第5話 異世界転生者が事件を起こしました

 氷上の告白に、数秒間、静まり返る。

 精神的にも物理的にも冷えきりそうな空気の中で、おずおずと口を開いた。


「……それ、飲めなくなってないか?」

「ああっ!」


 紅茶はカチコチで、コップには霜まで付いている。

 氷の魔女らしい行為だが、自らのコップを見て驚いた氷上を見る限り、意図して起こした事態じゃないらしい。


「やっちゃった……気をつけていたのに……」


 氷上はスプーンを手に取って、凍りついてしまった紅茶を突く。カンカンと氷の音が響いてきた。

 落ち込んだように肩を落としている。なんだこの可愛い魔女。


「えっと、それで、失踪事件の件だけど、本当に異世界転生者の仕業なのか?」

「……当たり前でしょ。あんな事件……普通の人間に起こせるわけ……はぁ……」

「落ち込みすぎだろ!」


 どんだけショックだったんだよ。

 スプーンでツンツンしている姿はいじけた子供みたいだ。


「魔法陣なんて近くに置いておくんじゃなかった……」


 見れば、先程まで魔法陣が書いてあった紙は、いつの間にか白紙へと変わっていた。


「使い捨て魔法ってやつか」


 こくんと頷かれる。

 ……もう少し元気出して貰えませんか。別になにもしてないのに、悪いことしたみたいな気分になってくるだろ。


「……なんか食うか? ケーキとかあるみたいだけど」


 メニューを開いて、デザート系のページを眺める。


「……いらない」

「そう言うなって。奢ってやるから」


 近くの店員を呼んで、適当にケーキを注文した。

 店員は紅茶が凍っているなんて、夢にも思わないようで、気づく素振りすら見せなかった。


「いらないって言ってるのに……」


 氷上の言葉を無視して少し待つと、ケーキが4つほど運ばれてきた。

 苺のショートケーキと、チョコレートケーキ、それになんかドーム上の形をしたピンク色のケーキに、カラフルなスポンジが層になってるオペラみたいなケーキ。

 全体的にデコレーションが凝っていて、とても美味そう。映えるとかいうやつだろう。その代わりに、無駄に高かったけど。映えってプラスレスじゃないのね……。


 とりあえず、スマホを手にパシャリ。

 よく見る映え写真には遠く及ばないが、どうせ誰かに見せるわけでもない。


 写真フォルダを見れば、大量のラーメンの写真の中にポツリと不釣り合いなスイーツの写真。

 なんで、俺の写真フォルダはこんなにラーメンだらけなんだ……。

 写真フォルダが油っぽいってどういうこと?

 そして、なんで誰かに見せるわけでも無いのに俺こんなに毎回写真撮っちゃってるの。

 外食あるある。なぜか写真撮る。


 さて、なにから食うかな。4種類もあると迷ってしまう。


「氷上はなに食いたい?」


 ケーキから彼女に視線を戻すと、彼女はジトリとした視線を向けてきていた。


「人の話聞いてた?」

「もちろん聞いてた。んで、なに食う?」

「聞いてないじゃない……」


 諦めたようにため息を吐いて、氷上はチョコレートケーキの載った皿を取る。


「櫻木くんって結構強引なのね」

「幼馴染力が高いと言ってくれ」


 怒っている香織の機嫌を直す方法は甘いものが1番なのだ。

 これやると、なんやかんや食べ始めて機嫌直るのでチョロい幼馴染である。


「……そこで惚気られてもね」

「惚気じゃない。ただの事実だ」


 とりあえず最初は無難な物でいこうと、俺もショートケーキを取って、苺をフォークで突き刺す。

 渋々といった様子で受け取った氷上もチョコレートケーキを一口サイズに切り取って、口に運んだ。


「……ま、普通ね」

「そこは、美味しいって可愛らしく言っておけよ……」


 確かに普通の味だったけど。

 生クリームも苺も至って普通。見た目に意識割く前に味に力入れて欲しかった……。

 見た目とのギャップのせいで、少しだけ残念な気持ちになりつつも、別に不味いわけでもないので次々に口へと運んでいく。


「それで、なにが望みなの?」


 俺のショートケーキがそろそろ自立しているのが厳しくなってきた時に、氷上は食べる手を止めて尋ねてきた。


「なにが?」

「このケーキの対価よ」


 ケーキの対価って、それはもちろん野口さんのお札3枚ですけど。

 なんて、冗談は置いておいて、彼女が言う対価とやらがなにを指すのかぐらいわかる。


「対価なんていらないって言ったら許してくれるタイプか?」

「ダメね。魔女として対価は払うわ」

「……うわー、めんどくさ」

「声に出さないという選択肢はなかったのかしら」


 青筋を浮かべてそうな氷上の反応は無視して、対価対価と考えを巡らせてみる。

 やってもらいたいことは無い。強いて言うならこの無駄に高かったケーキ代を払って欲しいが奢ると言った手前、流石にそんなことは言えない。


「思いつかないから、考えておくわ」

「……まぁ、いいわ。別に急ぐものでもないから」


 不肖不精という感じではあるが氷上は了承した。このまま一生考えているということにでもすればいいだろう。


「それで、失踪事件の犯人とか目星でもついてるのか?」


 ズレまくってしまった話を戻すように尋ねると、氷上は苦い顔をした。


「目星がついてたらあんなくだらない噂を流さないわよ」

「それは、確かに」


 チョコレートケーキを食べ終えた氷上は、残った二つのケーキと睨めっこして、スポンジがカラフルなオペラみたいなケーキを取った。


 要らないって言ってたのに、2個目食べるんですね。別にいいけども。


「ただ、動物を集めてる方法にはおおよその検討が付いているわ」

「……魅了とか、催眠とかそういうやつか?」


 噂にあった1匹の犬に大量の動物が付いていくという光景。

 それに加えて、異世界にありそうな能力というものを想像して答えた。

 しかし、どうやらハズレだったようで、氷上は興味なさそうに俺を一瞥する。


「そんなことする必要もないわ。相手の自由を奪えばいいんだから」

「というと?」

「だから、脳内にこう、寄生虫みたいなのを埋め込んで」

「……聞くんじゃなかった」


 想像しちまったじゃねぇか。

 つまり催眠とか魅了じゃなくて、脳内の乗っ取り。確かにそれなら催眠や魅力と違って解ける心配もない。ちょっとグロいけど。


「そんな方法が使われた証拠ってあるのか?」

「ないわ。勘だもの」


 きっぱりの言い切りやがった。なんでそんなに堂々としてるんだよ。


「催眠や魅了の可能性も捨ててるわけじゃないけれど、それなら気づく自信がある」

「それは魔力探知的な?」

「ええ。……さっきから随分と理解力高いわね。本当に異世界転生したことないの?」

「したことあるわけないだろ」


 気味が悪そうに顔を顰められる。

 こっちの世界では、異世界転生とか有名なネタだから知っているに過ぎない。

 調べれば無限に出てくるわけで、そこにはやはりテンプレというものがあって、さっきからそのよくある設定というやつを上げているだけだ。

 だから、テンプレって意外と通用するんだなって思ってる。


「……待て。脳内を奪うって、居なくなったペットは」

「ま、死んでるでしょうね」


 ケーキを口に運びながら氷上は残酷な現実を口にした。


「催眠とか、魅了だったら……」

「それでも、同じことよ。わかっているでしょ」


 ああそうだ。

 何匹も居なくなっていて、1匹も発見されていない。つまり、それは誰も逃げ出せていないということで、誘拐犯がそんなに大量のペットに餌をやるとも思えない。

 最初の1匹が居なくなってからもう1ヶ月以上経っている。

 生きている可能性は低かった。


 俺自身が巻き込まれたわけではないが、それでもニュースで居なくなったペットを探している家族を見たりした。

 そのペットが既に死んでいるなんて……。


「……悪いけど、私を睨むのは辞めてくれる?」

「……え? あ、わ、悪い……」


 気づいたら、彼女を睨みつけていたらしい。彼女が起こしたわけじゃないというのに、こんなの八つ当たりだ。

 不快そうな顔をした氷上は、残ったオペラのようなケーキを食べ切ると、今度はドーム型のピンク色のケーキを取った。


 おい、なんで3個食べようとしてるんだよ。4個あったのを2人で分けるんだよ?数学できないの?


「あ、これは美味しい」


 一口食べてポツリとそんな言葉を漏らす。

 さっき睨んでいたのは完全な八つ当たりみたいなものだけど、今回は正当に睨んでいいんじゃないだろうか。


「それで、これからどうするつもりなんだ? 噂で釣れたのは俺だけなんだろ」

「ええ。残念なことにね。こんな噂に反応するほど、バカじゃなかったみたい」

「……それだと俺がバカみたいだろ」

「それは過大評価しすぎよ」

「どういう意味だ!」


 バカ以下だとでも言うつもりか!

 俺の抗議を無視して、氷上は次の予定を話し出す。


「とりあえず、失踪が起きている場所に向かうわ。ちょうど、ニュースにもなっていない、新たな犠牲者もいるみたいだしね」

「……あの女子生徒か」


 今日の電車で会ったあの子。

 確定したわけじゃないが、直近で最も新しい犠牲者。


「けど、場所なんて話してなかったぞ」

「電車に乗ってきた駅の近くでしょ。それだけ分かれば十分よ」


 確かに、あの女子生徒の家に用事があるわけじゃないから、大まかな場所さえ分かればいいのか。


「そういうわけだから、あんまりのんびり出来ないのよね。痕跡が無くなるかもしれないし」


 と言いつつ、ケーキを食べる手は止めない。

 意外と食べるんだな。やっぱりそういうものの栄養が胸に行ってるんですか。


「先に言っておくけど、変に手を出さないでね。巻き込まれたら面倒だから」

「……わかってるよ」


 そもそも話を聞いたのだって巻き込まれようにするためだ。


「わかってるならいいけど……」


 少し信用なさそうな目だが、それ以上はとやかく言うことなくケーキを食べ進める。

 少ししてケーキを食べ終えた氷上は立ち上がった。


「それじゃあ私は行くわね。ケーキ、ご馳走様」

「行くって、今から行くのか?」


 こんなところで話していたせいで、だいぶ時間が経ってしまっている。


「朝に話を聞いた時点で、その予定だったのよ。ただ、少し怪しい人物いたから予定を追加しただけ」

「怪しくて悪かったな」

「ふふ、明日からはいつも通りのクラスメイトでお願いね」


 最後にとびきり優しく微笑むと、彼女は鞄を持って行ってしまった。

 残された俺も会計して帰ろうと立ち上がる。


 明日からはいつも通り。今日はただ、氷上の秘密を少し知っただけ。

 全て夢だったんじゃないかと思えるような出来事だったが、溶け始めた紅茶が起きたことが現実であると教えてくれていた。


 そういえば、あいつから紅茶代貰ってないぞ。紅茶まで奢るなんて言ってないだろ……。

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