倒な事態?」
「ええ。とっても面倒な事態。それじゃあ、櫻木くん、さようなら。あ、あと、顔は洗った方がいいわよ」
「え、ああ、わかった……? じゃあな」
伝えることは伝えたとばかりに、謎の助言を残して氷上は歩き出す。背中を向けて、一度もこちらに振り返ることなく公園を出て行った。
俺もこんな場所には長居したくないので、家に向かって歩き始める。
結局面倒な事態とやらも教えて貰えなかった。めっちゃ気になるやつじゃん……。
大切なお知らせとかいうサムネ並みに気になる。あれ心臓に悪いので本当にやめて欲しい。
それにしても、頭が痛い。どんだけ思いっきり殴ってきたんだ。本当に死にかねない。
標的は猫や犬といった動物だけで、大した力は持ってないと思っていたが、こうやって人も襲うのならば、事態はより深刻だ。
それに、恐らくだが、幻覚を見せる力もある。あの時は混乱して気づかなかったが、あの由紀ねぇに見えた人影。あれが犯人の力によるモノなら、幻覚作用といったところだろう。
てか、それを氷上に伝えるの忘れてた……。まぁ、明日伝えればいいか。
頭痛のせいで少し時間がかかって家にたどり着く。窓から漏れる光で、リビングの部屋の電気が点いていることがわかった。
両親じゃないなら香織だろう。
なんて言い訳するかなぁ……。
服についた土埃を払って、玄関の扉を開けた。
「た、ただいまー……」
おずおずと声をかけて靴を脱ぐと、リビングから足音が聞こえてきて、玄関に幼馴染が現れる。
俺を見て一瞬目を見開き、それから睨みつけてきた。
「馬鹿っ!」
「うおっ!」
びっくりしたぁ! 開口1番それかよ!
怒り心頭といった様子の香織は、そんな一言じゃ、全然足りていないようで、言葉を続ける。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
「いや、あの、香織さん? ちょっと馬鹿って言い過ぎじゃ」
「うるさい! 馬鹿!」
物を持っていたら投げつけてきそうな勢いで、馬鹿と連呼してくる。
「どこ行ってたのよ!」
「だから、コンビニに……。そこで雑誌の立ち読みをしてたら、遅くなって」
用意していた言い訳を口にした。少し無理はあるが仕方ない。
この言い訳の弱点は、更に香織が怒ることが目に見えていることだ。
「……っ」
更に怒るだろうと予測していたので、身構えていたら、香織は唇を噛み締めて、言葉を途絶えさせる。
そして、徐々にその瞳に涙を浮かべ始めた。
「香織……?」
予想外の展開に困惑して、彼女に声をかけると、香織は小さく震える声で、呟いた。
「……嘘つき」
「え? あ、おい!」
駆け出した香織は、俺と無理矢理にすれ違うようにして家から出て行ってしまった。
なにがどうなってるんだ……。
香織を追いかけた方がいいのはわかってる。
けど、どうして香織があんな態度を取ったのかの理由を理解できないせいで、脚を踏み出せなかった。
そこで、玄関に置いてある姿見に映る自分の姿に気がついた。
土埃を払ったおかげで、服は少し汚れているぐらい。
ただ、顔は違った。
「……そういうことかよ」
氷上の顔を洗った方がいいという意味がわかった。
なんで気づかなかったんだ。
垂れた血の跡がくっきりと残っている。
こんなの見て、雑誌の立ち読みなんて嘘に気がつかないわけがない。
香織の態度の理由を理解して、今すぐ追いたい衝動に駆られたが、先に顔を洗った方がいいだろうと、洗面台に向かう。
ついでに、自室で着替えも……と、廊下を歩く時に、開いたリビングの扉から見えてしまった。
テーブルの上に2人分のフォークと買ってきたスイーツが並べられているのを。
それは、なに一つ手をつけられていなかった。
「あの馬鹿……、先に食ってろって言ったのに」
1番の馬鹿が誰かなんてはっきりしているのに、そんな悪態を吐いて、俺は急いで準備を整える。
スイーツも何個か袋に入れて香織の家に向かう。
夜中で迷惑かもしれないが、そんなの気にしてられないので、香織の家のチャイムを鳴らした。
「やっぱりきた」
少しして顔を覗かせたのは香織の母親だった。
「どうも……。その香織は?」
「香織なら部屋だけど……、今は会わないほうがいいかも」
詳しい説明なんてなくてもこの人は理解してくれる。昔から俺と香織を見てきたから。
最近はめっきりなくなったけど、香織と喧嘩した時はいつもこうだったから。
「そう、ですか……。じゃあ、これ、渡しておいてください」
スイーツの入った袋を渡すと、香織の母親はクスリと笑う。
「ええ。わかったわ。渡しておく」
「よろしくお願いします。あと、香織に」
謝罪の言葉を口にしようとしたら、首を振られた。
「大丈夫よ。言わなくてもあの子はわかってるから。それに、言うなら私じゃなくて香織に直接ね」
「……はい。すいません。ありがとうございます」
「香織のこと、これからもよろしくね」
そんな短いやり取りだけを交わして、俺は香織の家を後にする。
香織の泣き顔を見たのなんていつ以来だろうか。
昔は香織の泣き顔を見ることはよくあった。それこそ由紀ねぇが居た頃は……。
口の中に苦いものが広がっていく。
あの日、異世界不適合者として閉じてしまった異世界への扉。
それが今更、再び嫌な形で開き始めている。
「絶対に香織だけは……」
口の中で呟いた自分との約束は、夜の闇の中に溶けていった。
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